勿忘草
 

「お前は松永家の誇りだ」
「きっと将来はあなたが本家の跡取りになるに違いないわ。頑張ってちょうだい」

世界中で名を馳せる大財閥の一族の分家に、長男として生まれたのが松永名草である。

名草の両親はいずれ訪れる将来で、本家の会社で名草を幹部として置きたい。そしてあわよくば自分たちも幹部に、と言う欲を持っていた。

名草が両親からこんなに大きな期待を抱かれているのは魔力を保持していたからに他ならない。魔力保持者と言うのは一般人の間ではその能力の素晴らしさから尊敬され崇められる存在だった。

松永家は大財閥一族の分家ではあったが、ほとんど繋がりはなかった。両親が経営する会社は今にも倒産しそうな勢いである。本家がそれを助けてくれるわけもなく、名草の実家は裕福な家庭とは決して言えなかった。

それでも名草は大きな期待を受けお金持ち校のルイスに入れてもらった。
そこでたくさん学んで来て、将来松永家を引っ張る存在になれと。

名草はそんな両親の期待を重いと感じつつもしかし頑張って応えようと努力を積み重ねた。結果、名草は優秀な生徒が集まるSクラスにおいて魔法理学・実技ともに成績一位。両親だけでなく先生たちからも期待される生徒になった。

「来週テストかー。精霊学どうやって勉強したらいいか分からねーよ」
「ナグサ、今回も勉強会しようよ。また勉強教えてくれない?」
「僕でよければ全然教えるよ」

クラスメイトたちとの仲も良好である。それなりに友人もいる。名草は不満のない日常を送っていた。


「マツナガ、放課後時間ある?ちょっと喋れない?」

その日の昼休み、普段あまり会話をしないクラスメイトに声をかけられた。
特に用事もなかった為、名草は二つ返事でそれに答えた。彼は自分に続いて魔法理学や実技では二位の成績だ。きっと勉強に関しての事だろう。それ以上深く考えることはせず、チャイムがなって、先生が教室に入ってきたのを合図に名草は授業に集中した。



時間は経って放課後、ホームルームが終わってすぐ二位の彼…フレッドが着いて来て、と名草を席まで迎えに来た。
教室で話しないのか、と思ったもののきっと周りに聞かれたら嫌な話なのかもしれないと黙って従った。
校舎を出て、特別教室棟を通り過ぎて、見知らぬ森のような場所にどんどん近付いている。
しっかりと舗装されていた道が廃れた過去に舗装されていたと思われる古びた道に変わって、やっと名草はなにかおかしいと思った。

「フレッド、ちょっと待って。僕たちどこに向かって…」
「気安く名前を呼ぶな!」

ずっと前を早足で歩いていたフレッドが振り返って鬼のような形相にヒステリックな声で叫んだ。突然の大声に心臓がびくりと跳ねた。

「お前がいるせいでっ、僕は一位になれない…ッ」

まるで親の仇とでも言うように睨みつけて来るフレッド。今にも彼は自分に飛びかかって来そうだ。

「…そんなどうでもいいこと言うために僕をここへ連れて来たの?それは僕のせいじゃなくて、実力差じゃん。君がもっと勉強すればいいだけの話だし」

しかし突然怒鳴られ、理不尽に恨まれ、八つ当たりされたこの状況で名草も冷静に対応出来るわけもなく、火に油を注ぐのを分かっていながらフレッドを煽る発言を返してしまった。

「うるさいうるさいうるさい!いーからおまえのその両腕使い物にならなくしてやる!」

その言葉を合図に大木の影から二人の大柄の男たちが出て来た。そこで、名草はフレッドの目的を理解した。

フレッドは来週のテストで自分を抜く為にこんな卑怯な手を使ったのだ。腕がなければ魔法の基本の魔法陣も描けないし、杖だって持てない。

名草とフレッドはお互い男子の平均身長にギリギリ届かないくらいだ。体躯もその身長に見合ったくらいで、簡潔に言うと二人ともひょろっちい。
フレッド一人なら魔法も交えればなんとか撒いて逃げれただろう、しかし相手が大柄な男たちとなれば話が変わる。いくら魔法理学・実技ともに優秀な成績を収めていたとしても、冷静ではない頭ではそれらを応用するのは到底無理であったし、なにより魔法陣を描く時間すらない。名草と言えど詠唱のみの魔法の発動はまだ出来なかった。

「抵抗すんなよ、ちょっと腕を二本おるだけなんだからさ」
「ついでに頭がばかになる薬も用意して来たからさ、一緒に気持ち良くなろーよ」

男たちの言葉にゾッとした。背筋が凍るようだ。名草が所属するSクラスにはこんな柄の悪い男はいない。体格の大きさから見てもきっと先輩、しかもFクラスだろう。

早く逃げなければ。
頭では理解しているのに体が言うことを聞かない。

女のいない空間に集められた男たちの性の捌け口が同じ男に向かうというのを名草は聞いたことがある。
名草は美形が多いこの学園では埋もれてしまってはいるが、親衛隊がなくとも隠れファンが何人もいるような美人だ。ー本人は男に美人という言葉はおかしいとその褒め言葉を揶揄されていると受け取っているようだがー


大柄な男たちがだんだん距離を詰めて来る。
名草はなんとか重たい足を動かしてその場から逃げ出した。しかし、もちろんフレッドと周りの男たちがそのまま逃がしてくれる訳もなく、名草はあっさり捕まってしまった。

「おいおい、逃げんなよ」
「悪い子にはお仕置きしねーとな」

ゲラゲラと下品に笑う男たちに腕を掴まれ服を剥ぎ取られる。その後ろでフレッドが名草を見下すような笑みを浮かべてその行為を見守っていた。どうやら彼は名草の醜態を目に焼き付けたいらしい。

「はなせっ、触るな!気持ち悪い…ッ」
「あ?!んだとッ」

肌に直接触れる乱暴な手つきに、元々潔癖性なところがある名草は吐き気がした。
抵抗すると、相手の男は名草の頬を思い切り殴りつける。口内で鉄の味が広がった。

「うるせーよ」

それは一瞬だった。

一度殴られたからと怯むような柔な性格を名草はしていない。
さらに抵抗しようと身を捩らせたら、自分を拘束していた男が一人、あっさり離れた。

何が起きたのか、驚いてその方向に目をやると漆黒という言葉がピッタリの男がいた。黒髪の人種はこの世界では珍しい。名草も黒髪を持つ人種ではあるが、この男ほどは黒くなかった。宇宙のような、闇という言葉が相応しいと名草は思った。

そんな男が、たった今まで自分を拘束していた男を一瞬で伸している。

(まさか)

S寮の先輩に、絶対にそこへは行くなと言われた場所があった。
そこは奈落の王アバドンの縄張りで、行けば地獄を見ると先輩は言っていた。

そして今まさに名草はアバドンの縄張り…旧広場で地獄を見ていた。

自分を取り押さえていた二人の男はあっけなくアバドンの制裁によって地に伏した。

「ぐ、がァ…ッ」

胸ぐらを掴み上げられ呻き声を上げているのはフレッドである。その身長差から、フレッドの足は地に着いておらず、今にも窒息してしまいそうだ。
白目を剥いて口の端から涎を流すフレッドをアバドンはぽい、と地に投げるように胸ぐらを離すとこちらを振り返る。

名草はもうだめだ、と思った。
先ほどの比ではない恐怖に足は立ち竦み動けない。呼吸すらままならないほどである。

その長い足でこちらへ一歩一歩近づいてくる。その距離がゼロになった時、名草の心臓は一瞬止まった。
名草は思わずこれから来るだろう衝撃に備えて目をつぶる。


しかし、しばらくしてもなんの衝撃もない。
そっと目を開けるとそこには広大な森が広がるばかりで、後ろを振り返ると颯爽と歩いていくアバドンの背中が見えた。

名草はその場に崩れ落ちるように座り込んだ。

「アバドンに…たすけ、られた?」

そこでやっと名草は生き返った。
額にはじわりと冷や汗が滲んで、手は震えている。走っていた訳ではないのに心臓はバクバクとうるさかった。





「カーライル少将、第五師団から苦情と請求書が届きましたよ。訓練場を壊さないでくれと。ちなみに請求書の内訳は怪我した兵士たちの治療費代と薬代と壊れた訓練場の修理代です」
「うるせえ、無視しとけ。なにがシャルテール一の戦闘部隊だ、全員合わせても俺以下じゃねえか、笑わせるな」

師団長室のデスクへその長い御御足を乗せて副官であるナグサの報告を第二師団団長のソーは受ける。しかし嫌そうな態度を隠すことなく、処理する気もなく、というソーのそんな不遜な対応にナグサはついに爆発してしまった。

「笑わせないで欲しいのはあなたですよ!あなたがそうやって他の師団や市民の皆さんに迷惑を掛けるから!僕がいっつもその尻拭いをしてるんですよ?!僕はどれだけの人たちに謝り倒したらいいんですか!」

「僕は毎日毎日誰かに謝る為に家族と縁を切ってまで軍人になったんじゃないんです!強くなるために軍人になったんです!」

「暇つぶしに他の師団破りなんて、あなた一体何歳なんですか!書類整理とか、うちの兵の訓練とか、やることはいくらでもあるんですよ!」

ナグサの涙ながらの訴えに、同情してくれる者はいない。
上司であるソーは俺様で、人の話に聞く耳持たない。聞くとすればシノさんの言葉だけ。
少将至上主義のバカな第二師団の兵たちはソーに憧れて彼のやる事なす事全て尊敬している。
他の師団はうちの少将を忌み嫌ってるし、自分の同期たちは俺たち第二師団じゃなくてよかったなあ、と安心ばかりしている。


「おまえもうるせえ、出て行け」
「こんなところ今すぐにでも出て行きたいですけど!まずはお願いですから第二師団内はともかく他にまで迷惑をかけないでください!もし僕がいつか過労で倒れたらあなたを訴えてやりますからね!!」

十年前、ソーという存在と関わってから恐怖で夜も眠れない日があったが、今ではこうやって食ってかかれるほどにはソーとナグサの関係は近くなった。

フレッドに旧広場に呼び出された十年前のあの日から、ナグサは勉強だけではダメだと身を持って知った。魔法を使えない場面だってある、魔法だけに頼らない人間になろう。そう決めてルイス卒業後、軍に入隊した。
小さかった身長もそれなりに伸びたし、あまり目立たないが鍛えたおかげで筋肉もついた。

高学部三年の時、進路の選択を誤ったとは思わないし、満足だってしている。
だがしかし、あの時の自分は十年後の自分が謝罪だらけの日々を送るなんて考えてもみなかった。

全てはソーのせいだ。

「少将のこと!僕だって尊敬してますし、大好きなんですよ!」
「気持ち悪いからやめろ、早く出て行け」
「ほんと、たまには少将らしく、師団長らしく振る舞ってください!僕はあなたがなんでそんな大層な役職についてるのか分からなくなる時があります!」

そこまで言ったところで、ソーは立ち上がって師団長室を出て行った。

「どこ行くつもりですか!まだ話は終わってませんよ!」
「うるせえ、仕事にもどれ」
「少将!」

声を荒げたものの、大体彼の行く先には予想がついている。きっと第五師団の兵舎へ行くんだろう。そして彼はきっとそこでアバドンというあだ名に相応しい暴れっぷりを見せてくれるはずだ。第五師団がこれからもう二度と文句一つ言えないように。

しかし、ナグサはそんなやり方で解決したかった訳ではない。

「待ってください、少将!」

十年前のあの時は目で追うだけであった颯爽と荘厳な廊下を歩き抜けるその大きく逞しい背中を、ナグサは必死に追いかけた。




……

ソーにはたくさんあだ名があっていいですね(タルタロスとかアバドンとか)
ナグサは日本人設定でした。





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