05

ある程度受験生が集まると私達が上がってきた階段はシャッターが降りて封鎖されてしまった。
それを見届けてからサトツさんは何故この湿原が“詐欺師の塒”などと呼ばれているのか説明してくれた。ここに生息する生き物の殆どが何らかの方法を用いて獲物を欺き、捕食するという。サトツさんの「騙されたら死にますよ」というシンプルでわかりやすい警告に、受験生達はごくっと唾を飲み込んだ。冒険映画みたいでワクワクする。

「ウソだ!そいつはウソをついている!」

誰かが声を上げた。皆が声の聞こえた方へ目をやると階段の陰から全身傷だらけの男性が現れた。よろよろと力なく歩く姿は今にも倒れそうで心配だったが、その話しぶりは意外にもしっかりとしていた。

「そいつは偽者だ!試験官じゃない!オレが本当の試験官だ!!」

なんか始まった。傷だらけの男性はサトツさんを指差すと「これを見ろ!!」と何かの生き物の死体を皆に見せつけた。ヌメーレ湿原に生息する人面猿の死体だそうだ。
男性は人面猿が試験官に化けているのだと叫ぶように言った。チラ、と皆がサトツさんの様子を窺う。サトツさんは反論も動揺もしなかった。
男性の語り口が真に迫っていたからか、突然の出来事に理解が追いついていないのか、受験生達は圧倒され、このイベントをただ見守るしかなかった。もちろんそれは私も同じでサトツさんの後ろからちょっとだけ顔を出し、転がっている人面猿の死体を薄目で見る。なんだか本当に冒険映画みたい。
と思った次の瞬間、強い殺気を感じた。

それはサトツさんと傷だらけの男性それぞれに向けられたものであり、私が瞬きをしている間に二人目掛けてトランプが数枚飛ばされた。男性は顔にトランプが刺さって仰向けに倒れたが、サトツさんは自分へ向かってきたトランプを全て受け止めていた。位置的に私も危なかったが、サトツさんのお陰で無事だった。
ヒソカさんがくつくつ笑いながらカードを切る。死んだフリをしていた人面猿が逃げ出そうとしたのをいち早く察した彼は、追い掛けるようにカードをもう一枚飛ばした。その一枚が人面猿の後頭部に突き刺さったことを確認すると「これで決定」とただ一人無傷で立っているサトツさんを見る。
どうやらヒソカさんはどちらが本物の試験官か見極めるためにカードを飛ばしたようだ。そんなことをしなくても最初からサトツさんが本物であることは明らかだった。私にもわかるのだから、ヒソカさんがわからないはずがない。他の受験生のため、なんて殊勝な考え方をする人にも思えない。
結構無駄なことをする人だな、と思って見ていると私の視線に気が付いた彼は笑みを深めた。思わず顔を背ける。あの人、やっぱりちょっと怖い。

サトツさんはヒソカさんの行動について注意をした後、自身の髭を軽く撫でながら改めてこの湿原の生き物達について口にする。
イベント(休憩)の時間はここまでで、サトツさんに促されて私達はついに湿原へと足を踏み入れた。泥濘がひどく、地下道よりずっと走りにくい。
暫く走っていると辺り一面が霧に包まれる。視界が悪くなり、より一層走りにくくなった。私はマラソンが再開してからずっとサトツさんの後ろをキープしていたので特に問題はなかったが、後方を走る受験生にとってこれほど厄介なものもない。
私の後ろでゴンがクラピカとレオリオに向かって前に来るよう叫んだ。一段と霧が濃くなったのは、その少し後だ。
逸れないように、と走るペースを上げたゴンとキルアが私に並んだ。前を行くサトツさんの姿が霧で霞んで見える頃には、後方を走る一部の受験生は既に集団から逸れてしまったようで、遠くからパニックに陥る声が聞こえてきた。
私が足元に違和感を抱いて「あっ」と声を上げたのとゴンがレオリオの名を口にして逆走し始めたのはほぼ同時だった。咄嗟にキルアが「ゴン!!」と呼び止めるが、ゴンは振り返らずに引き返していく。

「ったく、しょーがねぇなアイツ。行こうぜ、シグネ」
「先行ってて。靴片方脱げちゃった」
「はあ〜?ドジかよ!」

キルアは呆れた顔を見せると「なんだよ、どいつもこいつも……」とつまらなそうに呟きながら他の受験生を追いかけて走っていった。その後ろ姿はあっという間に霧で見えなくなる。
ちなみに嘘とかではなく本当に靴が脱げた。ゴンは恐らく後方でパニックに巻き込まれたと思われるレオリオ達が心配で探しに行ったのだろうが、私はそんなところに行く気はないし、義理もなかった。お友達候補とはいえ二人はまだ会ったばかりでよく知りもしない他人だ。しかし、仮にもっと早く出会っていて今より仲良くなれていたとしても私は無視しただろう。つまり誰かの為に動けるゴンはすごいってこと。
片足でぴょんぴょん跳びながら来た道を辿る。近い位置にあると思いきや、後から来た受験生達に蹴っ飛ばされたのか中々見つからない。最悪だ。
放置するわけにはいかないので仕方なく靴が飛ばされてそうな位置を予測し、うろうろしながら辺りを探す。そうこうしている間にも受験生達が走ってきて、どんどん抜かされていった。
そろそろ合流しないとまずい、と思いつつも時間が掛かればかかるほど焦りが生じて視野が狭くなる。

結局私がやっとの思いで泥だらけの靴を見つけた頃には、辺りに受験生の姿はなく、不気味な生き物たちの鳴き声や気配しか感じられなかった。どうやら完全に皆と逸れてしまったらしい。
あーあ、とため息をつく。それでも何となく行ける気がした。何故なら念能力を発動しているからだ。
皆から逸れ、道が全くわからなくても、私には無事に湿原を抜け出せる自信があった。だって私は運が良い。
適当な岩の上に腰掛けて靴を履く。ついでに靴紐を結び直そうとすると、人の気配がした。
まだ受験生がいたのかと顔を上げる。霧の中から姿を現したのは試験開始前から何かと縁がある長身のピエロだった。

「あ……」
「おや、シグネじゃないか」

誰だよ運が良いなんて言った奴は。
ヒソカさんは私を見るとまたもや親戚の子供と出会った時のような笑みを浮かべた。服にはぽつぽつと血の跡(恐らく返り血)があり、左肩には何故かレオリオ(ぐったりと意識がない)を担いでいる。すごい、物騒の詰め合わせって感じだ。トランプ投げてた時は普通だったのに、こんな短時間でこんなことになる?
反応に困っているとヒソカさんはレオリオを抱えたまま徐ろに私の目の前までやってきた。なになになに怖い怖い怖い。

「どうしたんだい?道に迷った?」
「いえ、靴紐を結び直してました」
「そう。転んだら大変だからね」

ヒソカさんは頷くと何故かその場に留まり、岩に腰掛ける私を見下ろした。もういいから早く行ってよ。
時間を稼ぐために今までしたことのないわけの分からない結び方をする。ヒソカさんが「変わった結び方だね」と聞いてきたので「こうすると解けにくいんです」と適当に答えた。さっきから何をじっくり見てるんだこの人は。
ヒソカさんはただそこにいるだけで私に凄まじいプレッシャーを感じさせた。変なメイクをしていて、長身で、意識のない人間を荷物みたいに担いでいて、返り血が服についていて、知り合いでもないのに何故か親しげに声を掛けてくる成人男性に見られながら靴紐を結ぶなんて、そりゃ落ち着かないに決まってる。
緊張で無意識に自分の顔に触れる。靴を拾った時に指先が汚れたことをすっかり忘れていて、左頬に泥がついた感触があった。

「一つ聞きたいんだけど、シグネって本名かい?」

顔を拭くためにボディバッグからティッシュを取り出そうとしていると急にそんなことを聞かれた。今覚えている限り私は昔からシグネという名前だったので「はい」と肯定する。

「それが何か?」
「いや……君のことが気になるって言ってる人がいてね」
「え………」

ヒソカさんの言葉を脳内で反芻する。気になるってどういう意味?もしかしてモテ期到来?
ここにきてまさかの展開に胸が高鳴る。一体どこの誰なのかは知らないが、意図せず心を奪ってしまったらしい。雑誌の付録についてた恋愛運アップのマニキュアをつけてきたのがよかったのかも。
にやにやしながら「え、ええ〜……?」と満更でもない声を出すとヒソカさんはきょとんとした後「君は可愛いからね」とくすくす笑った。若干バカにされている気がしなくもないが、言葉通り受け取ることにする。人を疑うのは良くないことだ。
ヒソカさんはじっと私を見つめた。何を思ったのか突然こちらに向かって手を伸ばしてきたので、慌ててキッズ用携帯の防犯ブザーを鳴らそうとストラップに触れる。しかし私がストラップを引っこ抜くより先にヒソカさんは私の左頬についた泥を親指で拭った。

「ボクも君とは他人のような気がしないよ」

彼は私に自分と似た何かを感じ取ったらしい。 
私は彼に親しみなど全く感じなかったが、不思議とこの時だけは彼のことを怖い人だと思わなかった。肩にレオリオ担いでるけど。



何故か道を知っているヒソカさんと一緒に湿原を進んでいくと暫くして霧が晴れ、少し離れたところに大きな建物の屋根が見えてきた。
建物の近くには沢山の人の気配。円を広げて確認すると皆動かずその場で止まっている。ということは、あの建物が二次試験会場なんだろう。
そこまで理解すると静かにヒソカさんから離れる。もうこの人は用済みだ。一緒にゴールしたくない。
人を担ぎながら走る彼より私の方が速く走れるはず、と思ってさり気なく前に出るとヒソカさんから視線を感じたが、彼は特に何も言わなかった。
そのまま走り去ろうかと思ったが、流石にここまで一緒に来て無言でいなくなるのは感じが悪いので一度ヒソカさんを振り向き「じゃあ、また……」といつもの挨拶をしてからマラソン大会の最後の直線距離を全速力で走る時のようにスピードを上げた。後ろから「残念」と聞こえてきたが無視する。

建物を目指して走ると湿原を抜けて広場に辿り着いた。大きな建物を背にして、受験生達は疲れ切った様子で汗を拭いながら息を整えている。彼らの様子を見るに、私はそこまで遅れることなく到着できたようだ。これも全て、一本道かと思うくらい迷わず進んでいたヒソカさんのおかげである。
そのヒソカさんも少し遅れてゴールした。レオリオを担いで現れた彼に一部の受験生達はぎょっとしていたが、近くの人と一言二言話すだけで、本人に向かって直接何か言う人はいなかった。 

「皆さんお疲れ様です。無事湿原を抜けました」

受験生達の様子をぐるりと眺めながらサトツさんが言った。皆の視線が自然と彼に集まる。
サトツさんは「ここビスカ森林公園が二次試験会場となります」と続けるとチラ、と背後に控える建物へ目をやった。建物の中からは猛獣の唸り声のようなものが聞こえてくる。入口の上には時計と『本日正午二次試験スタート』の文字があった。
サトツさんは抑揚のない声で「健闘を祈ります」と言うと私達が来た方向とは真逆の、森の中へと立ち去った。一次試験はこれで本当に終わりらしい。

「シグネ、靴見つかった?」

ウェットティッシュで指についた泥を落としていると試験前と一切変わらない様子のキルアがやってきてそう言った。何時間も走ってきたとは思えないその姿に、体力があるんだな、と感心しながら「なんとかね」と返すとキルアは私の足元を見て「泥だらけじゃん」と笑った。

「お前全然戻ってこなかったから流石にもう無理かと思ったぜ。よくここまで来れたな」
「私は運が良いからね」
「靴脱げといてよく言うよ」

キルアはちょっと意地悪な笑みを浮かべてからかってきた。こういう念能力だから仕方が無い。

「まー、でもゴンは難しいかもな」

湿原に目を向けながらキルアが言う。
確かに今いる受験生達の中にゴンはいなかった。よく見たらクラピカもだ。二次試験が始まる前に到着できなければ二人は不合格になってしまう。試験開始の正午まであと五分ほど。キルアは現実的に考えてゴンが時間内にここまで来るのは無理だと思っているようで、ちょっとだけ残念そうな顔をした後すぐにこの話はしなくなった。

二次試験について二人で予想していると、ふと、キッズ用携帯のランプがチカチカと点滅していることに気が付いた。メールが届いているらしい。
キルアに断りを入れて確認すると差出人はミザイストムで、内容は『無事に会場に着いたようで何よりだ。危ないことをさせられそうになったら棄権しなさい』という一瞬で読み終わるような簡潔なものだった。
何故私が会場に着いたことがわかったんだろう?と不思議に思ったが、恐らくこれは二次試験会場ではなく、一次試験会場のことを言っているのだろう。私のキッズ用携帯にはGPS機能がついているから、ミザイストムはそれで位置を確認して試験が始まる前にこのメールを送った。しかし私は店に着いてすぐ地下へ入ってしまったので受信できず、今になって時間差でメールが届いたというわけだ。大変、きっと心配してるだろうから返事しなきゃ。

「キルア、ミザイストムに写真送るから撮って」
「急に誰だよ」
「おじさんだよ」

言いながら携帯を渡すとキルアは「ふーん」と納得して受け取ってくれた。多分親戚のおじさんだと思ったんだろう。私は普通に自分の年齢から見てミザイストムはおじさんだから“おじさん”と発言したのだが、その誤解は解かなくても問題がないので放置した。
可愛く撮ってね、とお願いする私を無視したキルアの「撮るぞー」というやる気のない合図に合わせてピースを作る。シャッター音の後、キルアは画面を見たまま「あっ」と声を出した。

「やべ、オッサンの背後霊写った」
「えっ!見せて!」

心霊写真なんて初めてなのでワクワクしながら画面を覗き込むとピースをする私の背後に右の頬がパンパンに腫れ上がったレオリオ(半裸)が小さく写り込んでいた。意識を取り戻したものの今の状況がわからないのかきょとんとしている。
キルアが「これどーやったら消せんの?」と聞いてきたが、キッズ用携帯は普通の携帯と違って写り込みを消すような機能はついていないので「このまま送るから良いよ」と答えた。別に心霊写真じゃないし、私は可愛く写ってるし、SNSに載せて不特定多数の目に入るわけでもないのでレオリオも許してくれるだろう。

「大丈夫かよ。いきなり知らねーオッサン写ってたらミザイストムがビビるだろ」
「でもハンター試験って元々知らないおじさんが沢山いる試験だし……」
「あー、そう言われりゃハンター試験っぽい写真かもな」

ハンター試験の受験生は半分以上が知らないおじさんである。何ならミザイストムもこれを見て懐かしさを覚えるかもしれない。
そう思って『一次試験簡単だったよ。これから二次試験』と必要な情報のみを載せたメールを作成し、キルアに撮ってもらった写真を添付して送信する。丁度その時、視界の端でレオリオの元へと向かうゴンとクラピカの姿を捉えた。
当然キルアもすぐに気が付いたらしく、嬉しそうに「行こうぜ」と私の腕を引っ張った。

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