1-05:中華昼飯処好渇堂-a
 プラスチックのグラスと、磨り硝子風プラスチックの水差し、それからラー油とか皿うどん用のソースやら酢やらの小瓶。それらが置かれたテーブルは店のおばあちゃんによってしっかり拭かれているのに厨房からの熱気と油でいつもぺたぺたしている。壁いっぱいに貼られた手書きのメニューは気まぐれに追加されたり消えたりする。だから来るたびに精一杯店内を見回してお目当てのメニューを探さなくてはならない。昼だろうが夜だろうが、飯時だろうがそうじゃなかろうが、なぜかいつも客入りは同じくらい。席が半分埋まる程度。こういう老夫婦がこじんまりやっているような食堂は『昼飯処』という看板ながら夜は居酒屋と化し、そして天井の角に小さなブラウン管テレビがあるものと相場は決まっている。チャンネルはたいていプロ野球。それ以外の番組にあわせていてもいつのまにか戻されている。どうやらチャンネル権は店の旦那ではなく、常連の老爺どのの誰かにあるらしい。

「こんなことしてるバアイ?」
「でもこのままボスんとこ行ったらもう朝まで食うタイミングねえよ、たぶん」
「ビール飲んでもイーイ?」
「エイド話聞いてた?ボスんとこ行くの。それでも飲むんだったらどーぞ?」

 神妙な顔つきになったエイドがおとなしく『マダム、ちゃんぽん三つ』と注文する。隣のテーブルをわしわし拭いていたおばあちゃんが「マダムだってよ、やだわ」と照れながら厨房へ引っ込んでいく。かわいい。つーかどさくさに紛れて俺たちのぶんも勝手に決めやがった。とりあえずビール三杯みたいな感じで注文しやがった。ぜんぜんちゃんぽんの気分じゃないのに。どっちかというと皿うどん派だし。

「エビチリが良かったんですケド?」
「じゃあ頼めばァ?どっちも食べればいいジャン??とりあえず頼んだだけだし???」
「とりあえずでちゃんぽんなんか頼まれたらもうお腹いっぱいなんですケド?」

 アシフが正論言ってる。雹でも降るかな。

「つーか違うわ、それにしたってご飯食べてるバアイ?だってさ」

 珍しく調子よく正論を続けようとするアシフには悪いがシッと睨んで黙らせる。そのさきは言わなくてもわかってるから言わんでよろしい。この手の店には珍しく、裏口に駐車スペースを持っている好渇堂。今、この瞬間、そこに鎮座している我らがミニバンの中には成人男性(簀巻き)が。確認したかぎり心肺停止の死体ということで間違いなさそうだけど、何かの拍子に息を吹き返して暴れられても面倒なので簀巻きにしておいた。あと車中でごろごろころがって傷だらけになったらカワイソウだし。なんでちゃっちゃと簀巻きにできるような道具を都合良く持ってるのかって?秘密だよ。
 ちっちゃなテレビの中ではお約束通りプロ野球の試合が中継されている。ちょうど点が入りテレビを見つめていたエイドにぐっと力が入る。そこまでスポーツのたぐいに詳しくないエイドが毎度なんとなくで選んで応援するチームは、毎度負けるというジンクスがある。そんなに思い入れがあるわけでもないので、応援されて負けるほうはたまったものではないだろう。

「さっさとボスに渡したほうが良くナイ?」
「職質されたらと思うと落ち着いてチャンポンも食えナイよ!」

 ばあちゃん(マダム)がお盆にのせて運んできたちゃんぽんを受け取りながらいきり立つエイド。「スパシーバ、マダム」って、なんでコイツさっきからちょくちょくモテようとしてるんだ?ばあちゃんに。頬を押さえて喜ぶばあちゃんを見るにつけ効果はテキメンぽいけど。かわいい。
 ともかく、放られたオモチャと思わしきあの“簀巻き”をそれこそ忠犬よろしくボスの元へ持って行かないのにはワケがあった。浅ましくそして真っ当たるワケが。心肺停止とはいえ、あの場で救急車を呼ばないあたりでみなさんお察しの通り、我々は社会的に見てあんまりイイ子ではない、てへ。それこそがお偉い様ことボスが我々に求めている在り方であり、しかしそうなると逆に悪巧みは尽きないというもので。

「ボスに持ってくのもいいけどさあ、渕屋に持ってくのもアリかなって…」

 俺の言葉に、二人は麺をすすりながら思い思いの反応をする。

「渕屋?ああブッチーね。あーネ」
「なるホド。その手があったか」

 悪い子には悪いお友達がいる。そして悪い子は時に、ボスの言うことすら聞かない、おつかいすら遂行しない、そういうものである。

「ブッチーなら、コレ、はずむだろしネ」

 コレコレ、と指で輪っかを作っていやらしく笑うアシフ。そう、『簀巻き』を引き渡すだけなら、渕屋のほうが破格値をつけてくれるだろう。ボスと渕屋では、価値観が違いすぎる。普通、ああいう『簀巻き』の類をできるだけ穏便に手に入れようと思えばそこに係る苦労は計り知れないものだ。だから渕屋は破格値をつけてくれる。だがボスは違う。ボスにとって『簀巻き』を手に入れるのは大した問題ではない。ボスにとって『簀巻き』程度ではそんなに魅力と希少価値にあふれるものとは思えない。
 まあ、そこが引っかかると言えば引っかかるんだけど。

「だいたいボスが『簀巻き』程度でどうこう騒ぐと思ウ?」
「思わナイよ、だから渕屋に売っちゃっても平気」

 あまりに二人がすんなり渕屋方向へ意志を固めつつあるので、言い出しっぺのくせに不安になってきた。いや、むしろ『簀巻き』程度で騒がないから問題なのでは?『簀巻き』くらいで騒がない、『簀巻き』くらいいくらでもどうとなるボスがわざわざ持ってこいと言うのだから、それは今車中にいる『簀巻き』じゃないと絶対だめな理由が何かあるのでは…。いや、実際には『簀巻き』持ってこいなんて言われてないんだけど、元はと言えば『市役所を気にしとけ』としか言われてないんだけど。それを先回りして先回りして勘ぐってるだけなんだけど。いや〜渕屋案、魅力的なんだけどな、破格値とか、こんな機会めったにないし。

「アリエル、顔のいろおかしい」
「いや、やっぱ渕屋はやめよ。おとなしくボスに持ってこ」
「んだよアリエルびびりかア〜?」

 外国人とは思えない勢いでちゃんぽんをすするアシフ&エイドに煽られても、一度萎んでしまった俺の悪い子心は奮起しない。そうだよビビりだよ!不確定要素が多くてどうにもできない、ボスが相手ならなおさらだ。ボスと渕屋ならボスのほうが恐い。どっちも恐いけど。

「まあアリエルが言うならボスにシヨ」
「要らないって言われたらブッチーに持ってこ」

 あっさり。スープの最後の一滴まで飲み干した二人はまたもころりと意見を変えた。コイツらちゃんと考えてんのか、と思うけど、二人は二人でビビるところもあるのだろう。どこまでも危なげでオイシイほうへ楽して転がっていきたいけど、ビビる気持ちはもちろんあるのでホントにやばそうなことは止めて欲しい。世の小悪党なんてみんなそんなものだ。
 店の表口が開いて中年スーツのオヤジ軍団が入ってくる。いかにも仕事終わりの飲み会然としている。開いた戸から、どこか開放感あふれる喧噪が流れ込んできた。いよいよそういう時間帯なのだ。何時に来たってだいたい客の入り具合は一緒のこの店も、じきにそこそこのにぎわいを見せるだろう。

「じゃあさっさとボスんとこ持ってくかネ」
「マダム、お会計。おいしかった、ありがとハラショー」
「ハイハイ、やだもう、車のお客さんは裏口から出てね」

 会計にきたばあちゃんが照れまくる。だからなんでコイツはばあちゃんにモテようとしてんの?ばあちゃんの乙女心弄んでんの?厨房のじいさんにチクってやろうか。天井の片隅の小さなテレビの中では、相変わらずエイドの応援していたほうのチームが負け込んでいた。
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