フェンリルの夜
 

学園の裏側をずっと奥に行った先にある旧広場。そこは元々生徒たちの為の憩いの場として作られたものであったが、学園から旧広場までの道のりの遠さから、そこを訪れる生徒は年を追うごとに減っていき今では利用者がたった二人しかいない。

そのうちの一人がここをテリトリーとするソーだ。旧広場の利用者をさらに減らした張本人でもある。

冬が近づくにつれ旧広場の広大な森の木々たちが枝から葉を落とし、だんだん気温も下がり少し肌寒くなってきた頃、この日はそんな冬の訪れを感じつつも空はカラッと晴れて、風もなく過ごしやすい日であった。いつものように半日をいつの日かシノが魔法で育てた旧広場で一番大きな木に凭れて寝て過ごしたソー。

「…ソー」

そんなソーの元を訪れたのは雲ひとつない晴れた空とは正反対の表情を浮かべた、もう一人の旧広場の利用者、シノである。

落ち葉だらけの地面を歩きソーの元へ寄ってくるその足取りに覇気はない。

「…おれ、とうとうF落ちした…」

その言葉とともに、地面に膝から崩れ落ちたシノ。
ソーはその言葉に同情するでもなく、共に悲しむでもなく、木に預けていた背中を起こしてシノを優しく抱きしめた。その顔には快然たる表情が浮かべられている。

「へえ、よかったじゃねえか」
「よくないよっ。Fクラスって不良ばっかりなんでしょ?同室の人、怖い人だったら嫌だな…」

この日は金曜日で、先日行われた定期テストの結果発表の日だった。この土日の間に成績トップや最下位であった生徒は寮を移動する。シノは後者でB寮を出て、F寮に入寮せねばならなかった。

「じゃあ俺の部屋に来れば?」
「いいのっ?」

待ってましたと言わんばかりにソーの胸の中からパァッと顔をあげて笑顔になるシノ。
半年以上をS、A、Bと三つのクラスと三つの寮で過ごしてきたシノだが、親しい友人はいなかった。一人だけ、転入してきた自分に優しくしてくれる人がいたが気まずい離れ方をしてから、クラスも寮も変わってしまった今、彼とは全く関わりがない。

シノにとってソーはこの学園で唯一の友であり、そして好きな人だ。
出会いは半年前、シノが転入して一ヶ月経った頃だった。

今思えばあの時に一目惚れしていたのかもしれない。
ソーの悪い噂は出会う前からクラスメイトたちが話しているのを聞いて知っていた。
確かにその美しさと佇まいには同い年の男とは思えない迫力があったが、実際に喋っていると少し意地悪な一面も持ち合わせているが基本は優しく、いい人だった。元々シノは男を好きになるなんて性癖は持ち合わせてはいなかったがシノはすぐにソーを好きになった。

「ああ。俺は一人部屋だしな」
「ソーがいいなら俺、ソーと住みたい」
「嫌な訳ねぇだろ…」

抱き締めたままシノの頬にキスを落とすソー。
シノがソーを好きになった理由の一つに、このスキンシップの多さも含まれている。

本来、抱きしめたり、キスしたりという過度なスキンシップは恋人や愛する人にするものだと考えているシノにとって、ソーの行動の一つ一つがシノを悩ませていた。

男同士なのに、ルイスでは友人というのはこの距離が普通なのだろうか、ソーに触られるのは嫌じゃない、だけどどうしてソーはこんな事を、もっと触って欲しい、
それも全てソーのシノを振り向かせる作戦の一つに過ぎないのだが、シノはまんまとソーの思い通りになっている。

「今から俺の部屋来る?」

ソーがシノの耳元に甘い声で囁き、赤茶色の髪を梳くように撫でればシノはブンブンと首を縦に何度も振った。





氷の大精霊フェンリルを象ったアーチをくぐり抜け、少し歩いた先に寮内へ通ずる入り口がある。その入り口を挟むように左側にはフェンリルの、右側にはフェンリルに従えるとされるフラウの氷の像が置かれていた。フェンリルは巨大な魔狼の姿を、フラウは雪の乙女の姿をとっている。フェンリルとフラウの像は魔法がかけられており、氷で出来ているが溶けたり割れたりすることはない。
各寮はこのように精霊をモチーフにしたデザインで建設されていた。

そんな入り口を抜ければ入ってすぐに氷をイメージしたホールがあり、そこはソファなども置かれて談話室の役割も果たしていた。奥に大きな螺旋階段があり、その螺旋の中心に透明のガラスで出来たエレベーターが二つある。寮は六階建てで上階で暮らす三年などはそのエレベーターを使う事がほとんどだ。

ソーとシノはそれに乗り込み最上階の六階を目指す。エレベーター内は二人の他に同乗者はおらずソーはまたシノにスキンシップと言う名のちょっかいをかけていた。

「…ソー…な、んか、ちょっと…ちかく、ない?」
「んー?」

シノの小柄な体を胸の中に閉じ込めシノの腰を抱き留める。シノの耳朶を甘噛みしたり、息を吹きかけたり、その時点でシノはその行為が友人に対する行為ではない事に気付かなくてはいけないのだが、いかんせんシノには恋愛経験がなく、友人もいない。
ソーの行動の意味を測るものさしがなかったのだ。

しかし確実に言えるのはソーにそんな事をされても嫌だとは思わないということ。むしろもっとされたっていい。

口では抵抗を見せながらも体はほんの少し捩らせるくらいで抵抗らしい抵抗は見せない。
だが、二人が今いるのは外からも内部の様子が見えるガラスのエレベーター内である。
もし何処かの階で誰かがエレベーターの到着を待っていたら、二人の様子を見られてしまう事になる。

「ソー…やだ…もし見られたら、恥ずかしい…」

顔を真っ赤にしてそう言ったシノの言葉が、本音ではないということをソーは知っている。しかし二人は一応友人である。ソーはシノの嫌がることはしないとあっさりシノから離れた。それを名残惜しそうにして唇を噛みしめるシノが見れたソーはそれだけで満足だった。


「わぁ、広い…!」

最上階、六階の部屋はソーが住むこの部屋だけである。過去にFクラスに異例の生徒会役員がいたとかで、わざわざ彼の為の一人部屋が作られた。その彼が卒業してからは三年生の中の一番力が強い者がその部屋に住んでいたのだが、今年は例外だった。

2LDKの一人で住むには広過ぎるその部屋はソーの趣味で白を基調としたセンスのいい家具ばかりが置かれていた。

「うわー、寝室もお洒落だー」

さっそく、新しい自分の住処を探検するシノ。一番最初に入ったのは寝室だった。
白のシーツが敷かれたキングサイズのベッドはふかふかで、座ればマットの中のスプリングで少し体が跳ねた。
カーテンは明るいベージュで、窓からカーテン越しに月明かりが透けて部屋をほんの少し明るくしていた。

シノの隣に、ソーもベッドへ腰掛ける。

「気に入った?」
「うん!でも俺…どこで寝たらいい?」

まだ見てない他の部屋に、スペースがあるならそこで寝させてもらおう。シノの言葉は裏返せば自分がこれから寝る部屋へ案内して、という意味だったのだが。

「は?ここに決まってんだろ」

そう言ってソーはぱふぱふとベッドを叩く。
シノは別にソーの寝場所を奪いたい訳ではない。元々この部屋の主はソーなのだ。その主が新参の自分に部屋を譲るならば遠慮しなくてはいけない。

「え、じゃあソーはどこで寝るの」
「俺もここで寝る」

と、さっきと同じようにベッドを指すソー。

(俺も、ソーも、同じ、一つのベッドで、寝る?)

頭の中でゆっくりと整理する。そして想像する。

「…えぇっ、むりむりむりむり!」
「なんでだよ」

いくら恋愛経験がないとは言え、同じベッドで好きな人と眠るのだ。ただでさえ普段からそばにいるだけでドキドキするのに一晩、しかも同じベッドの中で平常で過ごせるはずがない。

「お、お、おれ、床とか、でいいからっ」
「なに、俺と一緒の布団入るの嫌なわけ?」
「そっ、そういう訳じゃないんだけど…っ」

むしろシノからしてみればそれはご褒美である。しかし、前述したとおりソーと同じベッドの中で眠るのはシノの身が持たないのだ。
ソーはシノの事をただの友人としてしか見ていない、だからこんな誘いをしてくれる。人の気持ちを知らずに。

「……泣くほど嫌?」
「…っソーは…知らないからぁ…ぐすっ」

考えれば考えるほど、うまく言葉を吐き出せなくて大粒の涙がぽろぽろ溢れる。

自分は涙が溢れるくらいソーの事が好きなのに、こんな形で迷惑だってかけたくないのに、ソーはこんな自分に優しく触れて、温かい言葉をかけてくれる。
だが、それは全て友達だからだ。

ルイスの環境が殆どの生徒たちを同性を好きにしかなれない性癖に育てていたとしても、ソーもそうだとは限らないし、仮にそうだったとして彼のような美形が自分のようなかっこいいとはお世辞にも言えない、身長も低い落ちこぼれを好きになるとは到底思えない。
つまりこの恋が実ることはないのだ。

「俺が何を知らないって?」

溢れてくる涙を拭うために大きな手のひらでシノの頬を包んで、親指でそれを拭う。そのままシノを後ろへ押し倒しベッドへ優しく寝かせて甘い声で囁いた。

「…それは…」

言えない、言えるわけがない。
自分がソーを好きだなんて、言えば友達としての関係すらもなくなってしまうかもしれない。


「じゃあ、俺が代わりに言っていい?………シノ、好きだ」


一瞬、自分の耳を疑った。
息も涙も、時も止まったように思えた。

目の前のソーが、まっすぐに自分を見つめて真剣な表情を浮かべている。

「俺は、シノを愛してる。それは友達としての意味じゃない」

友達としてじゃなかったらなんだって言うんだ。まさか、ソーが自分と同じ気持ちだなんて。
シノの頭の中はぐるぐると考え過ぎてパニック状態だ。

「う、うそ…ソーが俺のこと…好きになるはずない…」
「信じられないなら、信じるまでキスする」

ソーはシノの頬を両手で包んだまま、唇を少し涙で濡れたシノの唇と重ね合わせた。
初めは優しく唇で唇を包むだけのキス、次第に舌が侵入してきて、口の中を探るように舐めまわされる。シノは現状に理性が追いつかずソーにされるがままだった。

今まで、頬に額にとソーからキスを受けたことはあれど唇は初めてだった。
ソーの熱い舌がシノの口の中を蹂躙する。
息も絶え絶えでシノにはソーの肩口をぎゅっと掴むことしかできなかった。

「は、……信じた?」

やっと唇を離したのはそれから数分後で、余裕のあるソーに対してシノはさっきとはまた違う種類の涙を目尻に浮かべながら、荒い息を吐いてうっとりしていた。

「はぁっ、は…、は、まだ…信じれないから、もっと…きすして?」

その夜、無自覚にソーを誘惑したシノがキスだけで済まなかったのは言うまでもない。


つづく





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