ピンクの矢が刺さった男が逃げ回るので、わざと廃墟の中を縦横無尽に逃げ回らせて疲れ果てるのを待った。へろへろになった男がそれでも逃げようと、ほとんど腐ったような非常口に縋りつくので、一気に距離を詰めて肩越しにドアノブを毟り取った。絶望した男がみっともなく弁明するためにこちらを振り向こうとしたので、顔を見られる前に髪の毛を掴んでドアへ叩きつけた。腕を捻りあげ、肩のあたりにしっかり刺さっているピンクの矢をつんつんしてみると、男は泣き声なんだか過呼吸なんだかよくわからない音を出す。あのガキ。本当に当ててやがる。まぐれだよな?いやいやいや…。
男がなおも顔を上げて「ちがう」だの「俺じゃない」だの言うのでもう一度叩きつけて、今度は髪を掴みっぱなしにする。事実腐っているっぽいドアが壊れないように叩きつけているのでさほど痛くないはずだが、なにしろ音が派手なので。男はほとんどパニック状態にある。肩から下がっているのはボウガン。本当にスエルテ(大当たり)じゃん。どうなってんだ。
さて、どうするか。
「よくも撃ってくれたな、ええ?」
「ごめんなさいごめんなさ、違う、違うんです、ちが」
「何が違うんだ、え?何が違うんだ{emj_ip_0793}お前が撃ったのは俺の娘だ!」
そういうことにしておいてくれ、諸君。そういう設定にしといたほうが既にビビりまくっている男の罪悪感を刺激し、恐怖心を煽り、よりスムーズに事が進むかと思って。ガキボーイの父親にしては俺が若すぎるとかただの父親がどうやって追って来たんだとか怒れる父親にしては追い方が陰湿すぎたとか、そういった諸々に違和感を抱く隙は与えないよう適宜頭をドアに打ち付けながらお送りしています。
「お、男の子かと思って、って!」
「…娘だ、普段はスカートを履いてる別に女の子がズボンを履いたっていいだろ話を逸らすんじゃない!」
「痛いッ!!うー!うぅー!ごめんなさいごめんなさい言われて、やれって言われてぇ!」
ガンガンリズミカルに打ち付けながら思案した。誰かにやれって言われて?依頼されて。一瞬本気でパードレの嫌がらせかと思った。パードレが実は俺がガキボーイに行き当たったうえでさぼり散らしているのに知っていて、こうして俺があまり清潔とは言えない男の髪を掴んで手間取るのも見越したうえでの嫌がらせかと。いやないな。怪しいとは思ってるかもしれないが確信はないはずだし、それにしたっていきなり嫌がらせされるほど嫌われてないはずだし、そもそもパードレの嫌がらせはもっと恐ろしい。じゃあ誰が?
怒れる父親像にカコつけてそのへんも聞いちゃっていいだろうか。ガンガン。
「誰だ?誰に言われたんだ{emj_ip_0793}金髪の男の子を撃てって{emj_ip_0793}」
「こ、こここれ、この、ボウガンを渡されて、金髪の男の子をう、う、う、撃ったら、捕まえたら!食う寝るに困らないように、ようにぃ、してやるって言われて、言われて…ッ!でもっ撃てない…当てられない…ッ恐ろしくってっ…!」
「だ!(ガン!)れ!(ガン!)に!!(ガン!!)」
ちょうどいい感じに経緯まで話してくれた。なるほど浮浪者なわけだな、それでこの髪の毛はこんなにヌルヌルなわけ、しょうがなーなちくしょう。なおもおい!とかこら!とかどやさ!とか言いながらガンガンしていると、特に依頼者に対して義理も恩義も感じていないのか男はあっさり白状した。
「〜〜〜。」
「…どーもォ」
最後に特別強く打ち付けたつもりはなかったけれど、叩きつけすぎたのかとうとう男の頭は腐ったドアを突き抜けてしまった。それこそ女々しい悲鳴が上がる。抜けなくなったようなので、そのままにして俺は廃墟を出た。
もう辺りにガキボーイはいなかった。帰れって言ったからな。そうして姿を探すのはクールダウンしてみれば一言二言三言言ってやりたいからで、果たしてどんな感じのことを言ってやりたいのか自分の胸に聞いてみて反吐が出た。「素直にすごいがもうやるな」とか「少しは後先考えろ」とか「今に痛い目見るぞ」とか。「本当に痛い目見てもわからない男」が傲慢にもガキの心配をしていたことを知ったら、きっとパードレなんかはドツボにハマって笑っただろう。本当に笑える。
そんなこんなあったからか、関係あるのかないのか、めったに見ない夢を見た。金髪の小さな女の子の出てくる夢。例のロリコン疑惑の夢だ。金髪のガキボーイと和気あいあい親交を深めたりしたから、深層意識が思い出しでもしたのだろうか。夢ってそういうもんなんでしょう?ともかく金髪の幼女が出てくる夢だ。顔はよく見えない。夢フィルターがかかって全体的にぼんやりしているし、そもそもこちらをあまり見てくれない。ようやく座っているような感じがする。そのくらい小さな女の子だ。あったことがあるような、見たことがあるような気が、しないでもない。いややっぱりないかも。よたよたとすわって間もない頭を揺らして、這って動き回ろうとする姿は愛らしい。普通に。愛らしい。もちろん俺にだって小さな子供に対してそう思う心が当たり前にあるんだよ。当たり前に。よたよたと転がる女の子、愛らしい。
“最初に生まれた子には、あなたが名前を付けてもいいよ”
「――ッッ!!!」
目が覚めた。生まれて初めて自分が息を吸う音のその鋭さなんてもので目が覚めた。目覚めた世界にはもちろん金髪の小さな女の子なんていない。目覚めたと認識したそばから夢の光景は拍車をかけておぼろげになって、どんどん脳裏から消えていく。忘れていく。けれど、バカみたいにひた走って今にもすっ転びそうな心臓の爆音と嫌な脂汗は現実なので、夢のように優しく消え去ったりはしない。
「…ファックだな」
きっと『痛いくらいに』激しく鼓動を打ち付ける心臓を庇って、俺は寝返りを打った。いや、もう起きなきゃな時間なんだけどね。
最新の映画を豪勢に垂れ流すような映画館はこの国にいくらも無くて、フィルムの擦り切れたコテコテの古典映画を義務のように流し続けるミニシアターならいくらでもある。いくらでもあるので早朝なんかはほとんど人がいない。しかもそういうミニシアターは大抵、結局映画を観るには暗くしなければならないのだから、という風に考えていて、ロビーや上映の隙間時間を明るく保つような努力はしない。ので、諸君らが考えているよりもずっとずっと治安が悪いし、立ち見席の壁際にそっと立つだけで存在を消すことができる。
染み付いたようなスクリーンには、インポが治ったクライドがボニーと喜びを分かち合うシーンが映し出されている。朝から観る映画じゃねえだろ。入り口付近の立ち見席からよく見下ろせる、段々畑になった観客席。座っている観客はたった二人。これだけ空いてるんだから好きに座ればいいのに、二人は前後の席で律儀に縦に一列になっている。ボニーがスクリーンの中でひらめくたび、彼らも明滅してそのシルエットを描き出す。後ろに座ってるやつは知らないね、前に座ってるやつは知ってるけど。後ろのやつはほんのわずかに身を乗り出していて、二人が大して映画なんて観ていないのがわかる。まあ今更観る映画でもないし。みんな何回も観たことあるだろ?こんな朝っぱらからこんなひと気のないこんなしけたミニシアターで、上映されているのはそれこそフィルムが擦り切れそうなニューシネマの古典。どんな楽しい相談をしてんのかねとは思うものの、今回はその中身には別段興味はないのだ。
ややあって、後ろに座ってたやつだけが立ち上がってシアターを出て行った。楽しい相談は終わったらしい。扉が開き、ロビーから申し訳程度の薄明かりが差し込み、観客席にひとつ残った後ろ頭の長い黒髪に光の帯を作り、それがまた次第に細くなって闇に沈んでいく。完全に扉が閉じきるのを待って、それから座席を降り、すみやかにさっきまでやつが座っていた席、つまりひとつ残った後ろ頭の真後ろを確保した。そしてまさに立ち上がろうとしたその肩を掴んで押し下げる。骨張って硬い肩が、隠しきれない程度には緊張するのがわかった。
「ねぇ。シシー議員って誰だっけ?」
「…お前マジで撃つからなそのうち」
てってれー!頭の中で『ドッキリ大成功』のプラカードをフリフリしながら、掴んだパードレの肩をモミモミ。振り返りもしないパードレは本当に上着に手を突っ込んでいる。あはは。あと少しネタバラシが遅かったら情け容赦なく撃たれていただろう。このくだらないスリルのために俺は生きてる。
「シシー(泣き虫)議員…?そいつはまだ、誰でもないだろ」
「だよね」
『誰でもない』って言うのはどのギャングとも繋がってないという意味だ。つまり発言力や実行手段を持てるようなことにはまずならないし、まかり間違えて町長とか市長とかになったとしても長くはない。とどのつまりすごく若いか、無能か、すごく変わってるかだ。シシー議員っていうのはあの浮浪者のボウガン野郎が吐いた名前だった。シシー議員の言いつけで、子供を射撃の練習の的みたいに撃ったんだと。もちろんシシーなんてのは本名じゃない。すごく若くて自分の演説中に感極まって泣くすごい変わり者だからそんなあだ名で呼ばれているだけだ。
「どうしてそんなやつ気にしてる?」
「どうしてだと思う?当ててみそ」
「あっだるっ、だるいだるいだるい」
「わかんないからでしょ?わかんないから負け惜しみ言ってんでしょ?」
「お前を殺すときはお前がちゃんと“苦痛”を満喫できるように絞め殺してやるな」
痛覚異常に配慮した恐ろしい悪態を吐きながら、パードレは鬱陶しげに首を鳴らした。俺みたいなのに背後に居られるのが厭なんだろうなってのがもうひしひしとにじみ出ている。俺の後ろに立つな、ってやつ。なので、わざと椅子をギシギシしたり肩をモミモミしてあげたりとにかく存在をアピールしながら俺は続けた。
「そのシシー議員、最近どこかの誰かのお手付きになったのかなーと思って。アンタなら知ってるかな?ってそう思ってわざわざ聞きに来たんだけど」
まさか本気でそいつがそいつ自身の意思で小さい男の子狙い撃ちなんてほのかに変態じみた指令を出してるとは思ってないけど。シシー議員が最近人並みにお付き合いを始めたのなら、その相手によっては繋がるかなあと思っただけだ。この街でギャングの息がかかっているのはパードレの人身売買だけじゃない。まずなんにだってかかっているし、ギャングじゃなきゃできないことだってある。例えば臓器売買とか。
じゃなきゃ、シシー議員の名前はあの浮浪者に依頼したやつが騙ったのかもしれないし、騙ること自体が目的の遠回しな泣き虫ネガキャンかもしれないし、まあネガキャンされるほどポジティブなキャンペーンされてます?とも思うけど、ああいう純クリーンな手合いを早いうちに潰しときたい連中は居てもおかしくはない。最悪、あの浮浪者がとっさに思いついただけの名前かもしれないけど。なんにしたって手を付けられるとこから手を付けるしかないんだよね。
「お手付きまではいかないが、声かけてる連中はそりゃいるだろ。こっちはストックなんていくらあっても構わないし、どんなにクリーンに見えたってこの国でバックがいなきゃやってられないことをわかってない政治家なんていないからな」
「えーなんかイメージ壊れるーぅ」
パードレは俺の茶々はフツーに無視した。スクリーンから目も離さず、右の目蓋をちかちか明滅させながら返す。
「それこそ俺よりお前のほうが詳しいだろ。お前は上から言われるままお利口さんにアイツを殺して・ソイツは埋めて・ココとココには小細工して・って、クレーム処理だけやってるように見せかけて、コソコソ調べるのがお得意。人の秘密のコレクター。いい趣味してるな。これは褒めてる。本当に価値があるものをわかってる。お前のコレクションに無い物が俺のコレクションにあるとは思えないけど」
「相手がギャングならね」
ついでにちょっとカマかけたつもりだった。件の、もしかして女衒以上のことも、やってるんじゃないのってカマを。俺はそう思ってるよって。別に引っかかんなくていい。ただパードレはカマをかけられたらどうあしらうのか知っといて損は無いと思ったのだ。
たぶんそこまで察して、パードレは微動だにしなかった。今掴んでるのは本当にパードレの肩なのか、座席の背もたれを掴んでるんじゃないのかって疑いたくなるほど。なんか傷ついちゃうな。俺ってよほどこの男に信用されてないらしい。パードレは俺が一生懸命さりげなくかけたカマを無かったことにして、その前の話を続ける。
「俺が映画を観に来るのだってどう調べたんだか」
「そういうのはストーカーしてたらわかるよ。いろんな人のストーカーだからね俺。プロストーカー」
「お前なに言ってるんだ?」
「まあ、知らないならいいや。じゃあオゥッ!!」
「ちょっと待ちな」
不意打ちのあとの数分間も過ぎたしそろそろいい加減にしようかな退散!と立ち上がろうとしたところ、後ろ手に首を固められて引き戻された。手酷い。“お前を殺すときは長く苦しむように絞め殺す”とついさっきのセリフが既にうろ覚えで思い出される。確かにちょっとこの姿勢で縊死したら辛そう。
「お前ガキはどぉーーーしたんだよ銃ガメてバックれてるガキはよ。まさかまだ捕まえてないわけないよなあお前が」
耳元でドスのきいた声出されてふええぇんとなる。絶対この話になるから早めに切り上げようと思ったのに。買い被ってくれて何よりだけどさ。だからこそちょっとさぼったらすぐ遊んでると思われて辛い。怖い。話逸らそ。
「いろいろやんなきゃいけないことがあんの!アンタこそ“おにいちゃん”はどうなったのさ。調べてくれた?孤児院にはいないみたいですけどねえ」
「さすが手が早いこと。自分の割り振り以外にお手付きしとかなきゃ気が済まねえのか?くそビッチだなお前」
女衒にビッチなんて言われちゃおしまいだな、ガチでアバズレ感ある。首を固める腕がかすかに緩んだので離してくれるのかなと思ったら、力を入れ直して余計グッと絞められただけだった。眉間の辺りにかすかにクラっとくる。ウソでしょマジで絞めてんのねえ?どうしようかなと少し躊躇って、結局パードレの座席の背を遠慮がちに叩く。ギブギブ。なんにも変わりゃしなかったのでなんにもやらなければ良かったと思った。
「あの家の死んだ父親は生きてたとき何してたかというと、ブローカーだった。臓器の」
「う・うん」
お、なんだ、ちゃんと調べてくれてんじゃん。と思う俺はいつもどおり向こうのペースに飲まれている。
「自分か商品に“もしも”のことがあったとき、儲けがフイにならないように担保に入れてた。自分の息子たちの全身を」
「すっげ、グッとくる話だよね、ソレってさ!」
子供の目玉でアバズレ女を売買する話くらいには。灰色の目玉の相場はどのくらいなのか。その“担保”は躍起になって回収したいものだろうか。それとも“回収できたらラッキー”くらいのもの?ガキボーイの“おにいちゃん”はすでに担保としての役目を果たしてしまったのか。なるだけ臓器に傷を付けないようにボウガンで撃って、動けなくなる程度に痛めつけて…?…いやいや、何それ、快楽殺人者かよ。そもそも子供相手に。
パードレはそのとき初めて俺を見て、口の端をひん曲げて笑った。頬裏に棘でも生えていて、それが複雑に引っかかりあったみたいな笑顔だった。
「もちろん知ってんだろこれくらいのことは」
「まあね」
「ガキとガキらしく遊ぶのは結構だけどな、妙なことは考えるなよ」
「妙なことってなんだろ*」
「お前の思い付くすべてのこと」
ストレートにロクなこと考えないからもう頭使うなって言われた。パッと首を離されて、グワッと頭に血が巡り出す。帰っていいらしい。パードレはイラついていた。恐らく人身売買と臓器売買の間には浅いように見えて底なしのメタンガスとかを発する沼のような溝が横たわっていて、つまりもう“おにいちゃん”問題はパードレの埒外にあるので関わりたくないんだろう。そんで“関わりたくない”と思わざるを得ないことにパードレはイラついている。したたかなようでいて結構王様気質なので、自分の思い通りにならないことはもちろん嫌いなのだ、こういうタイプは。
「パパ、帰らないの?」
「映画はクレジットまで観なきゃだろ」
つい口が滑ってしまった。けど、パードレはぴしゃりと言い放ち、こちらを見上げもしなかった。スクリーンの中でボニーがクライドに目配せをする。早くここへ、隣へ戻ってきてと。次の瞬間には、二人は蜂の巣になっている。
その頃ガキボーイが何をしていたかと言うと、老人ホームを慰安訪問していた。信じられるか?自分が不法に侵入し二階を占拠している家の、その婆さんが、毎日デイケアに通う老人ホームへのこのこ出かけて行って、その婆さん当人と仲良くやっていた。信じられるか?末恐ろしい。どんな面の皮しているのか、もはや面の皮の厚さの問題を通り越して放火魔は現場に戻るみたいな、そういうサイコパスじみたものを感じる。純粋に怖い。純粋に狂気。純粋にそんなことをやっちゃうのがどうやらガキという生き物らしい。
「あら、リーナちゃんまた来てくれているわよ」
しかも“リーナちゃん”とかいう名前付き。厚かましさもここまでくるとガキだからじゃあ済まされないような気がするが、ガキボーイは女の子という設定で慰安訪問しているのだった。車いすでサンルーフへと出、富裕層の老婆らしく優雅に日なたを堪能している婆さんのもとへ、“リーナちゃん”ことガキボーイは小走りと駆け寄るの中間くらいの足取りで馳せ参じ、テラスの柵へよじ登ってもじもじした。
「降りなさいな。ダメよそんなところへ上っては。落ちて怪我でもしたらママ悲しいわ」
思うにこのばあさんはガキボーイを幼い頃の自分の娘だと勘違いしていて、その勘違いに合わせて自分のこともまだうら若き母親だと思い込んでいる。無理もない。ガキボーイは男か女かわからんちんくしゃだし、娘と同じ金髪だし、幼い娘に彼女自身が着せたであろう服そのものを着ているのだから。
「ママだって。変なの。おばあちゃんじゃないの?」
そんな婆さんに対してゾッとするようなガキ暴言を吐きながら、ガキボーイはたいそう幸せそうに笑っていたという。