奇術師に不可能はないの
1997年の1月7日。流星街に帰っていた私は朝からナズナさんと大喧嘩した。理由はハンター試験の事だ。

ジャポンでわらび餅を極めた私は謎の自信を持って、今回の第285期ハンター試験に参加しようと応募カードを送った。そこまではいい。
問題は試験前日の夜にいざ試験会場へと出発しようとした私の荷物を見たナズナさんが「え?そんな軽装で行くの?ピクニックじゃねーんだぞ」と言い出した事だ。

ナズナさんは短くて一日、長くて一ヶ月かかるハンター試験に小さなリュックサック一つで挑もうとする私の神経が異常だと思ったらしい。
水は?食糧は?着替えは?ナイフは?ハンカチとティッシュ持った?とナズナさんの思う最低限の持ち物をリュックに詰めた結果、安いペラペラの布が破れた。
仕方なく何処からか調達した新しいリュックに詰め直し、ついでに私の服装や靴も見直してようやくナズナさんのOKが出て朝日が見えてきた時、私は登山家のような重装備で立つことも儘ならなかった。
いやいやいや流石にこんな状態で行けねーよ!大体一晩かけてこれなの!?と文句を言ったところで喧嘩開始。

「これ絶対必要だから持っていけって言ってるだろ!」
「絶対いらない!そんなの使わない!」

と母と娘のような言い争いから始まり、お互い頭に血が上り引くに引けずどんどんヒートアップしていく。

「もういい!こんな家にいられない!実家に帰らせていただきます!!」
「お前の実家ここだろうが!」
「違う!スズシロさんの家だバーカ!!」
「あー!そうですかバーカ!!」

という低レベルなやり取りの末、時間的にもう無理だったのでハンター試験参加を諦めて私は実家に帰った。
以来スズシロさんが迷惑そうな顔をしていることに気付きつつも、昼間は空っぽのバスタブの中で体育座りをしてボケッとする毎日を送っていた。

それから二ヶ月。

「暇なの?暇でしょ?暇だろ無視すんなガキ」

シャワーカーテンが開いたと同時にそんなことを言われた。久々に見たハギ兄さんは美形っぷりに磨きがかかっていて一瞬目が潰れかける。うう、眩しい!
そんな私のリアクションは完全に無視して、ハギ兄さんは「これ、仕事。こっちは地図。明日から僕の代わりによろしくね」と薄っぺらい紙とメモの切れ端を押し付けていなくなってしまった。
あまりの速さに幻だったのかと疑ったが、私の手には『カルタレナ公立図書館の警備』という仕事内容の資料と地図だというメモがあったので現実に起こったことなのだろう。
静かになったバスタブの中で体育座りのままため息をついた。


次の日。
どうせ暇だし、と思ってハギ兄さんに任された仕事を受けることにした私は、船に乗ってカルタレナという都市にやって来た。やって来たはいいが、目的地である図書館が何処にあるのかわからない。
だって、事前にハギ兄さんに地図と言って渡されたメモには、子供の落書きみたいな変な図に「多分このへん」と書いてあるだけだったのだ。酷すぎるだろ。なんだこれ。

さすがに解読できないので、港に着いてから近くの地図で確認したがどうもよくわからない。
とりあえず街中に進み、偶々目に入った人に道を訊ねた。

「すみません、図書館って何処ですか?」

私がそう訊ねたのはスーツをびしっと着こなす端整な顔立ちのお兄さんだった。ちょっとクセのある黒髪で瞳はくすんだ青色。うーん、金髪でもっと目の色が澄んでたらリアル王子様だな。惜しい。
多分ハギ兄さんと同じくらいの年のお兄さんは、私を見て目を何度かパチパチさせた後、口を開いた。

「図書館ってカルタレナ公立図書館かい?」
「はい」

頷くと何故かお兄さんは満面の笑みになった。今の台詞のどこにそんなに喜ぶ要素があったのか。
首を傾げる私にお兄さんは指を差して言った。

「それなら2ブロック行った先の十字路を左に曲がればすぐに分かるよ。大きい建物だしね」
「ああ、なるほど…。ありがとうございます」
「いえいえ」

そう言うとお兄さんは「じゃあね」と私に手を振って図書館とは逆の方向へ去っていった。
図書館の名前を言った途端、終始女の子ならくらっときてしまうような素敵な笑顔を浮かべていたが、ハギ兄さんという史上最強の美形を見て育った私にそんなものは効かなかった。
結局なんだったんだろ、と不思議に思いながらも、教えてもらった通りに進んでいく。

少しして無事に目的地に到着した。
一度立ち止まり『カルタレナ公立図書館』という建物前の石に彫られた文字を見て間違っていないことを確認する。他に目立つものがないせいか、やけに立派に見える。

早速館内に入ろうと足を進めると後ろから「セリ?」と名前を呼ばれた。
振り返るとジャージ姿の髪の長い女の子が驚いた顔をしてこちらを見ていた。見覚えのありすぎる彼女は幼少から付き合いのある盗賊団の一員、マチです。

「あんた、…なんでいるんだい?」
「え、いや、こっちの台詞なんだけど」
「…………」

お互い無言の状態が続く。喋りたくない訳じゃない。驚きすぎて言葉が出ないのだ。

なんで!?なんで此処でマチ!?
初めて来た土地で偶然会うとか何この遭遇率!去年ジャポンでも会ったじゃん!何これ陰謀なの?
ここまで考えてとある可能性が頭を過ぎりハッ、とする。まさか旅団の…活動…!?
おいおい嘘だろやめてくれ、と心の中で祈りながら目的を確認しようと小さく口を開くと私が言葉を発する前にマチが私の後ろの図書館を目で示して言った。

「あんた、この図書館に何か用?」
「えーっと用っていうか……今日から此処の警備のバイト?なんだよね」
「はぁ?」

私の言葉に眉をつり上げた。
何その反応。図書館警備のバイトってそんなに問題なの?この図書館って何かあるの?聞きたいことがどんどん増えていく。
するとマチは額に手を当て、ため息をついた。

「悪いこと言わないからバイトはやめて帰りな。あんた別に金に困ってる訳じゃないだろ?」
「いや、そりゃそうだけど。…なんで?」
「なんでも。嫌な目に遭いたくないなら此処には当分出入りしない方がいいよ。…とりあえず忠告はしたからね」
「え?ああ、ちょっと!」

くるっ、とこちらに背を向け、さっさと立ち去っていくマチに向かって手を伸ばしたが当然届かない。私が追わなかったこともあるが、そのままマチの姿は見えなくなってしまった。

あの、意味深な事を言うだけ言っていなくなるとか本当にやめてほしいんだけど。
これからの事を考えてつい顔が強張るが、ハギ兄さんから貰った仕事なので今更断れない。バックレてもいいが、後が怖い。
ガックリと肩を落として始まる前から異常な不安を抱えつつ、館内に足を踏み入れる。


カウンターにいたお姉さんにハギ兄さんの名前を出すとすぐに別室に通された。
暫くお待ちくださいと言われ、ふかふかのソファーに身を沈めること早一時間。……っていつまで待たせるんだ。

今まで流星街の護衛の仕事をいくつも引き受けてきたが、どれも時間にはきっちりしていて到着してから一時間も待たされたことはない。
どういうこと?忘れられてんの?図書館なのに?と真面目な人が多そうという勝手なイメージから考える。マフィアが遅刻しないで図書館が遅れるってどういうことだよ。
一度誰かに聞いた方がいいのだろうか、と不安になって部屋を出ようとソファーから立ち上がった時、ドアノブが回った。

「すみませーん!お待たせしました!」

おっせーよ!と私の顔にはハッキリ書いてあっただろう。軽く殺気立っていた。
しかし大きな箱を持って現れた人物の顔をしっかりと見た時、私は間抜けな声を出してしまった。

「ああ、ハギさんから話は聞いてるよ。セリさんね。はじめまして、館長代理のコンラードです」
「は、え?」

ちょっとクセのある黒髪にくすんだ青色の瞳のスーツを着た男性。そう、さっき道を教えてくれたお兄さんである。
何それ。今、館長代理とか言った?お兄さんが?てか代理ってどういうこと?館長じゃないんかい。
とぐるぐると色んな事が頭の中を駆け巡り、返事を出来ないでいる私にお兄さん基コンラードさんは「はじめましてというか、さっきも会ったよね」とあの素敵な笑顔で言いながら、テーブルを挟んで向かいのソファーに腰掛けた。

「あ、そうだコレ食べる?」
「…ドーナツですか?」
「うん、いつも人が並んでる人気店のね!」

部屋に入ってきた時から手にしていた大きな箱を開けると中には美味しそうなたくさんのドーナツ。私も女子の端くれなのでカロリー高そう〜、と真っ先に思った。
ドーナツを眺めて何も言えないでいる私の様子に気付いてないのか、コンラードさんは「実はこれ買ってて遅くなっちゃったんだよね」と頬を掻いた。
あ?ドーナツ買って遅刻とか仕事なめてんの?今日、来るってわかってたでしょ?
私の顔が耐えられずに歪んだところで、コンラードさんはドーナツの入った箱をテーブルに置いて身を乗り出し、こちらの手を握った。

「まぁ、これは待たせちゃったお詫びってことでどうぞ。今日からよろしくセニョリータ!」

うわぁ、コイツ超うざそう。

[pumps]