弱肉強食
 

耳が割れると錯覚するほどの爆音に乗って揉みくちゃになりながら踊る若者を目に悪い色とりどりのネオンの照明が明るく照らし、煙草や香水、酒の匂いが充満する五感の全てを刺激してくるこの空間は卯崎(うさき)にとって慣れた場所だった。

【クラブ・ディザイア】
そこは一夜の愛を求める大人たちの溜まり場である。
しかし卯崎は未成年で大人ではなかった。全寮制の学園に通うしがない高校二年生だ。見た目も一見地味で目立たないタイプ。スクールカーストに当てはめるとすれば下位にいる方だ。

そんな卯崎がなぜ不釣合いなクラブにいるのかと言えば、卯崎も他の客と同じ。出会いを求めているからである。ダンスフロアでDJの選曲に合わせて踊らずに、飲酒はダメな事だと承知した上でフロアより少し離れたバーで注文したカクテルをチビチビ飲む。卯崎がそうするのはそうしているだけでここなら声をかけてもらえるから。

まずは目、それから頭の先から足元までジロジロと見定めする視線を受けるのも、ここでは嫌ではなかった。

「なに飲んでんの?」

それに、学校では地味だ根暗だと同級生らに揶揄される卯崎だがここならそんなことを言ってくるのはあまりいない。ブラウンに染めた同じくカクテルを片手に卯崎に声をかけるのは見た感じ軽そうな男。

「カンパリオレンジだよ」
「へえ、甘そうなの飲んでるね」
「うん、苦味もちょっとあるけど甘いよ。…確かめてみる?」

初対面とは思えないほど、ぐいぐいと卯崎のパーソナルスペースに踏み込んでくる。満員電車や観光地の人混みなんかではきっと不快にしか感じないこの他人との距離もここなら思わない。初対面の相手に踏み込まれれば踏み込まれるほど卯崎は心地よかった。煽るように指で自分の唇を撫でれば男はそうさせてもらおうかなと口を近づけてくる。

今夜の相手はこの人でいいかな、
卯崎はそっと目を伏せながら思案した。

卯崎はオメガである。まさに今、卯崎にはヒートサイクルが訪れたところで今日がその長い一週間の始まりだった。

一口に「人」と言っても白人だのアジア人だの、強気な性格や引っ込み思案な性格。いろんな容姿・性格の人間がいるわけで。それは「性」に対しても同じことが言えた。アルファやオメガ、ベータがいて、その中で優劣というか、「個人差」というものがあった。卯崎はオメガが日常的に発しているとされるフェロモンの量が尋常じゃないくらい少ない。
一般的にオメガはヒートサイクルでなくとも普段から微量のフェロモンを流しているが卯崎はそれがほぼ全くと言っていいほど無かった。ヒートサイクルがきてやっと平均を少々下回るフェロモンを流せるくらいだ。

しかしそれに反比例してか、オメガの衝動だけは人よりも二倍三倍強かった。

フェロモンを流してアルファやベータを寄せ付けるということがほぼできない体なのに、性欲だけは一端にあるというなんとも不便な体。さらに加えて、強い性欲の持ち主だからか抑制薬なんて今まで効いた事もなかった。だから卯崎は薬で抑えられないのならと開き直って三ヶ月に一度、こうして強い強い疼きを【ディザイア】に来て鎮めるのだ。


持っていたカクテルグラスを近くのテーブルに置いて茶髪の男と唇を合わせる。腰を抱かれるから、卯崎も手を男の肩に置いて身を委ねる。名前もなにもしらない出会ってから1分しか経っていない男とキスをする。その事実も卯崎にとっては快感の一つだった。

「お客様、失礼ですがこちらへ」

しかしそんな卯崎に水を差す者がいた。突然後ろから服を少し乱暴に引っ張られ、無理やり茶髪の男と切り離される。二人して咄嗟の出来事に対応できず、えっ?となっている間に屈強そうな目つきの悪いガードマン二人を連れたボーイが卯崎を引っ張ってどこかへ連れて行く。

卯崎はとろんとした目つきで、ボーイの背を見つめながら残った少しの理性で考えた。どこへ連れて行かれるんだろう、未成年だってばれたかな、追い出されるかな、えっちしたかったなあ、と。

卯崎の心配は外れ、連れて行かれたのは個室のvip席だった。中へどうぞと促され入ると中には男が一人いた。艶のある黒髪をワックスで盛ってぎらぎらとした獲物を狙う猛禽類のような目をした男だ。人並みな感想だが卯崎はドラマや映画に出て来そうな男前、美形だなと思った。

しかし本能に支配されつつある中で、卯崎はこの男に見覚えがあるとふと気づいた。

「ふうき、いんちょ?」
「卯崎だな?…駄目だろう。こんなところへ来ちゃ」

そう言うあなたこそ、と卯崎はぼんやり思った。しかし他にも何故、学年も違う風紀委員長が地味で根暗の校則違反を犯したこともない平凡な俺のことを知っているのか、ましてやここは学園外、こんな偶然があるのだろうか?口ぶりからして俺がここにいるのを分かっててわざわざボーイまで使って呼んだのか、とたくさんの疑問も同時に浮かんできたが、卯崎はそれらを全部声にすることはしなかった。そんな疑問すら全てどうでもよくなる程、卯崎は今、オメガの衝動に苛まれ目の前の男が欲しくて仕方がない。

「あ、あの、俺っ…か、かえ、ります」

卯崎がわざわざ全寮制の学園を一週間の休暇届けを出して抜け出したのは精を求めるこの体を慰めるためだ。男子校内で相手を見繕わなかったのは、自分を知っている人間…平凡だ地味だと馬鹿にしてくる人間らに噂されたくなかったから。
風紀委員長になにか下手なこと口走った瞬間、学園生活が終わる。卯崎はそちらの方が怖かった。

必死に本能に逆らって震えた声を出す。
しかし体までは逆らえずその場から動けない。

「蛇に睨まれた蛙じゃないんだからそんなに怖がらなくていい。…俺が相手をしよう。辛いんだろう?」

風紀委員長こと鷲波(わしなみ)は学園で真面目で礼儀を重んじる、統率力に優れ風紀委員会に所属する人間をはじめ一般生徒からも慕われる人間だ。

だからまさか、そんな男がそんなことを口にするとはと卯崎は驚いた。しかし【ディザイア】はそういう場所だ。ここは学園と違う。鷲波がそう言うのなら甘えてもいいのでは?この人なら平凡だ地味だと馬鹿にしないんじゃ?それに鷲波はアルファだ。学園で生徒会と並ぶ二大権力の風紀委員会を統べるアルファ、そんな強いアルファに抱かれるのはオメガとして素晴らしいことなんじゃ?
卯崎の脳内でそう本能が悪魔の囁きのように語りかけた。

「ほ、ほんとうに…なぐさめてくれます、か?」
「ああ。たっぷりと」

疼く体が待ってましたと言わんばかりに個室の入り口からソファに腰掛ける鷲波の元へ駆ける。鷲波の太ももに乗り上げて両肩から腕を回し形のいい厚い唇に卯崎は引き寄せられるように吸い付いた。
それに薄ら笑みを浮かべて応じる鷲波の瞳はやはりギラギラと鋭く光って、頸の一点だけを見つめていた。

蛇をも獲物にする鷲は、一度狙った獲物はなにがあろうと逃さない強い執着心をもつ。
かよわい兎は決して逃げられない。





>>萌えたらぽちっと<<



 

modoru