少年よ、大志を抱け
ヒユちゃんに風呂を拒否されてから早二週間ちょっと。

私は才蔵さんにイビられながらわらび餅を作り、イビられながら廊下の雑巾がけをして、イビられながらお茶を淹れるという本当に嫁姑みたいな関係の生活を送っていた。
なにこれ、私の考えていたジャポン旅行と違う。

見習いのハンゾー先生が修行のため、たまにしかこの家に訪れないのとは対照的に才蔵さんは相当暇らしく、多分ここに来てからはこの人と過ごした時間が一番多い。
ヒユちゃんどこいった?って感じだが、仕方ない。ヒユちゃんはお稽古事で忙しいのだ。
しかも、そのお稽古というのはお茶やお花だけでなく意外にも“空手”なんかも含まれている。
一週間のヒユちゃんの予定は空手お花空手空手柔道お茶空手って感じだった。空手の割合高すぎると思った。
軽く忘れていたが私に弟子入り志願してたし、理由は知らないが本当に強くなりたいんだろう。

***

朝、七時半。
茶の間でバッ、と勢いよく今朝の新聞を広げ、隅々まで目を通す。

「うーん、ない」
「何がですか?」
「事件の記事」

と言えば、ヒユちゃんは目をパチパチさせて「はぁ」と曖昧に呟いてから「たくさん載ってますけど」と指差した。

「詐欺、放火、空き巣……こういうことじゃなくてね。もちろんこれも事件だけど」
「はぁ…?」

今度は訳が分からない、といったような顔をして呟いた。これは私の言い方が悪い。
私が探しているのは旅団の記事だ。ジャポンでの知名度がどのくらいあるか分からないが、あいつらが何かやれば流石に新聞には載るだろう。
そう思ってこの家に来てから毎日確認しているのだが、今のところそれらしき事件は起きていないようだった。
となれば本人の言う通り、本当にシャルはただの旅行なのだろうか。えー、うっそだー。あいつが旅行に来るほどジャポンに興味あるなんて聞いたことないぞ。
絶対に何かやらかすと思うんだけどなぁ、と新聞を閉じる。この時、私は初めてヒユちゃんの顔から下を見た。

「え?何その格好」

長い黒髪をハーフアップにしたヒユちゃんはいつもの着物ではなく、赤いスカーフのセーラー服姿だった。

「可愛いね。それ、どこかの制服?」
「はい、学校の」
「ヒユ様は今日から新学期だ」

朝のほのぼのとした時間をぶち壊す声がした。
黒髪ポニーテールの残念なイケメン才蔵さんだ。流石、空気が読めない。
しかし今は才蔵さんの存在よりもヒユちゃんと彼が発した言葉の方が気になった。

「えっ、ヒユちゃんって学校通ってるの?」
「当たり前だろう」

何言ってんのお前馬鹿なの?と言う目で見られる。だって私転生してから学校行ってないし。ていうか才蔵さんに聞いてないし。
だが、よく考えればヒユちゃんの歳なら義務教育中だし、今日はもう四月八日だ。ジャポンの学生は今日から新学期だろう。それは忍者が彷徨いている御堂家でも同じということだ。
壁に掛けられた時計をチラリと見て、ヒユちゃんは立ち上がった。

「では、時間ですので…」
「あ、いってらっしゃーい!」
「見送ります!」
「結構です」
「はい」

立ち上がってまたすぐに座る才蔵さんが可哀想だった。

生暖かい目で見守ってあげているとヒユちゃんの姿が見えなくなった途端、才蔵さんは私の方を向いて「ちょっと話がある」と切り出した。
ボコられるのかな、と少し構える。すると廊下の方から声がかかった。

「おーい、才蔵いるかー?」

ハンゾー先生の声だと認識したと同時に、こちらに向かって近付いてくる気配を感じて廊下に顔を向ける。
中途半端に開いている襖を引いて顔を覗かせ「頼まれてたもん、持ってきたぞ」と言いながら部屋に入ってきたハンゾー先生は大きな紙袋を抱えていた。

「ほら、これ」
「え?私?」

そして、その大きな紙袋を何故か私に手渡してきた。
よく分からずに受け取ると「開けてみろ」と才蔵さんに言われたので、なんだこりゃと思いながらガサガサ音を立てて中身を確認する。

「……………あの…これって…」

中に入っていたのは黒髪ボブのウィッグとセーラー服だった。
よく見るとヒユちゃんが着ていたセーラー服とデザインが似ている。これはスカーフの色が赤ではなく白だ。
いや、待て待て待て。どこから入手したんだこんなもん。
本気で引いてハンゾー先生と才蔵さんを見れば「才蔵説明してやれよ」とハンゾー先生が言い、才蔵さんが何故か舌打ちをした。

「明日からそれを着てヒユ様の学校に潜入しろ。以上」
「何を言っているの?」

こいつ等々頭沸いたな、と思った。いや、元からか。
素直にそのまま口にしたら座布団を投げられたので上手くキャッチし、投げ返した。そこから暫く座布団投げ大会が開始される。
お互いを罵りながら座布団を投げる私達をハンゾー先生は宥めていたが、途中で諦めて才蔵さんの代わりに説明を始めた。

一応私が居たから事なきを得たが、この間ヒユちゃんは誘拐されかけた。
今日から学校が始まり、車で送迎するとはいえ何が起こるかわからないのでこれまで以上に警護を強化すべきだ!という才蔵さんの熱い要望で私がセーラー服を着ることになった。あいつ変態だったのか。

「そんなもん言い出しっぺの才蔵さんが行けばいいじゃん」
「何故か知らんが、俺じゃすぐにバレるんだよ」

むすっ、とした様子で言う。それ忍者として致命的だろ。
呆れているとハンゾー先生が「才蔵うるせぇからさぁ」と耳打ちしてきた。
実は今までも何度か学校に潜入していて、無駄に高い身体能力で教室に侵入して問題の答えを教えたり、体育の時間に先生に混ざってエールを送っていたらしい。
その度に見つかってつまみ出されるそうだ。当たり前だろ。本気でバレる理由がわからないなら入院した方がいい。

「潜入って言っても、私は流石に小学生で通用しないと思うけど」
「そんなもんわかってる。だから高等部の制服を持ってきたんだろうが」

当たり前のように言われるがよくわからない。
制服着たからって小学校に高校生入れないじゃん、と思っていたら、それを察したハンゾー先生が「初等部も高等部も同じ敷地内にあるんだよ」と言った。ああ、だから制服が似てるのか。

「いいか、校門を突破すればこっちのもんだ」

ぐっ、と拳を握る才蔵さん。いや、話の進みが速すぎるのだが。

「じゃ、明日は任せたぞ」
「え?本気で?私やるなんて言ってな…」
「んじゃ俺戻るわ。明日なセリ」
「あー、忙しい忙しい」
「待てお前ら」

ジャポンに来ても私の話を聞いてくれない人ばかりである。

[pumps]