セベクと人間2
マレウス様達が茨の谷に戻られてから一週間が経った。私はいつも通り仕事をしながらマレウス様へ手紙を書いていた。
元々私達はよく手紙のやり取りをしていた。マレウス様はあしながおじさんを読んで以来、私を貧しい娘に見立てて遊んでいるからだ。何か頂く度に御礼の手紙を書いているが、届ける前にいつもセベクの校正が入るので、大抵は見る影もなく修正される。これは最早私の名を騙るセベクとマレウス様の文通である。
今回はパスタソースの缶詰を頂いたので御礼の手紙を書いた。なんで缶詰かというと私が最近いつも同じパスタソースを使って食事を済ませていることを偶々マレウス様に知られてしまったからだ。
「何故いつも同じものを?」と尋ねられ「安くて美味しいので……」と返したら、今朝方一年分のパスタソースの缶詰が部屋の前に置いてあった。出られなくて窓から出た。

「これを食べると良い」
「なに、どうしたの?」

書いた手紙を校正確認してもらうためにセベクの元を訪ねたら、丁度良かった、と個包装のチョコレートを差し出してきた。茨の谷では見たことがないので、国外のお菓子だろう。なんでもセベクのお祖父さんが貰ったものらしい。

「僕も分けてもらったんだが、あまりにも美味いからお前にも食べさせてやりたくなって恥を忍んでもう一枚貰ってきたんだ。感謝すると良い」
「ありがとう」

素直に感謝するとセベクは満足そうに頷いた。遠慮せず食べろ、とこの場で開封することを求められたので早速袋を開ける。セベクは私が口に入れて咀嚼する動作を穴が開くほど凝視してきて「美味しい」と言うと「そうだろう!そうだろう!」と嬉しそうに何度も繰り返した。彼は私をペットか何かだと思ってるんだろうか。少なくとも自分が面倒を見てやるべき存在だと思ってそうだ。家では末っ子だから、世話をする相手がいるのが嬉しいのだろう。

「ところで、何故最近はその髪型なんだ?」
「え?」
「どうして下ろさないんだ」
「ああ。マレウス様は髪を上げている方が喜ばれるから」

私は生き写しと言われるほど母に似ているので、母と同じ髪型をするとマレウス様に喜んでもらえる。だからマレウス様が戻ってからは髪を一つに纏め上げるようにしていた、と理由を話すとセベクは納得したように言った。

「なるほど、良い心掛けだ」
「誰目線?」
「だが調子に乗るなよ!」
「乗ってない」

マウントを取ってきたと思われたらしい。
セベクはマレウス様の信奉者(言い過ぎかと思ったが、この表現がきっと一番近い)なので、マレウス様に迷惑をかけるような者は絶対に許さないし、特別可愛がられているような存在も気に食わない。その両方にやや当てはまるのが私というわけだ。けれど私はセベクのペットみたいなものでもあるので、シルバーのようにライバル視されることもなく、この程度の忠告で済んでいる。
結果はどうあれ、セベクは私をよく助けてくれた。その昔、エレメンタリースクールで習った歌をマレウス様に延々と歌わされ続けた時もそうだ。壊滅的な音痴ではないけど、ところどころ音を外していて、お世辞にも上手いとは言えない私の歌をマレウス様は大層気に入り、何かにつけて呼び出しては歌わせるようになっていたことがあった。日々疲弊していく私にセベクは「若様の耳がおかしくなるからやめろ!」とこちらの耳がおかしくなるような大声で怒り出し、最終的には共にボイストレーニングに励むことになった。解決方法が斜め上を行く。
上達するにつれ、マレウス様は飽きたのか徐々に呼ばれることもなくなり、今では歌を披露する機会はなくなったが、お陰様で私の歌は人より少し上手い。
これが良い思い出か悪い思い出かと問われると答えに困るが、私は彼を大事な友達だと思っている。

***

「これはお主の母君から預かっていたものでな。然るべき時に渡してやってくれと頼まれておったんじゃ」

子供のような風貌のリリア様がそう言って手渡してきたのは何かの鍵だった。
それを言われた時、私はシルバーと彼に懐いている犬の出産に立ち会っている真っ最中で「今……!?」「親父殿、今は三匹目が……」となっている私達に構わずリリア様は話を続けた。いつだって自由。
曰く、これはトランクケースを開ける鍵らしい。母は亡くなる直前ケースに私物を詰め、リリア様に託したそうだ。然るべき時、というのは理解できる年頃という意味で、細かいところはリリア様の判断に任せると言ったそうだ。そのせいで犬の出産中に渡される珍事となってしまった。
件のトランクケースは森の中のとある木の根に埋めてあるらしい。ちなみに埋めたのはリリア様。普通に渡すより掘り起こす方がドキドキワクワクして楽しいと思ったから埋めたそうだ。勘弁してほしい。
シルバーと合計五匹産まれた子犬達の引き取り手を探す相談をしながら、今度暇な日にケースを掘り起こしに行こうかとぼんやり思った。

結局私がトランクケースを掘り起こしに森へ向かったのはそれから十日後のことだった。間が空いてしまったのは子犬の里親探しだったり、マレウス様にすべらない話を披露したり、パスタソースをみんなに配ったり、何かと多忙であったことと正直急ぎの用件でもないと思っていたからだ。
一人で行こうと思っていたが、地中に埋めたものを掘り起こす、となるとかなりの重労働になりそうだったので力仕事が得意なセベクに協力してもらうことにした。シルバーでも良かったが彼は途中で眠りそうだったのでやめた。スコップを二本用意し、セベクと一緒にリリア様が教えてくれた木の根元に向かう。

「ごめんね、こんなこと手伝わせて」
「構わない。お前のノミより弱い力ではいつまで経っても見つからないだろうからな」
「言い過ぎでは」

ノミよりは強いし。
むすっとしながらスコップを一本渡すとセベクはノミ以下の私とは比べ物にならないスピードでどんどん掘り進め、あっという間にトランクケースを見つけてくれた。もう少し難航するかと思ったが、意外とあっさり見つかってしまい拍子抜けする。
ドキドキワクワクもなく部屋の扉を開けるくらいの感覚でケースの鍵を開けてみると中身は写真、とっくに使えなくなったバスの回数券、手帳、衣服。十数年前のものにしては随分保存状態が良いなと思ったが、腐食を防ぐために魔法がかけられているようだった。多分リリア様がやってくれたんだろう。
手帳をパラパラと捲る。後方のメモ部分に『あなたのお父さんについて書き記しておきます』という文字を見つけて思わず手を止めた。一頁半にわたる長い文章の最後に書かれた住所は、恐らく私の父という人のものだろう。
正直に言って、私は両親を恋しいと思ったことなど一度たりともなかった。というかそんな暇もなかった。
親について詳しく知りたいとも、探しに行こうとも考えなかった。当然のように死ぬまで茨の谷で過ごすものだと思っていた。
しかしよくよく考えてみれば、私がこの国で骨を埋める確証はないし、必要もない。
セベク、とスコップで土を運び穴を埋めてくれている彼の名前を呼ぶ。

「私、セベクのこと大好きだよ」
「は!?!?!?」

声でかっと思ったが、気にせず続ける。

「セベクのおかげでクロールができるようになったし、自転車にも乗れた。映画も観に行けたし、美味しいものも沢山分けてもらった。あと、いつも相談に乗ってくれてありがとう。セベクがいたから家族がいなくても寂しいと思う暇もなかった」
「な、なにを……ちょっと待て……」
「はい?」
「まさか、死ぬのか……!?」
「何故」
「今日が寿命なのか……!?」
「言い換えないで?」

前々から思っていたがちょっと彼は、想像力が豊かすぎる。
セベクは持っていたスコップを地面に突き刺すと「何故そんなことを言うんだ!!」と声を張り上げた。 

「不治の病なんだろう!!!正直に言え!!!」

思っていたことを正直に言ったらこんなことになるのか。知らなかった。
あまりの剣幕につい後退る。勢いに飲まれ、少し言いづらかったが「ずっとこの国で過ごせるとは限らないから」と続ける。
ただの人間の私が茨の谷で暮らせているのは、マレウス様のおかげだ。あの御方に助けてもらっているから、普通の顔して過ごせている。今はこうして目をかけてもらっているけど、そのうち飽きられるかもしれない。歳をとって何もできなくなったら私が城で暮らせる保証などない。

「そんな下らない心配をしていたのか!?馬鹿なのか!?」
「声でかい声でかい」

私の説明を聞いたセベクが叫ぶように言った。あまりの声の大きさに木々が揺れたように見えた。

「お前のように無茶でそそっかしく頭の回転が遅く体力がなく放っておいたら間違いなく野垂れ死ぬ人間を外へ追い出すなど、あのマレウス様がそのような残酷な仕打ちをするはずがないだろう!無礼な!!謝罪しろ!!」
「すみません」
「ブラックコーヒーが飲めるくらいで調子に乗るな!!」
「乗ってません」
「僕だってすぐにコーヒーを克服して見せる!!人間風情がその程度で僕に勝とうなどと百年早い!!!」
「はい、私がゴミです」
「自分を卑下するのはやめろ!!もっと自信を持ったらどうだ!?」

もうめちゃくちゃ。
セベクは昔から私のことを脆弱な人間呼ばわりしてきたが周囲が私を悪く言うことだけは許さなかったし、私自身が卑屈な発言をすることも嫌った。彼のお父さんに対してもそうなので、セベクは内側に入れた人を彼なりに大事にする性質なんだろう。
セベクは暫く私の両肩を掴んで叱咤激励をした後、本題を思い出したのか腕を組んで「ありえない話だろうが」と真面目な顔で続けた。

「たとえ若様に愛想を尽かされたとしてもお前の面倒は僕が見てやる。向こう八十年は心配しなくていい」

果たして私はあと八十年も生きられるんだろうかという疑問は残ったが、彼の心遣いは素直に嬉しかった。
「ありがとう。すごく助かる」と感謝を伝えればセベクはフン、と鼻を鳴らしてからスコップを手に取り、穴を埋める作業を再開した。
どんどん穴が埋まっていくのを横目に私はトランクケースから取り出したものを仕舞い、掘り起こした時と同様に鍵をかける。

「僕が学校を卒業して立派な従者になったらお前の家を建ててやる。僕は若様の御傍で暮らすからそこには帰らないが、時々様子を見に行くからな」

思い出したようにセベクが振り向いて言った。城を追い出されても家が貰えるらしい。
そう、と返事をしながら何となく上着のポケットに手を突っ込んだ。昔セベクから貰ったボタンが入っている。
時々ってどのくらい?と尋ねたら「三日に一度でどうだ?」と提案されたので「じゃあそれで」と頷いた。いよいよ親に内緒で飼ってるペットみたいな扱いになってきた、とちょっと笑ってしまった。

[pumps]