13
ゴン達と別れ、一足先にタワー攻略へと戻った私を待ち構えていたのはいつもの滑り台だった。パカッと開く足元にもすっかり慣れたもので驚きはない。
というより、今の私はダストシュート形式で突然下に落とされ怪我をする心配よりも気になることが沢山あったからだ。
滑り台に身を任せながら301番の姿を思い浮かべる。あれは間違いなくイルミ・ゾルディックだ。変装を解いた彼の素顔には、確かに私の記憶の中にいる少年の面影があった。
まさかイルミとハンター試験で再会するなんて。懐かしい友人のことを思うと素直に嬉しいような、気恥ずかしいような、不思議な感じがした。偶然にしては出来すぎた話だが、試験中にした彼との会話を思い出す限り本当に偶然なんだろう。私が今期のハンター試験を受けることを知っているのはミザイストムとネテロ会長くらいだ。育ての父が亡くなった今、ゾルディック家と連絡を取ることもない。
あの家で過ごした日々の記憶が自然と蘇る。イルミは学外で出来た唯一の友達で、私がハンター試験を一発で合格してやる、と宣言した相手でもあった。何故自分がそんなことを言ったのか、ようやく思い出した。
それと同時に滑り台が終わった。今までのようにどこかの部屋へ落とされるのではなく、完全に終わったようだった。恐る恐る地面に足をつける。両足をつけて体重をかけても床が開くことはなかった。目の前には薄暗い通路が続いている。ここを行く以外に道はないようなので迷うことなく進んだ。
思っていたより長かったが、ブービートラップがちょこちょこある程度の単調な道で、歩き始めて20分ほどした頃、今まで見た中で一番シンプルな構造の扉が現れた。
『45番、おめでとう。合流の道はこれで終わりだ』
扉の脇に設置された監視カメラから試験官の声がした。私の三次試験はこれで終わりらしい。本当にアタリのルートだった、とここに至るまでを思い出す。
試験官が『すぐに扉を開けよう』と言ったと同時にキッズ用携帯からメールの受信音が鳴る。確認するとミザイストムからだった。
「ちょっと待ってください!今から電話をかけたいんですけど、いいですか?」
挙手をしながら伺うとマイクの向こうの試験官は『えっ?ああ……好きにしてくれ』と多少動揺を見せたものの許可してくれた。お礼を言ってからメールを開かずに連絡先に登録されているミザイストムの番号へ電話をかける。今なら確実に出るはずだ。暫しコール音が鳴り響いた後、予想通り『シグネ?』というミザイストムの声が耳に届いた。
『どうした?試験中じゃないのか?』
「ねえ私全部思い出した!」
被せるようにそう言うと『はあ?』と返ってくる。気にせず「あのさぁ!」と続ける。
「なんで、なんでこうなった原因を教えてくれなかったの!なんで普通に指輪を返したの!ていうかミザイストムって私がいつ起きるのか分かってたんだよね!?」
返事を待たず頭に浮かんだ疑問を次々と口にする私に、電話の向こうのミザイストムは『落ち着け』とため息をつくと、一つずつ順番に説明してくれた。
まず私が目覚める日が予測できていた件について。私は目が覚めた時ミザイストムの事務所にいて、ミザイストムは私のために食事や衣服の準備をしてくれていた。予め起きることがわかっていないと出来ないことだ。
これについては長らく絶状態だった私のオーラが纏に変わったことが切っ掛けで予測できたという。私の目覚めが近いことを察したネテロ会長はミザイストムに私の世話を任せ、ミザイストムはハンター協会提携の病院から私の身を事務所へ移した後、大急ぎで生活に必要なものを一式揃えた。全ては極秘に進められていたので自宅に残してあった私物を持ち出す余裕はなく、ミザイストムは他のお客さんに不審がられつつデパートで子供向けブランドの服を買い漁る羽目になったそうだ。
そして時を止める前の私の発言を思い出し、ネテロ会長と相談の上でハンター試験の応募カードを送ったらしい。ミザイストムは『まさか試験開始五日前まで起きないとは思わなかった』と続けたので“いつ目覚めてもおかしくはない状態”だから備えていただけで、正確な時間までは分かっていなかったようだ。
私が年を取らずにいた理由をすぐに教えなかったのは予想通り自省して欲しかったから。
二次試験後の発言から考えるにネテロ会長は別に教えてもいいと思っていたようなので、これはミザイストムの独断である。私が、自分の覚えていない出来事を他の人から言われて反省できるような人間ではないと分かっているから思い出すまで待ったのだ。
「じゃあなんで指輪を返すの?反省してほしくて事情を教えないなら指輪は返さなきゃいいし、返すなら使うなって言えばいいじゃん!」
『なんでって、君は絶対にやめろと言ったら絶対にやるだろ?』
「うっ………!」
やる。確かにやる。
私は目覚めてから数時間後には指輪の存在を思い出してミザイストムに尋ねていた。もし指輪が返ってこなければ返せと彼を問い詰めるし、仮に事情を教えてもらってもその時点では“よく知らない牛柄おじさん”だったミザイストムの言うことなど信用できないので普通に無視してまた同じことを繰り返す。使うなと言われたら絶対に使う。それが私だ。
返す言葉もなく「う、うう……」と呻き声を上げる。ミザイストムは何も言わなかったが、少し間をあけてから小さなため息が聞こえてきた。それが引き金となった。
「う、うるさいバーカ!バカバカバカバカバカバカバーーカッ!!大っ嫌い!!」
頭に血が上って反射的に叫ぶ。そのまま勢いに任せて通話を切ろうと携帯を耳から離すが、親指が通話ボタンに触れるか触れないかのギリギリで止めた。肩で息をしながら、まだ繋がったままの携帯を恐る恐るもう一度耳に当てる。突然語彙の乏しさを証明するような悪口を浴びせられたというのに、それでもミザイストムは何も言わなかった。まさか寝た?
途端に不安になって「う、嘘だよ……」と小さく呟く。
「酷いこと言ってごめんね……」
『ハイハイ』
「ミザイストムのこと信じてるから……」
『そりゃ嬉しいね』
全く嬉しいと思ってなさそうな、しかし怒っているわけでもないミザイストムの淡々とした話し方に、やってしまったとショックを受けると同時に一応返答がきたことに安堵する。もう感情がめちゃくちゃ。
啜り泣く私に、ミザイストムは『君はもっと……、いや、やめておこう』と途中で言葉を切ると今は目の前の試験に集中するべきだと言った。
『まだ試験中だろう?続きは帰ってからにしよう。時間を取るよ』
「はい……」
ぐす、と洟を啜ってから「またね」と通話を切る。ミザイストムは私を必要以上に傷つけないよう慎重に言葉を選んでいるように感じた。
昔は、というより私の記憶の中のミザイストムはもっと容赦ない言い方をしてきたはずなのに、子供相手だからか随分優しい。自分への悪口もただの癇癪として相手にせず流していた。彼も年を取ったんだな、と時の流れを実感する。自分だけ皆に置いていかれているようで切なくなった。
『………45番、話は終わったか?』
「あ、ハイ。お待たせしてすみません」
ミザイストムとの通話を終えると監視カメラから試験官の声が響いた。カメラに向かって頭を下げる。
試験官は一度咳払いをした後『では、試験終了時刻までこの先の部屋で待機しているように』と言って扉を開いた。深呼吸し、気持ちを落ち着けてから先へ進んだ。
待機場所として通された部屋は中心に近い位置に辺りを照らすための松明と試験の残り時間を示すモニターが設置されているくらいで、ただ広いだけの何もない空間だった。
既に数人の受験生の姿があり、皆適当な位置に散らばって待機している。その中にはヒソカさんとハンゾーさんの姿もあった。ポンズさんはまだ来ていないようだった。当然ゴン達の姿もない。
私に気付いたヒソカさんがひらひらと手を振ってきたので小さく頭を下げる。相変わらずノリが親戚だ。ヒソカさんはよく見ると肩に傷を負っていた。彼のような強い人でもルートによっては無傷でのクリアは難しいらしい。
使い方さえ間違いなければやはり『
私より先にこの部屋へ到着していたらしいイルミは、いつものモヒカン美容鍼姿に戻っていた。いかにもやばそうな姿なので周りには誰もいなかった。
壁を背にして座っている彼に近づく。
「イルミ君」
声をかけるとイルミは顔を上げた。
「私が今回の試験に合格してハンターになれたら、約束通り言うこと聞いてもらうからね」
フン、と踏ん反り返ってそう言うとイルミはパチパチと目を瞬かせた。
私の口から『ハンター試験に一発合格』発言が飛び出た切っ掛けは、些細なことだった。
ゾルディック家にいる間、イルミは何故か私より自分の方が立場が上だと思っているようで、訓練中でも休憩中でも意見が対立すると自分に従うよう言ってきた。確かに私は彼の家でお世話になっている居候の身だったが、世話をしてくれているのは彼ではないし、年齢も同じ、実力の面でも自分がイルミに劣っているとは思わなかったので納得がいかず、せめて意見が割れたらジャンケンで公平に決めないかと提案したが『意味がわからない』といった様子で断られた。イルミは全ての決定権が自分にあると信じて疑わなかったのだ。
そして四年目のある日、事件は起きた。先代のゼノさんが訓練の差し入れとして持ってきてくれたアイス(味も種類も違った)をイルミは私と相談することなく当然のように先に選んで食べたのだ。これはおかしいだろうと堪らず抗議をしたら「お前ミルキより聞き分けがないね」と心底呆れたように言われて腹が立った。ミルキがイルミに従うのは弟だからであって、私に同じものを求めるのは違うだろう。
この件が切っ掛けとなり、私は早急に対策を取るべく第三者に“イルミよりも強い”と認定してもらうためハンター試験を受けることにした。私にとって手っ取り早く実力を証明して周囲を黙らせることができるものがハンターライセンスだったからだ。社会的に認められれば、イルミも私にアイスを選ばせてくれるだろう。
イルミは私が難関と言われるハンター試験に一回で合格できるはずがないと思っているようで、宣言を聞いても「勝手にすれば?」としか言わなかった。言質を取りたかったので「受かったら私の言うこと聞いてね、絶対だからね」としつこく言った。イルミは興味なさげに「いいよ」と答えた。そして家に帰った後、ミザイストムにハンター試験を受けると報告し、『
「は?」
針だらけの顔をこちらに向けたイルミは返事とも言えない声を短く発した。その反応にカチンとくる。次いで、まさか忘れたのでは、と不安が広がる。私にとっては重要な約束だが、イルミにとっては違ったのかと思うと非常に複雑な気分になった。
彼からすれば私はその程度の存在なのか、と内心ショックを受けつつ「お、覚えてないの……!?」とにじり寄るとイルミは「別に忘れてはないけど」と返した。
「何年前の話してるの?そんなのもう時効でしょ」
「ハァ!?んなわけないじゃん!」
思わず声を荒げる。記憶を取り戻した私にとっては結構最近の出来事だ。
この静かな空間に私の声は想像以上に大きく響き、他の受験生の視線が集まる。しかし、ほんの一瞬ですぐに散った。皆ここまで残るだけあって、今更私のような子供の受験生とモヒカン男の組み合わせを珍しいと感じて視線を送り続ける者はいないらしい。
「元々期限なんて設けてないし、約束は約束だよ。絶対守ってもらうからね」
「……まあ、いいけど」
その答えを聞けて満足した私は、長居は無用と足を動かした。良かった、覚えてたみたい。ほっと胸を撫で下ろす。
イルミは十数年の歳月など無かったかのようにあの日の続きを話す私に、ちょっと面食らったようだった。
試験の残り時間を表示しているモニターへ目をやるとまだ57時間ほど残っている。
どこで待機しようかな、と適当に歩いていると途中でヒソカさんに「喧嘩かい?」と呼び止められた。彼のその短い質問がイルミとのやり取りを指し示していることは明らかだったので「違います」とだけ答える。
「あ。ヒソカさん、ちょっと………」
「ん?何?」
そのまま通り過ぎようと思ったが、あることを思い出して足を止める。
きょとんとするヒソカさんの前に膝を付き、近くに人がいないことを確認してから彼にしか聞こえないような小さな声で言った。
「あのー、私の本名シグネじゃありませんでした」
その時、ヒソカさんは彼にしては珍しく驚いたような顔をした。
私は一次試験の時ヒソカさんにシグネが本名であると答えてしまったが、それは記憶違いで私の本名は全く別にある。『シグネ』とは義父に引き取られた時に新しい戸籍と共に貰った名前だった。元の戸籍は、元の私が生きてきた記録は、もうない。私は一度死んで、新しい自分になってやり直したのだ。
「今はもう戸籍もシグネなので嘘とかじゃなくて、出生名は違うって話なんですけど」
そんな事情をハンター試験で出会っただけの他人にわざわざ話す必要はないかと思ったが、何となく気になったので訂正することにした。
イルミには伝えていないが、今更使っていない本名を教えたところで彼はどうせ「その情報いる?」としか言わないので別にいいだろう。混乱させるだけなのでゴン達にも伝える必要はない。けれど、不思議とヒソカさんには教えてもいいと思った。気まぐれだった。
ヒソカさんは「やっぱりね」と笑った。