サマータイム・ブルース

怪しげなバット組織の元科学者である少女(本名不明)の熱が下がり、完全に回復したのはそれから三日後。
彼女が動けるようになったのを確認してから博士の家で私達が始めたのは江戸川コナンよろしく子供姿で使う新しい名前決めだった。

「V・I・ウォーショースキーのイニシャルのIからとって『あい』はどうじゃ?」
「良いじゃん『あい』ちゃん!可愛いし!」
「そう?じゃあそうしようかしら」

女探偵が活躍する推理小説をパラパラ開きながら幾つか見つけていった名前候補から、最終的に決まった偽名は『はいばらあい』
コーデリア・グレイとV・I・ウォーショースキーが名前の由来となったそれは中々彼女に合っている。同じ推理小説から組み合わせたというのに、三人と一人の差だろうか、江戸川コナンの酷さが際立つな。
音が決まったら、次は漢字決めだ。名字の『はいばら』はグレーが由来なので『灰原』でいいだろうとあっさり決まる。
残った下の名前は、そもそも漢字か平仮名か。

「あいって平仮名?漢字?漢字なら私は藍色の藍が良いと思うんだけど」
「いやいやここは愛情の愛じゃろう」
「哀しいの哀がいいわ」
「「えっ」」

推理小説をぱたん、と閉じて静かに放たれた本人の希望に、私と博士は固まる。
哀しいの哀って哀愁の哀?悲哀の哀?可哀想の哀?悪いとは言わないが、人名に使うような漢字ではない。

「でも藍色の藍も綺麗だよ…」
「愛情の愛も可愛いと思うのじゃが…」
「いいの。その二つより私には哀の方が合ってるから」

そう言うと新しく決まった偽名を紙に書いた。『灰原哀』か。
よりによって喜怒哀楽の哀って、大人が考えることはわからない。
藍色の藍を諦めきれない私を放置して、哀さんはノートや筆箱、上履きに黒のペンで新たな偽名を書いていく。綺麗な字だった。頭の良い人は字が綺麗だと誰かが言ってた気がする。

「って、なんで上履きに名前書いてんの?」
「博士の発案で来週から小学校に通うことになったのよ」
「うむ、明日にはランドセルも届くぞ」

胸を張って答えた博士が帝丹小学校から貰ったプリントを見せてきた。必要なもの:ランドセル、教科書、上履き、筆箱、体操着…その他色々。全てに名前を記入しろとのこと。
うちの家族同様決めたら無駄に行動の早い博士は、哀さんの熱が下がるまでの間にもう役所で手続きも済ませたらしい。

「えー、わざわざ通う必要ある?」
「行かないわけにはいかんじゃろ。子供の姿で学校にも通わずこの辺をうろうろしていたらご近所さんに不審がられるわい」

ああ、まあ、確かにそうかもしれないけど。
家に籠りきりというわけにはいかないし、ご近所さんに怪しまれたら最悪の場合博士が捕まる。けど、一人で学校なんか行って大丈夫だろうか。誰がどこで見てるかわかったもんじゃないのに。
博士が持っていたプリントを見る。通うのは帝丹小学校の1年B組。哀さんって1年生なんだ。まあ、背も江戸川さんと同じくらいだもんね………あ。

「そういえばお兄ちゃんに哀さんのこと教えるの忘れてた」
「いいわよ別に言わなくて。自分の口で説明するから」
「そう?」

哀さんが小さく頷く。揉めないだろうか。
私は身内なだけで結局当事者ではないから哀さんの話を聞いてもそこまで嫌悪感も憎悪もないが、薬を飲まされた張本人からしたら開発者との対面は刺激が強すぎる気がするんだが、そこらへん大丈夫かね。
あの人結構血の気多いから喧嘩になるかも、と心配になったが子供同士なら力は拮抗しているし、そんなに問題ないかな?まあ、哀さんは冷静な人だから言葉を選ぶだろう。誰か巻き添え食らって死なないといいけど。

なんて笑えない事を思いつつ、私も小学校の準備を手伝おうと手元のプリントを読んで必要なものを一つ一つ確認していく。足りないものはないかと見ていくと雑巾と手提げかばんがないことに気が付いた。

「博士、雑巾と手提げかばんは?」
「雑巾なら台所に掛かっておるものを…」
「ダメだよあんなきったない物。手縫い指定だし、作らないと。手提げは?」
「手提げはワシのお古を持たせようかと。女の子には地味じゃが、大きくて何でも入るし」
「ダメダメ変なもん持たせたらいじめられるよ!子供は残酷なんだから!」
「そ、そうかのう」

女の子には幼稚園の時からオシャレ抗争というものがあるのだ。幼いうちは母親のセンスが子供の評価に繋がる。
博士は全く分かっていないようなので、代わりに私が準備した。雑巾は簡単なのでその場で作り、手提げかばんは私が昔使っていたものが沢山あるので特に綺麗なものをあげることにした。名前のワッペンだけ取り外し、新しく縫い付ける。
「迷惑かけるわね」と言ってきた哀さんが小学校に通う姿を想像すると可愛かったので特別にうさぎのアップリケもつけてあげた。
任せてくれ、私が哀さんを1年B組のおしゃれ番長にしてやるから。

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