お料理行進曲
私の突拍子もない発言に、主人公ゴンは目をパチパチと瞬かせる。横から感じるキルアの何とも言えない視線に耐えられず顔を伏せた。
しまった、初対面の子供に「サイン下さい!」とか頼むのはさすがに浮かれすぎだった。
私にとってのゴンは紙面上のスーパーヒーロー的な存在だが、本人にはそんなつもりはない。自分が漫画の主人公だなんて知らないのだ。初対面の女が急にサインくれとか怖すぎるだろ。泣きたい。

だが、理由もわからずサインを強請られたゴンは、伏せたままの私の顔を下から覗き込むように見ると「じゃあ、俺も後でサインちょうだい」と言ってはにかんだ。
驚きすぎて目をこれでもかと見開いた。私を傷つけずにこんな返しをしてくれるなんて、これが…少年漫画の主人公…!

「ありがとう…!ありがとう!後で交換しようね!」
「うん!」
「え、えええ!?いやいや、ちょっと待てよお前ら!」

政治家のように固い握手を交わしているとキルアが私達の間に割って入ってきた。
キルアは私達の手を無理矢理離すと口をパクパクさせたあと、何を勘違いしたのか「俺も!俺も後でサイン欲しい!」と握り拳を作って力強く訴え始めたので、最終的に私達は何故か三人でサインを交換することになった。あれ?なんだこれ。

「あ、始まるみたい」

二次試験会場となる建物の扉の上に設置された時計の長針と短針が綺麗に重なり、大きな扉がギギ、といかにも重そうな音を立ててゆっくりと開いたのを見てゴンが言った。
キルアを真ん中に三人で横に並んで待つ。周りの受験生達は皆警戒した様子で扉を見つめて唾を呑み込んでいた。
別に中から殺気を感じたりはしなかったのでポケーッ、と待っていると扉が開くにつれ唸り声が大きくなった。

現れたのは二人組の男女。最早体格が良いとかそういうレベルじゃない大きさの男性とソファーに腰掛けた女性……。

「メェッ!!?」
「!?どうした!?」
「セリさん大丈夫!?」

驚きすぎてヤギのような声をあげるとキルアとゴンが若干引きつつ、心配して二人で背中を擦ってくれた。
声をあげたと同時に口元を覆ったため、具合が悪いと思ったらしい。いや、別に吐き気はないので大丈夫です。
そうじゃなくて、私が突然ヤギになってしまったのは現れた人物が思いっきり知り合いだったからだ。
足を組んでソファーに腰掛けているのは、いつも通り奇抜な髪型のメンチちゃん。後ろの男性が普通以上の体型のせいか妙に小さく見える。

なんで?なんでメンチちゃんがいるの?と戸惑いながら熱い視線を送っているとバチッと目があった。
しかしメンチちゃんは子供二人に背中を擦られている私を見て、ほんの少し眉を動かすとすぐに目を逸らした。
そして顔を上げて後ろの男性にお腹が減ったかどうか尋ねる。どうやら現在進行形で聞こえている唸り声のようなものは男性のお腹の音だったらしい。

「そんなわけで二次試験は料理よ!」

その言葉に周囲がざわつくが気にせずメンチちゃんは試験内容の説明を始める。
つまりメンチちゃんと男性は二次試験の試験官ってことか。……聞いてないんだけど。
別にやる事なす事なんでも教えろってわけじゃないよ?報告する義務はないし。私だってメンチちゃんに今期のハンター試験を受けることは伝えてない。いやぁ、でも、でも…………。

「二次試験スタート!!」
「ハッ!え、え?」

受験生達が一斉に散らばる。
気付けばキルアとゴンも居なくなっていて、私は一人ポツンと取り残された。皆どこ!?
しまった、全然話聞いてなかった!とおろおろしているとソファーに座ったままのメンチちゃんとまた目があった。

「あの、メンチちゃ」
「こらぁ!98番!ボサッとしないとっとと行け!!」
「え、うわぁあ!!」

凄まじい勢いで長包丁を投げられた。なにこれあぶなっ!どこに隠してた!?

「あんたいつまで此処にいるつもりよ。話ちゃんと聞いてた?豚の丸焼き、すぐに用意しなさい!」
「はぁ…豚の丸焼き…?」
「返事!」
「はい!」
「よし行け!」
「はい!」

ここ数年で恐らく一番良い返事をしたと思う。反射的にメンチちゃんに背を向けてその場から駆け出した。
あれ、私達って友達だよね?教官と訓練生とかじゃないよね?という疑問も生じたが、首を振って脳内から追い出した。

森の中を走っていると至る所で豚の大群VS受験生達というカオスな光景が広がっていた。
丸々と肥えた豚は見た目に反して素早いらしく、捕獲しよう向かってきた受験生を体当たりで潰していた。響く悲鳴。
とりあえずその辺にいた豚の腹に華麗なスーパーキック(念無し)をお見舞いすると豚はあっさりと戦闘不能になった。なんだ全然弱いじゃん。
ぐったりとした豚を肩に担いで退散する。

さて、メンチちゃんは話を聞いていなかった私に、ご丁寧に試験内容を説明してくれたわけだが、何の設備もない野外でいきなり丸焼きと言われても困る。火ってどうしたらいいの?
一先ず調理スペースを確保するために人と豚が居なさそうな場所を求めて移動していると太陽の光が反射して眩しいハゲ頭を見つけた。

「ハンゾー先生!」
「おお、セリ。お前結構逞しい運び方してるな」

そう言うハンゾー先生は枝と葉を並べた上に捕獲した豚を横たわらせていた。私もその隣に豚を降ろす。

「ハンゾー先生、ライターとか持ってる?丸焼きっていうけど火種がないから焼けなくて…」
「もちろん。俺に任せな」
「本当に!?」
「ああ、こんなこともあろうかと火打ち石セットを持ってきておいた」
「古風だね」

カァン!と小気味良い音が辺りに響く。タクシー乗るのに火打ち石なんだ。

「セリー!」
「セリさーん!」
「あ、キルアとゴン」

手を後ろで組んでハンゾー先生の作業を眺めているとキルアとゴンが豚を持って上から降ってきた。

「なぁ、セリ、ライターとか持ってる?」
「ライターじゃないけど、今ちょうど火を熾してるところ。ねぇハンゾー先生、この子達の豚も焼いていいかな?」
「ああ?うーん………」

二人を見てハンゾー先生は少し渋った。子供とはいえ、ハンター試験を受けている時点で皆ライバルだ。
試験内容的にも協力したところで何のメリットもないし、後々このせいで自分が落ちるかもしれない。可能性を考え出せばキリがないだろう。
ダメだって言われたらどうしようかな、と今更ながらハラハラしているとハンゾー先生は暫く唸ったあと、舌打ちした。そして「仕方ねぇな」と一言。

「ま、試験中っつっても困った時はお互い様だ。セリの知り合いだし、火くらいならいいぜ」
「は、ハンゾー先生……!」
「おっ、良いこと言うじゃん。サンキューハゲ!」
「だーかーら!!ハゲじゃねーっつってんだろお前はぁあ!」
「ちょっとキルア、ハゲじゃなくてハンゾー先生だよ!さぁ、二人ともちゃんと感謝の言葉を!」
「ありがとうハンゾー先生!」
「助かったぜハンゾー先生!」
「…ったく。ほら、そこに並べろ!」

ちょっと喜んだぞ今。忍者ハゲは照れたように顔を背ける。
先生呼びが意外と聞いたのかもしれないと考え、キルアとゴンに「何か困ったことがあったら先生!って呼んで頼りな」と耳打ちしておいた。
キルアが「扱いやすそうだよな」と言ったので私も頷く。良くも悪くもハンゾー先生は単純ということだ。
良いハゲじゃないの。今時あんなハゲいないよ、と思いながらハンゾー先生の頭に視線を送っているとゴンが「あのさ」と控えめに切り出した。

「ここに仲間も呼んでいいかな?あと二人いるんだけど…」

それがすぐにクラピカとレオリオのことだと分かって、私は「く、お、おおぅ……」と意味不明な返事をしてしまい、キルアに変な目で見られた。
だって、ほら…レオリオはいいんだけどクラピカって目的が目的だから気まずいじゃん。私は何もしてないけど連絡先知ってるくらいにはあの集団と親交があるし。
微妙な顔をする私に気がついたゴンが眉を下げて言う。

「ごめん、二人の厚意に甘えすぎだよね」
「え、いや……ハンゾー先生どう思う?」
「別に今更二人増えたって変わんねぇよ、好きにしろ」

は、ハンゾー先生!!
笑顔になったゴンは私達にお礼を言うと元気よく走り出した。「レオリオー!クラピカー!」と予想通りの仲間達を呼ぶ声が聞こえる。
ハンゾー先生は本当にお喋りハゲってところくらいしか欠点がない。

少しすると豚を担いだクラピカとレオリオがやってきた。やはり火種がなくて困っていたらしい。
ゴンが説明するとレオリオは素直に感謝してきたが、クラピカは礼を言いつつもちょっと困惑しているようだった。
これはハンター試験だし、私とハンゾー先生という大して知りもしない受験生のことなんて信用できないのだろう。
一々めんどくさい考え方をするものだ。まあ、彼は境遇から警戒心の強いタイプだろうし、ハンゾー先生も私も少し素っ気ない態度だったので仕方ないか。

結局私は最後までクラピカと目を合わさなかった。まともに会話もしないで、ハンゾー先生と焼き上がった豚を試験官の男性の元へ持っていく。
内臓処理も何もしていない本当にただの丸焼きなのだが大丈夫だろうか、と不安だったが無事に食べてもらえた。

「あー、食った食った。もーお腹いっぱい!」
「終ーーー了ォーーー!」

とりあえず豚の丸焼きを一人で71頭食べたあの男性は絶対に人間じゃないと思うんだけど、その辺どうなんですかね。

[pumps]