はじめて会った日
 

その日、ソーは真面目に授業を受けるでもなく、寮に引きこもるでもなく、学園の裏にある今は廃れた広場近くの大木に登って昼寝をしていた。

昼寝と言っても既に空はオレンジ色に染まりつつあり、春とは言え少し肌寒くなってきた為ソーはそろそろ寮に帰るかと大木に預けていた背を起こし下に降りる…。

「偉大なる緑の大地よ、我に力を貸したまえ!」

…降りようとした時、誰かが下で詠唱している事に気づく。
この旧広場には中心部に水の噴かない所々に苔が生えヒビのはいった石造りの噴水とその噴水を取り囲むように育つ大木の森がある。その森の南東に木々に飲まれた舗装されていたと思われる道があり、その道は校舎に続いている。

こんな辺鄙な場所にやって来る者はこの学園にはまずいない。
何故ならソーが中学部から上がると共にFクラスをまとめていたトップの三年をこの旧広場で半殺しにしてからここをナワバリにしているという噂が学園には流れているからだ。

なので、あながち嘘ではないその噂を信じ、ソーを恐れてナワバリである旧広場に訪れる者はこの学園にはいないはずなのだ。

きっと、噂を知らずに魔法実技の練習場所を探してここまで来たんだろう。
ソーは下で何度も何度も詠唱を繰り返している人間を半殺しにしようと決めて、今度こそ下へ降りた。

そこにいたのは赤毛が混じった茶髪の小柄な少年。中学部…いや、小学部か?いずれにせよ手加減はしない。ポキポキと拳を鳴らしながらその少年に近づく。

こちらに気づかず必死に詠唱を繰り返している少年の目線の先には一つの植木鉢。
ソーが少年との距離をかなり縮めても未だ気づかない。

そんな少年がふと顔を上げた。
植木鉢に視線を注いでいてよく見えなかった顔が、見える。

見えた瞬間、ソーの中で雷が落ちた。
一瞬時が止まり、風はやみ、木々のざわめきすら聞こえない。
まさに二人だけの世界にいる、という錯覚に陥った。

まさか、自分はまだ夢の中にいて、この少年は実は夢魔で、自分のことを誘惑しに来たのではないか。

その少年は飛び抜けて美しい訳でも美少女のような可憐さを持ち合わせていた訳でもなかった。可もなく不可もなく、強いて言えば瞳は大きめかもしれない、そんな平凡な少年だった。
しかし、そんな馬鹿らしいことを考えてしまう程、目の前の少年はソーの心を掴んで離さなかった。

自分は他人という存在が嫌いで嫌いで仕方がないはずだ。
それなのに自分は今、目の前の少年の名を知りたくて、触れたくて、どうしようもない気持ちに襲われている。

ソーがグルグルとそんなことを考えている間に、人の気配にやっと気づいたのか、少年はこちらに視線をやる。

ああ、こんな近くに人がいて驚いただろう。
自分の胸ぐらいの高さの少年は赤茶色のアーモンド型の瞳を大きく見開かせている。

「…闇の精霊?」

少年の声は、ほんの少し男にしては高めの声だった。

自分の容姿が優れているのはソーは自覚していた。
耳にかかる程度の長さのツヤのある黒髪に、宇宙を連想させるような瞳は視線だけで人を殺せると言われる程鋭い。高く通った鼻に厚めの唇、美形が多いこのルイス学園の中でも群を抜いている。

だがしかし、そんな人間離れした容姿を持ち合わせてはいるがソーは紛れもなく人間だ。

ソーはそっと少年の頬を壊れ物を扱うかのように撫で、形のいい唇を少年の耳に近付け色気のあるその低い声でそっと囁く。

「…人間だ」

少年の顔はボッと一瞬でりんごより赤く染まる。
ソーの声は、声だけで人を孕ませられると評価されることがしばしばあった。



「来週の魔法実技のテストで、この植木鉢の中の種を発芽させなくちゃいけないんです」
「へえ…それでここで練習してたのか」
「はい。でも難しくて…」

ちょっと休憩、と二人は大木の根元に座って沈んでいく夕日を眺めながら話す。
二人の前には茶色い土しか見えない植木鉢。

「詠唱だけで魔法が発動しなかった時は、精霊に力を借りるんだ」
「精霊に…?」
「お願いすれば、精霊は力を貸してくれる」

ソーは少年の耳元に再度唇を寄せこう囁く。
気持ちを込めて、精霊にどうして欲しいか言ってみろ。

たったそれだけのアドバイスなのに、この男が言うとなんだかいやらしく聞こえて、そしてそう感じてしまう自分が嫌だと少年はなんだかやましい気持ちになる。体の奥からムズムズしてきて、心臓が激しく脈打つのだ。

「きっとシルフは喜んで手伝うだろうな」

シルフとは森を育むとされる風のように自由で人好きな精霊だ。
彼らは目には見えないが今もこの旧広場の広大な大木の森の中で遊んでいるのだろう。

「精霊シルフ…どうか俺に力を貸して、この芽を芽生えさせてください」

少年はソーのアドバイス通りに唱える。

すると植木鉢の中の種はほんの少し間を置いてから、ポンッとあっさりと芽を出した。

「…すごいっ、すごい!さっきは何度詠唱しても出来なかったのに!」

その様子に思わず立ち上がってはしゃぐ少年。
しかし、植木鉢の芽の成長はそれだけにとどまらなかった。

スクスクと芽は身長を伸ばし、茎を太らせ異常なスピードで成長していく。
少年の身長を超えたあたりで小さな木となり植木鉢は割れ根っこをだんだんと広げ伸ばし、スクスクどころかメキメキグングンと大きくなっていく。しまいには大木だらけの旧広場の中で、一番大きい木へと成長した。

きっとこんな大木が育つには五百年以上の時間が必要なはずだ。

「うわぁ…精霊シルフ!ありがとう!」

少年は瞳を輝かせどこにいるかも分からない精霊に心から嬉しそうに感謝の言葉を述べる。
するとそれに答えるかのように一陣の風が吹いた。

ソーは驚いていた。
いくら精霊の手助けがあったとは言え、種からここまで大木に成長させるなんて。

「先輩!ありがとうございます!」

少年に手を掴まれハッとした。自分の手よりふた回りは小さい両の手のひらで自分の手を掴んでブンブンと降る。握手のつもりなのだろうか。
少年は興奮して跳ねていた。本当に嬉しそうだ。


「俺はシノと言います。先月ルイスに編入してきました」

辺りはすっかり夜が訪れ薄暗くなっていた。
二人は成長した大樹に登って、太い枝に腰かけていた。その枝は人が二人も乗っているというのに全く揺らがないほどに逞しい。

少年の名前はシノと言うのか。
そしてピンときた。そう言えば学園は今年の春から1S…一年のSクラスに編入生がきたという話題で一時期持ちきりだった。

ソーも今年高学部に入ってきた新入生だ。
自分の事を先輩だと勘違いしている目の前の少年、シノがその話題の人物なのだろう。
その編入生は膨大な魔力を保持していると聞いた。自分たちが今座っている大樹がここまで成長できたのも頷ける。

人間の体に魔力が流れているように、精霊も魔力を保持している。
人間の場合、詠唱や魔法陣を媒体にしてその魔力を放出する。対して精霊の体は肉ではなく強い魔力の塊からなっている為、魔力を放出する時に媒体はいらない。魔力の塊である精霊が魔力を放出…つまり、魔法を使えば精霊の身は小さくなったり、しばらく動けなくなったりする。文字通り身を削って魔力を消耗するのだ。
人間は媒体を介する為その分体力の消耗や疲労は少ないと言える。

魔法を使うたびに身を削っていては半永久的に不老不死の精霊と言えど、身が持たない。
だから彼らは人間と契約して人間の魔力を使う。

ソーがシノにアドバイスした精霊へのお願いは一種の契約なのだ。
人間が精霊に「お願い」して、魔法の発動をサポート、もしくは強力なものにしてもらう。
精霊は人間の魔力を材料にその魔法の発動を補助するのだ。
精霊側にメリットはないと思われるが、今回シノがお願いした精霊は人好きのシルフ。快く「お願い」を聞いてくれたようだ。

そして、その人間側が提供する魔力が大きければ大きいほど魔法の発動効果が大きくなるのは当然のこと。

てっきり、膨大な魔力保持者の編入生はその魔力量に釣り合った体格をしていると思っていた。
それが、同い年とは思えない程にか弱そうで小さな体。

同じ男だが、庇護欲を掻き立てられる。

そっとサラサラの赤茶色の髪に指を通し撫でる。

「…せんぱい?」
「…俺もお前と同じ高学部の一年だ、敬語はやめてくれ」

目の前の少年、シノは少しフリーズしてから自分の話が信じられないのか嘘だ!嘘だ!と顔を真っ赤にして連呼し始めた。

ソーは感情豊かな目の前の存在を自分のそばにあり続けるよう愛すると決めた。

彼の名前は知った。
次は自分の名前を教えなくては。





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