奇術師に不可能はないの
目が覚めて最初に視界に入ったのはびっくりするくらい真っ白な天井だった。

といっても相変わらず左側は真っ暗で、どう頑張っても瞼は上がりそうになかった。
いつもよりも狭い視界に映る白い天井に自然と『病院』という単語が頭に浮かぶ。
すぐにその単語を発音してみようと口を動かすが、掠れた小さな声しか出ない。最後の方は完全に音が消えて微かに口だけが動いていた。やけに喉が渇いていることに気がつく。
水が飲みたい、と身体を動かそうと力を入れる。が、ぴくりとも動かなかった。

「…っ、……はー………」

しかも痛い。
意識がハッキリとしてきた途端、身体が痛み出した。特に怪我の酷いはずの首や目ではなく全身が痛む。
思わず息を止めて、ゆっくり、小さく吐き出す。おかしいな、多分骨折とかはしてないと思うんだけど。
ズキズキとした痛みを感じながら目が覚める前の最後の記憶を引っ張り出す。
………しかし、よく生きてたな私。

今でも鮮明に思い出せる。
首、というか頸動脈を切られたはずだ。ほぼ止血も出来ていなかったあの状況なら普通は出血多量で死ぬだろう。ていうか死んだと思った。

しかし現実は病院のベッドの上。幸運なことだ。
病院で目が覚めたということはあの場から誰かが助けてくれたわけで………って、あれ?ここまさか死後の世界じゃないよね?え?病院であってるよね?実は死んじゃった?

急に不安になるのは、この部屋に私以外の人の気配を感じないからだ。その上無音。
さらには右目しか見えず視界が狭くなっているのと身体が動かないため、私にはこの真っ白な天井を見続けるという選択肢しかない。
正直、気がおかしくなりそうだ。

ていうかこの状況なら普通は誰かが私の顔を覗き込んでたりするもんじゃないの?
可愛い幼馴染みヒロインが泣きながら「よかった!目が覚めたのね!!」って言って抱きついてきて、おちゃらけた親友が「ったく、心配かけやがってよぉ」って笑って言いつつ実は頬に涙の跡があって、クールなライバルが「生きてたのか…しぶとい奴だぜ」とか言ってフッ、と笑うんじゃないの?
誰もいないとかどういうことだよ。私ってそんなに人望ない?

悲しくなって折角開いた目を閉じた。もういい、寝る。

***

どのくらい経っただろうか。
先程と違い、すぐ側に人の気配を感じたのでうっすらと右目を開く。

「あんた、一回起きた?」
「………まっさん………」
「やめろその呼び方」

髪を高い位置で一つにくくったマチはそう言うと私の首元に手を当てた。
何してんだろう、脈でも測ってんのか?と思いつつゆっくりと掠れた声で「喉が、カラカラなんだよね」と伝える。やはり最後の方は音が消えて口だけが動いていた。
最初の方も小さすぎて聞こえないかと思ったが、部屋が無音のおかげかマチはちゃんと聞き取れたらしく「そりゃ二週間も寝てたからね」と言った。うそー、マジでー。

なんてことないように凄くさらっと言われたが中々の記録だ。
なんとかこの衝撃を伝えたい私は言葉の代わりに顔で驚きを表現したが見事にスルーされた。流石まっさん。
渾身の顔芸をスルーされ恥ずかしい気分になりながら、可愛い幼馴染みヒロインのマチは私に抱きついてくれるかな?と思ったがそんな気配は微塵もなかったので、とりあえず気になったことを聞くことにした。

マチに視線をやりつつ「助けてくれたのは…」と相変わらずの掠れ声で呟く。主語とか色々抜けたが、マチはしっかりと察してくれたらしい。流石まっさん。
私の首元から手を離すと「ああ、それね」と腕を組んで言った。

「助けた、というかここに運んだのと簡単に傷口塞いだのはあたしだけど、別に感謝しなくていいよ。この後助かるか死ぬかはあんたの貯金次第だから」

は?声こそ出なかったが、口はだらしなく開いた。
傷を塞いで助けてくれたのはマチ。でもこの先助かるかどうかは私の貯金次第ってどういうこと?もう助かってんじゃん。
話がよくわからず、混乱する。大体なんで急に貯金の話になるんだろう。いや、治療費とかの事なんだろうけど。
………はっ!まさか、すごく成功率の低い手術が控えているとか!?うわー!どうしよう!

頭の中で色んな予想を立てていると突然視界からマチの姿が消えた。
すぐに左の方でガサガサと紙か何かを開く音がする。

「で、これ。今回の怪我を“完璧”に治すためにここで必要な額」

言いながら、再び視界に入ったマチは動けない私のために態々目の前に薄っぺらい紙を広げてくれた。
一番上にでかでかと同意書と書かれており、長々と目が滑る文章が続く。その辺を飛ばして下の方を見ると私の名前が書いてあった。
だが明らかに私の筆跡じゃない。状況的にマチが代わりにサインしたのだろう。
家族でもなんでもないのに代理でいいのかな、と思いつつその少し上を見ると治療費という文字と数字が書かれていた。

その額を確認して驚きのあまり右目が飛び出そうになる。
天空闘技場で荒稼ぎした私の全財産を使っても到底支払える金額ではなかったのだ。え?嘘でしょ?これ桁違うでしょ?え?
混乱していると紙が消え、代わりにマチの顔が見えた。

「これ払えなきゃ、あんた死ぬよ」

かなりの大怪我だし、といつも通りの声色でマチは続けた。
冗談かと思ったがまたまたー、と笑い飛ばせるほど私は元気じゃなかった。

意味がわからないが、どうやら私はまだ助かったわけではないらしい。

[pumps]