天邪鬼たち2
 

「あっ!しまった…っ」

朝、洗面の前で鏡に映るのは寝起きのショックを受けた俺の顔だった。

「コンタクト…っ、ない…」

カレンダーの今日の日付のところには赤いバツが書かれている。これは紛れもなく俺が書いたもので、コンタクトの寿命を記していた。しかも不運なことに新しいコンタクトは注文のし忘れでストックが一つもない。

(サイアクだ…、学校行きたくない…)

咄嗟にズル休みしようかという頭になるがそれはすぐに掻き消された。
今日は生徒会が仕切る全校集会があるし、最近仕事をサボりがちな他のメンバーよりも段取りを俺は把握している。休むわけにはいかなかった。

先に言っておくと、俺は非常に目が悪い。コンタクトも眼鏡もないと、20センチ先もまともに見えない。
テーブルの上に畳んで置かれた憎きアイツ。それをかけてまた人前に立つ日が来るとは…、朝から俺はブルーだった。


「ねえねえっ、茅屋様見て?!」
「見た!いつもと雰囲気ちがう!」
「家長みたいな眼鏡かけてるな」
「ちょっと!あんな猿と一緒にしないで!」

HR前に行われる朝イチの全校集会。講堂の舞台に上がってズラリと並ぶのは生徒会と一部の先生のみ。少し離れた距離からでも聞こえてくる生徒らの声に俺は俯きたくても、高校デビューを果たした少しチャラくてかっこいい“俺”はそんな自信のない素ぶりなど見せないと見栄のような意地のようなソレが邪魔をして俯けなかった。

集会の司会進行は俺だから、必然的に舞台下を見下ろして発信するのに多くの生徒らの目に止まる。
サイアクだ早く終われと心の中で思いながら視線のやり場を探していると、講堂脇で待機している風紀委員会…その中の令堂とばっちり目が合ってしまった。にやりと意地悪く笑う姿に過去の俺をひどく揶揄っていたあの頃を彷彿させる。

(さ、い、あ、く、だ!)




ひんひんと内心泣きながらなんとか今朝の集会を終えた。よく頑張ったよ俺。
みんなの好奇の視線と令堂の玩具を待てされた子どもみたいなソワソワしてる、俺への視線の針に刺されながら。ほんと頑張ったよ。

自意識過剰じゃなければ矢敷会長を筆頭に横に並ぶ副会長や書記にも見られてた気がする…。俺なんかが家長とお揃いの眼鏡かけててすみませんねえ。なんて皮肉は宙に浮くことはなかった。


「茅屋…その眼鏡、」

そして案の定、集会が終わり生徒たちがはけるまで講堂を出られない俺たちは壇上でみんなが講堂を出て行くのを見届ける。その時に矢敷会長が声をかけてきた。内容はもちろん俺の眼鏡について。恥ずかしい穴があったら入りたい。

「あ、これー?コンタクト注文するの忘れちゃってたんだよねえ。あはは、ほんと俺ドジだなあ!瓶底眼鏡は家長くんも掛けてたし、流行ってんのかなって!ほら俺トレンドは全部取り入れたい派だから〜」

なんて、恥ずかしさを隠したいあまり、会長の言葉を遮って余計なことまで言って言い訳した。余計恥ずかしい。でもお願いだからこれ以上触れないでほしい見ないでほしい。

「…そうか」

その思いは伝わったのか、会長は口元に手を添えてなにか考えている素ぶりを見せるもそれ以上聞かないでくれた。会長のそーいう優しさが好きだ。

この気まずい空気を誤魔化すのにみんないこいこと副会長や書記の背中を押して講堂を出て行く生徒らの後を追う。家長の真似ですか?とか、…めがね、珍しい。とか、声かけてくる2人の相手をしたせいでいつのまにか消えた会長に俺はすぐ気付けなかった。





ーーさて、視点は変わって生徒会の一団から1人抜けた会長の矢敷。
彼は先程まで一緒にいた同じ生徒会の仲間である茅屋にある人物を重ねていた。

(全く似ても似つかないのに…、いや、やっぱり似てるか…?)

今日の茅屋は珍しいことに眼鏡をかけていた。それなりに今期の生徒会はみんな楽しく雑談する程度に仲はいいと思っていた矢敷。だが茅屋からこれまでに目が悪いという話は今まで聞いたことがなく、眼鏡を掛けていたことにいろいろショックのような、衝撃のようなそれらを受けていた。

しかし一番衝撃だったのは当然その眼鏡のフレームで、矢敷はそれに見覚えがあった。
小顔で色白な茅屋の顔の半分を覆い隠すような大きな丸縁の、厚みある黒いフレームの眼鏡。最近矢敷が後輩として可愛がっている家長もそんな感じの眼鏡を掛けていたが、家長を見てもこんな気持ちにはならなかった。

(茅屋が?…そんな、まさか)

2年前、矢敷が高校一年生だった時。
自分より一つ年下であろう、受験生の装いの男子生徒を助けたことがある。広い校舎に迷った挙句、提出する願書まで落として書類をぶちまけていたところちょうど通りかかった矢敷が助けたのだった。

受験生?頑張って。君と来年会えるのを楽しみにしてる。そう言えばそんなことを矢敷は彼に言った。その彼こそ今現在、茅屋と重ねている人物であり矢敷の気になる人であった。

ありがとうございます、絶対ここ入ります。彼は未来の先輩という存在に緊張し吃りながらもそう返事した。ボサボサの頭に、眼鏡のせいで隠れた瞳、自信なさげな猫背ではあったが、その時だけは陽射しの悪戯か、レンズの奥のぱちりとした瞳と目が合って、厚い唇が綺麗な弧を描いた瞬間、矢敷は彼に心奪われてしまったのだ。

「俺の探していたあの子は…茅屋だった…?」

矢敷は2年に上がってすぐ新一年生の教室を片っ端から見て探し回ったが、彼らしい人物を見つけることはできなかった。
よくよく考えるとこの学園は外部受験生からしてみれば狭き狭き門だ。もしかすると受験をパスできなかったのかもしれない。こんな事ならあの時名前1つでも聞けばよかったと矢敷は酷く後悔したのを覚えている。

しかしそんな矢敷に救いの手が差し伸べられたがごとく、つい最近現れた家長はあの時の彼にそっくりだった。だがそれは見た目だけで、よく話すようになると家長はあの時の彼ではないことを矢敷はすぐに悟った。

家長があの時の彼だとすると、家長はまるで矢敷を覚えていないし、喋り方と声も全く違った。現実を受け入れられずに盲目になるほど矢敷も馬鹿ではなかった。

そして去年の外部入学生はスポーツ特待生を除いては茅屋だけだった。見た目などいくらでも変われる。なにより矢敷はあの時、当時の茅屋の素顔を見てはいない。
茅屋があの時の彼だとすると辻褄が合うのだ。あとは矢敷がこの違和感を認めるだけ。


「気づくのおせーって」
「!令堂か…驚かせるな」

拳をぎゅっと握り、本人に直接確かめよう。そう思った矢先に後ろから話しかけられた。

「やはり…茅屋があの子なのか」
「だったらなんだ?勝手にあいつの影を家長に重ねて散々仕事をあいつだけに押し付けたオマエが今更あいつに何言う気だよ」
「…っ」

令堂の言葉は最もだった。
一昨年、外部入学生として入ってきた令堂は矢敷と同室でわりとすぐに打ち解けた。そして受験生だった茅屋を助けたあの日、柄にもなく矢敷は令堂にそのことを語ったのだ。所謂恋バナのような感覚で。

矢敷は好きこそはっきり言わなかったが、令堂はそうなのだろうなと感じていた。そして矢敷から聞いたその子の特徴に思わず自分まで舞い上がったのを覚えている。まさかとは思ったが、本当にそのまさかでそれから数ヶ月後、茅屋は高校デビューを果たしてこの学園にやって来たのだ。

外見が180度ガラリと変わった茅屋に気付いたのは矢敷ではなく、令堂だ。

「…まずは、謝りたい」
「当たり前だろ、ちゃんと副会長と書記も引っ張ってきて謝らせろよ」
「そうだな、そうする。…もし許してもらえれば、茅屋と仲良くなりたい」
「許してもらえればな」

きっと矢敷の事なら茅屋は許すだろう。そもそも彼は矢敷に怒ってすらいないのだから。令堂は内心でため息を吐いた。

あの茅屋の眼鏡の姿を見た瞬間、令堂は昔を思い出して懐かしい気分になった。

よくあの眼鏡を奪って、プルプル泣く茅屋をからかっていた。好きな子ほど虐めたいなんてあまりにも幼稚で、無理な話だが出来ることなら茅屋には忘れて欲しい出来事だ。

そしてそれと同時に、聡い矢敷が茅屋に気付かないはずがないとも思った。それは案の定だった。

茅屋が矢敷を好きなことは茅屋が入学してしばらく、令堂と茅屋がカウントした日からそんなに日を経たずして気付いた。自分が茅屋を見る目と、茅屋が矢敷を見る目が同じだったから。

「…まじ気に食わねー」
「…なにがだ」
「うっせー、ほっとけ」

誰もいない生徒会室で声を押し殺して泣く茅屋を抱きしめたあの日、自分が一番茅屋を好きなのに、守るのに、と矢敷に令堂は嫉妬した。
しかし、自分は茅屋のコンプレックスを作り出した張本人で嫌われている。そして矢敷は茅屋の好きな人だ。今回こそ道を間違え過ちを犯したがそれを正せる人間であることを令堂は知っている。

ならばやる事は1つだろう。
2人の仲を応援すること。それが令堂にできる最大の茅屋の為になる事だった。

「…アイツ、泣き虫なんだ。すぐ泣く。泣かしたら俺が許さねえぞ」
「努力する。…ありがとう、令堂」


これで、これでいいのだ。
小走りで茅屋たちの後を追う矢敷を令堂はその場に立ち尽くして見送った。





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