ロータスyi
 

「アル・ニール様、料理人のダンが相談したいことがあるようで」

ハーディにそう声をかけられ、珍しい来客だなと執務のため手に持っていた羽ペンをアル・ニールはすぐ手元に置いた。
おそるおそるとハーディに誘導され執務室に入室してきたアル・ニールよりいくつか年上のダンに視線をうつす。
コック帽を丁寧に手に持つダンは緊張からか、熊みたいに大きな体を縮こませて少し居心地悪そうな様子だ。

「そう緊張するな。どうしたんだ?楽に話してくれて構わない」
「は、はい。ありがとうございます。…その、奥様のことで少し相談があるのですが」
「リエンのことで?」

料理人のダンがリエンのことで相談したい事。アル・ニールには全く心当たりがなくハーディと共に瞳をぱちくりさせてダンの言葉の続きを待った。

「はい…。最近、奥様が食事をあまりお食べにならないんです。何を出してもどうも一口二口で残されてしまってまして。
元々あまり食べられないのは承知してふつうよりだいぶと少なめにお出ししてるんですが、前まではそれでしっかりと完食してくれたんです。それが最近、残されてるんで心配になりまして」

ぽりぽりとどうしたらいいもんかと頭をひねって言葉を選びながら語るダン。

「知らず知らずのうちになにか嫌いな料理や苦手な食材をお出ししていたら申し訳なくてですね。俺から聞いても奥様は食べられないことを謝られるだけで。頼みにくいお願いではあるんですが、なぜ食べられないのかと、あと好き嫌いを聞いてもらえないでしょうか」




その日の夜、夕食の時間。アル・ニールは久しぶりにリエンと食事を共にする。近頃アル・ニールは王様から贔屓されていると妬んだ筆頭貴族とその一派の貴族らによって、嫌がらせレベルの仕事をいくつも回されており、その対応に追われたせいでリエンと寝食を共にする時間がほとんどなかった。

こうしてロングテーブルの端と端で向かい合って顔を合わせて食事をするのは随分久しぶりのことだ。アル・ニールは昼間ダンに相談されたことを意識してリエンの食事を観察していた。

「リエン、夕食の味はどうだ? 」
「はいっ。どれも美味しくてほっぺが落ちそうです」
「それはよかった。ダンも喜ぶだろう」

ふむ、味は問題なさそうだとアル・ニールは脳内にメモする。食事のスピードも決して早いとは言えないがゆっくり自分のペースで食べているようだ、も付け加えた。

リエンがアル・ニールの屋敷に来る前は日に一度、食事にありつけたらいい方だと言っていた。ここで暮らすようになってからはそんなひもじい思いをさせることは全く無かったがリエンの体は前の生活に既に順応していたらしい。少量や質素な食事に合わせて胃袋が小さくなった。その為、量を食べることは叶わず、屋敷に来たてのときは食事を日に何度も分けて食べさせていた。

リエンがこの屋敷に来て三度目の冬だ。そろそろ食事にも慣れて来た頃だろうと予想していた先にダンからの相談を受けアル・ニールは少し気が気でない。

「…リエン、生活に不満はないか?なにか食欲を失ってしまうような悩みでもあるのか?」

まどろっこしい探りに先に根を上げたのはアル・ニールだった。リエンの食事風景からはダンの言っていた異変は見受けられず単刀直入にリエンに問うた。

「…?悩み?ですか?不満なんて私には全くありません」
「しかし、今日はよく食べているようだがダンが最近、リエンが食事をあまり食べないと嘆いていた。なにか原因があるんじゃないのか?」
「そう言われましても…。本当に不満はないんです。こんな良い暮らしをさせて頂いて、そんなことある訳ありません。…食事を残してしまうのはその…最近、少し体の具合がおかしいみたいで、最後まで食べ切るのが苦しいのです。ダンさんには本当に申し訳ないことをしていると承知なのですが…」
「ああ、責めている訳じゃないから謝らなくて良い。…しかし、体調が優れないのは心配だ。明日朝一にでもオリバーを呼ぼう」

オリバーとはチェレブリテ家が贔屓にしている老人の街医者だ。今はアル・ニールの領地内で唯一の医院の院長をしている人物だが、昔は王族専属の城医者を経験していたほどの腕の持ち主である。申し訳なさそうにありがとうございますと頭を下げるリエンにアル・ニールは物足りなさを感じつつも微笑んだ。

以前までのリエンならなにかについて先に口から飛び出すのは謝罪の言葉だった。ネガティブ思考で元々奴隷身分であったことがルーツなのだろうが行きすぎた謙遜や遠慮にアル・ニールが気を悪くしたのも一度や二度ではない。
最近はそれも滅法減ったのだがまだまだリエンには存分に甘えて我儘を言ってもらいたいとアル・ニールは思っている。リエンには傲慢を10ほど足してやればやっと人並みの謙遜をする様になるんじゃないかとも。

「…でも、今日は久しぶりにアル・ニール様とお食事が出来て私…とても嬉しくて。いつもよりたくさん食べている気がします」

そう言って儚げに笑うリエンの愛らしいこと愛おしいこと。
丸二ヶ月ぶりの食事ではあるがリエンに普段とおかしいなんら変わった様子はなくダンの杞憂だったのではとアル・ニールは推測する。朝一番にオリバーに診てもらって体調を整えればまたいつものリエンに元どおりだ。

「いっぱいお食べ。私もやっと仕事が落ち着いたからしばらくはリエンとゆっくり過ごすことにしよう」
「はいっ、ーーっっう、っぇ、っぐっ」

アル・ニールがそう思ったのも束の間、明るい声で返事したと思ったらその瞬間、酷い吐き気がリエンを襲う。込み上げるそれを無理やり手で抑え込んでテーブルマナー構わずリエンは隣接する洗面室に大慌てでドタドタと駆け込んだ。

「リエン!」

咄嗟の出来事にアル・ニールも慌ててその後を追いかけ洗面に向かって嘔吐するリエンの背をさする。

「ーう、ぇ、ぉえ、っ、ご、ごめんなさ…うぇっ」
「良い。気にするな。今すぐオリバーを呼ぶから後少し我慢してくれ」




吐き気と嘔吐に苦しむリエンをハーディに預けアル・ニールは街まで馬を走らせた。屋敷内で誰より早く走れるのはアル・ニールである。こう言った事態になるのは初めてのことで、アル・ニールはリエンが心配でたまらない。側につきっきりでいてやりたいのはやまやまだが、苦しむリエンを前になにも出来ない自分も嫌だとハーディや使用人達の制止を振り切り飛び出したのだ。



それから一刻、そうやって飛び出してオリバーの都合も無視して半ば老体を誘拐するが如くオリバーを領主自ら迎えに上がったアル・ニールは自分の屋敷にまた急いで舞い戻った。


「吐き気と嘔吐はいつから?…ほう、体温も高いな…。他になにか体に異変は感じるかい」

老人らしい白髪の髪と灰色混じりの髭を蓄えた医者、オリバーがアル・ニールとリエンの寝室のベッドで上体だけを起こして座るリエンを診察する。
夜中に突然現れ呼び出したのにも関わらずオリバーの診察は丁寧で優しかった。

アル・ニールがオリバーを連れて戻って来た頃にはリエンの吐き気は止んだらしく、寝室でハーディに付き添われながら休んでいた。
それからリエンはオリバーにいくつか質問され、脈をとって貰い聴診器を当てられた。

「ふむ…」
「オリバー、リエンはなにか病気なのか?」

一つ息を吐いて考えるオリバーのまわりをおろおろと心配でたまらず右往左往するアル・ニールのその一面に領主貴族の威厳は無く、それにつられてリエンも不安そうにおどおどするばかりだ。

「いんや。違うよ」
「ほ、本当ですか。…よかった、アル・ニール様のお側にいられなくなったらどうしようかと…」
「リエン、そのようなことは想像でも心配でも言わないでくれ。お前はずっと私のそばにいるんだから…。しかし、病気でないなら先ほどの症状は一体何なんだ?」

オリバーの言葉に安心して一刻走り通しだったアル・ニールはやっと一息ついてリエンのそばに腰を下ろした。同時にリエンの腰を片手で抱き、空いた片手でか細い色白の手をとり繋ぐ。

「悪阻だよ、悪阻。妊娠してから二ヶ月と言ったところだろう。もうしばらくは吐き気や嘔吐に悩むだろうが、しばしの辛抱だ」

その時、寝室の空気が固まった。リエンの事となると感情の起伏は激しくなるが普段は至って冷静沈着なアル・ニールも、多少のことでは動揺しないハーディも、オリバーの診断結果を直に受けたリエンも耳を疑った。

「に、にんしん…」
「そうだよ。おめでとう」
「じゃ、じゃあ今、私のこのお腹にはアル・ニール様のお子がいるんですか…」
「いんや、アル・ニール様だけの子じゃない。アル・ニール様と奥様の子だよ」

感慨深くはぁとうっとりした息を吐いてリエンは自分の腹を撫でた。
しかしアル・ニールはまだ信じられずにいた。リエンのこの小さな腹に自分の子がいるなど、実感が湧かない。

「あ、アル・ニールさま…っ」

つう、とリエンの頬を一筋の涙が濡らした。それは次第に涙の通り道となって玉のような涙の雫をぽろぽろと通す。

「リエン、なぜ泣く。泣かないでくれ」

やっと身籠れたと道具としての役目を果たすことができると安堵して涙するのではない。いつかの、自らをアル・ニールの子を孕むためだけの道具だと思い込んでいたリエンはもういない。

そこにいるのはアル・ニールを愛し、愛されていることを自覚しているリエンだ。その腹にアル・ニールとの愛の結晶が詰まっているとオリバーは言う。

「嬉しくて…っ、幸せで、どうしたらいいのか分からないのです…っ」

泣きながら心から本当に幸せそうに笑うリエンをアル・ニールは抱き締め、ハーディとオリバーは二人の様子を見守る。

「いつも通り、私のそばで変わらず笑っていてくれ。お前も生まれてくる子も、このアル・ニールがもっと幸せにすると誓おう」
「っはい…っ」

いつもならハーディ様の前で、だの人前で触れ合うのは、だのと遠慮するリエンだがこの日は自分を抱きしめる優しい腕と、普段よりさらに逞しく感じる胸板に全身を預けた。

次に冬がやってくる頃にはチェレブリテ家に新しい家族が増えるだろうとオリバーは皺だらけの顔をさらに笑みで深くしわしわにしてそう言った。






……

妊娠 発覚編です。
出産編、子育て編もそのうち書いていきたいです。





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