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今までのヒソカさんとのやり取りをよくよく思い返してみると、彼はいつも私に対して親戚のような気安さがあった。子供に優しい大人は一定数いるが、彼がゴンやキルアに同じような態度を取っていたかどうかは正直わからない。でもゴンは右頬を腫らしていたので、普段の言動はともかく戦闘に関しては子供相手でも手を抜かない主義のはずだ。
そのため戦闘を示唆することなく、ほぼ無条件で私にプレートをくれたのは少女愛からくるものだと思ったのだが、そういうわけではなかったらしい。しかし何故彼が私に執心するのかわからなかった。無償の愛など出会ったばかりの他人へ軽々しく抱く感情ではない。
つまりヒソカさんは試験前から私のことを知っている。そうとしか考えられなかったが、私は彼のことなど知らなかった。念の影響で忘れていた記憶は殆ど取り戻したはずだが、その中にヒソカさんのような目立つ形の成人男性はいない。

その時、はた、と気が付いた。ヒソカさんは今でこそ大人だが、私が幸せは歩いてこないチルチルミチルの反動を受ける十数年前は彼もまだ子供だったはず。念能力者の外見年齢など当てにならないが、彼が見た目通りの年齢なら恐らく本来の私と同世代だ。
同世代で、イルミしか友達がいなかった私に対して愛情を持っている人物。記憶の中に一人だけいるじゃないか。顔も名前も思い出せないけど確かに存在していた少年が。

「そんな、そんなはずない」

私の声は若干震えていた。ヒソカさんが「ん?」と私の顔を覗き込んできたので思わず後退る。
確信は持てなかった。私は未だに兄弟の顔も名前も思い出せないからだ。ヒソカさんを見ても何も感じない。でもヒソカさんと違って子供の姿のままの私には、最後に別れた時の面影があるのだろう。

「………じゃあ、また……」

目を逸らしながら絞り出すような声でいつもの挨拶をする。それが今の私に出来る精一杯だった。サッと背を向ける。ダメだ、突然過ぎてとてもじゃないけど消化できない。

「ちょっと待って」

後ろから声がかかる。無視をすればいいのに反射的に足を止めてしまった。少しだけ迷ってからゆっくり振り向くとヒソカさんと目が合う。ヒソカさんは「君に聞きたいことがあるんだけど」と言った。

「……なんでしょう?」
「今、幸せかい?」

宗教勧誘か?
シンプルながら胸がざわつく一言に、玄関を開けたらいるやつだと困惑する。

「ま、間に合ってますので……」
「やだなあ、何を勘違いしてるんだい?」

特定の宗教を信仰することは出来ない、と断るつもりで手を横に振るとヒソカさんは堪えきれなかったのか、くっくっと笑い出した。

「ただ毎日楽しく暮らせてるか聞きたいんだ」

ちょっと笑ってからそう言った彼の顔にはやはり覚えがなかったし、懐かしく感じることもなかった。しかし誠実に答えなくてはいけない気がした。こちらの返答を待つ彼から一度視線を外し、その辺に生えてる適当な草花を見ながら小さく口を開く。

「………試験が終わったら家に帰ってやらなきゃいけないことが沢山あるので、今は楽しいより考えることが色々あって忙しいって感じです。でも楽しく暮らせるように頑張っていきたいと思います」

下手くそな作文みたいなことを言ってしまった。
これで大丈夫だったかな、と不安になりながらヒソカさんを見ると彼は穏やかな声で「応援してるよ」と言った。

「……ヒソカさんはどうなんですか?」
「ボク?ボクは毎日充実してるよ」

そう言い切るとヒソカさんは脳内で自分の日常を振り返ったのか確かめるように小さく頷きながら続けた。

「気になる相手はできたし、ヤりたいことも沢山あるし、思いがけない人とも再会できた」

最後の言葉は私へ向けられたように感じた。黙っている私にヒソカさんは「そんな顔するなよ」と続ける。どんな顔をしていたのか自分ではわからなかった。

「引き止めて悪かったね。行っていいよ」

ヒソカさんは私が行くはずだった方向を示すように軽く手を動かしながら言った。そのまま彼も立ち去ろうとしたので、思わず「えっ」と声を出す。

「それだけ?」
「うん?」
「もっと何かないんですか?他に聞きたいこととか……」
「まあ、あると言えばあるけど」

きょとんとしている彼に「今なら色々答えてあげますけど?」と若干上擦った声で言う。謎の上から目線にヒソカさんは気を悪くすることはなく「本当に?」とやや意外そうに聞き返した。

「じゃあ誕生日と血液型と好きな食べ物と嫌いな食べ物と家族構成と出身地と趣味とお気に入りの場所と思い出の映画と得意な科目と好きなお菓子でも教えてもらおうかな」

新学期なのか……?
想像の倍はある質問数に動揺する。これ新しいクラスメイトに聞くやつだ。相手のことを何も知らないから共通点とか見つけるためにとりあえず情報引き出していくやつだ。
早くも面倒になり逃げ出したくなってくる。しかし色々答えると安請け合いをしたのは自分だ。今更反故にすることはできない。内心気圧されていることを悟られぬよう小さく咳払いをして誤魔化す。

「………よし。ゆっくり話をするためにまず場所を作りましょう」
「場所?ここでいいじゃないか」
「落ち着かないのでここに家を建てます」
「家を?」

首を傾げるヒソカさんの横に落ちていた木の棒を拾い、ザリザリと音を立てながら地面に間取りを描いていく。

「お互いの部屋を決めましょう」
「あ、そういうこと」

合点がいったらしいヒソカさんの周りに線を引き、彼の部屋に閉じ込めた。

「ボクの部屋狭くない?」
「私が建てた家なので我慢して下さい」

言いながら今度は自分の部屋を作る。明らかに先程の倍以上はあるが、私を世帯主と認めたのかヒソカさんは文句を言ってこなかった。

「ここがキッチン、ここがリビングでこっちがサンルーム、あとプールと……」
「君ってこういう遊び好きだね」

自分の部屋となった地面に腰を下ろしたヒソカさんが言う。ドールハウスとか、ごっこ遊びは好きだ。イルミは全然やってくれなかったけど、シグネになる前は兄弟に付き合ってもらっていた気がする。
部屋を書き足しながら、ちら、とヒソカさんを盗み見る。向こうも私を見ていたらしく、目が合うと口角を上げた。彼に親しみを感じることはできなかったが、怖い人だと思うこともなかった。

「そういえば髪の毛貰ってもいいかな?」
「嫌ですけど?」

ついに本性を現したのでは、と思うような変態的要求をはねつける。突然何を言ってるんだこの人。
急速に心が冷めていくのを感じながら「何に使うんですか?」と用途を訊ねるとヒソカさんはこちらの気持ちを察したのか「心配しないで」と優しく言った。

「ただのDNA鑑定用だよ」
「DNA鑑定!?」
「五本以上は欲しいな」
「強欲……!」

さらに「毛根付きで」という補足が入った。この人、何とは言わないけど科学の力ではっきりさせようとしている。より正確な結果を得るために量と質を重視している。

「……困ります。そんなこと急に言われても私……」
「そう?じゃあ二人共ハンター試験に受かったらでいいよ」

謎の譲歩をしてきたヒソカさんは、頷きもせず黙り込んだ私に対してそれ以上は何も言ってこなかった。
代わりに私は先程彼からされた質問を思い出しながら順番に答えていく。私が指を折りながら話す間、ヒソカさんは軽く相槌を打つくらいで、ひたすら聞き役に徹していた。

「好きなお菓子は……私が昔住んでた国にバンジーガムっていうチューインガムがあるんですよ」
「うん、知ってる」
「……あれ、好きだった」
「うん、ボクも」

私達は薄っすらと感じ取っているお互いの関係性を絶対に口には出さなかった。今はまだ疑惑に過ぎないからだ。
その夜、彼と別れてから一人で口にした木の実はなんだか前より美味しく感じた。きっと一生忘れないだろう。


***

四次試験の最大の特徴は一度奪われたプレートを取り返すチャンスが残っていることだろう。今までのどの試験よりも期間が長く、プレートを失ったら即終了というわけでもない。試験終了時に6点分持ってさえいれば良いのだ。
そのため残り日数の殆どを私は樹齢数千年は経っていそうな巨木の上で過ごした。合格に必要な点数が集め終わった今、最初の頃のように目立つ必要はない。むしろ出来る限り他の受験生には見つかりたくなかったので、絶をして極力その場から動かないよう努めた。監視役の協会員はさぞかし退屈だろう。
ただぼんやりしているだけに見えるだろうが、私自身は意外と考えることが沢山あったので体感時間は早かった。だが、その考え事は試験には全く関係ないものので昼夜を問わずぼーっと過ごしていることに違いはない。

気付けば最終日を迎え、島中に響く試験終了のアナウンスを耳にして私は慌てて木から飛び降りた。今から一時間以内にスタート地点まで戻らないと不合格扱いになるらしい。
サッと円を広げながら走るが周囲には誰もいない。心臓の鼓動が耳につくほど強く感じた。皆もうとっくに行ってしまったようだ。普通はプレートを集めたら帰りのことを考え、スタート地点に近い位置で待機するものなのだろう。途中からそんな余裕がなくて全然考えていなかったので、現在地が何処かすら分からない。しかし島の反対側には行かないように注意していたので、スタート地点はそう遠くないはずだ。
繰り返し響き渡るアナウンスを頼りに進んでいく。時間的にはまだ余裕があるはずだが、あまりにも人の姿が見当たらないので不安になってきた。
30人足らずで始まった試験なので、島の広さから考えると元々遭遇率は高くない。動ける人の数も開始時点より相当減っただろう。そんなことは自分でも分かっているが、焦燥感でいっぱいだった。

心細くてなんだか泣きそうになっているとようやく視界の端に人影を捉えた。迷わず方向転換し、生きた人間であるか確認しようとそっと近づく。それがゴンとクラピカとレオリオの三人であるとわかった途端、私は心底ホッとして足音を隠さず彼らの元へ走った。真っ先にゴンが気が付き「あ」と口を開く。私は一番近くにいたクラピカの右腕に飛びついた。
ハッとしてこちらを向いたクラピカは身を固くしたが、腕に抱きついてきたのが私だと分かると「なんだ、シグネじゃないか」と分かりやすく力を抜いて目を瞬かせた。私は安堵の息を吐きつつ、もう離さないとばかりに力を込めた。

「よ、よかった〜。もう完全に遅刻したかと思った……」
「学校みてぇな言い方すんじゃねーよ」

レオリオが笑いながら言ったそれは、軽口を叩けるような友達など一人もいない孤独な学校生活を送っていた私には中々新鮮な言葉だった。
三人共無事に6点分のプレートを手に入れたらしく今からスタート地点まで戻るという。何も考えずに飛び出してしまったが、皆で揃って次に進めるようで本当に良かった。嬉しくなってクラピカの腕に抱きついたまま「一緒に帰ろ!」と元気良く言うと皆気が抜けたのか朗らかな表情で頷いた。


「シグネはあの後大丈夫だった?」

ちゃんとスタート地点までの道を覚えているらしいクラピカとレオリオの後ろを歩いているとゴンが私を見て言った。いつもの明るく無邪気な言い方ではなく、少し控えめで私を気遣っているようだった。
ヒソカさんにやられた右頬は大分腫れが引いていたが、ゴンの全身にはいつの間にか小さな噛み跡のような傷がついていた。テープを貼るなど処置はしてあったが、それでも私の目には痛々しく映る。
そんなゴンとは異なり、大した苦労もしていない私は傷一つ無い。変化といえば無人島でのサバイバル生活の影響で服が薄汚れてきたくらいだろうか。この環境下にしては食事も睡眠もしっかり取ってきたので体調も良い。そんな状態で気遣ってもらうことなど何一つない。
私も私なりに真剣に取り組んでいるつもりなのだが、こうも分かりやすく見た目に差が出てしまうと自分がハンター試験において酷く場違いに思えて気まずくなり、ゴンの問いかけに「うん……」と小さく頷くことしかできなかった。

「本当はオレ、シグネの助けになりたくて探してたんだけど、どうしても見つけられなくてさ。助けてもらったのに結局何も返せなくてごめんね」

ゴンは眉を下げて笑った。その様子にまだ元気がないままだな、と思った。

「私は傍にいただけで、恩を感じてもらうようなことは何もしてないから気にしなくて良いよ。運が良いから今回も何とかなったし」

それは私の本心からの言葉だったが、ゴンにとっては拒絶に聞こえたらしい。顔こそ笑みを浮かべていたが「……そっか」と元気無く呟いたゴンの姿に、しまった!外した!と焦る。友達が一人しかいないからこういう時にする適切な回答がわからない。
しかしこのまま会話を終わらせるわけにもいかないだろう。何とか取り戻そうと「あの」と慌てて口を開く。

「どうしても気になるなら、また別の機会に、他のことで私を助けてくれたらいいの」
「他のことって、例えば?」
「例えば?例えば……私の代わりに学校の編入試験を受けてくれるとか」
「オイ、替え玉受験の提案すんのやめろよ」

くるっと振り返ったレオリオは呆れた顔で「ゴンに女装させる気か?」と続けた。冗談だというのに性格の問題なのか、こういう時レオリオはツッコまずにいられないらしい。

「シグネ、ごめん!オレ、女装も勉強も自信ないかな……」
「冗談だよ……!?」

手を合わせて深刻な顔で謝るゴンに思わず狼狽える私を見てレオリオが「そらそーだ」と吹き出す。黙って聞いていたクラピカも口の端に笑みを浮かべた。一応まだ試験中なのだが、そうとは思えないほどリラックスした空気が流れる。ゴンはようやくいつものような明るい顔を見せた。

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