すぐにアメリカを出るようにと言われたものの、今回の後処理や船の関係で1週間ほど滞在することとなり、とうとう明日出発となった。壊れた囲いの修復や動物たちの状態の確認など、ようやく落ち着いたトランク内を見回す。フランクは行ってしまったが、それでもこの中は賑やかだ。小屋に入り、中くらいの木箱の上に腰を下ろすと一息ついた。
「このバケツいつの間にか穴が開いてたんだけど……」
シャツの袖を捲ってズボンの裾を泥だらけにして小屋に入ってきたニュートは「気づかないうちに中身が溢れてるから驚いたよ」と言いながら、修復しておいたとバケツを床に置いた。
「だから、この前私がそれ使った時も中身が減ってたんだ。なんかおかしいなって思ってたんだよね。ありがとう、ニュート」
ニュートは「どういたしまして」と微笑み、何かを思い出したように「あ」と短く呟いて私の隣の木箱に腰を下ろした。
「あの、名前 」
「なあに?ニュート」
「僕たちがニューヨークに来てから、色々なことがあって……本当に色々……」
「うん」
「それで、名前とはもっと……話をした方がいいんじゃないかって」
「話を?」
「そう、話を」
神妙な面持ちのニュートの方を向き、膝を揃えて座り直す。彼も同じように私の方を向いた。2人して向かい合うこの体勢に、これから真剣な話をすることになるだろうという予感がしてやや緊張してしまう。「例えばどんな話?」と聞き返した私に「君の話はどうかな」と彼は返した。
「僕は……名前 のことをもっと知りたいと思ってる。それから、君に僕のことも知ってほしい。どれだけ君に救われてるか……君が必要かを」
膝の上に置いた私の手に、伸ばされたニュートの手が重なる。彼が動物以外のことで、誰かとこんな風に真剣に向き合おうとしている姿はほとんど見たことがない。もしかしたら、初めてかもしれない。だけど、私に話せるようなことはあるだろうか。どこで生まれてどのように育ってきたのか、元々何が好きで何が嫌いか。それは、全部ここには存在しないものだ。素直に自分のことを話してしまったら、きっとニュートは混乱するだろう。それに、関係性や世界が変わってしまうことが怖い。どう言ってこの話を収めるのがいいのか。目の前の彼から目を逸らし、床の木目を見つめる。「私のこと……うーん、それは、その」と適当な言葉を呟きながら考えていると、彼の手が震えていることに気がついた。
「……ニュート、手が」
視線を上げ、ニュートを見る。彼は緊張した面持ちで薄らと笑い「ごめん、本当は怖いんだ」と言った。いつも隣にいる相手が何を考えているのか、自分をどう思っているのか。それを聞くには相応の勇気が必要で、言葉にしてしまった後も不安と恐怖で落ち着かないだろう。何もかも変わってしまうのではないかと危惧する私も同じように不安と恐怖で落ち着かない。彼は、恐怖を感じながらも自分の気持ちを私に伝えてくれた。正面から向き合おうとしてくれる彼に、私は何も言わずに誤魔化したままでいいのだろうか。
「……ニュートは、」
「うん」
「自分たちがいるこことは違う、別の世界があるって思う……?」
「別の世界?」
「うん。魔法もなくて、ドラゴンもいなくて、そんな世界」
「それは、マグル社会ってこと?」
「ううん。なんていうか、マグル社会と魔法社会とかじゃなくて、私たちが住んでる地球とは別の地球って存在してると思う?っていう感じの……」
ニュートは、ゆっくりと瞬きをして、それからすぐに口を開いた。
「僕たちが住んでるこの世界にさえ、マグル、魔法使い、魔法動物……様々な種族がいて、それぞれの社会が存在してる。それに、マグルが僕たち魔法使いを知らないように、僕たち魔法使いでさえ知らない何かもきっとあるはずだ」
「うん」
「それに、僕は魔法使いだけどまだ知らない呪文も数多くある。古い文献に残されているものだったりね。もしかしたらそこに、世界すら超える呪文が存在している可能性だってある。僕たちはみんな何もかもを知ってるわけじゃないから、君の言うような、全く別の世界が存在していても不思議ではないと僕は思う」
「じゃあ、別の世界があるって信じる?」
「名前 が、別の世界は存在するって言うなら僕は信じる」
重ねられた手に少しだけ力が込められ、ニュートは私の顔を覗き込んだ。「もし」と続けた彼に「もし?」と聞き返す。
「もし……名前 がその、別の世界に行くことがあっても、僕は必ず君を迎えに行くから。例え何年かかったとしても……僕の生涯をかけて。必ず」
「生涯だなんてそんなこと……気軽に言っちゃダメだよ」
「気軽じゃない。君に初めて会った時から、長い時間をかけて、大切にしてきた僕の心からの気持ちだ。何も考えず、軽い気持ちで言ったわけじゃない」
ストレートな言葉たちが胸に刺さる。
「君は?」
「え?」
「君は、軽い気持ちで僕と一緒にいるの?」
「そんなことない」
「じゃあ、名前 はどうして僕についてきてくれたの?同じ家に誘った時も魔法省へも……どうして君は、僕といることを選んだの?」
「どうしてって……」
私は、嵐のような雨とともに突然この世界に飛ばされてきた。一番初めに出会った人は、この世界で起き始めているのことと何か関係があるのかもしれないと私に言った。それが何なのか分からないまま、私は今日までこの世界で生きている。どうしてニュートとともにいるようになったのかと改めて聞かれれば、それは彼が私にとっての所謂推しで、彼から声をかけてくれたのは本当に偶然の出来事だったが、ずっとスクリーン越しに見てきた彼とともにいられることが嬉しかったから。そして、この世界の誰よりも彼の隣が一番心地よいからだ。私は、誰も私を知ることのないこの世界で、ニュート・スキャマンダーの隣だけが唯一安心できる場所だと思っている。だから、私は彼と一緒にいる。それをそのまま彼に伝えればいい。それだけ。ただ、その、それだけがどうしても言えずにいる。
「どうしてってそれは……その、ごめん、私には言えない。だけど、気分とかじゃなくて、ちゃんとニュートといたいと思ってついてきたってことだけは信じてほしい」
ニュートは、私の言葉に静かに耳を傾けてくれている。彼の顔を見られず、膝の上の手を見つめる。真摯に向き合ってくれているというのに何も言えない私は、きっと彼を傷つけてしまっているから。
「それは……言えない理由は、君が抱えていることに関係してる?」
ニュートの口から出た予想外の言葉に、弾かれたように顔を上げて彼を見る。どうして、と言ったつもりで口から出たのは「ど……」の一文字だけだった。
「ねぇ、名前 ……君に、触れてもいい?」
私の返事も聞かずに手が伸ばされ、かさついた指先が頬に触れる。「薄ら隈ができてる」と親指の腹で目の下を優しく撫でられた。カッと顔が熱くなり、今すぐニュートから背けたい衝動に駆られる。彼の両手とも頬に添えられ、それは叶わない。
「名前 。君が僕に話せないことは、君だけが抱えて、そんなに苦しまなきゃいけないほどのことなの?」
「え?」
「アメリカに来てから、君はたまに辛そうな顔をしてる。名前 、僕は何があっても君の味方で、君が抱えていることを聞く覚悟もできてる。だから、君が1人で何かに苦しむ必要はない。安心して僕に話して」
ニュートの瞳が私を捉えて離さない。
「僕の名前 を苦しめるのは何?」