待人来るべし
 

(いーち、にーい、さーん、しーい、…)

俺は待つということがどれほど寂しいことか身をもって痛いというほど知っている。

「花田(はなだ)も一緒に帰ろー!」
「遊ぶぞー」
「ウチら今からカラオケ行くんだあ」
「いや、俺常盤(ときわ)と一緒に…っ」
「いーじゃんいーじゃん、ちょっと付き合ってよっ。ほんのちょっと待たせたって常盤は怒んないよ!」

ーーうん、確かに。俺は花田には怒らないかも。

放課後の教室。違うクラスの人気者として有名な花田を迎えに来た俺は、勝手に彼ら彼女らの話を盗み聞きしてしまい、花田が解放されるのはきっと今日も遅いんだろうなあ、と教室前の廊下で両膝抱え込んでしゃがみこんでた。

(だいじょーぶ、だいじょーぶ、いくらでも待つよ、俺は)

約束したもんね。一緒に帰ろってね。

俺と花田の関係を表すなら、ヒーローと市民Aだ。花田はついこないだ笑って、何だそれ、俺ら親友だろ、と言ってくれたけど。あいつはそーゆーところも俺にとってはヒーローなんだということも未だに理解してくれない。どんなけ、俺が花田に救われてきたか。


ありがちな話。
ギャンブル好きの父さんと男好きの母さんの間に生まれて、毎日毎日3人で住んでたボロアパートは怒鳴り声やヒステリックな悲鳴、何かが壊れる音や壊す音が響いていた。親の喧嘩ひとつ止められない無力な子供だった俺はいつもいつも部屋を飛び出して玄関の扉に背中預けて中が落ち着くまで外で待ってた。

(きゅうじゅうはち、きゅうじゅうきゅ、ひゃく…)

もう何度目の“ひゃく”かも分からない。けど次の“ひゃく”が来るまでには2人の喧嘩が終わって、母さんが「なにしてんの。はやくはいんなさい」って。扉を、開けて迎え入れてくれる。父さんが「寒かっただろう」って言って抱きしめてくれる。そんな希望を持たずにはいられなかった。

ほら、見て…あの子また…
ほんと、あそこの親はだめね…カワイソウに…
あの家の子と遊んじゃだめよ。ロクな家じゃないんだから…

現実は容赦なく幼かった俺を惨めにさせる。しゃがみこんだ膝の上で両手を組んで、その中に顔を突っ込んだ。

「ふっ…うぅ、うぇ」

溢れる涙はボタボタ地面を濡らす。また1から数えればいい。少し泣いて落ち着いたら今度はゆっくり数えよう。そう思った時だった。

「ときわじゃん!こんなとこでなにしてんの!」
「ひっく、ふぇ…は、はなだ?」

ちょうど日暮れの時間、顔を上げた俺を見下ろしていたのは夕焼けを背負った、当時はクラスメイトだった花田だった。

その時は寂し過ぎたのか、花田の質問に馬鹿正直に全部答えた。
花田も花田で俺を哀れんだのか、その日は外が真っ暗になるまで公園で遊んだ。家に帰る頃には2人の喧嘩はとっくに収まって母さんの作った晩ご飯を食べた。

そんな時間の過ごし方はまだまだ短い人生の中で1番の衝撃で、数を数えてただただ時が流れるのを待つ俺には到底考えもつかない楽しい時間だった。

それからはほぼ毎日、俺と花田は一緒に過ごすようになって、俺がアパートの前で待ちぼうけてるといつも迎えにきてくれて、たまには花田の家へ遊びに行ったりして。紛れもなく花田は俺に待つことは苦ではない。待っている時間はいくらでも楽しい時間に変えられるんだと教えてくれたヒーローだった。

ーーだから、俺は花田には絶対怒らないよ。いくらでも待つよ。

だって俺今、花田と帰れるって思ったらそれだけで楽しいんだもん。

しかし時は残酷である。
小学校を卒業して中学に上がり色気付いてきた女の子たち。彼女たちはみんなかっこよくて人当たりいい花田を好きになった。そりゃあ年頃の男だし、花田も何人かの女の子と付き合ってたけど、その間だけはいくら待っても一緒に帰ったり遊ぶなんてことは出来なかった。

『俺、やっぱ常盤といる方が楽しいわー』

でもね?ほら、やっぱり待ってるといい事、あるんだよ。
俺のヒーローはどこまでもヒーローだった。

そんな感じで、見た目陰気な俺は人気者の花田のひっつき虫として女子たちに恨まれながら、花田と連みたがってた男子たちに嫉妬されながら、高校も勉強を精いっぱい頑張って一緒のところにきた。

コウコウセイになってもオトナになっても遊ぼうね、帰ろうね。約束とは言ったもののもう4、5年は前の子供の口約束の話だけど、こんなのでもずっと守ってくれるあたり花田はやっぱりヒーロー以外の何物でもない。

ぴろりん、そんな俺の元に一通のメッセージが届いた。

『ごめんトッキー!まじお願いなんだけど今日のシフト変わって!!』

「…ありゃりゃ」

ーーいくらでも待てなくなっちゃったな


高校生になる前、家族がバラバラになった。父さんは賭博場で負けた腹いせに店の物壊したり店員やら客やらに危害加えたとかで今は塀の中。母さんは男作ってしょっちゅう部屋に連れ込んでる。
家を家とはっきり思えない俺はあんまり帰りたくなくて、貧乏なこともあって奨学金とかナントカ補助金とかに助けてもらいながらバイトをいくつも掛け持ちしてとりあえず生きてる。

「てかさあ、花田に常盤って似合わなくね!」
「忠犬ハチ公並み!あいつずっと花田のこと待ってんの」
「ウチもそう思うー!キャラ全然違うじゃん、常盤も常盤で空気読んだらいーのにー…あ」

い、ー、で、す、よ、とメッセージに返信中、教室から出てきた花田と、その取り巻きグループに見つかった。ばちり、とバツ悪そうな花田と目が合う。

ーーやだな、花田にそんな顔して欲しくないな

分かってるよ。花田は俺だけのヒーローじゃないってこと。

俺はその場から立ち上がり花田の元へ近寄った。

「ごめん!俺から帰ろって誘ったのに、今日バイト入っちゃった!だから一緒に帰れなくなって。ほんとごめん!でもちょーどよかったっ。遊びに誘われてたカンジだよな?花田も連れて行ってもらえよ!じゃ、俺先帰るから!バイバイ!」

息継ぎをする間もないくらい。俺はそう言って花田の顔をまともに見ることも出来ずにそのまま急いで学校を出た。

後ろから女の子たちの悲鳴に近い喜ぶ声がする。そりゃあ嬉しいでしょう。舞い上がるでしょう。俺もそうだよ。花田と遊べたらそうなる。

(だいじょーぶ、だいじょーぶ。だいじょーぶ、だいじょーぶ…)

数を数えられなくなったら、また数えられるように。
不安で落ち着かなくなったら、一回リセットするために。
だからだいじょーぶ。それも花田が教えてくれた魔法の言葉だった。





「常盤くん上がっていーよー」
「スイマセン、お先失礼しまーす」

繁華街に店を構えるチェーンの居酒屋バイトはかなり時給がいい。その分忙しくて22時を回っても上がれない日がほとんどだ。今日もそんな感じで、ボロアパートに着くのは23時を回る直前だった。

働いてる時は数を数えなくても、花田と一緒にいなくても、忙しく時が流れてくれるから嫌いじゃない。

明日は早朝から朝遅刻ギリギリまでコンビニバイトで、夕方は今日よりももう少し入るのが遅い居酒屋シフト。

朝は一緒に花田と学校に行けないけど夕方なら一緒に帰れるかも、
そいえば高校に上がってからはあんまり花田と居れることが少なくなったなあ、
そんなことを考えていたからかもしれない。

「…はなだ?」

俺はとうとうヒーローの幻覚を見た。
ボロアパートの前にいつかの俺みたく、扉に背を預けてスクールバッグを投げやりに地面に転がして、大きな足の山の間に組んだ両手を乗せて顔を埋めている花田がいた。

その花田が俺の声に顔をあげて、ぱあと、大輪が咲いたみたいな笑顔になった。

「常盤!よかった、帰ってきた!」
「え、は、え?な、なん」
「ふっはどもりすぎ!あ〜もうマジ心細かった、俺待つの向いてねえよ、あ〜さみしかったあ」

俺は慌てて花田に駆け寄り、花田は花田でなんだかいつもより饒舌になっていた。

「花田っ、いつから待ってたの?!手めっちゃ冷たい…。連絡してくれればいいのに、ウワ、俺ほんとごめん。待たせてごめんね、でもなんで?ここにいるの?…寂しかったよな、ごめんな」
「お前がバイト行って、クラスメイトたち断ってスグここ来た。ホントはバイト先に押しかけたかったけど、どのバイト行ったか分かんねーし、スマホは充電切れてたし。来た理由は文句を言いにきたから!…今日、一緒に帰ろって言ってたべ」

思わず花田の手を取り自分の温もりを少しでも分けるようにぎゅっと握る。冬直前とは言え外に何時間も1人なんて心細くて、寂しくて、寒いのなんて当然だ。その気持ちを1番よく知るものとしてそんな目に花田を合わせたことに申し訳なくなった。

「…ごめんね、ほんと。花田、アイツらに誘われてたみたいだし、俺もシフト変わってって頼まれたから…」
「なにそれ、じゃあ常盤と一緒に帰んの楽しみにしてたん俺だけ?…もーいい。帰るわ」
「え、花田?!」

怒りが止まないのは当然、花田は俺の手を振り払うとバッグを拾ってそのままザッザッと地面を蹴りながら行ってしまう。その背中があまりにも寂しそうで…いや、寂しいのは自分だった。俺が花田にまだ帰って欲しくないと思ったから、

「ま、待って!花田!」
「うん、なに?」

引き止める声は拍子抜けなほどアッサリ聞き入れられた。

「えっ、あ、いや…あの、……お、俺だって、花田と一緒に帰りたかったよ。珍しく今日はどのバイトも入ってなかったし、2人でのんびり、寄り道して帰りたかった」
「うん」
「ホントは、花田が放課後誘われてた時も空気無視して花田帰ろーって言って迎えにいけばよかったって、思ったっ」
「うん」
「…でも、俺、いくらでも待つのは得意だけど、嫌われるのは怖いから、そんなこと出来なくて」

待つことは本当に嫌いじゃない。
そりゃあ、待ってる時は寂しくて心細くて、早くこないかな、会いたいなって気持ちでいっぱいだけど、それが花田相手にならその時間でさえ楽しいとも思える。大好きな花田のためなら、いくらでも、待てる。

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。俺は絶対に常盤を嫌いになんないよ」

そう言って俺より少し身長の高い花田は俺を包み込むように抱きしめた。
ーーあれ、花田って、こんなおっきかったっけ、かっこよかったっけ、

「…あした、バイトまで花田と一緒にいたい」
「うん、おろおろ。どっか行こう」
「明日も花田が誘われてたら、空気読まないで花田帰ろーって攫う」
「おお、いいねソレ」
「…俺も、花田のことは絶対嫌いになんない」
「あたぼーよ」

待ちぼうけになって、寂しかったのは花田のはずなのに、なんだか俺の方が寂しかったみたいだ。

でも今の気持ちは待ちに待って、いい事があった時と同じ感覚。
待ってる間、ずっと心待ちにしていた瞬間が訪れて不安な感情とかが一気に吹き飛ぶ、清々しくて報われたような、あの感覚。

俺は恐る恐る、俺を抱きしめる花田の腰にそっと手を回して身を委ねてみた。

「…そろそろ、ヒーロー卒業できるかなあ…」
「だから花田はずっと俺のヒーローだって」
「……親友やめんぞ、おい」
「え、やめんの…」
「…………やめない」

ーーまだね。

(でも俺、待つの苦手だからね)

言葉にされなかった花田の忠告はもちろん俺に届くわけもない。





>>萌えたらぽちっと<<



 

modoru