04

何処からか、けたたましいベルの音が鳴り響く。火災報知器に似た音だった。
皆と一緒になって音の出どころへ目を向けると天井に近い配管の上にスーツ姿の男性が立っていた。
この火災報知器のような音は男性が手に持っているベルから鳴っているようで、受験生達の注目を集めた彼は音を止めると「ただ今をもって受付時間を終了いたします」と言った。

「ではこれよりハンター試験を開始いたします」

その一言で、場の空気が張り詰める。男性は配管の上から降りると「こちらへどうぞ」と皆が進まなかった薄暗い地下道の先を手で示した。
彼の先導で受験生達が移動を始める。男性は進みながらハンター試験に関する注意事項を語った。この先の試験で怪我をしたり、死んでも構わないという者だけついてくるように、という彼の話に怯え竦む受験生は居らず、皆当然のように足を動かす。
私は進みながらキルアを探してきょろきょろしていた。その様を“説明を聞いて怯えている”と思ったらしい数人の受験生が、こちらに向かってニヤニヤと嫌な笑みを浮かべながら「帰りはあっちだぜ」「一人で行けるか?」と小馬鹿にしたように続けた。
とっても感じが悪いなぁと思って無視してキルアを探していると私より前を歩いていた人達が次第に早歩きになり、一人、また一人と走り出した。あっという間に間隔が空いてしまったので小走りで追いかける。私の周りの受験生達もそれに気が付き、慌てて荷物を抱え直してついて行く。先程よりも進むペースが明らかに早くなっていた。

「申し遅れましたが私、一次試験担当官のサトツと申します。これより皆様を二次試験会場へ案内いたします」

先頭を行くサトツさんは振り向きもせずにそう言った。
二次試験会場という単語に引っ掛かりを覚えたのは私だけではなく、受験生の一人が「ってことは、一次は……?」と問いかけるとサトツさんは「もう始まっているのでございます」と答えた。

「二次試験会場まで私について来ること。これが一次試験でございます」

淡々と続けられた言葉にどよめきが起こる。場所も到着時刻も教えてくれないらしい。一次試験はマラソン大会というわけだ。そういうことなら、と私は準備のため一旦走るのをやめた。
私が急に立ち止まったせいで危うく衝突事故が起きかけたが、そこはハンター志望の優秀な受験生達。見事な身体能力で私を避けると「ざけんな!」「死ね!」と罵りながら走り去っていった。
完全に私が悪かったので彼らに向かってペコペコと頭を下げ、手に持っていた折りたたみ自転車を広げる。まさか使い道があるとは思わなかった。私は運が良い。
ドタドタと音を立てて走り去る受験生達を横目に、私は水色の自転車に跨るとサイクリング気分でペダルを漕いだ。そうして前を走る受験生達をごぼう抜きにしていく。
ものすごく視線が痛かったが、持ち込み自由だと皆分かっているからか表立って文句を言ってくる人はいなかった。

「兄ちゃん!こいつ自転車乗ってるよ!?」

前言撤回。文句を言ってくる人がいた。
キャップを被った若い男性だった。彼に兄ちゃんと呼ばれた二人は、私が自転車に乗っている姿を見ると眉をひそめた。ナンバープレートが197、198、199の連番で顔立ちもよく似ていたので、兄ちゃんというのは愛称ではなく実の兄弟なんだろう。
兄弟で参加なんて素敵だな、と思っていると“兄ちゃん”こと197番と199番が意地悪そうな笑みを浮かべた。

「おいおい、ガキが楽しやがってよ」
「良いご身分だなァ?乗り心地はどうだよ?」
「はい、電動アシスト付きなのでとても快適です」
「テメェ!殺すぞガキ!」
「快適に乗ってんじゃねぇ!」
「ええ……」

乗り心地を聞かれたから素直に答えただけなのに。
理不尽にキレられて困惑する。私の答えが気に入らなかったらしい。多分怯えて、許しを乞うべきだったんだろう。持ち込み自由なのに何に関して許してもらうのかはわからない。これが因縁をつけるというやつか。トンパさんと同じく、彼らもまた新顔である私を試しているのだと思った。
サトツさんがハンター試験は受験生同士の諍いも多いと言っていたし、こういった出来事は今後も起きるだろう。このくらい軽く解決出来ないとこの先の試験でやっていけない。なるほどこれがハンター試験。
よし、と気合を入れ直し、未だ私に向かって難癖をつけてくる三兄弟を見た。

「気分を害してしまったならすみません。よかったらここに電話かけてください」

ハンドルを片手で握り、空いた手で服のポケットから軽く折れ目がついた名刺を一枚を差し出す。
不審な動きを見せた私に“兄ちゃん”である197番と199番は警戒していたが、三兄弟の末っ子だと思われる198番が手を伸ばして受け取ってくれた。彼は名刺を見て「犯罪ハンター、ミザイストム・ナナ……?」と呟いた。

「今はこの人が私の保護者代わりなので私への文句は全部この人にお願いします」

じゃ、とペダルを踏む。私はそのまま加速し、人の隙間を縫うように先へと進んでいった。三人が追い掛けてくることはなく、自転車に乗ってて良かったと思った。自転車に乗っていたせいで絡まれたけど。
これも幸せは歩いてこないチルチルミチルの効果だろう。こういう念能力なんだ。段々思い出してきた。
私はこの念能力を使って色々な思いをしてきた。運動会の日に台風が直撃しないようにしたり、係り決めで学級委員にだけはならないようにしたり、席替えで後ろの席になれるようにしたり。
そんな日常の些細なことに念能力を使い続けた。そうやって私が快適な学園生活を送れば送るほど周りから人がいなくなり孤立していった。途中から私が何かしていると、皆何となく感づいていたんだろう。学校の皆には念能力のことはわからなくても、私のそういう、嫌なことを避けたい、他人より得をしたいという考えが透けて見えていたんだと思う。何をしても何の道を選んでも最終的にはそれなりに良い結果に繋がる私が、得体の知れない何かに思えて怖かったのかもしれない。
思い出して気分が沈んできた。ペダルを漕ぐのをやめて車輪の回転だけで前に進む。なんか嫌になってきた。

***

先頭のサトツさんは決して走らなかったので全体的なペースはフルマラソンよりずっと遅かったが、走り始めて数時間も経つと受験生達の顔には疲労の色が見え始めた。初めの頃はあちらこちらで話し声が聞こえてきたり小競り合いが発生していたが、今や耳に届くのは荒い息遣いと地鳴りのように響く足音だけだった。
周りを走る顔触れは数時間前と多少変化していたが、流石はハンター志望だけあって皆しっかりとついてきている。若干遅れてきている人はいるが、受験生の数自体はあまり減った気がしないので、きっと脱落者は殆どいないんだろう。

のんびりペダルを漕いでいると、話し声や足音ではなく、何かが小刻みに揺れてぶつかっているような、妙な音がしていることに気が付いた。視界の端で針が揺れる。あ、301番。
カタカタと変な音がすると思ったら、いつの間にか美容鍼の301番がすぐ近くにいた。針だらけのモヒカン頭で汗一つかかず息も上がらず、試験前と変わらない薄っすらとした微笑みを浮かべているその姿は、他の受験生からすれば相当不気味に映るようで、彼の周りだけ人が居らず不自然に空間ができていた。
301番も私の存在に気が付いたらしく、不意に目が合う。にこ、と微笑み返すと彼は途端に笑みを消して、様々な感情が入り混じった、筆舌に尽くしがたい凄まじい目で私を見てきた。やば、なんか間違えちゃったみたい。
慌てて集団から外れて地下道の端に寄り、301番から距離を取ろうとその場で自転車を止める。心臓がバクバクしていた。もう少し後ろを走ろう、とペダルに片足をかけたまま受験生達の様子を窺う。

「あっ、自転車だ!」

集団の中から男の子の声がした。顔を向けると今まさに通り過ぎようとしている受験生達の中に、私と同い年くらいのツンツン頭の男の子がいた。その横にはスケートボードを抱えたキルアがいて、私の姿を認めると「シグネじゃん」と口を動かした。
ツンツン頭の男の子は「キルアの友達?」とどこか嬉しそうな声色でそう言うと、私の方に顔を向けたまま走る速度を落とす。お友達になれそうな予感がしたのですぐに自転車を漕ぎ、彼らに並走した。

「シグネ、お前走んねーの?」
「私、走るの苦手だから」

素直に答えるとキルアは「あー、そんな感じ」と納得した後、私を指差しながら隣を走るツンツン頭の男の子に向かって「こいつシグネ。12歳」と私が言うべき台詞を勝手に言った。

「オレ、ゴン!もうすぐ12歳」

ゴンは走っているとは思えないほど元気な笑顔で元気な挨拶をしてくれた。

「あ、後ろにいるのがクラピカとレオリオ!」

しかも他の人の紹介もしてくれた。
首を軽く動かして後方を確認すると私達より少し年上くらいの民族衣装のようなものを身に纏った少年と汗だくで半裸にネクタイ姿の背の高い男性が居た。どっちがどっち?と私が困っているのを察したゴンは「404番がクラピカで403番がレオリオだよ」と丁寧に説明してくれた。それより半裸がレオリオって言ってくれた方がわかりやすい。
レオリオ(半裸)は私に軽く手を上げると「ハンター試験受ける子供って結構いるんだな……」と独り言のようにぼそっと呟いた。
後ろの二人、特にレオリオはかなり体力を消耗しているらしく明らかに口数が少なかったが、キルアとゴンはまだまだ余裕があるらしく「あとどのくらいかな?」とか「つーか腹減らね?」とかどうでもいい話をどんどん振ってきた。もちろん自転車に乗って体力を温存している私にも無駄口を叩く余裕は十分あり「一番好きなカレー何?」とか適当な話をした。

暫く三人で喋りながら自転車を走らせていると前を行く受験生達からどよめきが上がった。何事かと思えば、目の前に先が見えないくらい長い階段が現れた。エレベーターで下った分を上がらせるつもりだろうから、恐らく地上へと続く100階分の階段だ。しまった、これでは自転車が使えない。
ブレーキを掛けて止まり階段を見上げる私に、ゴンは一緒に足を止めて「大丈夫?」と声をかけてくれたが、薄情なキルアは見向きもせずに「先行くぜ〜」とさっさと階段を上がっていった。

「自転車持ってくのオレも手伝うよ」
「……!い、いいよ、大丈夫だから先に行ってて」

言いながらゴンの背中を押す。ゴンは心配そうな顔で一度振り向いてから「じゃあ、あとでね」と階段を上り始めた。まさか手伝いを申し出てくるとは思わず、驚いてしまった。私は自分の得にならないことはするなと教えられて育ったから、試験中だろうと困っている相手に手を差し伸べるゴンの姿はとても新鮮に映った。
少し遅れてクラピカとレオリオもやってきた。二人は私を見ると足を止めかけたが、自転車に目をやった後「決めるのは君だが、かなりの荷物になるぞ」「置いてった方がいいんじゃねーか?」とだけ言って、先へと進んだ。決して手伝うとは言わなかった。今がハンター試験でなければ言ったかもしれない。二人の反応が普通だ。

仕方がない、置いていくか。水色の自転車を折りたたみ、端に寄せる。ミザイストムの顔が浮かんできて名残惜しかったが、時間がないので先に進んだ。その場にぽつんと残された自転車はなんだか切なかった。
階段の前で迷っている間にかなり抜かされてしまったので、私は一気に集団の最後尾に近くなった。
心の中で『ぱ・い・な・っ・ぷ・る』『ち・ょ・こ・れ・い・と』などと数えながら階段を駆け上がる。一段が高くて大変だ。
先に進めば進むほど、階段の途中で座り込んでいる人や立ち止まっている人の数が増えていった。私以外の人はここまでずっと走ってきたんだからそりゃ疲れるだろう。
皆明らかにペースが落ちていたので、走るのが得意ではない私でも簡単に抜き去ることが出来た。最後尾に近かったのに、気付けばどんどん前の方へといっていた。
途中クラピカとレオリオに追いついたが、どうやら話せる余裕はないようなので「先行ってるね〜」とだけ伝えて手を振った。二人共(特にレオリオは)かなり疲れていたが、一応振り返してくれた。

急いでいるつもりはなかったが、普通に階段を上っていたらいつの間にか先頭集団の後ろ姿が見えてきた。多分サトツさんの進むペースが遅くなっているんだろう。
自転車で体力を温存していて良かった、と思っていると、のんびり歩いているピエロさんことヒソカさんを見つけた。彼は足音で私の存在に気が付くと「やあ、シグネ」とまるで親戚かのように親しげに声を掛けてきた。

「自転車はどうしたんだい?」
「重たいので置いてきました」
「それは残念」

ヒソカさんは眉を下げて言った。もしかして乗りたかったのかも。試験前に乗せてあげればよかったかな、と思った。
ヒソカさんは最初に出会った時から変わらず口調も声色も優しいが、どこか謎めいていて、目を見ていると怖くなる。この人、相当強いなと自分との力量差を感じた。あまり彼の傍には居たくなかったので「じゃあ、また……」と適当に挨拶をして早足で先へ進んだ。
そういえば自己紹介をした覚えはないのに、彼は何故私の名前を知っているんだろう。他の人との会話が聞こえていたんだろうか。
はて?と首を傾げると同時にカタカタ、と聞き覚えのある変な音が聞こえてきた。ヒソカさんの近くにいたらしい。301番の姿が見える前に慌てて走った。



「あ、シグネだ!」

殆どの受験生を抜き去り先頭まで辿り着くとサトツさんのすぐ後ろに居たゴンが振り返り、私を見るなり「よかった!」と明るい笑顔を作った。ゴンは多少息が上がっていたが、その隣のキルアは相変わらず汗一つかいていなかった。

「お前自転車は?」
「邪魔だから下に置いてきた」
「うーわ、勿体ねぇ〜。あれ新品だろ?」
 
私の言葉にキルアは案外まともな感覚を披露した。どうせミザイストムのお金で買ったものだし、と思っていた私とは大違いだ。
折角なので二人と並んで階段を上がる。ここまで何段上ってきたか覚えていなかったが、遠くの方に薄っすらと小さな光が見えてきた。近づくにつれ光は段々大きくなる。私達の後方を走る誰かが「出口だ!」と叫んだ。

数時間振りの外は明るかったが、辺り一面、なんとも言い難い不気味な雰囲気が漂っていた。遠くの方は霧に覆われていてよく見えない。
サトツさんが止まったので、私達も足を止める。久々の外に喜んだのも束の間、受験生達の多くは目の前に広がる湿原に微妙な顔を見せた。

「ヌメーレ湿原、通称“詐欺師の塒”。二次試験会場へはここを通って行かねばなりません」

サトツさんは受験生達が息を整えているのを横目にこの湿原の説明を始めた。ここにしかいない珍奇な動物も多いらしい。確かに遠くから不気味な鳥の鳴き声が聞こえてくる。わあ、すごい。
キッズ用携帯のカメラ機能を起動し、記念に一枚湿原の写真を撮る。カシャ、というシャッター音に反応して数人がこちらを見てきた。

「兄ちゃん!こいつ写真撮ってやがるぜぇー!?」

また出た198番。だから文句はミザイストムに言ってほしい。
汗だくの198番(数時間振り二回目)が眉を吊り上げて私を指差すと同じく疲れた様子の兄ちゃん達が息を整えながら「観光気分か?」「ガキは呑気で良いねぇ」と言ってきた。流石に彼らも疲れているらしくツッコミにキレがなかった。
無視して更にシャッターを切ると198番が「も、もう一枚撮ってやがるぜぇー!?」と怒りなのか恐怖なのか疲労なのか分からないが声を震わせながら言った。何だかんだ一番疲れてそうな末っ子が一番元気に見える。
一先ずこの場で一番(試験的な意味で)強いサトツさんの後ろに隠れると198番は悔しそうな顔でぐっと口をつぐんだ。

「あの、写真って撮っちゃダメでしたか……?」
「いえ、構いませんよ。ただSNSに上げるのは試験終了後にしてくださいね」

ついでに聞いてみるとサトツさんは快く許可してくれた。自分に落ち度はなかったことを知り、安心する。
私の態度にまだ納得がいかない様子の198番に「撮った写真いりますか?」と聞いたら「いらねーよ!!」とキレ気味に返ってきた。威勢が良い人だなぁと思った。

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