まだまだだね

「つーことで、ポアロでバイトしてる安室さんは黒ずくめの奴らの仲間バーボンだって分かったわけだけど」
「…………………」
「あの爆発騒ぎで灰原は死んだと思ってくれたみてーだから、多分これ以上探ってはこねーだろ」
「…………………」
「今は体調不良ってことでポアロのバイトも休んでるらしいけど、まあ、こうなったらもう戻ってこないんじゃねーか?よかったな早希子」
「…………………」
「オイ、聞いてんのか?早希子」
「うるさ〜〜い!!」

言いながら力任せにカウンターを叩くと江戸川さんは不可解な面持ちで「はあ〜?」と言った。
ミステリートレイン乗車予定日から三日後の午後。博士に呼ばれたのでお隣に行ったら学校帰りの江戸川さんが居て、VSバット組織の現状報告会という名の情報共有が行われた。本日の主な内容はミステリートレインで起きたドンパチについて。

「ミステリートレイン私も乗りたかった!乗りたかったよ〜!!」

ワァーッ!と一人で大騒ぎしている私に、江戸川さんは呆れたような目を向けた。

「母さんから聞いたよ、熱出してたんだろ?楽しみすぎて熱出すって小学生かオメーは」
「違うもん!それだけじゃないもん!」

カウンター席で泣き叫びながら「コーラお代わり!」と空のコップを差し出すと博士が「飲みすぎじゃよ……」と言いながらペットボトルを傾けた。今日は飲みたい気分なんだ。飲まなきゃやってられないんだ。

「言っておくけど私、江戸川さんには負けないから」
「何の話だよ」
「暫く話しかけないで!」
「なんでだよ!」

江戸川さんは意味がわからない、といった様子で「博士、オレもコーラくれ」と私の隣の椅子に座った。隣に座るな。

「というか何?安室さんがバット組織の人?だから私言ったじゃん!」
「お前は正論言われてキレてただけだろ」
「うるさ〜〜い!」
「何なんだよ」

ぐいっ、とコーラを一気飲みする。くそ……炭酸じゃ全く酔えない……私が子供だから……。
隣の席でコーラを飲み始めた江戸川さんは、頭を抱えて唸る私を完全に持て余しているようだった。

「とにかく、お前もこれでポアロに行けるじゃねーか」
「フン……」
「何へそ曲げてんだよ。列車の件はしゃーねーだろ」

つんとしてコーラを飲み続けていると、江戸川さんは「我儘なやつ」と迷惑そうに言った。

***


週末、元気がない私を見かねた園子ちゃんが伊豆高原の別荘へ招待してくれた。もちろん私だけでなく、江戸川さんと蘭ちゃんとおじさんも一緒である。
ただの避暑ではなく、噂の彼氏、京極さんとのテニスデートに向けて皆で特訓することが目的だった。テニス部員として素人には負けられないらしい。私はテニスが得意ではないので別荘の中でのんびり過ごさせてもらう予定である。
しかしテニスの特訓と言っても、この中にテニス部の園子ちゃんに教えられるほどの技術持ちはいない。どうするのかと思ったら当てがあるらしく、運転中のおじさんが「丁度良いスペシャルコーチをゲットしたからな」と上機嫌で答えた。眠りの小五郎の人脈でプロでも手配したのだろうか。
おじさんの言葉に、にやにや笑う園子ちゃんが「さっちゃんも会ったらきっと元気出るわよ〜」と肘で小突いてきた。ま、まさか、世良さん………!?





「すっご〜い!安室さん!」

テニスコートで合流したスペシャルコーチに向かってぱちぱちと手を叩く蘭ちゃんと園子ちゃんは、自分達のすぐ傍で私と江戸川さんが殺人現場を目撃した時のような顔をしていることに気付いていなかった。
元気が出るスペシャルコーチは世良さんではなく、まさかの安室さんだった。テニスは中学以来とか、ジュニアの大会で優勝したとか、なんかごちゃごちゃ言っているが全部耳を通り抜けていく。だってこの人、バット組織の悪い人で、もうポアロも辞めるんじゃ……などと思っていると週明けにはポアロのバイトにも復帰する、という絶望的な話が聞こえてきた。な、なんで!?話が違う!

「やだ!やだやだやだ!」

突然強い拒否反応を示した私の声に、園子ちゃんと蘭ちゃんが何事かとこちらを見る。安室さんが困った顔で「僕はちょっと早希子ちゃんに嫌われてて……」と説明すると園子ちゃんが信じられないとばかりに「は!?」と驚いた声を出した。

「うっそマジ!?こんなイケメン嫌うとか、あんたって変わってるわね〜!」
「だってあの人私に学校行けって言ったんだよ……」
「学校行きなさいよ」

いつものやり取りがテニスコートでも発動されてしまった。
園子ちゃんは膨れる私の額を諫めるように軽く小突くとすぐに満面の笑みを浮かべて安室さんに向き直る。大変だ、園子ちゃんは顔で善悪の判断をするから既に安室さんへの好感度が振り切れている。これはまずい、と慌てて彼女の右腕を掴む。そのままぎゅっと抱きつき、安室さんから距離を取らせようと引っ張った。

「園子ちゃん、お願いだから安室さんと仲良くしないで……!私の敵は園子ちゃんの敵だよ!」
「やーよ。私はどんな時もイケメンの味方なんだから」
「園子ちゃんには私がいるじゃん!他の人なんて見ないでよ!」
「私を束縛してどうすんのよ」

園子ちゃんの右腕に抱きついたまま「ヤダーッ!」と騒いでいるとそれまで困ったように笑っていた安室さんが急に「危ない!」と叫んだ。すぐに私達の後方で何かが打つかるような鈍い音と共に、誰かの悲鳴が聞こえてくる。
安室さんの視線の先を追うと江戸川さんが倒れていた。直ぐ側には彼の物ではないテニスラケットが落ちている。状況的に、どうやら江戸川さんの頭に誰かのラケットが直撃したようだ。
蘭ちゃんが倒れた江戸川さんの身体に手を伸ばそうとするも、駆け寄った安室さんが「動かさないで!」と止める。
まさか殺すのか!?と思いきや予想に反して安室さんはテキパキと処置を行った。そりゃこんな衆人環視で手を下すわけないか。


江戸川さんの頭に直撃したラケットの持ち主は桃園琴音さんという大学生のお姉さんだった。テニスコートのすぐ側にある彼女の別荘へと移動し、お医者様に診てもらったところ江戸川さんは“脳震盪”とのことだ。意識はしっかりしているし、一先ず大丈夫でしょう、と言われて蘭ちゃんがほっと胸を撫で下ろす。

怪我のお詫びも兼ねて、と桃園さんに誘われ、私達はここで昼食をいただくことになった。
江戸川さんは途中までその準備を手伝った後、少し横になりたい、と言って桃園さんのサークル仲間の一人、石栗さんと一緒に2階へ上がっていった。リビングはクーラーの効きが悪いらしい。
ということで今日の昼食は江戸川さんと石栗さんを除いた総勢8名での賑やかな席となった。私、冷やし中華大好き。ニコニコしながら夢中で食べ進める。
ふと、顔を上げると正面の席に座る安室さんと目が合った。

「早希子ちゃん、お茶足りてます?注ぎましょうか?」
「結構です」

キッパリ断る。私はノーが言える女。声色でキツい言い方だと思ったのか隣の席の蘭ちゃんがハラハラした様子でこちらを窺っていた。

「ていうかお茶汲みは一番下っ端がやるもんですし?安室さんが喉乾いてるなら私がいれますけど?」
「……?じゃあお願いしようかな」

安室さんが自分のコップを差し出したので私も頷き、冷たいお茶が入ったピッチャーを手に取って彼のコップに注ぐ。
その様子を見ていた蘭ちゃんが「歩み寄ってる……!」と嬉しそうに呟いた。蘭ちゃんは心優しいので私が周りの人と仲良くするととても喜んでくれる。
お礼を言う安室さんに「どういたしまして」とだけ返して、他にもお茶が必要な人のコップに注いで回ってから食事を再開する。

蘭ちゃんには申し訳ないが、決して歩み寄ったわけじゃない。ただの警戒だ。バット組織の人間が注いだお茶とか何入ってるか分かったもんじゃないからね。ピッチャーを持たせた瞬間、指先から致死量の毒を分泌するかもしれない。安室さんは悪い大人だからそのくらい出来るだろう。
ニコニコするのはやめて、キリッと真剣な顔で正面の安室さんを警戒しながら冷やし中華の残りを食べる。江戸川さんがいない今、事情を知るのは私だけだ。みんなは私が守らないと。

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