逆襲のシャア2

江戸川さんに近況を報告した次の週末、お母さんが帰ってきた。
いつも通り何の予告もない帰省に、私は初めて焦った。それは捨て猫をこっそり家に連れて帰って内緒で世話をしている子供のような気持ちだった。

シャ、シャア(昴さん)が……シャアが保健所に連れていかれちゃう!

特技:事後報告の江戸川さんがお母さんにシェアハウスの話をしているはずがない。となれば、今の昴さんは同居人ではなくただの不審者だ。
ただいまー!と玄関先から母の元気な声が耳に届いた時、私はすぐさま捨て猫シャアの部屋の前にバリケードを設置し、彼の部屋を封鎖した。よしっ!

「お、おかえりなさ〜い」
「ただいま、さっちゃん!ねえ、玄関にあったあの靴誰の?パパのでも新ちゃんのでもないわよね?」

やべ、靴隠すの忘れてた。
さーっと血の気が引いていく。なんて凡ミス。さよならシャア。

「ってことはあのイケメンの靴かしら?彼どこにいるの?」

キャーッと両手で頬を包む母の言葉に、お別れ会の準備中だった思考が停止する。イケメン…………?
母はうきうきした様子で家の中を進んでいく。あれ、もしかして?

「お母さんシャアのこと知ってるの?」
「シャ……え、だ、誰それ!?」
「あっ、間違えた、昴さん」

言い直すと硬直していた母はすぐに元に戻り「もうあだ名で呼んでるのね〜」と微笑ましそうにしていた。呼んでない呼んでない。猫を飼ったらつけようとしていた名前と間違えた。

そうこうしてるうちに母はバリケードで封鎖された昴さんの部屋を見つけて「いじめダメ絶対!」と私に拳骨をお見舞いした。
母がバリケードを退かして昴さんを救出するのを眺めながら頭の痛みもよそに、ぽりぽりと頬を掻く。
あれ、なーんだ。江戸川さんご報告済みだったんだ。

***

「ちょっとここが甘いわね。これじゃすぐ取れちゃうわ」
「すみません、中々一人じゃ上手くいかなくて」
「うんうん、わかるわ〜。私も始めたばかりの頃は苦戦したもの」

リビングに集まって早々、お母さんの街角ヘアメイクコーナーが始まった。
本日のお客様は東都大学工学部の大学院生、沖矢昴さん。なんでも長年付き合ってる頑固な隈を隠したいらしい。
あの人メイクしてたんだ……と吃驚しながらお茶を啜る私の視線に気がついた母が、こちらに顔を向けるとにこりと笑った。

「大丈夫よ、彼は味方だから」

いや、そりゃ敵だと困るけど。
ちょっと意味がわからずに答えないでいると母が昴さんのメイクを直しながら今の状況に至るまでを詳しく教えてくれた。

「つまりね、今の彼は世を忍ぶ仮の姿なのよ」
「へえ……」
「さっちゃん、どうして急に興味なくしたの?」

昴さんの正体に関する話を聞いてあからさまにテンションの下がった私の顔を母が覗き込む。
いやあ、だって、昴さん、ただの捨て猫じゃなくて結構めんどくさい立場の人みたいだから…。
江戸川さんご報告済みどころか最初から全て仕組まれたものだったわけね。私以外みんなグルですか。
なんかもう絶対今後この家で何か起きるじゃん。出てってもらえないかしら。
と思っていることが顔に出ていたのか、私の胸中を察したらしい昴さんが口を開いた。

「君には本当に申し訳ないと思ってる」

ジャックバ○アーだ…。
心の中でしょうもないツッコミをする私に真っ直ぐ視線を合わせた昴さんは開眼して強キャラ感がでていた。これさては素顔結構違うな?

「だが少しの間だけ、協力してもらえないだろうか?今まで通りホラー映画も観るし、トイレにも次はちゃんと着いていくよ」
「まあ!そんなことさせてるの!?中学生にもなって恥ずかしい!」
「ちょ、やめてその話」

何私のことちょっと恨んでるのか?

***

さて、メイク講座を開いた母が再び飛行機で日本を飛び立ってからまたもや二人での生活が始まった。
一応、これから毎週末母は家に帰って来て昴さんのメイク(変装)の様子をチェックするらしい。大人って大変だなぁ。

そしてそれからというもの、昴さんがなんか小煩くなった。

元からあの人は几帳面なタイプでずぼらな私とは合わないところが多々あったが、思うところがあってもそんなに干渉してこなかった。
なのに、この前お母さんが戻ってきてからというもの「ちゃんと脱いだ服は片付けましょう」だの「置きっぱなしにすると無くしますよ」だの「このプリント明日が提出期限ですよ」だのやかましいのだ。
無視してると一旦は代わりに片付けてくれるのだが、最終的には私の部屋までやってきてもう一度注意する。
何これ、おかしい…今この家にお母さんはいないはずなのに……まるで四人で暮らしていた頃のような感覚…これは一体どういうことだ…。

わけもわからず、今朝も私は昴さんに叩き起こされた。鍋にお玉という漫画のおかん目覚ましを食らい、ベッドから転がり落ちた私に昴さんは先日配布されたプリントを見せた。

「今日から合唱コンクールの練習期間でしょう?いつもより一時間早く集合って書いてありますよ」
「うん…でもほら、私昨日寝たの3時じゃん?」
「それで?」
「…………ご飯たべる…」

トーストありますよ、という声を無視して洗面所へ向かった。
ダメだ、学校休めない…。
昴さんは私のスケジュールを完全に把握していた。というか私ですら知らない学校行事もちゃんとカレンダーに書いてあるのだ。今日から合唱コンクールの練習期間とか普通に忘れてたわ。練習ってサボるもんじゃないの?私今まで出たことないよ。
確かに昴さんが家にずっといて気まずいから学校に行こうかな〜とか思ってたけど、こんな風に時間通り叩き起こされて登校しようなんて思ってなかった。
以前の自分では考えられない行動に、徐々に疑問が膨らむ。

「おかしいよやっぱり…」
「何が?」
「めちゃくちゃ眠いのに学校に行くなんて変だよ…」
「気持ちはわかりますがそれは自分のせいですよ」

着替えも朝食も済み、あとは家を出るだけ。
私の鞄を持った昴さんに追い込まれた玄関先で座り込むという幼少期によく使った手で抵抗の意を示していたら、普通に無理矢理立たされた。つ、強い。

「俺は有希子さんに君のことを任されているんでね」
「ちょ…ま……!」
「さあ、学校に行きなさい」
「う、うるさい!!母親面しないでよ!本当のお母さんでもないくせに!」
「は?」

昴さんの手元から鞄を引ったくって玄関を飛び出し、そのまま振り向かずに学校までの道を走った。
私ってば何を言っているんだろう。

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