08

頭上を列車が走り過ぎていく。高架下には列車から落ちた排水で水溜りがいくつもできており、避けきれずに踵を少し突っ込んだ。跳ね返った水が足を濡らし、気持ち悪い。この世界へやって来たときも、同じように足元が濡れていたはずだ。傘もまともにさせないほど荒れた天気だったことだけは、時が経った今でもハッキリと覚えている。

入ってきた時と同じようにマクーザのビルから通りへ押し出されると「心当たりは?ないの?」と彼女はジェイコブの居場所について私たちに訊ね、姿くらましでまた別の場所へと移動した。通りの店先の看板には、ローワー・イースト・サイドと書かれている。

「ねぇ、何か手掛かりはないの?さっきのパンは?パン屋の店主なんじゃない?」
「パン屋を開く資金の相談に来たってさっき銀行で言ってたから、まだお店は開いてないと思う……」
「そんな……糾弾されたら私クビよ」
「なんで君が?悪いのは僕なのに……」
「そうよ、私たちが騒ぎを起こしちゃったから」
「私、新セーレム救世軍に近づいちゃいけなかったの」

一瞬、頭上をビリーウィグが飛んでいった。焦燥感に駆られ落ち着かない様子から一変して「今のは何?」と訝しげに聞いてきたティナに、ただの大きな蛾だとニュートと口を揃えて答えた。ちょっと無理があるだろう。

「……なんか、向こう騒がしくない?」
「行ってみましょう」

やけに声のする方へ曲がると、新セーレム救世軍の集会以上の人だかりができていた。小学生くらいの子どもや老人、赤子を抱いた母親など、通りを埋め尽くすように人が広がっている。ガス爆発が起きたのだと主張する人々に囲まれて、中心にいる警察官は困惑しているようだった。その背後に見える建物は、確かに何かが爆発した後のように一部崩れている。

「ニュート」
「名前」
「これ、絶対トランク開いちゃってるよね」

ティナに気づかれないようこっそり話しかけると、ニュートは困ったように眉を下げた。あの中にいるジェイコブが、映画通りマートラップに噛まれただけならまだいいのだが。人の合間を縫うように歩いていると、先を行くニュートが私の手を取りギュッと握った。心配するようなことはないから、とティナがいる前では不用意に手を繋がないよう言っていたのだが、今は気にしている場合ではないらしい。そもそも、迷子防止のために手を繋がれる三十路手前の女とは。ニュートはそのままの状態で、アパート内の階段を駆け上っていく。

「ちょっと、待って、ニュート。速い」
「ごめん。あと少しだから頑張って」

彼がジェイコブの部屋の前で止まる頃には、私だけすっかり息が上がってしまっていた。体力差というものを考えてほしい。ニュートの後ろから部屋を覗き、その酷い有様に言葉を失った。壁は魔法動物によってぶち抜かれ、床には割れた窓ガラスやら木片が細かく飛び散っている。マートラップに噛まれただけで済んだことが、不幸中の幸いとも言える状況だ。

「何これ……あの人は?トランクはどこ?」
「あそこだ」

部屋に踏み入ると、足元の障害を避けながら倒れているジェイコブの元に駆け寄る。目を瞑ったまま唸り声を上げ、傷の具合を確認するニュートの手を払い除けようとしている。「スキャマンダーさん!名前 さん!」と声を張り上げて階下から近づいてくるティナの足音を聞きつけ、ニュートは杖を取り出して部屋の修復を始めた。壁も、窓も、曲がったパイプも、全て元に戻っていく。ティナが部屋に飛び込んでくるのと同時に修復が終わり、壁にかけられた写真の女性が私たちに微笑みかけた。

「開いてたの?」

ニュートは、ベッドに座りトランクを膝の上に乗せて「ちょっとだけ」と魔法動物たちが逃げ出したことを誤魔化すように答えた。

「あのお騒がせニフラーがまた逃げた?」
「……かもね」
「だったら捜す!」
「でも、こっちを先に……」
「首から血が!ケガしてるわ!」

苦しそうな様子のジェイコブを見たティナが「大丈夫?ノー・マジさん」と必死に声をかけるも、目を覚ます気配はない。

「いつから?どうしてこんな状態に……」
「多分、噛まれたんだと思う」
「噛まれたって、何に?」

マートラップ、と言う前に、棚の脇からハダカデバネズミとハリネズミを掛け合わせたような大きな生き物が飛び出してきた。ティナの叫び声に気づいたニュートが素早く捕まえ、トランクの中に押し込む。見知らぬ何かが飛び出してきたことでティナは完全に興奮しきっており、ひどく取り乱している。

「それ何!」
「これは……マートラップだ」
「彼を噛んだのは、あの子だと思う」
「他に何が入ってるの?」
「動物たちのおやつとか」
「そういうことじゃなくて!まだいるの?他にも」
「えーと……」

ティナの鋭い視線から逃げるように目を逸らす。場の騒々しさに目を覚ましたジェイコブが「あんたたちは」と思い出したように私とニュートを見た。

「どうも」
「ハイ、元気?」
「大丈夫?ミスター……」
「コワルスキーだ……ジェイコブ・コワルスキー」

返事はあるものの、時折気分が悪そうに目を閉じたり体を動かしている。このままオブリエイトしてしまったら、どうしてこうなったのか原因も分からないまま悪化する一方だ。「オブリエイトしちゃダメ!」と杖を向けるニュートを制止したティナに続いて「このままにしたら死んじゃうかもしれない」と訴えた。

「え、ちょっと待ってよ?なんでオブリエイトしなかったのって僕たちに怒ったくせに……」
「怪我人よ!苦しんでる!」
「名前、おいで。マートラップに噛まれたくらいじゃ死なないよ」
「でも、見てニュート、この人の真っ青な顔」

部屋の隅で突然吐き出したジェイコブを見て、流石に何かおかしいと彼も感じたようだ。ハンカチを取り出し、彼の顔をびっしょりと濡らす汗を拭った。

「確かに普通より苦しそうだ。でも、最悪の場合は…」
「何?」
「お尻の穴から火が吹き出す……」
「しかも、すごく痛いらしいの」
「そこまではいってない。症状はせいぜい48時間だ!」
「こんなに辛そうじゃない」
「面倒見るから、僕が」
「私も責任持って看病するので……」
「面倒見る?看病?それはあり得ません!スキャマンダーさん、名前さん、あなたたち……アメリカの魔法社会についてご存知?」
「存じてますよ。非魔法族との関係についての時代遅れの法律とか。友人になっちゃダメ、結婚もダメ。そんなのナンセンスだ」
「私が彼と結婚?全員一緒に来て。手伝って」
「なんで僕たちまで君と行く必要があるの?行こう、名前」

立ち去ろうとするニュートの腕を掴んで引き止めた。

「待って、ニュート。私たちが巻き込んだから、あの人噛まれちゃったんだよ」
「確かに、銀行でのことは少しやりすぎたと思ってる。けど、トランクを間違えたのは向こうだ」
「だとしても、助けてあげないと」

ここで見捨ててしまったら、何も始まらなくなってしまう。ニュート、ともう一度彼の名前を呼ぶと「分かった。やるよ」と観念したようにため息を吐いた。

「2人とも手伝って!」
「じゃあ、私こっち側支えるね」
「いや、僕がやるよ。名前はトランクを持ってて」
「分かった」
「銀行なんか行ってない……これは悪い夢だ」
「私にとっても悪夢よ」

2人がジェイコブを、私が荷物をまとめて持ちニュートと手を繋ぐと、本日何度目かの姿くらましをした。



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