セベクと人間(twst)
※ネームレスです。

茨の谷には大きなお城がある。
物心つく前から身寄りのない私は、次期王とされるマレウス様のご厚意でその立派なお城の隅っこに住まわせてもらっている。もちろんタダではなくちょっとしたお仕事を手伝う前提だ。幼少期よりお城で住み込みの下働き生活を送っている、と思ってもらえれば良い。
普通の下働きと違うのは、王子様であるマレウス様と時々だけど直接言葉を交わせること。
マレウス様はそもそも祭日や式典の時くらいしか人前に姿を現さないので、お城に住んでいたとしてもそう簡単に会えるような方じゃない。人よっては、下手したら生涯一度も拝顔など叶わないかもしれない。なんと言っても妖精族の末裔で、世界でも屈指の魔法力を持つ偉大な御方なのだ。

そんな一般市民とは住む世界が異なる彼に、茨の谷の一般市民代表のような私は畏れ多くも目を掛けてもらっていた。
理由は私の母にある。母は外から迷い込んできた人間で、マレウス様曰くそれはそれは明るく物知りで愉快な女性だったらしい。私は母のことを顔以外何も知らないが、マレウス様がそう言うならきっとそうなんだろう。茨の谷の“おもしれー人間”枠だったわけだ。
母は画家の端くれで、世界中を飛び回って絵を描いていたという。それは茨の谷へやってきてからも変わらず、母の描いた絵は城や美術館に今でも遺されている。何度か見に行ったけど芸術を理解できない私にはよく分からなかった。
母は私を産んですぐ亡くなった。父については誰も知らない。だが、母は茨の谷へ足を踏み入れた頃、既に私を身籠っていたそうなので、恐らく私は人間である。検査を受けたわけじゃないし、獣人とのハーフの可能性もあるから正確にはわからないけど、でも多分人間。少なくとも茨の谷の誰かが父親ってことはない。
詳しくは知らないがマレウス様は母との思い出をとても大切にしていて、母が亡くなった後も一人残った娘の私に住む場所と仕事と勉強できる環境を与えてくれた。

茨の谷は妖精族が暮らす山奥の地で、人間もいるっちゃいるけど殆どいない。身の回りのことは全て魔法で補う土地柄のため、電気は通っていないし、移動手段も限られている。魔力を持たない大多数の人間にとってはひどく不便な所なのだ。それでも気にせず暮らしている人間の名を挙げろと言われてすぐに思い付くのは、身近なところではセベクのお父さんとシルバーくらいだろうか。
私は一応(本当にちょっとしたものだけど)魔法を使えるし、そもそも比較できるほど外を知らないので、ここでの生活を不便に感じたことはない。シルバーも同じく。きっと一番大変なのは歯科医院を営むセベクのお父さんだ。外からやってきて魔法も使えないのに茨の谷で暮らし続けている奇特な人だと息子のセベクが言っていた。
シルバーとセベクは、私にとって数少ない同世代の友人だった。茨の谷は人口が少ないし、妖精族は長寿なので同世代に見えても同じ頃に生まれたとは限らない。だから本当の意味で年の近い子供はすごく少なかった。年はシルバーが私達の一つ上。
シルバーとセベクはお互いを友人と呼べるほど仲が良いわけではないが、マレウス様の護衛となるべく幼い頃から研鑽し合った仲なのでまあ幼馴染みってことで良いんじゃないかと思う。
私は二人と性別も違うし、別に護衛になりたいわけでもなかったけど、国の英雄と称される偉大なリリア様の勧めもあって暇な時は彼らとよく遊んでいた(リリア様曰く城勤めで特殊な境遇である私の健全な発育発達のため)。



「もうすぐ若様とリリア様が茨の谷に帰還なされる」

城下町で買い物をして帰る途中、セベクに会った。最初は偶然かと思ったが、目があった途端、ずかずかと大股でこちらまでやってくると何の挨拶もなく本題に入ったのでどうやら私を待ち伏せていたらしい。
はあ、と気のない返事をしながらセベクの言ったことを脳内で繰り返す。マレウス様とリリア様とシルバーは茨の谷の外にある全寮制の魔法士養成学校に通っている。「おい、聞いているのか」と眉を吊り上げるセベクの元にも入学通知が届いており、九月には彼もそこの生徒になることが決まっていた。

「聞いてるよ。シルバーも帰ってくるし、楽しみだね」
「奴のことなどどうでもいい。それより準備はできているのか?」
「なんの?」
「余興だ」
「いつそんな話に」

そりゃマレウス様が戻られたらちょっとした宴はあるだろうけど、何故私がそこで余興を行う話になっているんだろう。マレウス様からも手紙を頂いたが、お土産があることと自分が不在の間の話を聞かせてほしいとしか書いていなかった。余興楽しみとは書いてなかった。

「若様の退屈を紛らわせて、楽しませるのがお前の役目だろう」
「そんな宮廷道化師みたいな役目じゃないよ私は」

間違いを訂正するとセベクは眉を吊り上げたまま「うん……?」と頭の上に疑問符を浮かべていた。彼の中で私はお城の下働きではなく宮廷道化師らしい。
確かに、私はマレウス様が少しでも退屈するとよく彼の元へ呼び出された。そういう時のマレウス様はなんでもいいから私の話を聞きたいらしく、調子はどうだ、何か困ったことはないかと近況報告を促すのだが、本当に“なんでもいい”わけじゃない。
あの高貴な御方に、洗濯物を全部落として泥だらけにしたとか、配膳を失敗して一人だけバカみたいな量のパスタを食べたとか、最近は猫のイラストが描かれたTシャツを部屋着にしてるとか、そんなオチも何もない井戸端会議のネタにもならないような下らない話をしていいわけがない。つまるところ私はマレウス様が思わず口角を緩く上げてしまうような“すべらない話”を披露しなくてはいけないのだ。
そのため常にネタを探している。専用のネタ帳を作り、イベントにも率先して参加し、いつでも二、三個は話のストックがあるように気を付けていた。大切なのは誇張しすぎないこと。少しでも嘘臭いと感じた時点でマレウス様は不機嫌になる。

「もしこの件で何か困り事があるなら、僕に言え。また手を貸してやってもいいぞ」

私を宮廷道化師だと思い込んだままのセベクが言った。
親切心からの言葉であることは理解していたが、同時に大失敗した苦い記憶が甦り反射的に「今回は遠慮しておく」と首を横に振った。

それは決して忘れることのできない昨年の夏。マレウス様からお笑いライブを所望されるという地獄のような出来事があった。
見聞を広めたいと言って国を出て外の学校に通って約一年、彼の心を掴んだのは『お笑いライブ』で担当として選ばれたのはド素人の私。
突然単独ライブの機会を与えられ、あまりの重責に耐えられず国から追い出される覚悟で断ろうとした私に気がついたセベクが相方として立候補してくれたので、二人でショートコントを披露することになった。ネタは任せろと言われて、混乱していた私は泣きながら頷いた。その結果ダダ滑りした。
どのくらい滑ったかと言うとマレウス様は終始ぽかんとしていて終わった後に一つ一つ解説を求めてきたし、新しいものが好きでツボが浅くて大抵の事は腹を抱えて笑ってくれるあのリリア様でさえ“スン……”と真顔になっていた。この時の私の心境は筆舌に尽くしがたい。
罪人の処刑を見届けた後のような重苦しい空気の中、舞台袖に引っ込んだ私とセベクを迎えたシルバーが「だからやめたほうが良いと言ったのに」と言ってきたが、リハーサルの時に船を漕いでいてまともにネタを見ていなかった彼からそんな忠告を受けた覚えはない。どうしてもっとちゃんと止めてくれなかったの、と少し喧嘩になった。
悲惨な思い出に未だ苦しめられる私とは対照的に、セベクはこの反省を次に活かすと燃えていた。落ち込んでいたのはライブ後三日ほどで、すぐに再チャレンジしようと新しいネタを考えてきたほどだ。心が強い。彼のこういう部分は見習うべきところだと思う。


私がセベクと本当の意味で仲良くなったのは8歳か、9歳の頃だった。
それまでの私にとってセベクとは、正直あまり顔を合わせたくない相手だった。リリア様に言われたから渋々会いに行っていたが、私とシルバーを“人間”などと横柄な呼び方をするし、声が大きくていつも怒っているみたいで話し掛けられると吃驚する。
ある夜、私は誰にも告げずにこっそり城を出た。リリア様に流星群が見れると教えてもらった日だった。
いつもなら眠りにつく時間帯に人目を避け、森を抜けた先の山麓にある湖を目指して進んでいくのは、ちょっとした冒険だった。流星群を見たら、またこっそり部屋に戻ればきっと誰にもバレない。と思っていたのだが、厨房係の女の子が部屋を訪ねてきたことで即バレてしまった。私の不在は瞬く間にマレウス様の耳にも入り、国民総出で山狩りが行われるほど大騒ぎになった。
何も知らずに呑気に空を見上げていた私を一番最初に見つけたのはセベクだった。あの湖は時々遊びに行く場所だったのでピンときたんだろう。
セベクは予想外の騒動になっていることを聞いて怖くなって泣き出した私を一喝した後、迷惑をかけた皆の元へ連れて行き、一緒に謝ってくれた。彼も子供なので途中から泣いていたが、私の手をずっと離さず固く握ってくれていて、とても心強かった。
後日、顔を合わせたセベクは渡すものがある、と咳払いをした。

「これを普段から肌身離さず持て」
「えっ、はい……?」

手渡されたのはボタンだった。多分、セベクの服の袖についてるやつ。
意味がわからなくて首を傾げる私に向かってセベクは「いいか、よく聞け人間」といつもの調子で言った。

「これは僕の代わりだ。いつも見ているから先日のような勝手な行動を取るなよ。心配する」
「セベクが?」
「皆が、だ!」

その時私はセベクがボタンにそういう魔法をかけたのだと思った。
でもよく考えたらその頃のセベクにそんな難しい魔法は使えないはずだ。私が無茶をしないようセベクなりに一生懸命考えたんだろう。
この出来事をきっかけに私はセベクへの苦手意識を払拭し、とんでもない困難を乗り越えた者同士として以前よりずっと仲良くなったのだった。ボタンは今もちゃんと持っている。

[pumps]