涙のイエスタデー

母(実母)と母(昴さん)に声をかけてからコンビニへ行くために家を出ると辺りは薄暗くなっていた。
途中の交差点で信号待ちをしている間、パーカーのポケットに手を突っ込み、先程受け取ったばかりの指輪を取り出して眺める。
ミステリートレインパスリングと刻印がされたそれは、明日乗車するベルツリー急行のパスリングだ。これを車掌さんに見せるらしい。
ベルツリー急行とは年に一回だけ運行される蒸気機関車だ。東京駅から出発するが、終着駅までほぼノンストップで、どこへ着くかもわからないまま車内では乗客参加型の推理クイズが出題されるため“ミステリートレイン”と呼ばれている。

そのミステリートレインに私と母と昴さんの三人で乗車することが決まったのは、約一週間前のことだった。人気の列車だし、急すぎて流石に間に合わないかと思ったが、ギリギリのところで何とか三人分の乗車券を勝ち取った。急いで帰国した母から「これはさっちゃんの分ね」と言って手渡されたのが、この指輪である。私が今日学校へ行っている間に無事届いたらしい。
何故私達が元々予定していなかったミステリートレインに乗車することになったかと言うと………なんかよくわからない。よくわからないけど、多分ミッチーから送られてきた動画が原因だと思う。

それは先週の土曜日の夜のこと。いつもの面子でキャンプに行っていたミッチーから「探偵のさっちゃんさんならこの人を見つけ出せませんか?」と一本の動画が送られてきた。
そこに映っていたのは一人の女性。多分高校生か大学生くらいで、私のよく知る人物の面影があった。
その動画を観た時、私は「哀さんってマジで大人だったんだ」と吃驚した。そう、動画に映っていたのは紛れもなく哀さん本人だったのだ。江戸川さんと博士にも確認を取ったが、火がつけられた小屋の中で蒸し焼きの危機に陥った子供達を助けるためにアポなんとかの解毒剤を飲んだらしい。なんでキャンプに行って自分達が蒸し焼きになりかけるんだよ。
どうやらミッチーは命の恩人である大人哀さんにお礼が言いたくて探してるみたいだった。学校行けば会えるよ、とは言わないでおく。
やっぱりキャンプのお誘いを断って正解だった、と大人哀さんを眺めていたら、江戸川さんにこの動画は絶対に拡散するなと念を押された。私のネットリテラシーを舐めるなよ。

それからまた色々あって母が帰国し、私と昴さんと母で「ミステリートレインに乗車するぞ!」「おおーっ!」という感じになったのだった。細かいことは何も説明してもらえてないのでよくわからないが、説明されたところでどうせ理解できないので私はいち乗客として普通にミステリートレインを楽しむことにした。超楽しみ!

にやにやしながら指輪を眺めていると信号が青に変わった。渡らないと、と視線を前に向けたところで、横断歩道の先である人物がこちらに向かって手を降っていることに気づく。

「あ!あぁわ……!せ、世良さん………!?」

そこに居たのは世良さんだった。
一瞬幻覚かと思って目を擦ったが、その姿は消えることなく「早希子〜」と私を呼ぶ声まで聞こえてきた。信号が変わる前に慌てて横断歩道を渡る。
目の前まで行くと世良さんは「先週振りか?」と笑った。

「こんなところで会うなんて偶然だな」
「は、はい!………あっ」

返事をしてすぐ、自分がまだミステリートレインのパスリングを手に持っていたままだと思い出した。慌ててパーカーのポケットに放り込む。
世良さんが「なんだ?」と首を傾げたので「内緒!」と笑顔で答えた。明日、私と昴さんとお母さんがベルツリー急行に乗ることは江戸川さん以外の皆には秘密だ。なんかよくわからないけど楽しみ。すごく楽しみ!
ヘラヘラ笑っていると「変なやつだな?」と世良さんも笑った。手にコンビニの袋を持っていた。

「世良さんのお家ってこの辺りなの……?」
「ああ、一応そんな感じ」

私の質問に頷いた世良さんは、元々はアメリカに住んでいて日本へ戻ってからは一人でホテル暮らしだと教えてくれた。一人といえど日本にも頼れる大人はいるらしいし、引っ越してきてから日数も経って生活も落ち着いてきたが、マンションなりアパートなりの部屋を借りる予定はないそうだ。

「まあ、まだ暫くはホテルでいいかなって思ってるよ。色々楽だしね」
「ふーん、そうなんだ……」

世良さんの言葉に焦りはない。もしかして、ずっとこっちに居るわけじゃないのかな……?と不安になる。本人は「生まれ育った日本で探偵がやりたいから帰ってきた」と語ったが、目的は他にあって、用が済んだらまたアメリカに帰ってしまうのではないだろうか。何となくそう感じた。

「そうだ。今日はもう遅いからアレだけど、今度遊びにこいよ!」
「……いいの!?」
「もちろん、コナン君と一緒にさ!」
「え、江戸川さんと?」

思いもよらない名前が出てきて一瞬答えに詰まる。何故ここで江戸川さん?私達ってそんなコンビ売りしてたっけ?
世良さんの前ではバディ云々の話はしていないし、そんなに絡んでもいないはずだが、何故だか彼女は当然のように江戸川さんの名前を挙げた。

「それよりこの間のキャンプ、早希子はどうして行かなかったんだ?」
「キャンプって?」
「コナン君達が行ってたやつだよ。誘われたんだろ?」
「そりゃ私はまだ死にたくないので……」

控えめに笑ってそう答えると世良さんはキャンプと死が結びつかないのか不思議そうな顔をした。確かに普通のキャンプならルールを守っていれば余程の事が起きない限り命の危機などないが、江戸川さんが参加するキャンプは事件確定イベントと言っても過言ではない。実際今回も蒸し焼きイベントがあった。
それに前回のスキーでは江戸川さんが哀さんと忘れ物を取りに戻って、バスに乗り遅れてスキー場まで来れなかったお陰で私と博士とお子様達は何事もなく無事にスキーを楽しめたが、江戸川さんはこちらへ向かう途中で発生した無関係の事件に参加していたらしいし。事件って自由参加なんだね、知らなかった。

それよりも私は、江戸川さん達がキャンプに行っていたことを世良さんが知っていたことの方が気になった。もしかして世良さんも誘われてたのだろうか?なら行けば良かった、と聞いてみれば「いや?ボクは偶然さ」と返ってきた。

「群馬で桜でも見るかと思い立って移動して、偶々入った店の中で運命的にコナン君と出会ってしまったわけさ」

嬉しそうに話す世良さんはとても素敵だったが、私は“運命的に”という言い方が気になってムッとした。
私が口を開く前にどこからか電子音がなる。世良さんが「ごめん、ボクだ」と言いながら携帯を取り出した。以前、連絡先を交換した時のものとは違う新しい携帯だった。

「世良さん携帯変えたの?」
「ああ、コナン君と同じやつにしたんだ。いいだろ?」
「江戸川さんと同じ……」

また、また江戸川さんだ。思わず眉を寄せる。
買い変えた携帯をジャーン、と見せびらかしてくる世良さんは神の生まれ変わりかと思うくらい素敵だったが、彼女の口からまたもや同じ名前が出てきて流石に笑えなかった。
そういえば先週うちに来た時も世良さんは江戸川さんの所在を気にしていた。ただの偶然を運命的と言ったり、分かってて同じ機種に変えたり、二人で一緒に遊びに来いと誘ったり。

「もしかして、好きなの?江戸川さんの事……」
「ん?」

心の中で思っていただけのつもりが、つい声に出して言ってしまった。
世良さんは目をぱちぱちと瞬かせた後、いつもとは少し違う穏やかな笑顔を見せた。

「そりゃ、もちろん。ずっと見ていたくなるよな」

ガツン、と頭を殴られたような気分になった。次いで江戸川さんへの嫉妬を覚える。
絶対に負けられないと思って「で、でもさぁ!」と震える声で江戸川さんの悪口を言おうと必死に考える。

「江戸川さんなんて、あの、あれだよ?なんかやばいよ?」
「やばいって?」
「えっと、なんか、すれ違っただけの人でも妙だな…って疑ってかかるよ?」
「それだけ慎重なんだろ?周りに注意を払うのは観察眼が優れてるってこと。探偵には必要なものさ」

うんうん、と頷く世良さんはもう最高に素敵だったが、同時に江戸川さんの特性に理解を示すその姿に私は胸が締め付けられた。

「私、帰るね………」

それだけ言って、私は世良さんの返事を待たずに踵を返した。タイミングよく横断歩道の信号が青に切り替わっていたので、来た道を走る。見慣れた住宅街に辿り着き、一度だけ振り返ったがそこには誰もいなかった。
コンビニに行くはずだったのにすっかり忘れて、とぼとぼと家に帰った。

その夜、私の頭の中はあんなに楽しみにしていたミステリートレインのことではなく世良さんと江戸川さんのことでいっぱいだった。
まさか、まさか江戸川さんが私の恋のライバルだったなんて。心の奥底から様々な感情が湧き上がってくる。早く眠らなくてはいけないのに動悸が止まらなかった。
そうしていつの間にか眠りについた翌朝、私は久しぶりに熱を出した。体温計を見た母が「さっちゃんって本番に弱いのよね〜」と困ったように言う。母は潮干狩りの時と同じく私が今日という日を楽しみにしすぎて熱を出したと思ったようだ。
こんな状態でミステリートレインなど乗れるはずもなく、結局私だけ家で留守番となった。ぐす、と鼻を啜りながら天井を眺める。江戸川め〜!!

pumps