シャア専用カレー

江戸川さんに連れられロンドンへ行った博士が無事に生きて帰ってきた連休明け。学校帰りに友達の家に寄っていたら帰るのが少し遅くなってしまった。
ただいま〜、と玄関のドアを開けるとほのかに感じるカレーの匂い。意図せず今夜の夕飯のネタバレを食らってしまった。
学校の鞄を持ったままリビングへ入ると台所にいた昴さんが「おかえりなさい」とこちらに顔を向けた。

「今日ってカレーなの?」 
「よくわかりましたね」
「匂いが充満してるから」

どうやらカレーはとっくに完成しているようで、コンロの火はついていなかった。昴さんと話しながら鍋の蓋を開けて中を覗き込む。よりによって一番デカい鍋を使って作られていた。ここは合宿所か?ってくらいの量だ。

「私と昴さんの二人なのにこんなに沢山作ってどうすんの?」
「二人分がどのくらいの量なのかわからなくてつい……」

マジで?めっちゃアホじゃん。
と言いそうになってやめた。昴さんは最近料理を始めたばかりなのだ。いくら器用で上達してきたとはいえ、まだ初心者。カレールーの箱の裏に分量が書いてあるなんて夢にも思わないんだろう。そりゃこういうミスもしてしまう。

「はー、全く。昴さんはおっちょこちょいなんだから。しょうがないね本当に」
「面目無いです」
「やっぱり先輩の私が見てないとね!どれ……」
「あ、手伝いは大丈夫です」
「えっ」

肩を掴まれたと思ったら優しく押し出すようにして台所から追い出される。私はこの家の先住民だぞ。

「ええ……、じゃあ、今日食べられない分は小分けにして冷凍する?そしたら暫く持つし……」
「いえ、折角だからお隣の阿笠博士へお裾分けしようかと」
「ふーん、まあいいんじゃない。昴さんがそうしたいならさ」
「尊重してもらえて嬉しいです」

感謝されたのでへへっ、と鼻の下をこする。

「でもさっき見たら電気が点いてなかったから、出掛けてるみたいだよ」
「へえ、まだ戻っていないんですね」

私の言葉にそう言って驚く昴さんからは、少しだけわざとらしさを感じた。
まだ?と聞き返すと実はお昼過ぎにはカレーを作り終えていたらしく、お裾分けに行きたかったのに阿笠邸はその時からずっと留守らしい。
「何か聞いてます?」と訊ねられ「別に何も」と返す。そりゃあ私と博士はマブダチだけどちょっとしたお出掛け程度なら一々家を空ける理由を話したりはしない。
昴さんは気になるのか窓の側へ行って灯りがついていない隣の家を見た。

「ほっとけば〜?そのうち帰ってくるよどーせ」
「博士はともかく、あの少女がいないのは妙では?小学校の下校時間はとっくに過ぎているでしょう」

確かに。状況的に哀さんもまだ学校から帰っていないことになるが、彼女はこんなに遅くまで寄り道するタイプじゃない。
昴さんは「少し気になります。様子を見に行きましょう」と言って玄関へ向かった。
え、私のご飯は……?と慌てて後を追う。



すぐ隣の阿笠邸は先程と変わらず真っ暗だった。二人揃って眠りこけた可能性も僅かにあったので呼び鈴を押して見るが反応無し。
私が「帰ろっか」と言いかけたところで昴さんが玄関のドアノブに手を掛けると普通に開いて吃驚する。なんと鍵が掛かっていない。
昴さんは少しも迷わず中へ入った。嘘だろこの人。
ちょっと引きつつ彼の後に続いて中の様子を窺う。玄関に靴はなかった。真っ暗な室内へ向かって一応二人の名前を呼んでみるが返事はない。

「やっぱり誰もいないみたい」

ドアを開けたままそう言うと昴さんは徐ろに靴を脱いで上がった。嘘だろこの人。江戸川さんみたいなことするじゃん。
そのまま暗い室内を進んで行くので彼の代わりに電気を点ける。玄関のドアを閉めて施錠してから私も靴を脱いだ。

「ねえ、帰らないの?」
「少し待ってください。二人が心配です」

部屋の中央まで来た昴さんは「何かあったのかも」と言った。お母さんってのはみんな心配性だなぁ。
暇なので勝手に冷蔵庫を開けてコーラを取り出す。コップに注いで昴さんにも渡すとお礼を言われた後に「これは元々早希子さんの飲み物なんですか?」と聞かれたので「そうだよ」と頷いた。博士のものは私のもの。私のものは私のもの。世界の常識である。

昴さんは渡したコーラを飲まずにカウンターに置くと玄関の方まで戻り、その場に屈んで床を見た。何か探してるんだろうか。バーロが事件現場でよくやるやつだ、と思いながらコーラをちょびちょび飲む。

「昴さん」
「なんですか?」
「好きな子いる?」
「どうしたんですか?」

言いながら昴さんはこちらへ戻ってきて私の額に手をあてた。熱はないから大丈夫だよ。

「いや暇だから恋バナしようかなって。大学に好きな子いる?」
「早希子さんは?」
「別にいないんだけど、私ほら天使かってくらい可愛いからさ。モテモテで困っちゃってるかな〜?」
「早希子さんは魅力的ですからね」
「まあね。クラスの男子とか全員私のこと好きだしね」
「集団催眠ですか?」
「なんでそういうこと言う?」
「理解し難い状況なので」

こちとら容姿だけならクラスどころか学園のアイドルだぞ。ナメてんのか?
このまま引き下がれないな、と飲みかけのコーラをカウンターに置いて私のモテモテエピソードを披露しようと口を開いたところで突如電話が鳴った。
私が出ようとすると昴さんが「待って」と制止する。そのまま私に代わって受話器を取るが、もしもし、と言ってすぐに通話は終わった。

「誰だった?」
「無言電話ですね」 

気になるのか思案顔を見せる昴さんと違って私は特に何も感じることなくふーん、と流す。

「まあ、いいや。昴さんって初恋何歳?」
「早希子さんは?」
「私はね、幼稚園の時に海水浴場で会った子だから5歳かな?私より年上の……」

言いかけたところで再び電話が鳴った。もう一度昴さんが出るが、先程同様すぐに切れてしまったらしい。

「確か、予備の追跡眼鏡がありましたよね?」

受話器を置いた昴さんは、少し間を空けてからそう言った。

「あるけどなんで?」
「博士達は何か事件に巻き込まれているのかもしれません。念のためあの子が身につけている探偵バッジの位置を確認しましょう」

あの子、というのが哀さんのことであるとすぐに理解し、返事をしながら博士の部屋まで追跡眼鏡を取りに行く。この人発明品のこと結構知ってんだな、と思った。
私から受け取った眼鏡でバッジの反応がある位置を確認すると昴さんは「見に行ってきます」と私に言った。

「危ないので早希子さんは家で待っていてください」
「言われなくても。カレー食べてるからね」
「デザートにプリンもあります」
「やるじゃん……」

この大学院生、出来る。
昴さんは「火は危ないので、カレーを温める時は気をつけてください」と念を押して出ていった。私のこと幼稚園生だと思ってんのか?
心配性の母を見送ってから家に戻り、一応いつでも警察に連絡できるよう準備だけして一人でカレーを食べる。私は中学生なので火は全然大丈夫だったし、食後のプリンも美味しく頂いた。

その後、博士達と一緒に帰ってきた昴さんの話によると博士は宅配業者を装った誘拐犯に拉致され、身代金を引き出すために監禁されていたそうだ。その現場に偶然居合わせた哀さん含む少年探偵団が誘拐犯となんかドンパチしていたらしい。つまりいつものやつである。
帰ってきた博士は「昴君と子供達のおかげで無事に戻れたわい」と恥ずかしそうに笑っていた。
おじさんのくせに囚われのお姫様ポジションになるとは。私なんかそんなドキドキ乙女イベント一度も起きないってのに、生意気だぞ。むっとしたのでコーラは全部飲み干しておいた。

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