03

トンパさんと別れた後、私は彼に見えないようにこっそり缶ジュースの中身を捨てた。目の前で捨てたら流石にショックを受けるかと思ったからだ。私は慈愛に満ちているので薬入りのジュースを渡されても彼を責めたりしないし、空き缶を潰して「次はお前の番だ」なんて頭の悪い脅しをかけたりはしない。
すっかり空になったジュース缶を持ったまま、壁を伝う配管の上に腰掛ける。トンパさん以外で私に話しかけてくる者はいなかった。友達を作る時はまず自分から声をかけろとよく言うが、ここにいる受験生の殆どが私よりずっと年上の男性で、私が動く度に未知の生き物を見るかのような目を向けてくるので、話しかけるのは中々難しかった。今の時点では残念ながら生涯の友は作れそうにない。
はあ、と空き缶を片手にため息をつく。試験の中にグループワークとかあるかもしれないからそこに賭けるか。でもいきなり「ハイ、四人組作って〜!」とか言われたらどうしよう。

先のことを考え私が一人で憂鬱になっている間にもエレベーターは稼働していて、新しい受験生がどんどんやってきた。意外とペースが早い。
しかしやってくるのは私よりもずっと年上の男性ばかり。ミザイストムは子供も来ると言ったが、今のところ現れる気配はなかった。
ぼんやりと待ち続けている私とは対照的に、トンパさんは受験生が来る度に顔を確認し、新人だと分かると朗らかな笑顔で近寄っていった。面倒見の良いベテラン受験生として話し掛け、最後はお近づきの印とかなんとか適当な事を言って缶ジュースを渡す。
私はそれを止めるでもなく、あの人またやってるな、とただ眺めていた。ああいう人もいるのかと勉強になった。受験生を試すのは何も試験官だけじゃないらしい。
あれはライバルを蹴落とすためにやっているのだろうか。人数を絞れば自分が有利になると思っているのかもしれない。手段は違えど自分が得になるよう働きかける姿は私に似ていると思った。

そろそろやろうかな、と中指に嵌めた指輪を見る。
またエレベーターが到着した。音に反応して顔を向けると扉が開いて中からスケートボードを持った銀髪の男の子が出てきた。見た感じ、私と同じくらいの歳だろう。
待ちわびた同年代の登場にハッとして話し掛けようと配管の上から飛び降りた私より先に、トンパさんが待っていましたとばかりに近寄り、ごく自然に声をかけた。流石ベテラン、素早い。
下に放置していた折りたたみ自転車を持って、二人の様子を窺う。トンパさんは35回試験を受けているという鉄板トークをかました後、缶ジュースを渡した。男の子は嬉しそうな顔でお礼を言って受け取り、蓋を開けると迷うことなく口をつけた。
うわ、飲んだ。しかも一気飲み。と思ったが、そんなに心配はしなかった。彼の歩き方や対面した相手を見定めるような目、何よりも纏う雰囲気が普通の子供とは思えなかったからだ。念は使えないようだが、下手な念能力者より余程修羅場をくぐってそうに見える。

是非お友達になりたい。そわそわしていると何故かトンパさんが私を指差した。釣られたように男の子も私を見る。会話の内容は聞き取れなかったが、私について何か言っているみたいだった。
99番のプレートをつけたその子は、トンパさんに軽く手を上げて別れを告げた後、何事かと首を傾げる私の方へ真っ直ぐと向かってきた。

「ホントだ、オレと同じ位の歳のやついるじゃん」

私と目が合うなり彼はそう言って生意気そうな顔で笑った。なんと向こうから声をかけてきた。これは友達になれるかもしれない、と淡い期待を込めて「う、うん」と小さく頷く。
しかし彼は私の目の前まで来ると何かに気がついたのか、ほんの少しだけ眉を動かす。暫し黙ったまま私の顔をじっと見つめると、不思議そうに「あれ……?」と口を開いた。

「……お前の顔、どこかで見たことあるような……」

彼のその反応に、まさか昔の知り合いかと記憶を遡るが、残念ながら私は彼の顔に全く見覚えがなかった。そもそも思い出せるような記憶がないから仕方がない。何より彼はどう見ても幼い子供だった。彼が見た目通りの年齢なら、私のこれまでの状況から考えて知り合いであるはずがない、と思った。
私の顔を様々な角度から眺めてくる男の子に「君、何歳なの?」と年齢を尋ねる。

「もうすぐ12歳。そっちは?」
「私は今12歳。一個違いだね」
「そんな変わんねーじゃん。なあ、それよりオレ達どこかで会ったことねー?」
「ないよ」

断言した私に、男の子は「即答かよ」と少し驚いていた。
ミザイストムによると私は十二年近く自分の時を止めていた。その間、私は一切他者との交流を持てない状態だった(だから引きこもりの穀潰しという設定になっている)。ということは、もうすぐ12歳になるはずの彼が私を知っているはずがない。
そんな私の事情など知る由もない男の子は、まだ納得がいかないらしく、今度は私の名前を尋ねてきた。

「シグネだよ。よろしくね」
「ふーん。オレ、キルア。名前は聞き覚えねーな……でも見たことある気がすんだよなァ」

キルアは私の名前にはピンとこないようで、ますます考え込む仕草を見せた。私は逆に、彼の名前を聞いてある記憶が蘇ってきた。
それはいつ頃のことか覚えていないが、私はどこかの大きなお家の素敵なお部屋で、赤ん坊を抱えた綺麗な服を着た女性と対面していた。何故自分がその家にいたのか、女性とはどういった関係なのか、その辺りは何一つ思い出せない。しかし赤ん坊を見つめる私に女性は微笑みかけながら「この子、キルアって言うの」と愛おしそうに赤ん坊の名前を教えてくれた。そのキルアという赤ん坊はまだ生まれたてだったので、皆が赤ん坊と言われて想像するよう丸々とした愛らしい姿ではなく、肌が赤くて髪が薄くて小さくて、正直“そんなに可愛くないな”と思っていた、気がする。

「……あれ、私達前に会ってるかも……」
「だよな!?」

独り言のように呟くとキルアは自分の記憶違いではなかったことが嬉しかったようで、先程よりもずっと大きな声を出しながら勢いのままこちらに半歩近づいた。彼は私より少しだけ背が低かった。
確かに私は、以前キルアという赤ん坊に会ったことがあるようだった。しかし仮にあの赤ん坊が今私の目の前にいるキルアと同一人物だったとして、その邂逅を当時生まれたての新生児だったキルアが覚えているはずはない。
これは一体どういうことだろう、と不思議に思ったが、キルアは私の名前は知らず“顔を見たことがある”と言ったので、もしかしたら私の映った写真か映像を目にしたことがあるのかもしれない。この記憶に間違いがなければ、私は彼の母と関わりがあるようなので決してありえない話ではない。 
と、まあ、私の中では一応解決したが、これをキルアに教えるわけにはいかなかった。仕方がなく話題を逸らすために「それより時間あるけど何して遊ぶ?」と聞いたら、キルアはきょとんとした後「お前ハンター試験受けに来てる自覚ねーの?」とおかしそうにけらけら笑った。私が緊張感の欠片もない呑気な奴みたいな扱いになっていてほんの少し悔しかった。

遊び道具などお互いが持つスケートボードと折りたたみ自転車しかなかったので、とりあえず交換して使うことにした。キャアー!アハハ!と子供特有の高い声で騒ぎながらスケボーと自転車で狭い地下道を爆走する私達を他の受験生らはとても迷惑そうに見ていて、途中で耐えかねたらしいトンパさんが笑顔ながらも苛つきを隠せない声色で「君達、ここは学校じゃないんだからさ……」と言いながら静かにするよう口元で指を立てた。怒られちゃった。

「そーいや、シグネもあのオッサンからジュース貰った?」

トンパさんが去っていくのを確認しながらキルアが言った。
彼のその言葉で、私は手に持っていたはずのジュースの空き缶をどこかに置いてきてしまったことに気が付いた。多分最初にいた配管の上に忘れたんだろう。

「あれ結構美味かったけど飲んだ?」
「飲んでないよ。何か混ぜてあったから捨てた」

自転車を折り畳みながら素直に答えると、キルアは何度か目を瞬かせた後、私をまじまじと見つめながら「へェー」と興味深そうに呟いた。

「やっぱりお前同業者?」
「何の?」
「殺しの」

そう聞かれて答えに詰まる。暫し考え込む私を見てキルアは不思議そうに首を傾げた。今のところ暗殺者として活動していた記憶はなかったので「多分、違うと思う」と返すとキルアは呆れた目で「多分ってなんだよ」とツッコんだ。

「じゃあお前って用心深いだけ?」
「うん……昔誰かに“飲み物も食べ物も自分で用意したもの以外は必ず毒味するように習慣づけなさい”って教えられて、それから気をつけてる」
「なんでそんな重要なこと教えてくれた奴を覚えてねーんだよ」
「まあ、生きていればそういうこともあるでしょう」
「ねーよ」

適当なことを言う私をキルアは「変な奴〜」と鼻で笑った。
それから私達はその場に留まって話に花を咲かせた。キルアは生意気で、他人を気遣うなんてこととは明らかに無縁で、口が減らない子だったが、年が近くて感覚が似ているからか、二人でいると不思議と楽しかった。
トンパさんに注意されない程度の控えめな声で話していると、いつの間にか周りの受験生が増えていた。話し相手がいると時間の経過が早い。私がここへ来てから二時間近く経っていた。
そろそろ始まるだろうか。こっそり他の受験生達の顔を盗み見る。この時間になっても見える範囲にいる受験生は皆大人で、子供は私とキルアだけだった。
どの人も体格が良くて、厳つい武器を持っていて、顔の怖い人ばかりで、彼らと比べると自分がひどく場違いに思えた。実際、友達作りを目的に参加しているのは私くらいだろう。
無駄に絡まれないよう大人しくしている私と違って自分に自信があるキルアは、適当な受験生を指差すと「雑魚、雑魚、一つ飛ばして雑魚」と失礼なことを言っていた。飛ばされたのはハゲ頭の変な格好をした受験生で、立ったまま眠っていた。図太そう。

ふと、どこからか視線を感じた。私とキルアは同時に振り向く。しかし、あまりにも人が多いので誰から向けられた視線かわからなかった。
元から校外学習気分な私達をジロジロ見てくる受験生は多いので、今の視線もその類だろう。キルアは「こそこそして嫌な感じだよな〜」と不愉快そうに眉を寄せたが、何かに気付いたのか私の肩をちょん、と叩いた。

「やば、何あいつ。針だらけじゃん」

キルアの視線の先を追うとそこにはモヒカン頭で顔中に針が刺さった受験生がいた。あんなに針が刺さっていて痛くないのかと思ったが、その顔には微かな笑みが浮かんでいる。ミザイストム並みに物凄い出で立ちだ。何ならミザイストムは服のセンスがおかしいだけなのであの受験生と比べると至って普通の人間に思えてくる。すごい、世の中にはあんな人がいるんだ。

「つーかこっち見てるし。ハハ、キモ〜」

キルアがまあまあ大きな声で言うので近くにいた数人が振り返った。やめなよ、と肘で小突く。

「人を揶揄するようなこと言うのは良くないよ。あの針だって何か事情があるかもだし……」
「何かって何があったらあんな針だらけになんだよ。絶対あれ薬中だろ」
「なんかそういう……美容法じゃない?美容鍼的な」
「シグネが一番バカにしてるよな」

そんなつもりじゃ……と否定する私に被せるように欠伸をしたキルアは「他の奴ら偵察してくる。またあとでな〜」とスケートボードを持って、美容鍼で美顔効果を狙っているモヒカン頭の受験生とは真逆の方向へと歩いていった。
モヒカン頭の受験生(胸元に301番のプレートをつけている)は去っていくキルアへ視線を向けていたが、彼の後ろ姿が見えなくなると今度はじっとこちらを見てきた。子供の受験生が珍しい、というだけなら一人になって何をするわけでもない私を見ていても面白くないのでそろそろ興味を失いそうなものだが、301番は変わらず私を見続けていた。
気のせいかと思ったが、数歩動くと視線もついてくる。何か目的があって私を見ているようだった。
彼も昔の知り合いかも、と思ったがあんなファンキーな知り合いがいたら真っ先に思い出しているだろう。もしくは、昔はあの姿ではなかったか。しかし「どこかでお会いしたことがありますか?」なんて直接聞きに行く勇気はなかったので、彼の視線から逃れるようにその場を離れた。

301番は移動してまで私を追うつもりはなかったらしく、少し歩くと彼からの視線は感じなくなった。
キルアもいないし、今のうちにやっておこう、と周囲の受験生達から隠れるように隅に寄ると、左手の中指に嵌めた指輪についている青い宝石(ただの石)を回す。
今回の試験にどのくらいの日数がかかるかわからないが、一先ず三日で設定しておこう。
顔を上げて他の受験生達の様子を窺う。皆、私など見えていないように、各々好きなことをして時間を潰していた。どうやら誰にも見られていなかったようだ。試験が始まる前に無事念能力を発動でき、ほっと胸を撫で下ろす。

私の念能力『幸せは歩いてこないチルチルミチル』はちょっとだけ運を良くする能力だ。
宝くじで一等が当たるとか落とし物で100万ジェニーを拾うとかそんなレベルじゃなくて、寝坊したと思って走っていったら、たまたま乗る予定の電車が遅延していて間に合ったとか、楽しみにしているお出かけの日は絶対に晴れる!ということはなくても曇り程度で済むとか、そんな感じ。星の巡り合わせがよくなるおまじないみたいなものだ。
だから制約と誓約も“自分にしか効果がない”とか“使用中は指輪を絶対に外さない”とか“石を回したところを誰にも見られてはいけない”とか、ほぼ無いような簡単なものだし、とっても気軽に使える。あともう一つ何か大事な条件があった気がするけどそれは忘れた。なんか普通に使えてるから大丈夫だろう。
正直に言って『幸せは歩いてこないチルチルミチル』は『物凄く良い念能力』ではない。でも、そのちょっとした幸運は、必ず私を助けてくれる。私にとっては何ものにも代え難い有用な能力だった。
殆どの記憶がないのに自分の念能力について覚えているのは、きっと文字の読み書きや自転車の乗り方を忘れていないことと同じだろう。おかげで何とかやっていけそうだ。
殆どの受験生が念を使えないのにずるいかな?と少しだけ思ったが、念を使っちゃいけないなんてルールはないし、ちょっと運が良くなるくらい問題ないだろう。トンパさんのように他の受験生を潰し回っているわけでもない。私は、私が一番得をするように動く。

すると突然、遠くから悲鳴が上がった。周囲がざわめく。一体何が起きているのか、私の身長では全く見えなかったが「気をつけようね。人にぶつかったら謝らなくちゃ」という男性の声だけが聞こえた。
近くの受験生達が「腕が……」とボソボソ話している。聞こえてきた話から察するに、どうやら悲鳴を上げた受験生の両腕が無くなったらしい。なんだかとっても治安が悪いなぁと思った。

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