永遠にアムロ

ポアロは落ち着く。最高の場所だ。
毛利探偵事務所の一階で営業している喫茶店ポアロは、小さな店舗ながら充実したメニューと何度食べても飽きない味の良さが魅力的。常連客の多い人気店だが、平日のお昼前は人が少なく静かでゆったりと過ごすことができた。
先程運ばれてきたばかりのカルボナーラは相変わらず美味しい。携帯で時間を確認する。今頃みんなは英語の授業中だ。いつもなら私も椅子に座って空腹に耐えていただろう。
勉強をするわけでもなく、空腹に苦しむわけでもなく、少し早めの昼食を自分のペースでゆっくり味わうことのできる今この瞬間に、私は何とも言えない幸福を感じた。甘いドリンクもデザートもあるし、何よりここは静かで居心地が良い。一生ここに居たい。

「早希子ちゃん、学校は行った方がいいですよ」

そんな私の憩いの場をぶち壊す声が聞こえた。
顔をあげると最近入ったというバイトの人が私のコップにお冷を注いでいた。名前は安室透。褐色肌に明るめの髪色が特徴の男性で、歳は新出先生と同じか少し上くらい。
入店するなり梓さんが「新人さんよ」と教えてくれたので一応ここの常連客の一人として自己紹介は済ませたが、…………この人今なんて言った?




「許せないよ!」

怒りを抑えきれず両手で強くテーブルを叩く。向かいの席に座ろうと椅子を引いたおじさんがビクッと肩を揺らして「な、なんだぁ?」と聞いてきた。

「さっき聞いたよ、おじさんの弟子なんでしょ?あの人!」
「弟子って、安室君か?」
「そう!なんとかしてよ、本当に信じらんない!」
「な………なんかされたのか!?」
「うん!学校に行けって言われたの!あの人破門にして!」
「いや、学校行けよ早希子ちゃん」

おじさんは向かいの席に腰掛けると「最近は真面目に行ってると思ったのによ……」と頬を掻いた。
あの安室透とかいう人は、つい最近おじさんに弟子入りした探偵らしい。なんでその探偵がポアロにいるんだ。怒りに打ち震える私を前に、おじさんは付き合う気がないのか慣れた様子で新聞を広げた。
私は今までポアロでこんな思いをした事はなかった。梓さんもマスターも私に学校へ行けなんて言わなかったからだ。制服姿で堂々と入り浸る私に、二人はただ困ったように笑うだけだった。
学校は行った方がいいですよ、だ?安室さんに言われた言葉を脳内で反芻する。

「駄目だ、やっぱり許せない……!」

小さく呟くとおじさんは一度ちら、とこちらに目を向けたが、何も言わずにすぐまた新聞へと視線を戻した。私は気にせず話を続ける。

「大体うちはエスカレーター式なんだから高校は外部受験組より楽に入れるし、ていうか私中学生だよ?中学なんて、なんだかんだテキトーにやれば卒業できるように出来てるんだからさ!」
「義務教育と言えどバカにはできませんよ」

うわーっ!でた!!
おじさんに愚痴をこぼしていた私に、いつの間にか側に来ていた安室さんはくすりと笑って言った。気配がない、忍びの者か!?
安室さんは警戒心をあらわにする私のことなど気にも留めず「お待たせいたしました」と言いながらおじさんが頼んだカツサンドと私が頼んだデザートのチョコサンデーをテーブルに置く。
どうしてこの人が運んでくるの?私のオーダーは梓さんにお願いしたのに!と、慌ててカウンターにいる梓さんに視線を向けると苦笑している彼女に口パクで「ごめんね」と言われた。

「梓さんに聞きましたけど、早希子ちゃんは平日の日中によくここへ来るそうですね?」
「まー、よくいるよな。最近は減ったけどよ」

言いながら、おじさんは早速カツサンドに齧り付いた。最近はお母さんが目を光らせているからあまり顔を出せなくなったけど、少し前までは定番のサボり場所としてここへ来ては、時折おじさんと週刊誌のゴシップ記事や沖野ヨーコちゃんが出演したテレビの話で盛り上がったものだ。
今日は久しぶりに来れたのに……と悔しさを感じながらデザート用のスプーンを手に取ると、安室さんの目が私を向く。

「出席日数は足りてるんですか?三分の一以上の欠席がある場合原級留置の対象になるのは義務教育でも同じ……。実際、私立中学では何件か事例もありますよ」
「…………大丈夫だし!私は世界的ベストセラー作家と大女優の娘だよ?そのくらいの計算は朝飯前なんだから!」
「それはよかった」

優しく笑う安室さんから、フン!と顔を背ける。私の態度に安室さんが不思議そうにしているのが見なくてもわかった。

「早希子ちゃんがお前のこと嫌いだってよ」
「ええ?それは傷つきますね」
「べ、別に嫌いとまで言ってないよ。邪魔ってだけで……」
「それもっと酷くねーか?」
「ねえ、シフト夜だけにしてくれません?」

そしたら昼に会わずに済む。夜はお母さんとご飯を食べるから私はポアロに来ない。
私のお願いに「それはちょっと……」と困ったように答える安室さんに、あっという間にカツサンドを完食したおじさんが「気にすんな。早希子ちゃんはちょっとワガママなところがあっからよ」と声をかけた。おじさんはどうやら完全に彼の味方らしい。
後から来たくせに私の身近な人を取り込むなんて……と、むっとする。何もかも面白くない。

「そもそも安室さんは何をしに来たんですか、この街に……」

言いながら私は持っていたスプーンを武器のように構えた。おじさんに弟子入りしたのはわかった。それは分かったけど、ポアロでバイトをする意味がわからない。
安室さんはきょとんとしていたが、殆ど間をあけずに答えた。

「そりゃあ、もちろん尊敬する毛利先生のお側で探偵として勉強させてもらいに、ですよ」
「この俺の名推理に痺れちまったそうだ。ポアロにいりゃいつでも俺と一緒に現場へ向かえるってことでバイトまで始めてな。見上げた若者だろ」

そうかな?見る目ない若者だとは思うけど。
とは言わず、ガハガハ笑うおじさんを見ながら「ふーん」と適当に返事をしてアイスが溶けかかったチョコサンデーを食べる。
おじさんの名推理って江戸川さんの麻酔針パフォーマンスのことでしょ?弟子入りする相手間違ってるじゃん。

「俺は弟子なんざ取らねぇ主義だったが……安室君からは授業料も貰ってるしな」

おじさんがにやけ面を晒してそう言うと安室さんはニコッと笑った。おじさんは私と同じで面倒事は嫌いなはず。弟子入りを受け入れたということは恐らく相当な額を貰ってるんだろう。
大人って汚い。何でもかんでも金で解決しやがって。

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