フランクの様子に、外ではただならぬことが起きているのではないか、とトランクから出た私たちはその光景に息を呑んだ。空高く黒煙が立ち上り、助けて逃げろと憔悴しきった様子の人々がこちらへ走ってくる。目の前で転倒した男性もすぐに立ち上がるとどこかへ逃げるように去っていった。
「……なんなの、これ」
ドゥーガルを探しに行くまでは何事もなかったはずだ。夜の静けさの中に生活音がどこかしらから聞こえ、車が走り去った後はほんの少し排気ガスの匂いがするような。マグルの、ノーマジの人々が生活する普通の街。
目が合ったティナは「何が起きているのか確認する必要があるわ」とスクワイアの文字が大きく掲げられたビルを指した。
「ねぇ、ニュート。見て」
ニュートのコートを引っ張り、眼下に見えるそれを指した。
「うわー……あれがオブスキュラーとか言うヤツ?」
ジェイコブがビルの下を覗き込み、怯えたように言った。正確にはオブスキュラスだが、
別に今わざわざ訂正するようなことでもない。オブスキュラスが通り過ぎた後、アパートやビルは外壁が剥がれ落ち、地面はヒビ割れている。更には通りの至る所で火の手が上がっており、大きな火災に繋がりかねない。「どうしてこんなことに」と見下ろした私の横に、ニュートとティナが並んだ。
「あんな強いのを生み出す者は初めてだ」
「でも、2人はスーダンで女の子に会ったって……」
「私たちが見たのは、あんなに異質じゃなかったし凶暴でもなかった。勿論、ティナがマクーザで見たものとも違う」
足元に広がるその光景を静かに見ていたニュートは、突然トランクを私に押し付けた。
「僕が戻らなかったら、動物の世話を頼む」
私に頼むのか、とトランクとニュートを交互に見て、言葉ではなく視線で訴えた。
「他に誰がいるの?安心して動物たちを頼めるのは君しかいない」
それならティナがいるだろう。ニュート越しに視線を送るも、街やオブスキュラスの様子が気になるらしい彼女はこちらを見てもいなかった。コートのポケットから、使い込まれたノートを取り出したニュートは「必要なことは、全部ここに書いてあるから」とそれを私に持たせた。
「名前なら、何も心配ないと思うけど」
「え、待ってよ。戻らなかったらってどういうこと?」
「僕が止める」
「あのオブスキュラスを1人で?」
頷き返すニュートに「私も行く」とトランクとノートを彼に押し付けた。
「ダメ。名前は来ないで」
「どうして」
「君を危険に晒したくない。それに、君まで来て僕たち2人とも戻らなかったら?動物たちはどうなる?」
「それは、そうかもしれないけど……私だってニュートに危険な目に遭ってほしくない。それに」
「名前」
ニュートは静かに私の名前を呼び「誰も殺させない」とだけ言い残して屋上から飛び出した。
「ニュート!待って!」
姿くらましをして一瞬で消えたニュートに、私の声は届いていたのだろうか。押し付けられたトランクを抱えたまま、破壊され続ける街を見下ろす。街が、人々が助かったとしてもニュートが戻ってこなければ意味がない。自己犠牲の上に成り立つ喜びなど存在しない。私はそう思っている。それが大切な人なら尚更。残される者のことなどどうでもいいのだろうか。苦しみ、もがき、葛藤することになろうとも。そもそも、人をアメリカまで連れてきておいて置き去りにするなんて。私1人では帰り方もよく分からないというのに。ニュート・スキャマンダー。なんて勝手な男。
「ああ、もう。腹が立ってきた!」
トランクを抱えたまま、苛立ちを声に出して叫ぶ私に「大丈夫?」とティナが怪訝そうに声をかけた。
「ティナ。ごめん、これお願い」
ティナに向き合うと、ニュートから受け取ったトランクとノートを渡した。
「あの自分勝手な動物オタクを連れてくる」
「え?」
「そのノートに必要なことは全部書いてあるから、もしもの時はお願い!」
「ちょっと名前?」
困惑するティナの後ろでクイニーとジェイコブがこちらを見ている。眉を下げ気遣わしげに「行っちゃうのね」と言うクイニーに頷き返す。屋上から降りる寸前「名前!」と私を引き留めるように叫ぶティナの声が聞こえた。昂る感情のまま、ニュート同様屋上から飛び出した。
「奇跡だよ、クリーデンス、君は奇跡だ。私と来い──私と一緒なら偉業を成し遂げられる」
なんて酷い状況なのだろう。姿現しをした先で、ゆっくりとグレイブスがオブスキュラスに近づいていくのが見えた。その近くから、様子を窺うように彼らを見つめるニュートに駆け寄った。
「名前?」
「ニュート」
「今すぐジェイコブたちのところへ戻って。君には危険な目に遭ってほしくない。僕は、さっき君にそう言ったはずだ」
「それは私も同じだって言ったでしょう。ニュートに危険な目に遭ってほしくない。大体、アメリカまで連れてきておいて私のこと置き去りにするつもり?ニュートって酷い人」
「違うよ!それは、そういうつもりじゃなくて……君を置き去りにしようだなんて思ってない」
「でも、戻らなかったらって言ってた」
グレイブスの言葉に反応したオブスキュラスが大きく広がり、通りごと取り込む勢いで彼に襲いかかった。巻き込まれたらひとたまりもない。ニュートは私の手を引き、咄嗟に車の陰に隠れた。グレイブスを地面に打ち付け、激しく動き回るその様は、クリーデンス自身が何かを訴えて叫んでいるようにも見える。
「そもそも、離れないでって人に言っといてニュートから離れていくなんて」
爆発音がいくつも聞こえ「名前!」と同時にニュートが叫んだ。訳もわからぬまま力強く引き寄せられ、彼に抱きしめられた。
「……何?何が起きたの?」
ガシャン、と背後に何かが落ち、続けて何かが大量に割れる音がした。顔だけをそちらに向けると、たった今自分がいた場所にどこかのネオン看板が刺さり、その周辺にガラス片が散らばっている。ニュートが気づいて助けてくれなければ、私は全身にあの破片を浴び、看板が刺さっていたかもしれない。ぞわりと鳥肌が立ち、自然と脈が速くなる。不安と恐怖。血の気が引いて指先から冷たくなるのを感じる。顔を背け、ニュートのコートを握りしめた。
「名前。大丈夫だよ。君には当たってない」
落ち着かせるように、ゆっくり背中を撫でてくれるニュートに「怪我してない?」と彼の無事も確かめる。
「うん。僕にも当たってない。怪我もないよ」
「よかった。ありがとうニュート。ニュートがいてくれてよかった」
「あ、僕も、その……名前がいてくれて、無事でよかった」
コートを掴んでいた手を離し、安心を求めてニュートの背中に回す。まだ少し私の手が震えていることに気づいたらしい彼は「大丈夫。大丈夫だよ」と優しい言葉を紡いだ。
「名前!ニュート!」
私たちを呼ぶティナの声に、慌ててニュートから離れてそちらを振り向いた。彼女も同じように車の陰に身を隠している。
「名前?貴女、大丈夫?」
「うん。大丈夫だよ」
「2人とも急に飛び出して行くから驚いたじゃない」
「ごめんね。ティナ」
「いいわ。でも、次はちゃんと説明してからにして」
ジト……と私とニュートに向けられた視線に「本当ごめん」と手を合わせて再度謝った。
「セーレムのあの少年がオブスキュラスを生む者だ」
「でも、もう小さい子どもじゃないのよ」
「分かってる。でもあの子の顔が見えた」
ニュートは私に「君にも見えたよね」と確認するように聞いた。
「うん。ティナの記憶の中にいた子と同じ」
「そんな……でも、どうして」
「彼自身の力がとても強くて、なんとか生き延びることができたんだ。信じられない話だけど」
オブスキュラスを生む者は膨大なエネルギーに体を蝕まれ、そのほとんどが子どもの頃に命を落としてしまう。それに比べてクリーデンスは、子どもと言うには成長している。ティナが驚くのも無理はない。
「ニュート!名前!彼を助けて」
覚悟を決めたように車の陰から飛び出していったティナは、グレイブスに向かって歩いてく。ニュートは「君は安全な場所へ」と私に言って立ち上がった。背を向け、1人で行こうとする彼の手を掴み「私も行く」と引き留めた。
「今、ティナが、私にも助けを求めてた。彼を助けてって。私も力になりたい。ニュートみたいに頭は回らないし、ティナみたいに強いわけでもないけど……」
ずっと心の中で葛藤している。私が、誰かを助けたい何かをしたいと干渉することで、世界が大きく変わってしまうかもしれない。
「でも、やっぱり、目の前であんな風になってる子を見ちゃったら、放っておくなんて私にはできない。自分の安全を優先して見て見ぬ振りなんて。だから、私もニュートと一緒に彼を助けたい」
私にとっては大きな決断。それがどうかこの世界にとっては些細なことであってほしい。私が一番危惧しているのは、私の行動で死なずに済む誰かが死んでしまったり、大怪我を負ったり、悲しい結末を迎えてしまうことだ。それでも尚、ここにいるのなら私は自分にも出来ることをしたい。覚悟が伝わるよう、真っ直ぐニュートを見つめた。一度目を逸らし、再び私を見て「君って本当に昔から……」と呟いた彼に「ワガママ?頑固?」とその先を聞き返す。
「いや、どこまでも、自分の心に真っ直ぐな人だ。それでいて他人のことばかり考えてる。名前は、誰よりも思いやりと優しさと、勇気のある女性だよ」
オブスキュラスによって引き起こされた突風に煽られ、髪が揺れる。ニュートは微笑み「学生の時から変わらないな」と私の顔にかかった髪を指先でよけた。
「僕たちで、クリーデンスを助けよう」
オブスキュラスを追いかけ、私とニュートは姿くらましを使いその場から去った。