08

301番が普通に喋れたことにも吃驚だが、それよりも私の命の灯火が消えかかっていることの方が重要だ。自分のものとは思えないような呻き声が出る。これ以上はやばい、死ぬ、ホントに死ぬかも。
ギブギブ!と301番の腕を何度か強めに叩くと意外にもあっさり放してもらえた。足に力が入らず、ふらつきながら咳き込む。
301番はその場に座り込んだ私に合わせてしゃがみ込むと真正面からじっと私を見ていた。近っ。パーソナルスペース知らないのかな。

「で、答えは?」

301番は私を見つめたまま再び口を開いた。その顔からその声は絶対に出ないだろ、と言いたくなるようなアンバランスな声だった。ギャップで脳がおかしくなりそう。
ヒソカさんよりももっと鋭く殺意に満ちた強烈なプレッシャーを感じながら「何がですか?」と声が震えないよう出来る限り気をつけて返す。

「質問の意味がわかりません。私達初めて話しますよね。私、あなたに何かしま、した、か……?」

最後の方は殆ど声にならなかった。私の答えが気に入らなかったのか301番は先程よりもずっと強い殺意をこちらに向けていた。ヒュッと喉が鳴る。とっくに解放されているのに、まだ首を絞められているような気分だった。
パーソナルスペースガン無視の距離で注がれる彼のこちらを見定めるような目つきが不気味だったが、ここで目を逸らしたら負けだと思ったので頑張って耐える。301番は「シグネが本名だって?」と言った。

「シグネの顔で、シグネなんて名乗って、何のつもりか聞いてるんだよ」

無表情のまま続けられたその言葉には、微かな怒気が含まれているように感じた。
私は彼の質問をすぐに理解できず、脳内で三回繰り返す。しかし、何をどうやってもさっぱり理解できなかった。意味がわからなすぎて逆に彼へ対する恐怖が薄れる。私は自分の名前を使っているだけだ。何を訳わかんないこと言ってるんだこの人。

「その、私は自分の顔で自分の本名を名乗っているだけなので何のつもりかと聞かれても困るというか………そもそも皆そうですよね」
「いやオレは違うけど」
「オレは違うの!?」

そう来るとは思わず大きな声が出る。301番は本当は顔も名前も違うらしい。じゃあ私もメアリーとか名乗った方が良かったのか?と思ったが、多分そういうことじゃないだろう。
その時、ある可能性が私の脳裏を過った。試験前にも思ったけど、この人もしかしなくても昔の知り合いなんじゃないか?自分がこんなファンキーな人と知り合うわけがないと思っていたが、この姿がただの変装だというなら十分ありえる。

「ええと、もしかして私の知り合いの誰かだったりします?」

片手を上げて尋ねると301番はぴく、と眉を動かした。何も答えてくれなかったが、状況的には肯定したようなものだ。
私は十数年ほど引きこもりという設定で、その期間は誰とも顔を合わせていない。つまり私が昔の知り合いのことを覚えていなくても別におかしくはない。今この場でおかしいのは私が成長していないことだけだ。
十年以上顔を合わせていない知り合いが最後に出会った時のまま、何一つ変わらない姿で現れたから301番は驚いたんだろう。ビーンズさんと同じパターンだ。

ビーンズさんと違うのは、彼が私をシグネの偽者だと疑っていること。
正直、私は適当な作り話で彼を納得させられる自信がなかった。この人が私にとってどの程度の知り合いかは分からないが、念能力者だし、本当のことを言ってもいいよね?
そう判断して「あの」と口を開く。301番は目で続きを促した。

「実は私、とある念能力の影響で12歳の姿のまま十年以上意識がなかったみたいで、最近目が覚めたばかりなんです」
「………………」
「ついでに記憶も曖昧で、自分のことも周りの人のこともあまり覚えていなくて。だから、あなたからすれば別人みたいに感じるのかもしれませんけど」
「………………」

301番は黙って私の話を聞いていた。ペラペラと一人で喋り続けている私の姿は下手な嘘を並べ立てているようだった。あまりにも白々しく思えてきて私は途中で話すのをやめた。
私達の間に暫し沈黙が降りる。301番は「ふぅん」と納得したのか、していないのか、よく分からない声を出した。

「それで?ここには何をしに来たの?」
「?お友達を作りに来ました」
「…………………」

私の答えに301番は間を空けた後、ため息をついた。失礼な反応。
むっとする私に対して、301番は不快そうな眼差しを向けると「やっぱり別人だ」と呟いた。

「シグネはそんなこと言わない」

やばい、厄介なオタクみたいなこと言い出した。
どうした?急にどうした?と困惑する私に301番は何が友達だよ、と呆れた様子を見せた。

「シグネは自分に友達なんか出来ないって分かってたから、最初から作ろうとなんてしていなかった。必要のないことはしないし、付き合う相手を選んでた。それが唯一シグネの良いところだっただろ?その長所が消えたらお前なんてもう道端のゴミよりも無価値だよ」

すごい、ミザイストムなんて目じゃないくらい真正面からディスられてる。ラップバトルか?ってくらいディスられてる。
ここまで他人を傷つける台詞を吐くことに抵抗のない人間は覚えている限り初めてだ。ショックというより、知り合いである彼が思っていたよりおかしな人間だったことがわかって引いた。つい顔が引き攣る。
確かに私は自分の得にならないことはしてこなかったし、多分付き合う相手は選んでた。でも友達が欲しくないわけじゃなかったし、一応頑張って作ろうとしていたはずだ。まあ、結局学校では空回りして孤立してたみたいだけど。
しかしその私を知っているなら“友達を作ろうとしなかった”なんて言わない。知らないということは、彼は学校のクラスメイトとかではないのだろう。

「シグネは目があったからって知らない相手に愛想良く笑いかけたりしない」

301番は私の返事を待たずに続けた。これは多分マラソンの時の話をしているんだな、とすぐにわかった。あの時、彼が筆舌に尽くしがたい表情を見せたのは、私がシグネらしからぬ行動を取ったからだろう。
と同時に、彼とはきっと学外のどこか狭い世界でのみ付き合いがあったんだと確信した。私という人間のほんの一部分しか知らないんだ。その一部しか見せてこなかった私が彼にとっては共感できる、価値のある『シグネ』だったんだろう。

「お前はシグネじゃない」

301番はつまらなそうに言った。その顔は無表情に近かったが、失望しているようにも見えた。
ふつふつと怒りが湧いてくる。私の一面だけを見て全てを理解した気でいる。勝手に作り上げた理想の私と勝手に比較して否定され、そのうえ勝手に失望までされたことは許せなかった。

「私はシグネだよ」

目の前のモヒカン美容鍼を真っ直ぐ見据えて言う。

「さっきからごちゃごちゃうるさいな。どけよ!」

そう言って睨みつけると彼はほんの少しだけ驚いた顔を見せた。その彼を押し退けるように立ち上がり、私は黙って歩き出す。

「今のはちょっとシグネっぽいかも」

聞こえてきた声を無視して、私は一度も振り返ることなくその場を立ち去った。301番は追ってこなかった。
彼の顔を見たくなかったので、出来る限り離れようと足を動かし続けた。ムカついたからミザイストムにメールしよう。
キッズ用携帯の画面を見る。私が二次試験前に彼へ送ったメールの返信はきていなかった。色々忙しい人なのでまだ気付いていないんだろう。気にせず『すごくムカつく奴いるんだけど!!許せない!!』とメールを送る。
画面の端に表示された時間を見るといつの間にか九時を過ぎていた。私達がいた国とここの時差は約二時間。忙しいミザイストムが夜にちゃんと睡眠を取れているかはわからないが、一般的にはそろそろ就寝時間なので『おやすみなさい』というメールも送った。情緒不安定なやつみたいになってしまった。

***

飛行船内には食堂も併設されていて、中へ入ると予想よりも多くの受験生達が各々自由に食事をとっていた。全体の半分くらいはここに集まっていそうだ。セルフ形式の食事はハンター協会側が試験とは関係なく受験生のために用意したものであり、随所でスーツを着た協会員が目を配っているので安心して口にできる。何なら飛行船の中で一番リラックスできる場所かもしれない。
そう思いながら私も好きなものを皿にとる。人数の割には静かな空間だった。一人で参加している人が多いから当然かもしれない。喋っている人達はいるが、顔見知り程度の仲なのかあまり会話が弾んでいるようには見えなかった。
料理と飲み物がのったトレーを持ちながら席を探す。空席はいくらでもあったが、知らない人だらけなので誰の近くに座るか迷った。ゴンやキルアはもちろん、クラピカもレオリオも居ないこの状況で、絡まれやすい私が安心して座れる席を選ぶのは中々難しい。

「ここ、よかったらどうぞ」

テーブルの間をうろうろ歩いていると女性の声が聞こえた。顔を向けるとサングラスをかけて髪を後ろで結った女性がこちらを見ていた。胸元に80番のナンバープレートがついている。
私に言ってくれたんだろうか?と思っているのが顔に出ていたようで、女性は「あなたよ、あなた」と微笑んだ。
まさか声をかけてくれる人がいるとは思わなかったのでちょっと驚きつつ「失礼します」と女性の斜向かいの席に腰掛ける。女性はどうぞ、と返した後「男ばかりで居心地悪いわよね」と独り言のように言った。私を気遣ってくれたようだ。
ニコッと笑ったら、フッと笑い返してくれた。優しい。嬉しい。


80番の女性は私が食事を始めて少しすると「お先に」と言って食堂を出ていった。食事中、特に会話はしなかったが私は彼女に好感を抱いた。301番のせいで荒んでいた心が落ち着きを取り戻す。
そしてふと思った。そうだ、今夜寝る場所どうしよう。
ビーンズさんの言葉を思い出す。個室が用意されているとか、そういう案内は一切無かったはずだ。
飛行船の造りを考えると恐らく雑魚寝出来る場所くらいはあるだろう。しかし会ったばかりの、誰がいるかも何が起きるかもわからない場所でぐっすりと眠れる気がしなかった。80番の女性の言葉を借りるなら男ばかりで居心地が悪い。

皆はどうするんだろう、と他の受験生の様子を窺う。ゆっくりと食事をとっていて、まだまだ席を立ちそうにない。中には食事を終えている人もいたが、出ていく気配はなかった。
もしかして、と食堂内にいるスーツ姿の協会員に確認してみると、食堂は一晩中出入り自由で明かりをつけておくそうだ。流石に食事の提供はしないが、飲み物くらいはいつでも飲めるらしい。つまり食堂で夜を明かすこともできるわけだ。
協会員の方々も人数は減るものの必ず二人はここに残るらしい。やはりここが一番安全な場所みたいだ。ホッとして飲み物に口をつける。とりあえず、もう少しだけここで過ごすことにした。


私が食堂を出たのは深夜二時近くだった。
安心安全の食堂には一つだけ致命的な問題があった。横になって眠れないことだ。
一度は椅子に座った状態で眠ろうとしたのだが、普通に無理だった。どうしても途中で起きてしまい、結局こうして外へ出てきた。
寝る場所を求めて彷徨う。通路はまだ明るかった。途中で『ご自由にお使いください』という文字と共に毛布が置いてあったので一枚借りる。
所々で眠っている受験生がいたので起こさないようにそっと歩く。どこでも眠れてすごいなあ、と感心しながら進んでいくと角を曲がったところでとんでもないものを見つけた。

「あ」

眼前に広がる凄惨な光景に思わず声が出る。血の海と人だったはずの肉塊。転がっている生首とばっちり目が合う。
ば、バラバラ死体だ……。夢見が悪くなりそうな光景に『だから食堂が一番安全だって言ったじゃん』と内なる私がため息をつく。久々にこういうの見た。

「おやおや」

すると、私しかいないはずの通路で男性の声が聞こえきた。ハッ、として顔を上げるとバラバラ死体を挟んだ向こうにヒソカさんがいた。彼も丁度やってきたところのようで、死体を眺めた後、私を見て口角を上げた。

「君って、思ったよりやんちゃな子だねぇ……」
「違います!私じゃありません!」
「犯人は皆そう言うよ」

こ、こいつ……!深夜に突然身に覚えのない殺人容疑をかけられてキレそうになったが、ここでキレたら余計に怪しまれると思い「私には食堂にいたというアリバイがあります」と冷静に対応する。ヒソカさんはわざとらしく「う〜ん?」と首を傾げた。

「でも遺体の死亡推定時刻がわからないこの状況ではアリバイなんて意味を持たないんじゃないかな?」

た、確かに。バラバラになったこの人達について分かるのは390番と391番という番号だけ。二人が何時頃まで生存していたのか、はっきり行動を把握している人が果たしているのだろうか。
監視カメラもない飛行船の中、いつ死んだか分からないし、調べようもないのにアリバイも何もない。検死もできないこの状況では普通に第一発見者の私が怪しい。ヒソカさんの立場なら自分より前に現場にいた私を怪しむのは当然だ。

「私が……!こんなことする人間に見えますか……!?」

冤罪を晴らすため必死に訴える。学校の宿題はいつもちゃんと終わらせていた私が!予習復習は時々しかしていなかったけどテスト期間はしっかり勉強していた私が!無関係の人を殺すとでも!?
ヒソカさんはふむ、と暫し考える素振りを見せてから「見えなくはないかな」と信じられないことを言ってきた。

「言ったろ?君とは他人の気がしないって」

ヒソカさんは愉快そうに喉を鳴らして笑った。
じんわりと汗をかく。まずい、このままじゃ殺人犯にされてしまう。この冤罪を回避するには、どうにかして私に犯行は不可能だという証拠を見つけなければならない。
周囲を確認する。誰か他の人が来る気配はない。つまり、今その証拠を探せるのは私だけ。いつだって困った時に頼れるのは自分だけだ。自分の問題は自分で解決しなくてはならない。
睨みつけるように床のバラバラ死体を見る。この切り口、恐らく鋭利な刃物を使っているはず。まずは凶器の割り出しだ!とボディバッグから玩具のルーペを取り出し、死体の一部を手に取って断面をじっくり観察する。お菓子のオマケでついてきたルーペなのでよく見えなかった。

「ボクも子供の頃そういう玩具を持ってたよ」

捜査中の私を見てヒソカさんがどこか懐かしそうに言った。何関係ない話してんだ。遊び気分か?
この人にも子供だった時があったのかと少しばかり意外に思ったが、興味がなかったので「へえ〜」と適当に流す。

「昔好きだったお菓子のオマケにルーペがあってね。毎日持ち歩いてたよ」
「ふーん。私もこれはお菓子のオマケでついてきたもので……私は別にいらなかったんですけど、兄弟がダブったからって一つくれたんです。だから私はルーペに対して何の思い入れもないですね」
「君、兄弟がいるんだ?」
「兄だか弟だか覚えてないですけど、多分いました」
「家族なのに曖昧だね」
「昔別れたっきり、もうずっと会ってないから……」

ルーペで死体の断面を覗きながら答える。
私には、兄だか弟だか覚えていないが年の近い兄弟がいたはずだった。私一人が育ての父に引き取られて、それ以来一度も会っていないから、もう名前も顔も覚えていない。

「そう……」

ヒソカさんが小さく呟く。どんな顔をしているのかは見ていないから分からなかった。そのまま無視してると彼は急に私が持っていた死体の一部を掴んでゴミみたいにぽいっと捨てた。ひどいことする。人間をなんだと思っているんだ。

「もう遅いから子供は眠った方がいいよ。明日も早いからね」

眉を寄せる私にヒソカさんはいつもと変わらぬ顔でそう言った。
よくわからないが、私への殺人容疑は晴れたようだ。というかこの話に飽きただけかもしれない。
それなら私も犯人探しに拘る必要はないので「じゃあ、また……」といつもの挨拶をして別れた。さて、どこで寝よう。

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