「君は興味深い男だな、スキャマンダー君」
グレイブスの姿をしたグリンデルバルドは、ニュートから私に視線を移し「いや、興味深いのは君もか」と言った。室内は窓一つなく、周りは錆びついた壁に囲まれている。このような部屋に入るのは初めてだが、今回限りにしてほしい。入室してすぐにニュートはグレイブスの前に座らされ、私とティナは拘束されたままその後ろに立たされている。
「ホグワーツ時代、人命を危険にさらし、退学処分になった──君たち2人とも」
「あれは事故です」
「故意的に行ったことではありません。誰にも予想できなかった」
「そもそも君は退学になる予定ではなかった。しかし、彼と共に退学することを望んだ……何故?」
「私も彼といたので責任を感じたからです」
「責任、か。なるほど。君は立派な正義感を持っているようだな」
ニュートに退学処分が下された時のことはとてもよく覚えている。本当は責任などという重い理由ではなく、その時の私が、ただそうしたいと強く思ったからだ。確実にニュートに言われた言葉が関係しているのだが、きっと一般的には理解されないのだろう。
「だが、1人の教師が君たちの退学処分に強硬反対した」
手元の資料から目線を外し、グレイブスは話を続ける。
「アルバス・ダンブルドアは、何故そんなに君たちを気に入っていたんだ?」
「僕には分かりません」
ニュートは後ろを振り向き「彼女にも」と私と目を合わせ答えた。
「ええ、私にも分かりません。それは本人しか知り得ないことだと思います」
「では、この町に危険な動物たちを放ったのも、ただの事故だというのか?どうだ?」
「わざとやる理由がない」
「私たちがそんなことをして何の意味があるというのですか?」
「魔法の存在を報せ、人間界との戦争を煽るためとか」
「大いなる目的のため、大勢を殺す?」
「そうだ。その通り」
「それこそ意味が分かりません。私たちはそんなことを望んでいないし、争いなんて起こしたくもない」
「僕は、僕たちはグリンデルバルドの信奉者ではありません」
グレイブスは机上で手を組み、ニュートを見つめたまま視線を逸らさない。彼は「これはどう説明するつもりかね?」と浮遊する塊を手元に呼び寄せた。薄い膜の中で黒いモヤが蠢いている。
「これはオブスキュラスだ」
隣に立つティナは、眉根を寄せ、トランクの中に入れておいた時よりもずっと小さくなったオブスキュラスに釘付けになっている。彼女の様子を察したニュートが「でも、貴女の思っているようなものじゃない」と安心させるように言った。
「確かにこれはオブスキュラスだけど、さっき話した女の子のなの」
「そう、スーダンの女の子を助けようとして引き剥がしたんだ──研究のため持ち帰った。でも、外に出したら生きられない。だから、害はないよ」
「うん。爆発も、攻撃もしない」
とはいえ、得体の知れない物体感は強い。警戒はするだろう。
「宿主なしでは役立たずか」
「……役立たず?役立たずって?そいつは、まだ幼い子どもに宿り、その命を奪ったんですよ。一体何に使うっていうんです?」
「まさか、オブスキュラスを利用して、何か企んでいるんですか?魔法界の存在をあらわにして争いを起こそうとしているのは、貴方なのでは?」
グレイブスは私を睨みつけ「口を慎みたまえ」と強く言った。
「しらばっくれても無駄だぞ。君たちがニューヨークにオブスキュラスを持ち込んだのは、大混乱を起こし魔法界の存在をあらわにするためだろう」
「それ自体は危険なものではありません」
「魔法界に対する裏切り行為だ」
「それは貴方の推測であって真実じゃない」
立ち上がったグレイブスは正面から私を見据えた。
「魔法省の長官という立場でありながら、よく調べもせずに決めつけるということですか?」
「君は自分の立場を弁えろ。調査の結果出てきた証拠がこれだ。まさか、オブスキュラスを所持していながら言い逃れようなどと考えているんじゃないだろうな?私に反論をするのではなく、これまでの自分たちの行動を悔いるといい。君たちを死刑に処す。ゴールドスタインも共謀罪で」
悲痛な声をもらして泣き始めたティナに耐えきれず「待ってください」と自分の中でストップをかけるよりも先に口から言葉が出てしまっていた。ニュートが小さく呟いた「ティナ」と彼女を呼ぶ声に、何故かは分からないがほんの少し動揺した。
「もし、私たちが貴方のおっしゃるような存在だったとして、彼女を罪に問うのなら貴方にも責任がありますよね」
「自分が何を言っているのか分かっていないようだな」
「いいえ。分かっています。貴方は昨日、彼女が持ってきたトランクを確認した時、中身がパンだったのを見て彼女の言葉が虚言だと決めつけてよく調べもしなかった」
「ゴールドスタインは度々問題を起こしている。彼女の発言に信憑性がないと判断するのはごく自然な事だ」
「だから今回もそうだろうと思ったんでしょうけど、彼女の言っていたことは事実で、貴方はそれを知っていながら見過ごしていたことになりますよね?何故、彼女だけ疑われて責任を問われるんですか?貴方だってトランクのことも私たちのことも知っていたのに」
ニュートとティナ、双方からの視線を感じる。何故急にそんなことを言うのか、とでも言いたげだ。目の前の男の正体や話の行く末を知っているからこそ強く出ているというのもあるが、単に腹が立ったのだ。自分は凶悪犯のくせに人を冤罪で死刑にしようするところに。
「それとも、私たちがいることで貴方にとって何か不都合でも?だから貴方の独断で死刑に?」
「君のその発言こそが魔法界にとっての脅威であることを示している。速やかに刑を執行しろ。議長には私から説明しておく」
首筋に押し当てられた杖にグッと力が込められる。扉が閉まりきるまで、グレイブスと私は睨み合ったままだった。
もしかして、推しと長く過ごした代償がこれなんだろうか、と目下に広がる液体を見つめた。
無機質な室内にはシンプルな椅子と四角いプール。ティナではなく私がプールサイドに立たされているということは、やはりこの場で離脱なのだろうか。ニュート・スキャマンダー、推しの学生時代から今日までをこんなに近くで見てきたのだから当然といえば当然の終わり方だろう。大きなものを得るには大きな代償、つまり命を差し出すしかないということだ。
「名前!」
背後でニュートが私を呼ぶ声と、憔悴しきったティナの啜り泣く声が聞こえる。
「彼女を離してください!全て僕の責任なんだ、彼女は関係ない。何も悪くないんだ!」
彼の方を振り向こうと身じろいで、こめかみに強く杖を押し当てられた。最後に言葉を交わすことさえ許されないというのか。「名前さん……」と震える声でティナが私の名前を呟いた。
「苦しくはありませんよ」
「本当に?」
「ええ。勿論」
「でも、貴女は体験したことがないでしょう?」
そりゃあ、言うだけなら簡単だろう。私に向けられていた穏やかな笑みが、一瞬崩れた。
「では、貴女の幸せな記憶を頂きましょう」
「嫌だ……名前……彼女を離せ!」
こめかみに強く当てられた杖から、白い光のようなものがプールに投げ込まれた。抜き取られた私の記憶。それはぐるぐると渦を作り始め、そのまま液体に溶け込むように消えた。何もなかったかのように水面の揺れがぴたりと止まり、静けさが戻る。再びこめかみに杖を当てられ、先ほどと同様に記憶をプールに投げ込まれたが、何も起きる気配はなかった。映し出す記憶が無い、おかしい、と怪訝な表情を向けられ代わりにティナがプールサイドに押し出された。
「おかしいは言い過ぎでしょ」
場に合わぬツッコミを口にしながら、腕を引かれニュートの隣に並ぶ。視線を感じそちらを見ると私を見つめるニュートと目が合った。心なしか彼の瞳にはうっすらと涙の膜が張っているように見える。安心させるように、小さく口角を上げた。
ティナの記憶は、あっという間に抜き取られプールへと投げ込まれた。水面には少女と女性の姿が映し出されている。「ママ」と呟くティナの表情は、後ろからでは窺うことができない。ニュートも口を薄く開いて、その様子を静かに見ている。未来の奥さんが危険な目に遭っているというのに、その態度は合っているのだろうか。ティナの家族、新セーレム救世軍、そしてメアリー・ルーから罰を受けるクリーデンスの姿が水面に浮かび、椅子に座っているティナの顔から笑みが消えた。
「名前!」
突然の大声に驚いて体がびくりと揺れる。いつの間に手枷を外したのか、ニュートがスウーピング・イーヴルを周りの者たちに放っては気絶させていく。
「ピケット頼んだぞ!」
白衣姿の処刑人の1人を混乱させていたピケットが、ニュートの合図で私の手枷に飛び乗った。鍵はすぐに開けられ、背後で重い音を立てて落ちた。
「ありがとうピケット」
肩に移ってきたピケットにお礼を言うと、小さく鳴いて応えた。
「伏せて!」
ニュートの声に合わせて頭を下げると、処刑人の持つ杖の先から放たれた光が別の女性に当たり、その場に倒れ込んだ。ニュートは倒れている1人を避けながらこちらへ来ると「見せて」と私の手を取った。
「ずっと拘束されていたんだ、手首に傷が残っているかもしれない」
「あ、うん。でも、そんなに強く締められてないよ……」
「そんなの分からないじゃないか」
「それはそうだけど、早くしないとティナが」
ニュートは私の両手首を確認し、特に傷がないと分かると「こっちも見せて」と杖を当てられていたこめかみあたりに触れた。
「どこか痛いところは?怪我はない?」
「うん、ないよ。大丈夫。それよりティナを」
「良かった……ここを出たらもう一度確認しよう。君が気づいていないだけで、怪我をしているかもしれない」
「……分かったから!ニュート見て、今はティナを助けないと!やばいことになってるの!」
ティナの座る椅子が水面に向かって徐々に下がり始めている。
「名前さん!スキャマンダーさん!」
正気を取り戻したティナが慌てた様子で椅子の上で立ち尽くしている。椅子はぐらついており、バランスを崩して今にも落ちてしまいそうだ。足元に迫る黒い液体を見て怯えるティナに「危ないから落ち着いて!」と声をかけた。
「うろたえないで!」
「他にどうしろっていうの?」
「そのままの体勢でいて!動いたら落ちちゃう!」
「でも、もう沈みそうよ!」
ニュートの手を離れたスウーピング・イーヴルが頭上を旋回している。
「ジャンプして……」
「気は確か?」
「彼に飛び乗って」
「その動物に?私が乗ったら落ちちゃうわ!」
「大丈夫だよ。そんなことない!ニュートを信じて!」
黒い液体が上昇し椅子を丸ごと飲み込もうとしている。ティナは助かる、という映画から得た確かな情報はあるものの、さすがにこの状況では私も焦ってしまう。手のひらには、じわりと汗が滲んでいる。同時に「ティナ!」と彼女に呼びかけるニュートに心がざわつくのを感じた。
「大丈夫だ。僕がキャッチする。ティナ」
まだ顔は見えるものの、ティナの体の半分ほどは黒い液体に遮られてしまっている。最終的には私が飛び込んでティナを救うしかないのかもしれない。私とニュートを見つめる彼女は、あと少しだけこちらに飛び込む勇気が出ないようだ。
「僕がキャッチするから。僕を信じて、ティナ」
プールサイドの端に立ち、ニュートよりも更に近い場所でティナに呼びかける。
「ティナ。貴女のこと絶対助けるから。だからこっちに飛んで。失敗したらなんて思わなくていいの。私が腕を突っ込んででも引っ張り出してあげる!」
腕を入れたら溶けてしまうのか、消し炭のように消えて無くなってしまうのか。どちらにせよティナを助けるまでは腕の原型がとどめられているといいのだが。波が揺らいで、ティナの姿がよく見えた。届くように手を、腕を伸ばす。「跳べ!」とニュートの言葉を合図にティナがこちらへ飛び出してきた。間一髪、私の腕も飲み込まれずに済んだらしい。スウーピング・イーヴルが足場になって、彼女はこちら側に着地するとそのままニュートに抱きとめられた。瞬間。2人の視線が交わる。
あ。
喉がキュッと締まり、腹の底から胸の奥から何かがグッと競り上がってくる感覚がした。
息苦しい。胸が締め付けられるというより、詰まって呼吸がしづらくなっているとでも言うのだろうか。抱いてはいけない感情が、今この瞬間ジワリと滲み出した気がした。
「名前!」
「名前さん!」
ティナを助けようとプールサイドのギリギリに立っていたせいで、2人の姿に気を取られてうっかり足を踏み外した。ぐらりと体が傾いて、視線を戻すと波ひとつたっていない液体が目の前に広がっている。さっきの椅子みたいに、私も一瞬で消滅してしまうのだろうか。2人が助かったのなら、それでいいのだが。ティナの叫び声に思わず目を瞑る。
「名前!」
腹のあたりに腕が回され、強い力で後ろに引き戻された。抱き締められたまま、白い床の上に倒れ込んだ。
「……君を失うかと思った」
ニュートは震える声で「どうして無茶するんだ」と呟いた。
「ごめん……とにかくティナを助けたくて」
「君は優しいから、人のために自分をすぐに犠牲にしようとする。それで彼女を救い出せたとしても……僕や彼女自身、ここにいないジェイコブたちだって、誰も喜ばない。君だってそうだろう?」
私以外の誰かが私を助けるために自分を犠牲にしたとしたら、喜べないどころかそうさせてしまった自分を一生許せないだろう。
「今みたいなことはもうしないと約束して」
このままここにいてはすぐに追っ手が来てしまう。私たちは、一刻も早く逃げなければいけないのだ。「分かった。約束する」とすぐに答えると、腕が緩められた。目の前に差し伸べられた手に顔を上げる。心配そうに私を見て「早く逃げましょう」とティナは私の手を掴んだ。
「ティナが無事で良かった」
「ええ、ありがとう。貴女が必死に助けようとしてくれたおかげよ。だけど、今みたいに自分の身を危険に晒すようなことはしないで」
ティナは「ね?」と私に優しく微笑みかけた。肯定の意味を込め、コクリと頷き返す。
ニュートが私の手を取り「行くよ」と扉を開いた。手を引かれながら、地下通路を進んでいく。右を見ても左を見ても同じ光景が広がっており、どの方向から来てどこに向かうのか分からなくなりそうだ。
「危ない!ティナ避けて!」
「向こうからもきてるわ!」
鉢合わせた闇祓いたちから放たれる魔法、呪いをかわす。
「脳みそを吸うのはよせ!」
闇祓いの1人に取り憑いたスウーピング・イーヴルに、すぐ戻るようニュートが強く呼びかけた。
「あれ何なの?」
「スウーピング・イーヴル」
少し元気が出たのか「気に入った!」と言ってティナは笑った。
「2人とも前見て!」
迫り来る柱を指し、角を曲がる。正面から同じように全速力で来た2人にぶつかりそうになり、急ブレーキをかけ止まった。ニュート、ティナ、クイニー、ジェイコブと全員が揃い、お互いに緊張した面持ちで顔を合わせている。
「入って!」
クイニーが手に持ったトランクを素早く床に置いて、中へ入るよう促した。周辺にいた闇祓いたちはどうにかやり過ごせたようだが、いつまた来るか分からない。急いで階段を降り、ひとまずトランク内に避難できたことに安堵した。
「ジェイコブもまだオブリビエイトされてなかったのね。良かった……」
「連れてかれる途中で彼女が助けてくれたんだ」
「そうなの?そのおかげですごく助かったわ。ありがとう。あとでクイニーにもお礼を言わないと」
「名前」
ニュートに声をかけられ心臓が跳ねる。何も後ろめたいことも良からぬこともないのだが、妙にドキドキしてしまう。「どうしたの?」と返事をすれば、少しいいかと小屋の外に連れ出された。一体何の話をされるだろう。気になってしまう。ニュートの後ろ姿を見つめながら竹林まで来ると、彼は足を止めこちらを振り向いた。
「僕のせいで、ごめん」
ニュートは私の手を取り、拘束されていた手首をするりと撫でた。やはり傷跡などは一切ない。
「どうしてニュートが謝るの?」
「来る前にトランクをきちんと直しておけば、こんなことにはならなったから」
「それは……」
彼のせいではない。こうなることは最初から決まっていたのだから。昨日今日の出来事がなければ、何もかも変わってしまっていただろう。俯く彼に「ニュートのせいじゃないよ」と笑いかけた。
「いいや……僕のせいだ」
ニュートは視線を落とし「君をこんな目に合わせることもなかった」と申し訳なさそうに言った。
「君に、怖い思いを……」
「私は大丈夫だよ。ニュートが助けてくれたでしょう?それに、私よりもずっとティナの方が怖かったと思う」
「確かに、彼女には巻き込んで申し訳ないと思ってる。だけど、僕にとって誰よりも心配なのは……名前だから」
「ニュート……」
「ニューヨークに来てから……その、ずっと、君が僕から離れてしまうような気がしてならないんだ」
「どうして?そんなことないよ」
「本当に?だけど君、僕に恋人が出来たらとか家を出て行くことになったらとか、こっちに来てからそういう話をよくするじゃないか」
「いつもそんなじゃなかったっけ?」
「今まで僕は、君にそんなことを言われたことはないよ。無意識なら尚更やめてほしい」
ニュートは私の肩を掴み、正面から見据えた。「名前」と私の名前を呼ぶ彼に「なあに?」といつものように返事をする。
「どこにも行かないで。名前」
初めて聞く切ない声に息を呑んだ。どうしてそんな声で、そんなことを言うのだろう。
学生時代のノリでさえ、ハグをすることなどほとんどなかった。喜びを分かち合う時も、ハイタッチをして2人して笑いあった。肩を抱かれることや手を繋ぐことはあれど、それは迷子防止やはぐれないようにという理由があってこそだ。そもそもテセウスからハグを求められて嫌がるニュートが、人と積極的にそういったコミュニケーションをとるとも思えない。
それなのに私は今、恐らく出会ってから初めて、ニュートに正面から強く抱き締められている。背中に回された腕が、やはり男性なんだと意識してしまうくらいがっしりとしていて、緊張してしまう。彼の着ている衣服越しでも、心臓が脈を打つ音がよく聞こえる。
どこにも行かないよ、大袈裟だなあと言って笑い飛ばしたいのに口が開かない。ティナにこの場を見られたら勘違いされてしまう。早くニュートの体を押し返さなければいけないというのに、だらりと両腕は下がり、どうしてか動けない。それどころか、ニュートの体温が、馴染んだ匂いが心地いいとさえ感じてしまう。
さっきあのプールに飛び込めばよかったのかもしれない。
抱き締められて、心踊る自分に気づいてしまった。