奇術師に不可能はないの
目と目がばっちり合い、クロロも私の存在に気が付いてお互い固まる。
それはほんの数秒の事で私は開いたままだった口を一度閉じ、もう一度開いた。その瞬間に腰を浮かせたクロロとこちらめがけて伸びる右手には、咄嗟のことで反応出来なかった。

「クロがふっ!!!」
「セニョリータ!?」

左頬にビンタを一発食らった。威力が強すぎて構えていなかったこともあり、その場に尻餅をつく。
さらに衝撃で舌を噛み「あぎゃっ!」と変な声を出しながら右手で口元を覆う。そして先程からじんじんと痛む左頬を左手で抑えた。

ていうかなんで叩いた?なんで!?
うまく喋れないでいる私の代わりにコンラードさんが椅子から立ち上がり、間に挟んだ机に手をついて身を乗り出し私とクロロの顔を交互に見比べ言った。

「え、ええ?急に何を!?この子は一応女性ですよ!?」
「すみません。その、彼女の頬にハエが…」
「ああ、なるほど……それなら仕方ない。素晴らしい反射神経ですね」

おい待て、おかしいぞ館長代理。嘘じゃないとしてもハエで許すな。
笑顔で座り直すコンラードさんを見て、何か弱みでも握られてるのではないかと勘繰ってしまう。
尻餅をついたままの私に「大丈夫ですか?」と手を伸ばしてきたクロロの目からは「人の名前言おうとしてんじゃねーよ、次はマジで殴り殺すぞ(意訳)」という訴えが聞こえてきそうだった。
「はは…大丈夫…です…」と顔をひきつらせながらクロロの手を取って立ち上がる。なにこれ超キモい。

普段の私達なら絶対にしないような行動に鳥肌が立ち、まともにクロロの顔が見れなかった。
そうやって私が俯いている間もずっと怪我がどうとかさっきのビンタを詫びるクロロに、とりあえず「はぁ…いや別にいいですよ…」と適当に返しておく。
おそらく私達は初対面という設定にしたいのだろう。だから名前を言う前にビンタをお見舞いしたのだ。ぶっちゃけ手遅れだった気もするけど。

しかしコンラードさんに私達の関係を隠す必要なんてあるのだろうか?
不思議に思っているとコンラードさんが手でクロロがさっきまで座っていた椅子を示して言った。

「まぁ、彼女自身が大丈夫と言っていますし、これで終わりにしましょう。さ、どうぞお掛けになって下さい。べネットさん」

誰それ。
急に新しい登場人物出てきたぞ、と思っているとクロロが「では…」と言ってやや遠慮がちに座った。お前がべネットさんかい。
なるほど、偽名使ってるから本名言ってほしくないのね。納得して一人頷く私の方にコンラードさんが顔を向け、口を開いた。

「それで、セニョリータは何の用だい?」
「え?あ、いや…………なんでもないです。仕事に戻ります」
「そう?今日もよろしくね」

にっこり笑ってそう言うとコンラードさんに苦笑いを返してゆっくりとその場を離れた。
二時頃に盗賊が来るみたいだから一緒に地下まで来て、なんて盗賊の頭の前で普通言える?
少なくとも私は言えないので諦めて一人で地下に向かうことにした。もういいや、私が箱を盗もう。

館員用のエレベーターに乗り込む直前にクロロの様子を伺うと先程のようにコンラードさんと話をしていた。
私が地下の箱の警備をしていることなど察しがついているだろうに、全くと言っていいほど私の事を気にしないその態度に少し驚く。止めたり、ついてきたりしないんだ…。
エレベーターの扉が閉まる。最後までクロロは私の方を見なかった。

誰もいないエレベーターの中で首を傾げる。
盗みに来るのは四番のストーカーなんだっけ?ならクロロはこの件に関してはノータッチなのかな。
いや、それならなんで態々この図書館に来たんだろう。ただ本を読みに来ただけ?じゃあ、別にコンラードさんと話さなくてもいいと思うけど……マチはなんか言ってたっけ?

私にしては珍しくクロロのことで頭をいっぱいにしていると地下に到着し、エレベーターの扉が開いた。
降りて廊下を進み、角で右に曲がった瞬間「ひっ!」と声を上げてしまった。慌てて手を口元にやったが今更遅い。
エレベーターを降りた時、いや、乗り込んだ時から絶をするべきだった。
午前同様、上の階に人が沢山いるからといって、地下に四番の男が来ていないとは限らないのだ。

私と同じ警備の男が壁にトランプで磔のようにされているのを見て思う。
出血量からもう死んでいるだろうと判断する。仲が良かったわけではないが、とりあえず手を合わせておく。
しかし凶器がトランプって、凍らせた豆腐で撲殺なみに意外性がある。

目に見える範囲には誰もいない。この地下全体に人の気配はしない。円を使っても何も引っ掛からない。
一通り確認したところで引き返そうかと思ったが、折角ここまで来たんだしという謎の精神で進むことにした。実は私は主人公向きの性格なのかもしれない。

ゆっくりと箱が保管されている部屋まで足を進める。コツコツと足音が響いた。
ストーカー、いるなら出てこい。私は隠れてないぞ。

心の中でまだ見ぬストーカー男にそう声を掛けつつ進んでいると箱のある部屋の前に到着した。
扉にかけた手が震えていたことに気がついた。きっと怖いのだろう。
開けた瞬間に撃たれたり、刺されたりする可能性もあるので堅を使って全身に防御を施して扉を開いた。


「…………………」

結論から言うと何も起こらなかった。ただ中では他の警備の人がトランプを刺された状態で全員死んでいた。
中へ入って扉を閉める。この部屋にはテーブルとソファーと小さな本棚が置いてあるのだが、殆ど元の位置からずれておらず、さらに壁や床に傷がないのを見る限り瞬殺だったのだろう。

死体に顔をしかめつつ、本棚に近づいた。
そして一冊の黒い背表紙の本を抜き取るとあの写真で見た箱がなんのケースにも入れられずに置いてあった。
随分雑な保管方法だなオイと呆れる。予めここにあるとは聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。
四番の男もまさかここにあるとは思っていなかったのだろうか。とにかく箱は無事だった。手を伸ばして掴むと掌程度の大きさしかないことに気が付いて驚いた。

こんな小さな箱の中に入る物なんてたかが知れてる。せいぜい折り畳んだ紙か小さな宝石だ。
一体何が入ってるんだろう、と振ってみたが音はしない。実は何も入ってないんじゃないの?という考えが頭の中を過ったがすぐにまさか、と打ち消す。
とりあえずコンラードさんのところに戻ろう。

この程度の大きさなら一応はポケットに入ると思った時、後ろからポン、と私の両肩に誰かの手が置かれた。

「ね、キミ」
「!?キャーーー!!」
「…………」

肩に触れた手と聞こえてきた声に死ぬほど驚いて思いっきり叫んでしまった。

久々に女子らしい高い声を出しきったところで、やや大袈裟に深呼吸を繰り返して荒い息を整えた。心臓の鼓動はまだ早い。
そりゃ、誰もいないと思っていた時に突然後ろから肩ポンされたらビビるに決まってるじゃないか。胸に手を当てて言い訳をする。
死体だらけのこの部屋で随分ゆったりと行動しているが、恐らく犯人というか四番のストーカーと思われる後ろの人物から何かされる気配はない。むしろ肩に置かれていた手が離れた。

覚悟を決めてぎこちない動作で振り返る。
そこには一人の男が立っていた。その姿を全身しっかりと目に入れて眉をひそめる。

[pumps]