色は思案の他
 

(絶対に俺はお前のことなんて愛さない。お前の子供だって産むものか)

日本庭園を彷彿とさせるような昔ながらの家屋をリノベーションした三つ星の高級日本料理店。丁寧に切り揃えられた青々と生い茂る草木に、清々しい程の雲ひとつない晴天、赤色の枯山水と、景色が堪能できるこの店一番のいい部屋で榁 唄司(むろ はいじ)は、黒髪に切れ長の瞳の、武士のようなオーラを纏った稀代の美青年、栗花落 汐世(つゆり しおせ)を前に心を固くした。

「なにか、俺の顔についているか?」
「…いいえ、なにも」

(いけない、睨みすぎた)

あまりの眼力に視線を感じた汐世は唄司に問いかけるも、唄司は愛想笑いを顔面に貼り付けて淑やかに振る舞いそれをかわした。それに汐世はそうかと何事もなかったかのように無愛想に返すだけ。

(…気取った奴。いけ好かない)

その返事、仕草すら気にくわない唄司は、どれだけ神に愛されたのだろうか、恵みに恵まれた汐世をこの世界の誰よりも嫌っていた。

「ーーそれでは顔合わせはこれくらいにして、あとはお若い者同士で仲良くやってもらいましょうか」
「そうですね。それじゃあ私どもはこの辺で」

しかしこの場は栗花落と榁の両家の顔合わせの席である。栗花落の人間と榁の人間が結婚をする、なので設けられた食事会だ。

「では汐世さん、うちの唄司をどうぞよろしくお願いします」
「いえ…こちらこそ」

そう、その人間とは唄司と汐世の事だった。2人は男同士だがアルファ性とオメガ性でもある。2人の親たち…いや、特に唄司の親たちは唄司と汐世に番になって欲しかったのだ。

(なにがよろしくだ。俺と同い年のやつなんかに媚びて。こんな結婚くそくらえだ)

ーーこの通り、顔にはにこにこと愛想笑いを浮かべつつも唄司の心はこんな状態だ。2人が愛し合ってこの場が設けられたのでは無いことがよく分かるだろう。

この結婚は政略結婚だ。
衰退した剣道の家元の榁家を立て直すための。お家の衰退、資金難に後継者問題にと道場経営が唄司の親の代で途端に厳しくなった。何代も続く由緒正しい榁家はもともと唄司の祖父の世代からじわじわ苦しくなっていたのだが、とうとうこの日、正式に榁は栗花落家に魂を売ったのだ。一人息子の唄司を差し出して。

(高校も卒業してない息子まで売って、家を守りたいかね)

現在、榁流を統率する師範、すなわち唄司の父の事だが唄司以外に子はいない。そして兄弟もいないため榁の跡取り候補は唄司しかいなかった。血筋を重んじる家だから榁が抱えるたくさんの弟子たちから跡取りを選ぶわけもなく。しかしその跡取りの唄司は第二次性徴検査でオメガだと診断された。

武道を学び統べる者が性的弱者など話にならない。
唄司の父はそんな偏った考えの持ち主だった。その考えに物心つく前からずっとそばにあった剣道、それに費やした今までの時間、努力を潰された唄司。榁の役立たずだと否定されたようで悲しむより前に怒りばかりが込み上げた。

「…散歩でもしながら話さないか?」
「……はい。喜んで」

これだけではこの結婚に栗花落家側のメリットが無いように思えるが、先に書いた通り唄司はオメガで汐世はアルファだ。アルファとオメガの間に生まれる子の性は高い確率でアルファになる。栗花落はこれからの栗花落繁栄のためにアルファの血筋を途絶えさせたくなかったのだ。オメガの唄司ととくに優れたアルファの汐世の子どもが欲しいのである。

2人きりになってしばらく、食後の甘味も食べた後、先に出た親たちの後を追うように店を後にした唄司と汐世は行く当てなくのんびりと特に会話も弾む事なく並んで歩いた。

そりゃあ唄司も親に怒っているとはいえ、榁をこのまま終わらせたくないという気持ちは同じである。
榁にはたくさんの門下生がいる。その中には榁流派を学びたいとやってきた人も多い。そんな人達を裏切りたくはない。

自分1人が我慢すればそれで済むならと何度も自分に言い聞かせ我慢しようとしたが、しかしそれでも心というのはそう簡単に割り切れるものではなかった。

「……その、君からしてみればこの結婚はあまりに横暴で理不尽なものだと思う。だけど、俺はーー」
「…いいえ。俺にはなんの不満もないですよ。むしろ栗花落さんみたいな方と夫婦になることができるんですから、俺は恵まれてます」
「……そうか」

大柄な男が自分に気を使ってそんな風に声をかけてきても唄司はどこか他人事のように社交辞令、お世辞の露とも思っていない返事する。ある意味実感が湧いてないのかもしれない。ヒートが来ればこの男に抱かれて、頸を曝け出し、精を体内に受け止めて子を身籠もる。そんな覚悟も実感も唄司にはないのだ。


「…あ、」

顔面に無を貼り付け白けた風な表情の唄司と隣の男を気にする汐世。声をあげたのは唄司の方だった。

前方から見覚えのあるシルエットが人を連れてこちらへ歩いてくるのが見えたのだ。向こうはこちらに気づいていないようで唄司に会いに来たわけでもなさそうだ。ほんとうにただの偶然、はたまた運命か。

(あなたには、合わせる顔がないよ…至さん)

もう一つ、唄司には結婚を嫌がる1番の大きな理由があった。

ーー彼には好きな人がいたのだ。
榁の流派で剣道を学ぶ二つ年上のアルファの至(いたる)。小さい時から一緒に汗と涙を流して育った至と唄司は幼馴染のような関係で、年上の至に憧れ尊敬するうち唄司は恋慕の思いを募らせるようになっていったのだ。

そんな彼と偶然にもよりにもよって今日の顔合わせという日に道端で会う日が来るとは。
唄司が至を見間違うわけがない。スラリと伸びた身長にブラウンの控えめに染められた髪は間違いなく至だった。隣の連れとどうやら会話が盛り上がっているらしく驚きで思わず立ち止まってしまった唄司には気づいていない。

「ーーでさあ、俺が小さい時から通ってる剣道道場が栗花落流に吸収されるんだよ。まじでありえねー」

しかもその盛り上がっていた会話の話題はどうやら栗花落と榁の事だった。榁流派の人間は皆ふたりが番になることを知っている。その思惑も。なので彼らの怒りは当然だと唄司は思う。だからこそ合わせる顔がなくすれ違いざま聞こえてくる会話に申し訳ない不甲斐ない気持ちでいっぱいになったまま地面をただ見つめることしかできなかった。

しかし、続いて聞こえてきた言葉たちを唄司は聞き流すことはできなかった。

「跡取り…つってもただの師範の息子なんだけど。こいつがまたすげえ剣道下手くそなワケ。でもオメガだっつーから、こいつと俺が番になれば榁は俺のもんになるじゃん、って今までめっちゃそいつに優しくして愛想振りまいて媚売ったきたのね。なのに今回の吸収の話だぜ?俺の努力無駄にしてんじゃねーっつーの」
「はは、言い過ぎだろ」
「いや、まじだって。あいつ絶対俺のこと好きだったって。あーあ、こんなことなら一回くらい抱いときゃよかったな。オメガって珍しいし」
「おまえ最低かよ」

笑い飛ばしながら交わされるその会話に唄司の怒りは一瞬で沸点に到達した。何も知らない汐世をほっぽってすれ違ったばかりの至の後を助走をつけて追いかけ後ろから背中を力いっぱい押し倒した。

「ふざけんな!!死ねクソ野郎!!!」

突然の事に対応できなかった至はうつ伏せの状態で唄司に馬乗りになって乗りかかられそのまま後頭部、背中、肩、首後ろ、腰を好き勝手思い切り殴られ続けた。至の連れも何事?といった風で混乱した様子の為その暴行を止めるのに時間がかかった。

「ってぇ!…え?!は、っ?!」
「どいつもこいつも人の事バカにして…!!オメガの何が悪いんだよ!オメガだと家継いじゃいけないのかよ!剣道して悪いのかよ!」

たった今の今まで至に対して持っていた申し訳ないという気持ちは怒りに変わり、恋心はその怒りをさらに増長させる毒となった。栗花落との婚姻を上手く進めるために被っていた猫など既に逃げ出し汐世に構わず興奮して涙も流しながら、至の連れに羽交い締めにされ止められても至に暴行を加える手は止まらなかった。

「自分の人生なのに好きな人と結婚できないし、竹刀振っただけで嫌な顔されるし…!こんな俺が、あんたのこと好きになって悪かったな!今この瞬間から嫌いだよ!まじで死ね!!」

親には榁が生き残る為の道具として利用され、好きな人にはこんな形で裏切られた。唄司の怒りは底知れず至の友人が至から唄司を離し至がその場から罰悪そうに走って逃げるまで罵声を怒りのまま浴びせる。

まだまだ文句は言い足りないし怒りは収まらないがその対象が逃げたことでそれをぶつける相手はいなくなった。

はーはーと息を荒げる唄司と、何も出来なかった汐世がひろい道のど真ん中に残された。

「は、唄司くん…」
「まじでムカつく!…ハー…ハー…」

目の前で起きた光景に引き気味で唄司の名を呼んだのは汐世だ。難しい顔をして怒りの覚めぬ唄司の背中を後ろから見つめていた。

「……取り乱して、すみません。俺…」
「…いや、俺も。婚約者の君がひどい陰口を叩かれ侮辱されていたというのに何も出来ないで…。すまない」

なぜ汐世が謝るのか。とたんに、汐世の言葉にスッと目が覚めたように怒る気持ちが消えた唄司はそっと後ろを振り向いた。

眉間に皺を寄せて物悲しげな目で唄司を見つめる汐世と目が合う。そしてサーっと頭が冷えていった。

(俺…!なんてことを)

いくら嫌いな人間とはいえ曲がりなりにも婚約者の汐世の前で、好きでもない人と自分の意思ではなく結婚させられる、そんな旨を吐き出してしまった。

「あ、お、俺…!」
「……さっきの続き。…俺は、家同士が決めた婚姻とはいえ、君と夫婦になれるのが嬉しいんだ」
「…えっ?!」

ふつうなら唄司の言動に汐世が怒ってこの縁談が破談になっていてもおかしくないのに、予想外の展開に唄司は目を丸くして汐世の言葉を聞く。

「…実は、前から試合なんかを見ていて君のことは知っていた。試合こそいい成績を残すようなものではなかったが、初めて見たときはなんて美しい姿勢なんだと釘付けになったよ。フォームだけじゃなくて剣道に向ける誠意とか、そんなものが伝わってきた。それに…君はとても綺麗だし…その、俺は君に憧れていて、ーーーそして…君が、好きだ」
「え、はっ?…えっ?!」
「だから俺は今回の話、天から贈られた奇跡なんだと思った。…君に話しかけるなんて、一生無理だと思っていた俺への」

天に愛されに愛された男が、剣道で優れているわけでもない唄司を高嶺の花かのように語るその口ぶりに唄司は困惑するばかりだった。

「だけど、君からしてみればこの婚姻は気持ちの伴わないただの政略結婚だ。それでも俺はこのチャンスを逃したくはない。……必ず、後悔はさせない。君に惚れてもらえるように努力も惜しまない。…俺と、結婚して…番になってくれないだろうか」

知り合って半日のー本当はもっと前からだがー、この世の誰よりも神に愛された男に正真正銘のプロポーズを受ける唄司。

混乱、困惑、パニック、狼狽、当惑…今の唄司にはそんな感情がいくつもあった。しかしこの、心の底でざわざわと燻っているような、この感覚はなんなのだろうか。

「…今、見たでしょう。俺はこんな、性格だし。汐世さんが思うようなそんなイイ人間じゃない。籍を入れて番にはなっても心までは明渡せるか分からないし、あなたも無理して俺を…愛さなくていい」
「……なら、もっと愛さなくていいって顔してくれないか」
「…は?」
「ほら、泣いてる。俺には悲しくて泣いてるようには見えない」

汐世の宥めるような優しい声と頬に添えられた大きな手の、その人差し指で涙袋を撫でられてから、唄司は自分が泣いているのだと悟った。その表情は汐世の言う通り、悲しくて泣いているのでも悔しくて泣いているようでもなく、垂れ下がった眉尻に微かに上がる口角。

「駄目元の玉砕覚悟だったが…、可能性がゼロということはなさそうだ」

至近距離で微笑む美形に唄司の心は見透かされているようだった。

「……ほんとうは、オメガじゃ家を継ぐのは現実的じゃないことは分かってます。ヒートだってあるし、世間でもオメガの地位が低い世の中なのに、俺が継いでも榁の名を貶めるだけだ。…でも、だからって俺にはオメガ性であることしか残ってないみたいに、まわりに言われるのは我慢ならない」

唄司のオメガ性を利用して政略結婚させる親、自分の野望の為の道具としか思ってくれていなかった至。その姿が唄司の脳裏に浮かぶ。

「榁唄司のことを、誰も見ていてはくれてなかった。ーー…でも、あなたなら、と、ほんの少し。微かに。…そう思っただけだ」
「十分だよ」

男臭く笑った汐世。汐世にとってそのほんの少し、微かなそれが大きな大きな希望だった。しかしそれはオメガということでしか存在価値をつけられなかった唄司にとっても同じ、榁唄司を見てもらえると希望である。


ーー涙を拭った唄司の、プロポーズの返事は決まった。




……

創作ではありますがシネとか書いてすみません。
剣道も家元〜も知識ゼロで書きました。なんとなくの雰囲気が伝わればくらいです。お許しください。





>>萌えたらぽちっと<<



 

modoru