1-04:身体を探しに行こう
 身体を盗まれた、それも目の前で。
 唖然、呆然、憤怒、そして暗澹冥濛。
 俺こと平池誠一の一世一代のドピンチに救世主のごとく現れたやたら多国籍な三人組は、救急車を呼ぶでもなく、誰かに助けを求めるでもなく、あろうことか俺の身体を黒いスモーク張りのミニバンなんて怪しさの権化のような車に載せて走り去ったのである。天下の地方公共団体庁舎、市役所の敷地内でこの凶行!!信じられるか世も末である。ちょっと信じられない、夢だと思いたい、それを言うならひっくり返って魂抜けたとこから嘘だと言って欲しいが。
 もちろん俺とて黙って盗まれたわけではない。
 雲行きが怪しくなり始めたところ、具体的に言うとヒップホップで神に感謝してそうなソウルフルな外見の男がタバコと空き缶を回収し始めたあたりでんんっ?となり、やたら濃いヤツとやたらデカい金髪が俺の身体を抱え上げた時点でオイオイオイくらいにはなった。そんなやったらめったら動かして脳の血管でもイわしてたらどうしてくれるんだ!という心からの叫びはもちろん届かない。思わず伸ばした手は金髪の身体をすり抜けスカる。その感触が思いの外ぞっとしないものだったのでひるんでいる間に、俺の身体はいよいよ真っ黒な車中へと投げ込まれてしまう。もうどうにでもなれと最後まで車外にいた金髪の背中に手刀しまくったが、何が起こるわけでもなく、慈悲もなくドアは閉まり、真っ黒なミニバンは速やかに走り去ってしまった。唖然、呆然、憤怒、そして暗澹冥濛。乗り込んでやればよかったとも思うが、あの車の中に入るのはなにかとてつもなくイヤな予感がして踏み切れなかったのだ。どっちにしろ後の祭りだし。すっかり薄暗くなった庁舎裏で俺はため息をつく。それくらいしかやりようがない。

 どうしたらいい、マジで。

 もともとよくわからなかった自分の置かれた状況が、ここへ来てますますわからなくなった。もう正直、このまま幽霊として生きていくしかないのかなって思い始めている。…幽霊として生きていく?言葉のあやはともかく、結構みんなこんな感じなのかもしれないなって。みんなって、古今東西死に絶えていった人々のことな。こんな感じで、釈然としない感じで、オレ死んだのかなあ…?みたいな感じで、死んだのかあ…仕方ないかあみたいな、それでなあなあと幽霊やっていって、いつしか幽霊としても寿命が来て今度こそ消えて行くみたいな、そういう感じで…死後のおまけの余暇、諦観の日々…。

 なんて諦めきれるわけがないので、俺は身体の追跡を開始した、徒歩で。

 いや、実際体験してみればわかると思うけれど、自分に都合の悪いことなんて人間早々簡単に受け入れられないものだ。自らの生き死になんてその究極とも言うべきものだろう。それで諦めきれずにさまよっているのが俗に言う幽霊・亡霊の類では?というひらめきは小さいうちに意識のはるか奈落へ封殺しておく。何度でも言うけど『今はそのときではない』。自分の人生に満足できたか否かなんて、冗談じゃない。
 ミニバンの行方など正直なところわかりゃしないので、俺はとりあえず大通りへと出た。いよいよあてどなくさまよう亡霊の様相ではないのか?との疑問が噴出しそうになるも先ほどのひらめきと同じ奈落へ封殺。今の俺を亡霊扱いしてみろ、次は貴様の番だ。身体から脱出した影響か、就職してからすっかりインドア派の俺がいつになくアクティブ、テンションは確実におかしい。帰宅ラッシュと飲みラッシュでむせかえるような人混みも意に介さずすいすい進める、そう幽体ならね。元気いっぱいのガキんちょが唐突に俺の足を突き抜けて走り去り、その直後母親らしき女性が怒号を上げながら俺の胸元から登場したときはさすがに面食らったけれど。

 さてどうするか。

 もしかしてニュースになったりしていないだろうか。『西浜通りで意識不明の20代男性を保護』とか、もしくは『死体遺棄の容疑でやたら多国籍な三人組を逮捕・遺体の身元は確認中』とか…。後者のありがたみのないリアリティに身震いしながら俺は何かそういう情報を発信していそうなものを探す。端的に言えば街頭テレビとか、電光掲示板とか。こんなときスマホの恩恵が身にしみる。やはり今の俺ではスマホの静電式パネルには反応していただけないのだろうか。幽体だからといってすり抜けるのは人ばかりで、壁抜けなんかはどうもできないようだからスカりはしないと思うのだけど。
 アーケードを横切って素通りし、チェーン店じゃないステキに煤けたような居酒屋が建ち並ぶ路地に入る。こういう老夫婦がやってるような個人店は、小さなテレビを天井の角に構えていると相場は決まっているものだ。ぎちぎちと居並ぶ店の中には、中華街が近いからだろう、チラホラ中華料理屋も見受けられた。といっても西浜通りに居並ぶような由緒正しき大店ではなく、年季の入ったこじんまりした食堂といった風情の個人店ばかりで、それもこのぐらいの時間になると居酒屋の様相を呈しているようだった。
 天井隅の小さなテレビを求め、居並ぶそれらしい雰囲気ムンムンの中華食堂の中の一つへテキトーに入ろうとした俺は、しかし入れなかった。薄い引き戸の向こうには何人かの話し声が聞こえ、かすかにテレビジョンらしき雑音もするのに入れなかった。のれんには営業中の札がおまけのように下げられ、その引き戸を引けばがらがらとノスタルジックな音がして軽快に迎え入れられるはずなのに、入れない。どうしても入れない。入り方がわからない。どうして戸を開けて入ろうなんて思えるのかわからない。いや、入りたいは入りたいんだけど。戸の開け方はもちろん重々承知しているのだけど。

 閉じた戸の“入り方”がわからない。

 そのとき、知らず硬直していた俺の身体を見知らぬ腕が突き抜け引き戸に手をかけた。背後に何人か、背広の中年男性独特のなんとも言い難い気配がする。どうも新しい飲み客の集団が来たようだ。その腕はさも当然戸でも言うように、いや実際当然なのだが、容易に引き戸を開け放った。わっと店内の活気が漏れ出てくる。あたたかい気配。いかにもリーマンといった風のおやじたちは、ぞろぞろ俺の身体を突き抜けて店内へ入っていく。

「はい、いらっしゃいませ。はいはい、いらっしゃいませ」

 ひとりひとりに声をかける店のおかみさんの声が聞こえた。その途端、足がふっと自由になる。よかった。これで『入れる』。
 彼らに続き、どことなく吸い寄せられるように敷居をまたごうとした俺の腕を、突然誰かがつかんで引き留めた。

「お兄さんはだーめ」

 どことなくはしゃいだ声。何かのキャッチのような台詞。舌足らずとも言えるその声の若さで、店内へ消えたおやじたちの連れではないと、それだけはわかる。くっ、と腕を引かれる。すっかり『人はすり抜ける』ことが当たり前になっていた俺が、二の腕に沈むその明らかな指の接触にまごついている間に、引き戸は無慈悲に鼻先で閉まった。その瞬間、そのほんの一瞬だけ耐え難いむなしさに襲われてますます狼狽する。なんだ今のは。なんだ、俺は、どうしてしまったんだ。

「つーかうっわ、マジで触れちゃったよ!」

 しかし後ろの正面の誰かさんにはこちらのセンチメンタルと狼狽なんてまったくもってお構いなしになっようである。腕をつかんだまま、まだはしゃぎ倒している。誰だ、知り合いか、そんなわけないよなと思いながら振り返ると、そこにいたのはやっぱり知らない男だった。
 声の印象そのままに、ちゃらちゃらした茶髪をちゃらちゃら伸ばしている。少年と言うほど幼くないが青年というにもなんとも頼りない、にべもなく言えばプー太郎かつちゃら男っぽい。まだ柔らかそうな耳たぶをつぶつぶと無数のピアスが縁取っていて、単純に「痛そう」と思った。言うに事欠いてそれかといった感じだけども。しかしまあ彼に対する俺の思いを今一言にするならば、

「誰?」
「お兄さんさあ、カラダ、どこ置いてきちゃったの?」

 こっちのいうことなんか聞いちゃいねえ。アブナげで意味深な台詞と涙袋の膨れた笑い顔。出会ってまだ数秒なのに、すでにそのニヤニヤ顔が癇にさわってしかたない。
 ふと、せまい道の向こう側へ目をやった。そこは小さな雑貨屋で、営業時間はとうに過ぎている。照明を落とされたショーウィンドウは鏡のように、あたりを暗く反射している。その暗い鏡に映っているのは通り過ぎ行く人々と、今まさに入れなくなった中華食堂と、そして、見えないなにかをつかむように、奇妙に腕を伸ばしているちゃら男くんの姿だけだった。
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GFD