コーヒーの香りが鼻をくすぐる店内。
私の前にはココアとショートケーキ、その向こうにブラックコーヒーが一つ。
正面に座る人は二宮さん。
会うのは今日で二度目なのに、苗字しか知らない。怖い。逃げたい。
苦笑いをしている私に気づいたのか、二宮さんが口を開いた。
「俺は、二宮匡貴と言う。二十歳だ。」
そう言ってコーヒーを一口飲んでこちらを見る。
私にも自己紹介しろってか。
「えと、苗字名前です。その、さっき言った事は冗談なので、気にしないでください…」
「ああ、淫行条例がどうのってやつか。」
「ひぇっ、」
夕方の喫茶店。しかもここは二宮さんチョイスの純喫茶。私達以外にも二、三人いるのに堂々と言うから、自分の軽率な発言を今までにないくらい恨んだ。
「本当にすみません。調子に乗りました。もう本当忘れてください!」
「?、何がだ?別に俺は謝罪されるような事はしてない。どちらかと言うと俺が謝るべきだろ。」
「…え、じゃあ話ってもしかして、」
「ああ、先日の謝罪だ。」
何だ、私の勘違いだった。普通にいい人だ。
予想外の反応にフリーズしてしまった。
「あの日は相当酔っていてな、申し訳無いが記憶が飛んでいる。」
「はあ、」
「大人びているからてっきり同年代だと思っていたんだ。まさか、高校生だったとはな…」
「いえ!酔っててチョロそうと思って声掛けたの自分ですから!本当にすみませんでした!」
「…そうだな、この件はお互い様という事で流そう。」
「はい!そうしましょう。」
凄い。やっぱり成人しているだけあって落ち着いている上に、話がわかる人だ!
「ところで、」
「はい?」
「高校生は二十三時以降の外出は保護者同伴じゃない限り、法で規制されているな。」
「…は、い。」
「あの日、俺に声をかけてきた時は既に日付が変わっていたが、」
「……。」
「高三のこの時期にそんな事バレたら大変だな。」
さっきまでと話の流れが一気に変わった。なんと言うか、立場が逆転している。
え、まって、何コレ?二宮さん怖っ、怖いよ。全然いい人じゃなかった。話わかるどころか、冷静にマウント取りに来てるだけだった。
冷や汗が止まらない中で何とかならないものかと、必死に頭を回転させてみるが、全く打開策が浮かばない。
「…どうすれば、黙ってて貰えますか?」
私の口から出たのはそんな情けない言葉だった。今の私にできる最大の手が交渉だけなのだ。
「…連絡先、教えろ。」
「…ふぁっ!?」
一体どんな恐ろしい条件を出されるのか不安だったのに、あっさりとしたお願いに変な声が出た。
やっぱり普通にいい人なのかも。
「そんなのでいいならいくらでも教えますよ。」
「そうか、」
気のせいかどこかほっとしたような安堵の表情に、私の中の二宮さんの位置づけは何だかんだいい人で落ち着いた。
「返事、すぐ返せよ。」
前言撤回。やっぱり怖い人だ。