裏試験
8月26日(木)。
あのバックレから一ヶ月程経過したが、私はまだ次の仕事を決められず無職のままだった。

身分証明の必要ない仕事ならゴロゴロ転がっているけど、私が求めている一般職に就くのは難しい。戸籍乗っ取りがバレるかどうかじゃなく“シンシア・ブラウン”として働きに出るにはまだ早すぎる。
一応今回バレたのは戦ったせいだし、普通の企業じゃ早々バレない…とは思うが今すぐ彼女として行動するのは危険と判断した。何故ならノストラードファミリーが“私”を探しているかもしれないから。

突然消えたのだから普通は『探しているかもしれない』ではなく『探している』となるだろうが、マフィアは残念ながら普通には分類されない。
「あいつ消えたな。ま、いいか」であっさり終わっている可能性もあるが、実際はどんな状況なのか分からないため、わざわざ借りたアパートにも帰れない。あそこには必要最低限のものしか置いてないから別にいいけど。

シンシアの戸籍を今後も利用したいなら、もう少し時間を置いてから職を探した方が良いと思う…というのが私の出した結論だ。
とは言えいつまでも無職では生活が成り立たないので、出来ればノストラードファミリーの近況を知りたい。ダメそうならちゃんと護衛のバイトするし。

でも自分から近付くのはちょっと怖いので、ハギ兄さんに頼もうかな。
そう思いながらついさっき到着したばかりの空港を出た。どうせこれから会う予定だ。
ハギ兄さんには色々と手伝ってもらったので、バックレ直後にちゃんと連絡をして仕事を辞めた経緯を説明したら「ふーん、あっそ」で終わった。
軽い。本当にあの人貸した金さえ返してくれれば私の人生とかどうでもいいんだろうな。

若干ショックを受け暫く無気力な日々を過ごしていたが、数日前に「暇ならちょっと来て」と急に呼び出された。
書類上の兄と妹という関係や借金のことから彼の言葉に逆らうなど私に出来るはずもなく、素直に遠く離れたこの地までやって来た。


しかしここ煩いな。
そこら中から聞こえてくる話し声に眉を寄せた。空港近くだから仕方がないがそれにしたって妙に人が多い。
何かあったのか、と周りの会話を注意深く聞いてみるとすぐそこのホテルで火事があったらしい。問題のホテルを見れば、火はとっくに消し止められていたが外観からどれだけ酷いものだったのか簡単に想像できた。
宿泊者か野次馬か記者か誰がどれだか分からないが、ホテル周辺に人が集まっている。少し気になったが、ハギ兄さんに伝えておいた到着時間に遅れると煩いので約束の場所へ急いだ。


空港からそう離れていない観光客用の店が建ち並んだ通りを進む。
道の端に停めてある白い車の中、助手席に目当ての人がいるのを確認して近付くと窓がほんの少しだけ開いた。

「遅い」

開口一番、不機嫌そうに言われて「ごめんなさい」と軽く頭を下げる。
背もたれを思いっきり後ろに倒したハギ兄さんはこちらを見ることなく、欠伸をした。

…これ誰の車なんだろう。私は車に詳しくないから正確には分からないけど、見た感じ高級車っぽいよね?ていうかなんでこの人助手席にいるの?まさか私が運転するの?免許ないよ?
ぐるぐると聞きたいことが浮かんでくるが、一気に全部聞くとめんどくさいと一蹴されてまともに答えてもらえないのは分かりきっていた。一先ず運転手が誰なのかだけハッキリさせようと口を開く。

「その車になんか用か?」

私が話す前に真後ろから別の声が聞こえて振り返る。スーツを来た背の高い、とても見覚えのある青年(実は年下)が両手にコーヒーを持って立っていた。
彼は私の顔を確認すると驚いたように「セリ?」と名前を呼んだ。私もびっくりして開けた口で聞きたかったこととは別のことを言ってしまった。

「なんでレオリオ…?」
「いや、そりゃこっちの台詞だ」

お互い状況がよく理解できないまま「ひ、久しぶり」「お、おう。元気か」と挨拶を交わす。ほら、最後にあったの2月だし。確か前もこんな再会だったな。私の背後とるの好きなのかな。
挨拶もそこそこに本題に入ろうとするが、ほんの少しだけ開いた窓からハギ兄さんが会話に乱入してきたため叶わなかった。

「来た?早くコーヒー頂戴」
「あ、はい」

なんかパシられてる。
ハギ兄さんが大きく窓を開け、そこから手を伸ばしてレオリオからコーヒーを受け取る。なにこの光景。
どうもハギ兄さんとレオリオは知り合いのようだ。何それちょっと待ておかしいだろ。

ついていけずに混乱を起こしていると「二人とも乗れば?」とハギ兄さんから声が掛かった。
レオリオが運転席に向かったため誰が運転するのか問題だけは解決し、とりあえず私は後部座席へ乗り込む。
背もたれを元の位置に戻しながらハギ兄さんが「お腹空いた」と言うのでレストランを目的地にして車は走り出した。


「それで、セリ。お前とハギさんはどういう関係だ?」

車が赤信号で止まってからレオリオが言う。
ハギ兄さんの方をちら、と確認してから「兄妹」と簡潔に答えると「はぁ!?」と大きな声で返された。もういい、その反応いらない。
レオリオは隣のハギ兄さんとバックミラーに映る私を見比べた後、大きく頷いて言った。

「そうか、セリ。お前は…養子だな」
「そうだけど言い当てられるとすごい腹立つ」

確かに全く血の繋がりは感じられないけど。
少しムッとしたが、私も聞きたいことがあったので我慢する。

「レオリオとハギ兄さんこそどういう関係?」
「んー、一応師匠と弟子になる予定…っスよね」
「まあ、それでいいんじゃない」
「なにそれ!?」

ハギ兄さんと師弟関係結ぶの?やめた方が良いよ!
とは口に出さずに詳しく話を聞くと実はハンター試験には裏試験というものが存在し、通常の試験に合格後、その裏試験を合格して初めて一人前のハンターになれるそうだ。
で、裏試験の内容と言うのが念の修得なんだとか。レオリオは大学の受験勉強があるためそちらを優先し、全て終わってから裏試験に臨むと決めていた。

「けど、ハギさんからやり方によってはそんなに時間かかんねぇって教えてもらってよ。しかも今なら暇だから教えてくれるって言うし」
「ええ…、そんな明らかに嘘くさいこと言われてほいほい着いてきたの?ダメだよ顔が良いからって簡単に信用しちゃ…ハギ兄さんって正直そんなに親切な人でもないし…それなんか騙されてるんじゃ…」
「はぁ?なにセリちゃん?今なんて言った」
「なんでも」

下を向いて口を閉じる。
基本的にハギ兄さんに善意なんてものはないので何か裏があるか、もしくはレオリオをからかっているか。

それにしてもレオリオのこの行動は意外だった。なんていうかすごい勝手な想像なんだけど、レオリオってハギ兄さんみたいな人のこと一番嫌いそうなタイプじゃない?
それなのに「念教えてあげるよ」って言われたからってコーヒー買いに行って、レストラン行くために運転までしてあげるって…もっと反発していいんじゃないの?出会ってまだそんなに経っていないから素を知らないとか?いやいやそれなら尚更おかしい。ハギ兄さんのことを信用し過ぎてる気がする。

我ながらどれだけ彼をカスだと認識しているんだとツッコミたくなるが実際カスだから仕方ない。この二人ってどう考えても性格合わなそうだし。

「確認だけど、二人は昔から知り合い…じゃないよね?」
「昨日会ったばっかだ。実はよ、泊まってたホテルで火事が起きたんだ」
「それもしかして空港近くのやつ?」
「ああ。で、逃げようにも非常口が開かなくて逃げられなくなってな。そしたらハギさんが扉を蹴破ってくれて、俺も含めてみんな無事に避難できたんだ。ま、冗談じゃなくハギさんは命の恩人ってわけだ」
「それ違う人じゃない…?なんか勘違いしてない…?」
「セリちゃん?」
「はい、黙ります」

身体を震わせながら下を向く。
なんとなく分かった。この二人は普通の出会い方をしなかった。それで通常なら上がるはずのない好感度が上がったわけだ。ある意味吊り橋効果か。

[pumps]