ここってまるで迷路みたい。
廊下ですれ違ったグリフィンドールの女の子がそうぼやいていた。あの子の名前も学年も知らないが、それに関しては同意見である。うっかり道を間違えようものなら、もうその瞬間から迷子だ。ショッピングモールのようにフロアガイドが設置されていたのなら、まだどうにかなっただろう。ショップリストの代わりに各教室と施設名の一覧もお願いしたい。
長いローブの裾を引きずってしまわないよう少し持ち上げて、狭い階段を上っていく。この先には、恐らく教師陣も把握していない小さな空間が存在している。だだ広い敷地内で、よく彼はこのような場所を見つけたものだ。階段を上りきった先に見えた後ろ姿が、勢いよくこちらを振り向いた。人の気配を素早く察したらしい。
「リタならいないよ」
「うん、さっき会った。もうすぐ夕食だからニュートを呼びに来たの」
彼の隣に座り込んでケージ内の動物の様子を窺う。ニュートはこの空間で魔法動物たちをこっそり保護、飼育、そして観察している。現時点で私とリタ、ニュート以外にここを知る者はいない。
「それ終わりそう?」
彼の手元にある、動物の姿が細かに描き込まれたノートを指した。ニュートは忙しなく手を動かしながら「これだけ描き終えたら」と答えた。終わらないパターンだ。次に聞いた時は、あともう少しとでも言うのだろう。その後はきっと、同じことの繰り返し。集中すると本当にそれしか見えていないのだ。何かに没頭できるのは良いことだが、私としては食事くらいきちんと摂ってほしい。若いから大丈夫とでも思っているのならそれは今だけだ。年上としての自分がそう主張している。
静かな彼の隣で特にすることもなく、三角座りをした足先をパタパタと動かす。「そういえば昨日」と聞かれてもいない話を勝手に始めた。
「グリフィンドールの……偶然知り合った子が百味ビーンズをくれたんだけど」
「うん」
「何味だったと思う?」
ニュートはスケッチを続けながら「腐った卵味?」と答えた。わざわざ聞いてくるということは、普通の味ではないのだろうと考えたようだ。
「えっ、腐った卵?ううん、違う」
「じゃあ、ソーセージ味」
「何その味、普通に気持ち悪いんだけど……」
ソーセージはそのままソーセージとして食べさせてほしい。どうしてお菓子にしようなどと思ったのか。紙にペンを走らせる音が止まり「まさか、ゲロ味?」と彼は嫌そうな顔を私に向けた。腐った卵味もゲロ味も、そもそも、そのような味の食品が存在すること自体どうかしている。絶対に食べたくない。彼と同じ表情を浮かべ、すぐに否定した。
「ゲロ味も最悪……想像したくない。ニュートはそれ食べたことある?」
「いや、無い」
「そっか。でね、私がもらったのは赤色だったの。くれた子が、チェリー味だと思うって言ってくれたんだけど……」
「どうだったの?」
「ミミズ味だった」
「うわぁ……」
ニュートは私をちらちら見て「それは、その、災難だったね」と気まずそうに言った。百味ビーンズ自体、何味が入っているのかよく分からない怖さからほとんど食べたことはないのだが、今回が一番引きが悪かった。石鹸、ブルーベリー、土味ときてまさか今回ミミズ味がくるとは。もう今後勧められても食べないと誓う。
「もう絶対百味ビーンズは食べない」
「君、この前スリザリン生にお菓子を貰った時も似たようなこと言ってなかった?」
「……言った。でも、あの時の話はダメ。口にすると本物が出てきちゃうかもしれないでしょう」
「ああ、名前はあの虫が苦手だからね」
「そう。存在が無理なの」
ハニーデュークスで売られているお菓子は、バラエティに富んだラインナップになっている。百味ビーンズやカエルチョコレートもそのうちの一つだが、この前スリザリンの男の子から貰ったのはグミキャンディーのような見た目で鮮やかなグリーンのお菓子。これはそんなに酷い味ではないだろうと一つ口にしたものの、私がこの世で最も憎んでいるあの虫味だったのだ。ニュートにも、あの名前だけは絶対に口にしないでと常々言っている。どこかのヴォ……卿と同じであの名は禁句なのだ。同じハッフルパフ寮の子からの、スリザリンは意地悪だから気をつけてという忠告を忘れていたせいでトイレに駆け込む羽目になった。
「思い出したら吐きそうになってきた」
「君って案外繊細なところあるよね」
「日本人は繊細なの」
差し出されたニュートの手のひらにはキャンディーが乗っている。「食べる?」と聞く彼に頷き返した。
「ハニーデュークスのお菓子って色々あるのに、どうしてニュートは私の好みをピンポイントで当ててくるのかな」
なんでだろうね、と笑うニュートを横目にキャンディーを口に放り込んだ。
「名前、起きた?」
名前を呼ばれて、反射的に目が覚めた。
夢の中よりも随分大人びた姿のニュートがこちらを覗き込んでいる。ふわふわのパーマも可愛いそばかすも変わらないというのに。手を伸ばすと、指先が彼の頬に触れた。夢ではなく、現実。ニュート・スキャマンダーは今確かに私の目の前に存在している。あくびを連発する私を見て、ニュートは目元に皺をつくり笑った。
「……まだちょっと眠い」
「どんな夢を見てたの?」
「ニュートに貰った、キャンディーを食べてた」
「ああ、やっぱり」
「何が?」
「口が動いていたから、君は夢の中でも何か食べているんだと思って」
全てが終わったら食事に、と言うニュートに頷き返す。これでは寝ても覚めても食べることしか考えていない女だと思われてしまう。ベッドから降り、天井に向かって大きく伸びをしていると小屋の扉が開かれた。入ってきたジェイコブは「いいところだな、ここは」と楽しそうな笑顔を見せた。
「ジェイコブは、パン屋じゃなかったら動物たちと関わる仕事が似合いそう。それか学校の先生とか」
「学校の先生?俺がか?」
「うん。私はジェイコブみたいな先生がいてくれたら良いなって思うよ」
私の言葉に驚いた様子で目を見張ったジェイコブは、あり得ないとばかりに首を振った。彼なら、良いことをしたらその都度きちんと褒めて、悪いことをしたらそれはダメだとしっかり叱ってくれそうだ。子どもたちに慕われる素敵な先生になるだろう、と私は勝手に思っている。本人は全く想像がつかないらしいが。
会話の途中で、小気味いい音が上から降ってきた。トランクの蓋がノックされたのだ。
「何だろう……」
鳥かな、と言いかけたところでひとつ思い出した。鳥の方が良かった。私たちは今から、各国の大臣たちが参加している会議のど真ん中に放り出されるのだ。いち早く音に反応したニュートが「2人はここにいて」と階段の先を見上げた。様子を見に行こうとするニュートを「待って」と呼び止め、コートを掴んだ。
「えっ、名前?」
出て行った後のことを考えてしまい、思わず手が出た。今、自分のしていることが良くないことだとは分かっている。ただ、ニュートが深く傷つき悲しむ姿を見たくないと思ってしまったのだ。ここから出ていけば、魔法動物たちを所持するニュートはマグルの議員を殺害した犯人として糾弾される。どれだけ違うと伝えようとも、誰も真実を認めようとせず、彼の話には耳を傾けてくれないだろう。
「なんだか、見に行かない方がいいような気がして……その、嫌な思いをするかも」
長く使い込まれたコートの生地を見つめ、辿々しく言葉を紡ぐ。何を言うのかと思われているだろう。「魔法使いは予言もできるのか?」と興味ありげに訊ねるジェイコブに「そこまではできないよ」とその言葉を否定した。
「名前」
名前を呼んだニュートは、身をかがめて私と目線を合わせた。
「さっき、嫌な夢でも見た?」
「ううん、そうじゃないの。ただ……」
これから本当に起こることを知っているから引き止めた、とは言えない。
「名前。僕は……君が何を恐れているのかはまだ分からないけど、僕のことを、信じてくれる?」
ニュートは、早口でも、言葉を詰まらせながらでもなく、ゆったりとした優しい口調で「大丈夫だからそんな顔をしないで」と言った。本人にそう言われてしまっては、長々と引き止めていられない。コートから手を離し「でも、気をつけてね」と声をかけ、階段を上っていく後ろ姿をジェイコブと見送る。蓋を開いて外の様子を確認したニュートは、そのままトランクから出て行った。
「俺たちも行った方がいいよな?」
「うん……そうね」
気は進まないが、ここに残ってもトランク内の調査に立ち入るグレイブスと顔を合わせることになるだけだ。先に行くと階段に足をかけたジェイコブに続いて、重い足取りで上っていく。良い意味でも悪い意味でも、注目を浴びるような状況は苦手だ。トランクから出ると、想像していたよりも多くの視線を一身に受けた。セントラルパークよりも凍えそうな空気。トランク内から突如現れた私たちを見て、場がざわつき始めている。
「いったいぜんたい、どういうわけでニューヨークにいるのかね?」
「アパルーサ・パフスケインを買いに来ました」
「君もか?スキャマンダーと一緒に?」
「ええ、そうです。アメリカでしか入手できないと聞いたので」
「なるほど……まだ行動を共にしているのか」
初対面の男性に訊ねられ、頷き返す。恐らくイギリス魔法省の関係者だろう。顔に覚えはないが、向こうは私を知っているらしい。疑わしげに私たちを見つめている。「ゴールドスタイン。もう一人は?」と前方に座しているピッカリー議長がティナに向かって呼びかけた。その目はジェイコブに向けられている。
「こちらはジェイコブ・コワルスキーさん。ノー・マジです。スキャマンダーさんたちが逃した動物に噛まれてしまって……」
ノー・マジが何故ここに、オブリビエイトしたのか、と周囲からは様々な声が聞こえてくる。きちんとオブリビエイトしていたのなら、彼は今ここに立っていないだろう。会議室中央に映し出された男性の姿をまじまじと見つめるニュートを横目に、事の成り行きを見守る。私も当事者の一人ではあるが、特に何かできるということもない。
「なんてことだ」
呟いたニュートに再び視線が集まる。「貴方たちのどの動物の仕業かおわかりでしょうね?」と私たちのせいであると決めつけるかのような言葉が投げかけられた。
「いえ……動物の仕業じゃない……分かってるでしょう。あの印が何よりの証拠だ……」
ニュートは私を見て「来て」と手招きした。映し出された男性の姿はひどく損傷しており、特に顔が歪に変形してしまっている。残された傷跡を指し「君も分かるはずだ」と私に言った。
「うん……これは動物に出来ることじゃない」
「では、他に何の仕業だと?」
「オブスキュラスです」
「ええ、それ以外は考えられません。この傷をよく見てみてください」
実際にこの目でオブスキュラスの被害に遭った者を見ている。ファンタビで得た知識だけでなく、自分の目で見た確かな情報だ。この傷跡は間違いない。
「ピッカリー議長。これはオブスキュラスの仕業です」
「アメリカにオブスキュラスを生む者などいません。スキャマンダーさん、名前さん。滅多なことを言わないように」
大臣たちも、ピッカリー議長もこちらへ来て確認しようともしない。
「では、絶対的に魔法動物の仕業だと?」
返答を待たぬまま「それがこの場の、会議に参加されている皆様の総意ということで間違いありませんか?」と強く声に出して会議室全体に問いかけた。もしそれが誤りならば、オブスキュラスを放置したとして魔法界での信用問題に繋がるだろう。恐らく。
「トランクを押収して」
ピッカリー議長の声とともに、ニュートの手からトランクが離れグレイブスの元に収まる。どうやら、こちらの話を聞くつもりは毛頭ないらしい。
「待ってください!返して!」
ニュートの焦る声に、ああやはりこうなってしまうのかと落胆した。話の流れには抗えない。結末は変わらずとも、私が過度な干渉はせずもっと平和なルートを選ぶことはできないのだろうか。逮捕という言葉ともに、杖を奪われ後ろ手に拘束される。強制的に両膝を地面につかされた。
「トランクを彼に返してください」
「いいえ、それは出来ません」
「調査を終えたら返してくれますか?」
「我々が判断します!牢屋に入れなさい!」
闇祓いたちに強く腕を引かれ、部屋から出ていく。注目を浴びるのは嫌だと言ったのに、この場の全員の視線が私たちに注がれている。本当にオブスキュラスの仕業なのに、大きな事実を見逃しているというのに。そこにある証拠を認めず、ニュートの話に耳を傾けず、否定的な者たちに沸々と怒りが湧き上がるのを感じた。この流れが正しいのだということは分かっている。それでも、今そこにグリンデルバルドが紛れ込んでいるということにも気がつかないくせに。
「動物たちを傷つけないでください──トランクの中には危険な動物なんかいません!」
「ピッカリー議長!どうか正当な判断をしてください!」
「どうか、その子たちを傷つけないで──危険じゃありません……お願いです」
「きちんとご自身の目で確認してください!」
グレブスの言葉を鵜呑みにせず、どうかピッカリー議長自身で正当な判断を。もう一度振り向くと、トランクを持ったままのグレイブスと目が合った。私を見て何を考え、思っているのか、その真意は分からない。ニュートの「危険じゃないんだ!」という悲痛な叫びと共に会議室の扉は閉められた。
「ニュート。気を強く持って……」
頭をだらんと下げ、項垂れるニュートに声をかける。
皆、エレベーターに押し込まれ、ティナの所属する魔法の杖許可局がある階よりも一層地下深くで停止した。降りる時に盗み見たティナの横顔は、血の気が引いており非常にショックを受けているようだった。それもそうだろう。彼女は真面目に、熱心に事件を追いかけていただけでこのような状況を予想もしていなかったはずだ。
「なぁ、アンタ。悪いんだけど、もう少しゆっくり歩いてくれないか。さっきから足がもつれそうなんだ」
ジェイコブはあたりを見回しては「どこに向かってる?」「ここはどこなんだ?」と闇祓いの男にしきりに何かを訊ねている。何か言葉をかけられるような状況でもなく、今はただ口を閉ざした。