金一少年の事件簿

それは私がいつも通り学校から帰宅して、わりとすぐのことだった。ランドセルを背負った江戸川さんがインターホンも押さずに玄関のドアを開けて「大変だー!」と家の中に駆け込んできた。


「ええ!世良さんがうちに来るかもしれない!?」

頬をおさえて「きゃ〜〜〜〜!!!」とはしゃぐ私に「いや……、世良さんっていうか、蘭ねーちゃん達……」と江戸川さんは息も切れ切れに答えた。ここまで走ってきたらしい。

「早速パーティーの準備しなきゃ!」
「しなくていいよ!」

江戸川さんはそう言って私を止めると昴さんの方を見た。

「とにかく急いで準備して!パーティーじゃなくて変装の!」
「ああ……」

江戸川さんの言葉にそう頷いた昴さんは、いつもと違って顔も髪型も絶妙に未完成だった。
普段は私が「だ、誰ェ!?」とならないように沖矢昴の顔のままなのだが、今日は偶々、前に一度だけチラッと見た頑固な隈持ちの眼がちょっとだけ見えていた。
何なら声も違う。沖矢昴の時より無愛想な声だが、不思議と初めて会ったような気がしない、懐かしさを感じさせる声だった。知らんけど。

昴さんが変装を完成させるために洗面所へ向かうと同時に私も自室へ戻ってクローゼットを開ける。自分にとって一軍の服を引っ張り出し、鏡の前で身体に当ててみる。世良さんに「明るい色が似合う」と言われたので、華やかな色のものを選んで組み合わせてみるが、中々決められない。迷っている二着を掴み、急いで江戸川さんの元へ戻った。

「ねえ、このスカートとこっちのワンピースだったら、どっちの方がいいと思う?」
「うるせーな!制服で迎えろ!」

焦っているのかすぐそこの洗面所に昴さんがいるにも関わらず江戸川さんは工藤新一みたいに切れていた。
でも確かに学生のフォーマルは制服だし、着替えないでこのまま出迎えた方が良いかな……?迷った末、私服に着替えるのはやめた。その間に私も昴さんや江戸川さんと同じく出来る準備をする。
少ししてインターホンが鳴った。き、来た!来たぞ!
胸を高鳴らせながら廊下を走る。緊張で足が縺れて一回転んだ。


「おじゃましまーす!」
「ようこそ、いらっしゃいませ!」

玄関のドアが開き、先頭を切って入ってきたのは世良さんだった。玄関で『世良真純様御一行、大歓迎!』と書かれた即席ウェルカムボードを持ちながら「お待ちしておりました!」と何度も頭を下げると園子ちゃんが「何この未だかつてない歓迎……」と引き気味に呟いた。

「上がって上がって!すぐお茶淹れるからね!」
「ありがとな、早希子」
「蘭ちゃんと園子ちゃんは美味しい紅茶で、世良さんは美味しい紅茶、緑茶、コーヒー、オレンジジュース、リンゴジュース、ミックスジュース、コーラ、ココアが選べます!」
「なんで世良さんだけメニュー豊富なのよ!?」

「さっきから何!?贔屓じゃん!」とウェルカムボードを指差しながら騒ぐ園子ちゃんを宥めた蘭ちゃんが「さっちゃんって世良さんが好きなのよ」と微笑ましいものを見るような目で言った。やだ、恥ずかしいじゃん!はっきり言わないでよね!
でへ、でへへ……と照れていると世良さんは「ボクも二人と同じ美味しい紅茶で」とウインクをした。素敵過ぎて心臓麻痺を起こしかけた。

「コナン君はもう来てるのか?」
「恐らくどこかにいます!」
「なんであやふやなのよ……」

江戸川さんの所在とか知らん。三人に「紅茶淹れてくるね!」と声をかけてから、先にキッチンへ向かう。
折角世良さんが来てくれたのだ、私が家庭的な女だってアピールしないと!
普段は立入禁止になっているキッチンも昴さんがいない今なら自由に入れる。早速美味しい紅茶の茶葉が入った綺麗な缶を手に取った。
来客用の紅茶なんてまともに淹れたことがないけど、やる気があればなんとかなるだろう。お湯を沸かしている間、見様見真似で上の棚からティーポットと人数分のカップを取り出す。カップって温めた方がいいんだっけ?最後の一滴がめちゃくちゃ最高みたいな話は知ってるからそれは世良さんのカップに注ぐとして……。
考えながら紅茶の缶の蓋を開ける。これはどのくらい入れたらいいんだ?薄いと嫌だし、渋くても困る。
ティーポットの真上で缶を傾けてそっと振る。中々出てこないので少し強めに振ると茶葉が一気に落ちてきた。

「うわーっ!?お母さーん!!」

ティーポットの中だけでなく台の上にも散らばった茶葉を見て絶望する。最悪だ。
しかし、いつもなら声を聞きつけて飛んできてくれるはずの昴さんは来なかった。ということはまだ変装の準備が整ってないんだろう。
一旦椅子に座り、ふーっ、と荒い息を整える。落ち着け、落ち着くんだ。これは私一人でやり遂げなくてはいけない。私は世良さんに家庭的な女だってアピールしなきゃいけないんだ。
お湯が沸いたのを確認し、立ち上がった。


***

「さっちゃん、いる?私達も手伝………さっちゃん?」

蘭ちゃん達がやってきた頃、私は人数分の紅茶を前に項垂れていた。私の様子がおかしいことに気付いた蘭ちゃんが「どうしたの?」と気遣わしげに言う。
ゆっくり顔を上げると目に涙を溜めた私を見て三人はぎょっとしていた。

「上手に、淹れたかったのに……なんか、駄目、だった……」
「な、泣いてる……」

紅茶が上手く淹れられない……!と悔し涙を流す私にキッチンに集まった三人は動揺していた。紅茶が淹れられなくて泣く人間を見たのは初めてなんだろう。
台の上に散らばった茶葉から悪戦苦闘した跡が見て取れるのか、蘭ちゃんが苦笑する。

「駄目って、ちゃんと淹れてあるじゃない」
「そーね。見た感じ別に変なところもないし……」
「でも、もっと、もっと上手くできたはず……こんなはずじゃ……」

人数分のカップに注がれた紅茶を見ながら首を振る。本当なら、もっと美味しく淹れられるはずだ。こんなの全然駄目だ。
ううう………と制服の袖口で涙を拭っていると園子ちゃんと蘭ちゃんが「あの子こんなに向上心あったっけ?」「恋の力よ……!」と言い合ってる声が聞こえてくる。
その通り、私は世良さんに最高の紅茶を飲ませたかったんだ。あまりの美味しさに感動した世良さんに「一生ボクに紅茶淹れて」とか言って欲しかった。

「ったく、しょうがないな。早希子は泣き虫だもんな」

世良さんは優しくそう言うと私の肩に手を回して抱き寄せた。抱き………だ、抱き………!?!?自分の顔が茹でダコのように赤くなるのを感じる。

「あ、あふっ………?…う……へへっ……?おっふ………」
「さっちゃん!?あんた幼稚園の時の方がもっとしっかり喋れてたわよ!?」

突然の密着で言語を忘れた私に向かって園子ちゃんが「正気に戻りなさい!」と叫ぶ。脳がおかしくなる。

えへへ、えへ……と照れ笑いをしながら世良さんの傍から離れない私を見て、蘭ちゃんと園子ちゃんは「人って変わるんだね」「あの他人に興味無しのさっちゃんがねぇ〜」などと言いながら椅子に座る。私自身、めるちゃん以外に心を奪われる日が来るなんて思わなかった。これがラブ・ストーリーは突然にってやつか。

世良さんが自宅にいるという夢のような状況に脳内で快楽物質の分泌が促進される。幸せを感じつつ、のんびり紅茶を飲んでいるとお兄ちゃんの隠し事の話になった。三人が今日うちに来ることをお兄ちゃんは嫌がったらしい。
何か見せられないものを隠してるのでは、と話す園子ちゃんに、先程からキッチンを見て回っていた世良さんは「隠してるのは女の存在かもね……」と言った。
棚の上に置いてあった髪留めのゴム、洗い場にある口紅を親指で拭った跡のついたグラス、排水口の長い髪の毛。世良さんが私ではない女の痕跡を見つけ出して提示していくと蘭ちゃんより先に園子ちゃんが「新一君、女を連れ込んで浮気を!?」と前のめりになって言った。

「どうなの!さっちゃん!?」
「それはお母さんが……」
「やっぱり昴さんか」

世良さんが納得したように頷く。
今私が口にした“お母さん”とは実の母のことだったのだが、世良さんと園子ちゃんの間では『お母さんイコール昴さん』の式が成り立っているので、昴さんが私の留守中に女を連れ込んだという面白い話が進んでしまう。面倒なので訂正せずに世良さんを眺めていたら、蘭ちゃんが「えっ……?」と疑問の声を出した。

「さっちゃん、昴さんのことお母さんって呼んでるの……?」
「うん」
「な、なんで?」
「お母さんだから」
「昴さんはお母さんじゃないでしょ……?」

蘭ちゃんは謎の宗教を信仰する異常な村に迷い込んだ一般人みたいな声色で恐る恐るツッコミを入れた。その感性は決して間違っていないからこれからも大切にしてほしい。
世良さんが「聞くところによるとあの人中々世話焼きみたいだよ」と言うと、ますます理解できないのか蘭ちゃんは様子がおかしい村人達による謎の儀式を目の当たりにした時のような困惑の表情を浮かべる。その横で園子ちゃんが紅茶を飲みながら「ホント色気ねー関係……」とつまらなそうな顔で言った。私と昴さんの間に色気あっても困るだろ。青少年保護育成条例違反であの人捕まっちゃうよ。

pumps