17

日が傾き、ニューヨークの街は薄暗くなってきている。冷たい風が髪を揺らした。

「もう時間がないね」

屋上の張り出しに上がって、目下に広がる街を見下ろすニュートに声をかける。さっき私を抱きしめて、どこにも行かないでと言った人物と同一なんだろうか。「急がないと」と普段通りの様子で私に返事をしたニュートに、一旦深く考えることをやめた。

「グレイブスは、町を破壊してるのは魔法動物だって言ってた。濡れ衣を着せられないよう、逃げた動物を全部探しましょう」
「やっぱりあの人が……おかげでこっちは殺されるところだった」
「ええ。本当。あの時、尋問室で名前さんがグレイブスに言い返した時は驚いたけど……」

ジェイコブと鳩の話をしていたクイニーが「なあに、その話。あたしにも後で聞かせて」と目を輝かせて聞いてきた。

「そんなに面白い話でもないけど……」
「いいのよ。あたしが聞きたいの」
「分かった。じゃあ、終わったら話すね。とりあえず今は動物を探さないと」
「残るはあと1匹だ。デミガイズのドゥーガル」
「ドゥーガル?」

困ったように私を見るニュートに、同じような表情をしてみせる。ドゥーガルを探すのは、逃げだしたどの動物よりも骨が折れるだろう。

「ただ困ったことに……ん、あいつは目に見えないんだ」
「……目に見えない?」
「そう、いつも透明になってて……」
「本当に目に見えないの。まあ、四六時中ずっとっていうわけでもないんだけど」
「そんなのを、どうやって捜すの?」
「ちょっと、難しいかもね……」
「何か手掛かりがあればいいんだけど……その……」
「そう」

ティナは、私とニュートに人当たりの良い笑顔を見せ「ナーラクよ」と途端に真顔になって近づいてきた。

「なんだって?」
「ナーラク──私が闇祓いをやってた時の情報屋!副業で魔法動物の売買もやってた」
「それって合法?」
「それは聞かないで」
「動物の痕跡にも興味があるかな?」
「商売になることなら、何でも興味があるはず」

クイニーとジェイコブにも声をかけ「早く行きましょう」とティナは杖を取り出した。




グシャリと丸められた新聞紙が靴先に当たり、音もなく転がった。割れた酒瓶、散らばるタバコの吸い殻。ナーラクとの対話の場に向かう私たちの真横をネズミが2匹駆け抜けていった。

「こっちよ。ついてきて」

先頭を歩くティナの後を足早についていく。
路地裏の一角にある階段を降り、その先がただの行き止まりであることを確認して「本当にここで合ってるのか?」とジェイコブが怪訝そうに訊ねた。

「ええ、合ってるわ」

杖を取り出したティナはクイニーに目配せをし、2人揃って素敵なイヴニングドレスに装いを変えていく。

「目立たないように名前さんもお願い」
「私も?」
「ええ」
「それとも、あたしが魔法をかける?」

クイニーは「ワクワクしちゃう!」と言って楽しげに笑った。

「どんなデザインが良いかしら。明るい色も落ち着いた色も絶対に似合うと思うし……」
「いいや、名前のは僕が」

突然、割って入ってきたニュートを見る。クイニーは「あら。そう?じゃ、お願い」と言って杖をしまった。

「シンプルな色も素敵よね」
「心を読まないで」
「ごめんなさいね。楽しくなってきちゃって」

やたらとニコニコしながらニュートを見ていたクイニーは「でも、それだとウェディングドレスになっちゃうわ」と指摘した。ニュートの心の中が今どうなっているのか気になる。

「ウェディングドレス?」
「あ、いや、なんでもない」

ニュートは「僕に任せて」と私に向けて杖を振った。自分の装いが、あっという間に素敵なドレスへと変わっていく。フェアリーゴッドマザーに出会ったシンデレラもこんな気分だったのだろうか。お礼を述べると、ニュートは照れくさそうに目を逸らした。

「じゃあ、私からもニュートに何か……蝶ネクタイがいいかな?」
「本当?」
「うん。ドレスのお礼に」

落ち着きなくソワソワしだしたニュートは「君がくれるならなんでも嬉しいよ」と笑みを浮かべた。

「本当?」

先ほどのニュートと同じ言葉を返す。頷く彼に、口元が緩んだ。純粋に、ニュートのくれる言葉と反応が嬉しい。

「あの、そろそろいいかしら?」

気まずそうなティナの声にハッとして杖を振る。ニュートの襟元には濃紺のシンプルな蝶ネクタイが添えられた。

「ありがとう名前!」
「どういたしまして」
「その、一生大切にするよ」
「……一生は難しいんじゃないかな」

あまりに嬉しそうなニュートの反応に自然と笑みが溢れる。「またやってあげるね」と言えば、彼はパッと明るい笑みを浮かべた。そんなにも喜ばれるのなら、魔法ではなく本物を彼にプレゼントしてあげたい。

「魔法ってのは何でもできるんだな。魔法使い同士だけか?」
「ううん。そんなことないよ」

ジェイコブは「これって、俺にもできる?」とニュートの蝶ネクタイを指した。「できるよ」と教えてあげると期待に満ちた眼差しを向けられた。これはジェイコブにもプリンセスのように魔法をかけてあげなくては。杖先を彼に向けると、ニュートが間に体を滑り込ませてきた。

「ま、待って名前」
「なに?」
「彼のは、僕がやるから……」

ニュートが杖を振ると、ジェイコブの襟元に蝶ネクタイが作り出された。

「ワォ……ありがとう」
「どういたしまして」

満足げな表情を浮かべるジェイコブに「似合ってるよ」とグッと親指を立ててみせた。

「ねぇ、名前」
「なに?ニュート」
「あの、さっきみたいなのは……僕だけにしてくれないかな」
「さっき?」

聞き返した私に、ニュートは襟元の蝶ネクタイを触った。さっき、というのはそれのことだろう。

「他の人にはしないで」
「でも、今みたいに必要な状況だったらしちゃうかも」
「君じゃなくてもいいだろ。僕とか」
「私しかいなかったら?」
「そんなことにはならないよ」
「それは分からないじゃない。どうして他の人にはダメなの?」

途端にニュートは「あ、え。それは……」と口をもごつかせて徐々に視線を落としていく。

「それは……」
「それは?」
「名前が」
「私が?」
「いや、名前に」
「私に?」
「……他の人を見てほしくない、から」

そんなの、ずっとニュートしか見ていない。元の世界でもスクリーン越しに目で追って、ホグワーツで出会ってから今日までは隣でニュートを見てきた。私はどの世界でも、ずっと、ニュートしか見ていない。これからもそうでありたい。彼にもそうであってほしい。
素直にそう伝えられたらいいのに。だけどそれは、この世界が許してくれないだろう。胸中でざわめく欲望を抑え「ニュートはワガママだなあ」と笑った。

「やっぱり末っ子だから?」
「そういう話じゃなくて……」
「今度テセウスに、ニュートの末っ子エピソードでも聞いてみようかな」
「そんなこと聞かなくていいよ」
「可愛い話が聞けるかも」
「聞かなくていいってば」

テセウスの名前が出た途端、ニュートは眉根を寄せてそっぽを向いた。

独特のリズムでティナが壁をノックすると、突然女性の目元部分が横にスライドした。少しも歓迎していない険しい目をそこから向けられ、気まずさを感じた。踏み入れた店内は薄暗く、空気も澱んでいる。各テーブルでは賭け事が行われており嘘でも治安が良いとは言えないような場所だ。

「ティナはこんなところに1人で来てたの?」
「ええ。たまに。私には闇祓いっていう肩書きがあったから良かったけど、名前さんのような女性が1人で来るのはダメよ」

空いているテーブルを探しながら「危険すぎるもの」と彼女は言った。
クイニーとジェイコブはバーカウンターへ、ティナとニュートはナーラクの話を聞きに。自然と分かれる彼らを見て、どちらについていこうか、空いている席があればそこに座っていようかと店内を見回し考える。
バーカウンター前で、何やら1人困った顔をしているジェイコブに気付きそちらへ向かった。

「どうしたの?」
「ここじゃどうやって酒を買うんだ?」
「屋敷しもべに頼むの」

カウンター内の屋敷しもべは、ジェイコブを訝しげに見ながら酒瓶を置いた。魔法社会で生きていて屋敷しもべを知らない人はそういないからだろう。

「ギグルウォーター6ショットとローブ・ブラスターをお願い」

隣に来たクイニーが新たなオーダーを飛ばした。「ニュートのところへ行かなくていいの?」と訊ねてくるクイニーに頷き返す。

「私がいても邪魔なだけだよ」
「そんなことないわ。貴女がいてくれたら、彼も心強いはず」
「それは言い過ぎ」
「だって、学生時代から2人はいつも一緒なんでしょう?」

少し離れた席に座るニュートとティナの姿を見つめる。

「……それは、まあ。そうだけど」

クイニーの言う通り、学生時代から私たちはいつも一緒。だけど、これから彼の隣にいるのは彼女だ。アメリカへ来てから、何度同じことを心の中で呟いて自分に言い聞かせてきただろう。いい加減しつこい気もするが、そう思わないと自分にもチャンスがあるのではなどとうっかり思ってしまいかねない。クイニーの視線を感じながら「これからもそうとは限らないよ」と言ってニュートたちから目を逸らした。

「私にもお願い」

カウンター内の屋敷しもべに声をかける。ジェイコブが飲んでいたものと同様、酒の入った瓶が目の前に置かれた。

「大丈夫?名前」
「すごく強いわけではないけど人並みには飲めるよ」
「ニュートを呼ぶか?」
「ううん。平気だよ」

心配して声をかけてくれる2人に「こう見えてもちゃんと大人だから」と笑った。2人の心配がそういうことではないことは分かっているのだが、今後のことを考えると耐えられる気がしないのだ。とりあえず酒でも飲んで気を紛らわせるしかないな、と瓶を握った手を後ろから掴まれた。

「ダメだよ名前」

すぐそばでニュートの声がした。いつの間にかこちらまで来ていたらしいニュートが
「これは飲んじゃダメだ」と私の手から瓶を取り上げた。背中にぴったりと体がつけられ、後ろから抱きしめられているかのような体勢になっている。

「また君はそうやって……僕がいないところで気分が悪くなったらどうするつもりだったの」
「えっと……ごめん」
「まさか、まだ飲んでないよね?」

飲んでない、という気持ちを込めて何度も頷く私に、ニュートは安心したように息を吐いて「良かった」とだけ言った。

「もう僕から離れないで。少なくともうちに帰るまでは」

ニュートが耳元で喋るたび、息がかかってくすぐったい。彼の吐息を直接感じて、心臓がドキドキを通り越しバクバクと激しく脈を打っている。

「じゃあ、」

ニュートも離れていかないで。そう伝えたい。だけど伝えられない言葉が、1つ、また1つと自分の中に増えていく。後ろに立つニュートに寄りかかると「名前?」と彼は不思議そうに私の名前を呼んだ。

「じゃあ、はぐれないように手を繋いでね」

離れないでと言うのならずっと手を繋いでいて。ニュートがそばにいなければ、1人どうしていいのか分からず私はこの世界で迷子になってしまう。迷わないように、はぐれないように、どうかこの手を離さないで。今私に言えるのは、これくらいだけ。
瓶を取り上げられそのままカウンター上に乗せていた私の手に、ニュートの手が重ねられた。

「約束する。何があっても名前の手を離したりしない。例え、腕を切り落とされても。君の手だけは絶対に離さないよ」

ニュートの吐く言葉には誤魔化しや嘘偽りがない。約束するというのも口先だけじゃなく心からの言葉だろう。例え今だけだとしても、そう思っていてくれることが嬉しい。嬉しいと思えば思うほど、失った時のことを考えて悲しくもある。彼を振り向き「ありがとう」と伝えると、少し目を見張った後に優しく微笑んだ。

「だって僕は、名前がいないと」

言いかけたニュートに「とってもいい雰囲気のところごめんなさいね」とクイニーの声が被った。

「名前、ニュート……彼よ」

彼女の視線を辿るとナーラクが店の奥から出てくるのが見えた。

「本当は邪魔をしたくないのよ。だけど、そうも言っていられなさそうで」

気遣わしげに笑みをつくるクイニーを見て、徐々に冷静になっていく。今し方の自分とニュートとのやりとりを思い出して顔が熱くなった。大慌てでニュートから離れると「全然!少しも!そういうのじゃない!」とクイニーに対して言い訳じみた言葉を口にした。

「別にいい雰囲気とかじゃないから」
「まぁ。そんなに誤魔化さなくてもいいのに」
「そういうのじゃないんだってば」

ぶんぶん首を横に振ってクイニーの言葉を否定し、ニュートの腕を掴むとティナの元へ向かった。ナーラクがこちらへ来る前にギリギリ間に合ったようだ。

「大丈夫なの?やけに顔が赤いけど」

熱さを冷ますように手で顔を扇ぐ。具合が悪いのではないか、と心配してくれるティナに平気だと返した。


「で?怪物だらけのカバンを持ってたって?」

テーブルについたナーラクは、グラスに入った酒を飲み干した。ニュートのことはすでに情報が出回っているらしい。あれだけ派手な立ち回りをしていればマクーザでなくとも周囲の注意を引くだろう。

「耳が早いな。何か……動物の痕跡とか目撃情報を知ってたら、教えてほしい」
「些細な事でもいいので」
「あんたらお尋ね者だぜ。助けると思うか?普通通報するだろう」
「力を貸してくれたら、損はさせない」
「じゃあ、テーブルチャージを貰おうか」

何かの書類にサインをする片手間、ニュートがテーブル上に出したガリオン金貨2枚をチラリと見て「マクーザの懸賞金の方が高い」と鼻で笑った。生憎、交渉材料として使えそうなものを私は持っていない。ニュートがいくつかの品を提示した後、ナーラクはアッシュワインダーの卵に興味を示した。

「なるほど。手を打てそうな……」

テーブル上に置かれたそれではなく、別の方向に目を向けるナーラクに、その視線を辿る。緑色の小さな生き物がひょっこり顔を出し、すぐさま引っ込めた。ハッとしてニュートを見やると彼も同じような反応をしていた。ピケットに目をつけられた、と気づいた時にはすでにナーラクの興味はそちらに向いていた。彼はテーブルに身を乗り出し「そいつは……ボウトラックルか?だろ?」とニュートの胸ポケットを指した。

「いや」
「違うわ。ボウトラックルじゃない」
「隠すなよ、そいつはボウトラックルだ。そいつら、鍵を開けるのが得意だろうが」

ピケットを守るように、ニュートは胸ポケットを手で覆い隠した。

「アッシュワインダーの卵で手を打つって言ったじゃない」
「気が変わった。そいつをこっちに寄越すなら考えてもいい」
「この子はあげられない」
「そうか。生きて帰れるといいな、スキャマンダーさん」

立ち上がったナーラクは葉巻を咥え「ああそれか、あんたで手を打ってやってもいいぜ」と煙とともに言葉を吐き出した。その視線は私に向けられている。

「日本人だろ?日本人は珍しいからな」

突然訪れた身の危険に背筋がぞわりとした。どこかの悪趣味な金持ちにでも売り飛ばされるのだろうか。それかここで一生働かされるのかもしれない。どのみち良い人生にならないことは間違いない。とはいえ、それでピケットを手放さずに済むのなら自ら名乗りをあげよう。ピケットはニュートが学生時代から共にいる友人なのだ。2人を引き離すことなど少しでもしたくない。

「私、」
「ダメだ」

隣に座るニュートが私の手を掴んだ。何も言うなと言わんばかりに私に目配せをすると、ナーラクに視線を戻した。

「彼女は渡せない」
「でも、ニュート」
「名前は黙ってて」

交渉は決裂だと再び背を向けたナーラクにニュートが声をかけた。抵抗するピケットを胸ポケットから取り出し、ナーラクに差し出す。離さないでほしいと必死にニュートの指を掴んでいたピケットは、ナーラクの手に移ってもキーキーと鳴き続けている。

「目に見えない何かが、5番街をめちゃくちゃにしてたってよ。メイシーズデパートにお探しのモンがいるかもな」
「メイシーズデパート?」
「奥さん、あんたあの店を知らねーのか?」
「品揃えの良さで人気のデパートよ」
「そうなんだ」

それなら確かにドゥーガルが潜んでいる可能性はありそうだ、と思いながらティナの言葉に相槌を打つ。

「……ちょっと待って。奥さん?」

ナーラクの言葉が引っかかり聞き返すも、タイミング悪くニュートと被った。

「あと一つだけ。マクーザで働いてるグレイブスってどういう経歴か知ってる?」
「あんた知りたがりやだな、スキャマンダー さんよ。そりゃ命取りだぜ」

ナーラクが笑みを浮かべたのを合図に「マクーザが来た!」と誰かが大声で叫んだ。

「通報したの!」
「見て!あれ!」

壁に貼られた手配書の写真を指す。どこかの手配犯の顔から、ニュート、ティナ、そして私の顔に変わった。マクーザの闇祓いたちに次々と捕えられる客たちに紛れ、テーブルの下に潜り込んだ。近くの壁に何かが叩きつけられた音に驚いて頭を軽くぶつけた。頭をさすりながら、混乱状態に陥った店内をテーブルの下から覗き見て4人を探す。「名前はどこ?名前!」というニュートの声にテーブルの下から顔を出した。

「ニュート!」
「名前!無事?どこか怪我とか……」
「してないよ」
「ああ、良かった」
「ねぇ、待って。あの人倒したの誰?」

顔をおさえて蹲るナーラクの姿を指す。

「俺だよ。工場のボスに似てたんでね」
「ジェイコブが?……最高!詳しく教えて!」
「名前さん後にして!早く逃げるわよ!」




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