好きな理由
 

とある男は考えた。
己の魂は一体どこにあるのだろうと。
自己、物心、意識、それらは一体我が肉体のどこに宿っているのだろうと。

きっとこれらの疑問はこの世のほぼ全ての人間が一度は思うことだろう。そして解決のしようの無いこの疑問は頭の隅に追いやられ、月日とともに忘れられていくことがほとんどだろう。

しかし男は違った。
少年、青年時代ずっとその疑問を胸に抱えた彼は三十を過ぎても嫁も迎えず、ロクに働きもせず、ついには放蕩の旅に出た。しかし旅をした所でその疑問の答えが見つかる訳もなく、男は昼でも夜のような、巨大な森で遭難した。

「大丈夫かい」

ふと男が目を覚ますとこちらを覗き込む紫の瞳の男と目が合う。触ればふわふわそうだと印象を与える濡れ羽色の髪は好き放題はねており、ぽってりとした厚みのある赤い唇はうるっとしていて吸い付いてしまいたい。少しぺちゃっとした鼻は愛くるしく、男は名前も知らぬ目の前の男の事が一目で好きになった。

「おまえが森で倒れていたから拾ってやったんだ。これを飲むといい。体にいいよ」

男は礼を言い、目の前の男に感謝する。…しかし、手渡されたそれは人が口にするような色、匂いをしていなかった。その飲み物を少し怪訝そうな目で見つめてから、男はせっかく好意で用意してくれたのだから、と覚悟を決めて飲む。味の方はお察しの通り、不味かったようでたった一口飲んだだけで喉が焼け手足が少し痺れた。男はそれ以上飲むことはやめた。

「さて、飲んだな。おまえにはしばらく僕の仕事を手伝ってもらうぞ」
「もちろんだ、助けてもらった礼をしなくては」

紫の瞳をした男は、その小さな背に籠を背負って早速行こうかと、男を連れ出した。



痺れる手足に鞭を打ち外に出ると、男が最後に意識を失った時よりもさらに濃い深い闇のような森が広がっていた。至る所から爪で金属を引っ掻いたような音や断末魔の叫び、背筋がゾッとするような音が聞こえてくる。それらを気にもせずに紫の瞳の男は右手に人の頭蓋骨を模したランタンを持つと、目玉の部分から杖を挿し一言唱えて、そこに灯をともした。

「…遅れたが、あんたの名はなんと言うんだ?」
「僕かい?僕の名はサフラン。この世界で1番優秀な魔術師さ」
「サフランというのか。俺の名は…」
「ああ、名乗らなくて構わないよ。おまえの名前に興味はないからね」
「…そうか」

そんな暗い森を慣れた足取りでシャカシャカと短い足をよく動かし進むサフラン。深くフードをかぶり横顔さえ伺えない。
道中、彼は後ろの男に振り向くことなく、男の問いかけにも冷めた返事をしながら、たまに怪しげなキノコや小さな獣、蛙や蜥蜴、魚など捕ってひたすら進んだ。時には背が低いサフランの為に男は高い位置にいた見たこともないどす黒い鳥や悍ましい蝙蝠なんかも捕ってやった。

しかし、どこまで歩いてもこの真っ暗な森は一切の光を通さない。時間もかなり経っただろう。

「サフランは、ずっとここに住んでいるのか?」
「ああ、そうだよ」
「今にも俺たちを飲み込みそうなこの森が、サフランは恐ろしくないのか?」
「いーや、全くさ。おまえは怖いのか?」

そう言ってケラケラと口の端に鋭く尖った犬歯を見せ、紫の瞳をきゅっと細めて笑うサフラン。決して無邪気とは言えない、愛らしくもない、人を馬鹿にしたようなその笑みに、男は心臓がぎゅっとなった。

こんな深い闇の森、人間の住むところではない。
きっと、ここは魔族の住処だ。道中、恐らく遭難して息絶えたであろう人の白骨や、獣が食い散らかされた亡骸などがいくつもあった。

(サフランはこんな悍ましいところでたった1人で住んでいるのか)

男は自分の前を歩く小さな背中を見つめてふと思った。一生かけて守りたい。彼と幸せに暮らしていきたいと。

同じ男相手にこんなことを思うのはおかしいのかもしれない。しかし男はそれでも、と強く思ったとき 手足の痺れが全身に酷く大きく回った。男は思わず膝をつきその場で身動きがとれなくなる。

異変に気付いたサフランが、この日やっと男のために振り向いた。

「ああ、やっと毒が効いたようだね」

ひひ、と笑うサフランを男は何が起きているのか理解できない様子で見つめる。しかし冷静に考えればずっと続いていた麻痺と突然起こった強烈な、先ほどと同じ種類の痛みの麻痺、そしてサフランのその発言。心当たりは一つ。

「さっきの飲み物が…」
「そうさ。あれは僕が作ったオリジナルの毒薬なんだ。おまえは全部飲んでくれなかったね、あのとき飲み干してくれていたら君は今頃輪廻の輪をくぐっていたさ」

まあ、おかげで他に欲しかった材料を集めることもできたよ、とサフランはまた犬歯を見せて笑う。こんな状況だが、男はそれでもその笑顔に見惚れた。そして同時に下半身に熱が集まっていくのを感じる。

「まあ、いちばん欲しかったのはおまえなんだけれどね。…おや」

おかしいな、媚薬は仕込んだ覚えはないんだけれど。とまた笑うサフランはその場で男の肩を蹴飛ばし倒す。地面は湿って泥濘んでおり、勢い余って後ろに倒れた為、男に不快感を与えるが体が麻痺してしまっている為どうすることもできない。
サフランは泥濘を気にすることなく体の自由がきかない男の衣服をよいしょよいしょと脱がせにかかった。

いきり勃つそれを前にサフランは臆するでもなく、頬を赤らめるでもなく、ぽってりとした下唇を赤い舌でいやらしくなぞって、男のそれを片手で掴んだ。

「ニンゲンの男は死に際、子孫を残そうとして生殖本能が働くって聞いたよ。おまえが今こうなっているのはその為かい?それとも僕に欲情でもしているのかい?」

サフランの決して大きくはない手、その指が回りきらない大きさの陰茎をゆっくりと上下に動かす。死を直前にした異様な空気、己のどんどん高まる欲情、男の中のサフランを愛したい欲が増す。

しかし男はさっきのサフランの言葉に自分の死期が近いと悟った。証拠にサフランは、男のそれを掴む手とは反対に持っていた頭蓋骨のランタンを地に置くとその空いた手に杖を取り、男の陰茎から陰嚢をぐるりと一周する形でなぞる。

「ここは魔の森。人は生きて帰れない。
なぜなら僕の召喚の儀の生贄になるからさ」

男が最期に見たのは、紫の瞳の男の、この日見た中で一番美しくひどく残酷な笑顔だった。

ぶぢんっーーー男の命はそこで途切れた。
その場に残ったサフランの手には男の陰茎と陰嚢。とくになんら感傷に浸ることなくサフランはこれまで捕った獲物と同じように背中の籠にそれらをぽいっと投げ入れると、平和な魔の森のさらに深い深い奥へと足を向けた。



人の魂、自己、物心、意識、それらは人体の一体どこに宿るのか、
長年の疑問は解決されぬまま、男はこの世のものではなくなった。



「ヨレマウヨクゾマ…ヨレマウヨクゾマ…」

木造の薄暗く、狭苦しい、明かりの少ないその小屋の中心で直径一メートルほどの魔法陣を床に描き、ぶつぶつと呟きながら材料を魔法陣の中に放り投げ入れる。

サフランにとって十二度目の召喚の儀。
この召喚で生まれたのが後の魔王、バロックである。

魔法陣の中心から、目の前のこちらに注目している紫の瞳の男に目を向けるバロック。

この時、ふわふわそうな濡れ羽色の髪、思わず吸い付きたくなるようなぽってりとした厚い唇。愛くるしい少しぺちゃっとした鼻をもつサフランに一目惚れしたのも。
男にしては少し高めのハスキーなその声で名前を与え呼んでくれたことに強い喜びを覚えたのも。
自分に自らのローブをかけ与えてくれたその姿に愛おしさを感じともに生きていきたいと願ったのも。
目の前の男を今にも押し倒し無茶苦茶に抱いてその余裕の表情を打ち消してやりたい衝動に駆られるのも。

その感情は一体どこから来ているというのだろうか。





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