未来のはなし
 

「今日の訓練はここまで!」

大佐の掛け声で多くの兵たちがその場で疲労のあまりに持っていた木刀やエアガンを手放して倒れていった。

彼らは軍人である。
シャルテール国軍・第二師団。
これが彼らが所属する部隊の名前で、師団長を務めるのがシャルテール国軍少将の肩書きも持つソー・カーライルである。
師団と大それた肩書きを掲げてはいるが警察組織のような物で市民の要請があればどこへでも駆け付ける。

第二師団は主に一般人に危害を加える魔術師を取り押さえたり暴走した精霊を消滅させたりするのが仕事だ。当然、魔術師や精霊を相手に日々戦う彼らは魔法を扱うことに長けている。
そんな彼らがヘトヘトになるまで体を動かして訓練していたのは上司の意向によるものであった。

「カーライル少将!手合わせお願いします!」

第二師団は十数人ほどしかいない。
みんな空が暗くなるまで一日中過酷な訓練をしていた中で、やる気に満ち溢れた新米兵だけが帰り支度をする少将兼師団長のソーに声をかける。

十年前はうなじをくすぐるほどの長さだった癖のある髪をただ流していただけだったが、今は両耳の上あたりからこめかみ、うなじあたりの髪をかり上げ、目にかかる長さの前髪をまとめて横に流している。
その前髪の隙間から鋭い目付きで新米を睨む様子にソーの副官で大佐の肩書きを持つナグサはまずい、と思った。
それはナグサだけでなく訓練が終わり一息ついていた先輩兵達も同じだったようで、次のソーの動きを注視する。

「あのっ、少将…っぐぅッ?!」

案の定、ナグサの悪い予感は的中した。
ソーが新米の頬を重い拳で殴り飛ばし文字通り地面に沈めたのである。
そしてソーは何事もなかったかのように済ました顔で訓練場から出て行った。

「…いってぇええ…おれ、なんで殴られて…?」

ソー・カーライルは十八歳で軍に一般兵として入隊後、たった十年で将官にまで上り詰めたエリートである。多少その人格に問題があっても美しすぎる容姿と確かな実力で、部下からは尊敬され上司からも一目置かれ、同期からは妬みの対象になっていた。

そしてこの第二師団の人間はみんなソーを尊敬する者たちばかりでそんな中に、突然新米を殴りつけたソーを非難する人間は誰一人とていない。
むしろ、ソーに手合わせをお願いした新米が責められるばかりだ。

「ただでさえ普段から定時になった瞬間バイクぶっ飛ばして帰る人なのに、今日は遅くまで訓練してもうこんな時間なんだぜ?お前の相手なんかするわけねーだろ」
「歯は何本か欠けたみたいだが…気絶しなくてよかったじゃねーか。まだ手加減された方だよ」
「早く帰りたい少将の邪魔をしたんだ。ま、殴られて当然だな」

わらわらと自分の周りに集まってきた先輩たちの言葉に新米はしょぼくれる。自分はただ尊敬する少将と手合わせをしてシャルテール国随一と謳われるその強さを自分の目で見たかっただけなのに。

「少将が…あんなに早く帰る理由って何なんですか…」

先輩兵の中には治癒魔法を扱える人だっているが、誰一人とて新米の怪我を治療してやる者はいない。
新米は殴られた頬の痛みと戦いながら、ぽつりと不貞腐れてそうぼやいた。

「少将には家庭があるから。周りの人間にはあんだけ傍若無人に接してるけど、お嫁さんのことだけは大事にしてるみたい」
「…かなり意外です」
「高校からの付き合いだからもう十三年になるね」

答えたのはナグサだった。ナグサはルイス魔法学園でソーの一つ下の学年であった。学生時代の彼らをよく知っているうちの一人である。

「だから、今度から定時過ぎてから団長に話しかけんのはやめときな。手合わせなら僕が相手してあげるよ」

あの人、昔帰るところを上司に止められたってだけでその上司を全治八週間の怪我を負わせた事だってあるんだから。
そう言ってかけている眼鏡のブリッジを上げて笑うナグサも魔術や武術の実力はソーには劣るもののルイスを首席で卒業した優秀な人材だ。大佐という座に見合った実力と実績は兼ね備えている。

「たっ、大佐ぁ〜〜っ!」
「くっつくなバカ!」

未だ少将の座についても問題児なところは学生の頃から少しも変わらない。ー人嫌いは多少ましにはなったがーそんな上司のフォローも副官である自分の務めだとナグサは溜息を一つついて新米の手合わせの相手をした。
その手合わせの様子を見ていた他の兵たちに次は自分も、今度は俺と、と次々に手合わせを申し込まれるナグサは、第二師団ではソーと同等かそれ以上に兵たちから尊敬されている。




「おかえり…ちゅ、ん、今日は遅かったね」
「…ああ、訓練の日だった」
「お腹空いてるでしょ。ご飯食べよ」

ソーは第二師団専用の訓練所からバイクを飛ばして三十分ほどかけて帰宅した。それを出迎えるのはだるっとした部屋着に身を包んだシノだった。

二人は学園を卒業すると共に同棲を開始した。最初は都心から離れた家賃の安い小さなアパートに住んでいたが、昨年に二人の貯金もようやく貯まりシャルテールで一番栄えている中心街の一番高いビルの最上階の部屋を買った。

おかえりのキスも相変わらず二人の習慣である。変わったのは二人の関係で、十年前は恋人同士であったが、今は夫婦となった。
シャルテールでは同性婚が認められていて、五年前、ソーがシノにプロポーズして二人は晴れて夫婦となったのだ。

シノが作った晩ご飯を二人で食べながら今日一日の出来事を話す。

「それで、今度の校外学習で生徒たちが軍隊の見学をしたいって言ってて」
「へえ。第二師団だけでいいなら訓練の様子とか見せてやれるけど」
「全然それでいい!みんな喜ぶだろうな」

シノは私立中学校の魔法科の教師をしている。
十年前までは魔術師を育てるのは主にルイスなどの少数の学校だけであったが、魔力を持つ子どもの増加に伴い、魔法科という一般教養に並ぶ科目を用意する学校が増えたのだ。

ルイスを卒業し、魔法専門の大学へ進んだシノはそこで教諭免許を取得したのである。かつては魔法の扱いが下手で何度も失敗を繰り返していたシノだが、元々持ち合わせていた魔力の大きさに比例してだんだん才能が開花し、今ではシャルテールでは有名な魔法実技を教える先生になった。

「校外学習は一ヶ月後なんだけど、ホントに行っていいんだよね?」
「ああ」

明日の朝一番にみんなに教えてあげよう。そう言ってパーマがかったふわふわの赤毛を揺らして心の底から嬉しそうに笑うその表情も十年前と変わらない。
なのにどこで覚えてきたのか、情欲を掻き立てる雰囲気と色気のある仕草を身につけて。それに煽られるのは一度や二度のことではない。

「…見学させたお礼、バルバーニ先生はなにしてくれる訳?」

食べ終わったソーは透明のガラスのテーブルに片肘をついてクリームシチューをスプーンで掬うシノを何かを企んだ笑みを浮かべて眺める。

「…なにそのやらしー笑い方」

そんなソーをじと目で見返すシノにソーはまた笑みを深くした。

「うちの嫁さんが最近仕事で疲れてるとか言って全然夜のお相手してくれねーから、久しぶりに相手して欲しいのよ、旦那さんは」
「…だって、ソーしつこいんだもん。寝不足と腰痛で次の日仕事どころじゃなくなるし…」
「俺は困らないから別にいいけどな。その校外学習とやらの話を白紙にしても」

あーあ、生徒たちの喜ぶ顔見れないね。とダメ押しの一言を加えればシノはぐぬぬとスプーンも持つ手をワナワナ震わせソーを睨みつけた。

「ソーのいじわるっ」



次の日、学校で校外学習の行き先が決まったと腰をかばいながら目の下にクマを作って話すバルバーニ先生の様子がいつもと違って変だったという話題は生徒たちの間で一日中持ちきりになった。





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