奇術師に不可能はないの
逆立てた赤い髪に左目の下には雫、右目の下には星のペイント。胸にハートとクローバーのマークが大きく画かれている服はどこで手に入るのか。
全体的に見る限り今日のファッションのテーマはトランプだろうか?人の趣味をとやかく言うつもりはないが、こんな格好で外を歩いていたら目立って仕方がないと思う。

この人は本当に現実に存在する人間なのか、と目から取り入れた情報を脳が疑う。しかもムキムキとか何それ絶対に強いじゃん。
旅団に入団できてる時点で分かってたけど、この人パワータイプのストーカーだわ。
この男が噂のストーカーであると決め付けて頭の中で話を進める。まぁ、この時間帯に地下まで来るなんて普通はない。しかも今ここは死体だらけ。
それを見て叫びも飛び出しもせずに平然としていられるのは、事情を知っている私以外ではこの状況を作り上げた張本人くらいだ。

もう一度男の顔をしっかりと見る。男は細い目をさらに細めて言った。

「気は済んだかな?」

それは叫んだことについてなのか、ファッションチェックについてなのか。どちらの意味にしろ、男の声はどこかで聞いた覚えがあった。
誰だ、まさか知り合い?いや、いくら私でもこんなファンタジーな方は知り合いにいないぞ。
顔に全く見覚えはないが、間違いなく聞いたことのある声だった。誰だろう?どうしても思い出せない。

顔を見たまま考えていると無意識に服のポケットに手を突っ込んでいた。
メモ帳とペンが入っていたので、取り出してメモを一枚切り取る。視線を感じつつもそこにペンで自分の名前を書き、男に渡す。

「あの、私こういうものです」
「ああ、ご丁寧にどうも。でもゴメンね。僕名刺は持ってないんだ」
「いや、別にいらないんで」

手を振って言うと不思議そうな顔をされた。そりゃそうか、紙渡しといてあんたのはいらないってどういうことだ。
自分でもなんでこんな事をしているのかが分からない。混乱してるのかも。

「………………」

無言が続く。
なにこれ、どうしたらいいの。気まずいんだけど。
困っているといつの間にか男の視線が、私の右手が掴んでいる箱に向かっていることに気がついた。
す、と右手を後ろに隠すと男は口の端を上げた後言った。

「それ、もしよかったら貰ってもいいかい?」
「ごめんなさい。実は母の病気を治すのにどうしても必要なんです」
「ああ、それは大変だ。でも僕もどうしてもそれが必要なんだ」
「クロロに言われたからですか?」

同時に右足を男の脇腹めがけて蹴り上げる。
男は素早く後ろに飛んで回避した。念も何も使ってない蹴りだったので別に当たるとは思っていない。
先程よりも私達の間には距離が生まれた。すぐ側のソファーの背もたれに手を置いた男は「やるの?」とにやにや笑いながら言った。

「正直、キミと戦っても楽しくなさそうなんだよね」

どうも気が乗らない、とでも言いたげな空気を纏う男に少しイラっとした。安心してくれ。私も戦う気はない。

一、二歩下がると後ろの本棚に背中がぶつかった。そこから左手で辞書のように分厚い本を抜き取ると、周を使って男の方へ投げつける。
同時に地面を蹴って一気に扉まで走った。堅を使って身体を念でガードし、扉に体当たりする。

大きな音を立てて無事に扉を破ると頭の中でシルクハットを被った見知らぬ男性が「ohゴリラガール……」と呟いた。
勢いが良すぎて前から床に倒れ、頭をぶつけそうになったので身体を捻って固い床を回避。代わりに廊下の壁に激突したがこの際そんなことはいい。
左手と膝をついて顔を右に向けると先が見えないくらい長い廊下が続いていた。エレベーターはこの先の角を左に曲がったところだ。逆に曲がると階段がある。

どっちでもいいや、と右手に持ったままの箱に周を使って、それを思いっきり投げた。
この廊下を走ってる間に何も起きないとは限らない。なので箱だけでも先に行っててもらおう。
という考えは間違いでは無かったようで立ち上がった瞬間、扉の壊れた部屋の中からトランプが飛んできた。
速すぎて受け止めるなんて事は出来なかったので、前に走って避ける。このまま進もう。
しかしすぐに目の前に男が現れ、慌てて足を止める。

「どこ行くの?」

腕を組んで笑いながら言う。
明らかに異常な空気を纏う男にかつてない恐怖を感じつつ、右足に硬を使ってほんの少しのオーラを纏わせた。

だが、すぐに見極められ、右足を上げたと同時に左手で掴まれた。凄まじい力でこのまま千切られるんじゃないかと思う。
一気にバランスを崩すが、倒れてしまう前に隠を使っていた右手で私の足を掴んでいる男の左手首を握って引き剥がすと、そのまま思いっきり振り回して男の身体を近くの壁に叩きつけた。
男の力も強いが、この場合は隠でオーラを隠していた私の右手の方が強かった。

手をついて体制を立て直す。男の方に顔を上げた瞬間、左目に違和感。視界が真っ暗になり左目だけ見えなくなった。そして激痛が走る。
まさか、と思ったが確認する前に男に背を向け、自由になった足で長い廊下を駆け出した。


走りながら左目に手をやると何かが刺さっていた。
痛みに耐えつつ、それを抜き取る。真っ赤に染まったトランプが出てきたので途中で捨てる。
左目をオーラで覆い、出血を止めた。私にしてはかなりの大怪我だ。物凄く痛い。
早く上に行かなきゃ、と必死に走る。

そして曲がり角まであともう少し、という所で私の意思に反して右足が止まった。

「え?痛っ!」

突然動かなくなった右足のせいで顔から派手に転ぶ。
何?どういうこと?と原因を探すと右足が何かに引っ張られた。そのまま私の身体は来た道を引き返していく。

「は?ちょ、やだ!」

エレベーターはすぐそこなのに、と思っても私の身体はずるずると後ろに向かって移動していく。
慌てて両手を床に押し付け止めようとするが、私の力によって凄まじい音を立てて床が削れるだけで身体は止まらず後ろに向かう。

右足だけが引っ張られる感覚に、男に何かされたのか?と凝を使って右足を見る。そこで初めて私の右足にオーラの塊がくっついていることに気が付いた。
そのオーラは長く細く伸びていて、男の左手に繋がっていた。男は左手を軽く上げて私に笑いかけている。

もうなんか絶望した。
私の右足を掴んだ時に付けたのだろう。私が隠を使えて男が使えないはずがない。
男と距離が大分近づいてから床に押し付けていた両手を離した。床を削っていた指は爪が剥がれたりと悲惨な状態だったが、もう今はそれどころじゃない。

堅を使うか硬を使うか。
かなり迷ったが時間はない、と決断した。右手でぐっと拳を作ってタイミングを計る。
男の目が細くなったのを間近で見てから拳を突きだした。


気が付いた時、私の左手は男の右頬にヒットしていた。男は軽くよろめく。それだけかい、って感じだがまぁいい。
明らかに右で殴ってやりますよ、と見せ掛けて左手に隠を使い、オーラを溜め込んだ。そのおかげで一発だけ食らわせることが出来たのだ。勝てたわけじゃないのに少し満足する。
しかし左手に殆どのオーラを集めたため、他の部分の防御が薄くなったのは失敗だったと後ろに倒れ込みながら思った。
ドサ、と音を立てて仰向けになると天井が見えた。そして首から溢れる生温い液体に気付く。

「…ぁ…あ………あ……」

掠れて声が出ない。
首を切られたようだ。もうほとんど力が入らずに震える手を必死に動かし、出血を止めようと首に当てる。

駄目だ、こんな力の入らない状態で止まるわけがない。
その間にも血がどくどくと流れ続けるのを感じる。出血を止めるのってどうすればいいんだっけ?
私は強化系。強化系は自己治癒能力に優れている。何を使えばいい?練?纏?堅?どうやるんだっけ?
激痛に気をとられ、頭がうまく回らない。いや、痛いなんてもんじゃない。意識も殆ど飛びかけている。
視界は明るくなったり、暗くなったり。

ふと、狭くなった視界の端に男の姿が映る。
人が死にかけてるというのにすごくにやにやしていて気分が悪くなった。

私はこのまま死ぬのだろうか。
死にたくない、けど身体は動かないのだから逃げられない。瞼を持ち上げる力すら無くなり、限界とばかりに目を閉じる。
意識が途切れる寸前にマチの声が聞こえたような気がした。

[pumps]