蝋燭の火を消す弓場
※弓場ちゃんと夢主は高校3年生の設定です。
※良い子の皆さんは教室で火を使わないでください。




クラスメイトの弓場拓磨くんは黒髪でちょっと変わった形状の眼鏡をかけていて、よく眉間に皺が寄っているので神経質そうにも見えるが、外見に反して中身は漢気溢れる、気合いの入った男の子だった。
クラス委員長ではないけれど、うちのクラスのリーダーは?と皆に聞いたら満場一致で弓場くんの名が上がるくらい皆から信頼されている。なんというか、彼がいると場の空気が締まるのだ。
今時の男子高校生とは思えないほど物事の筋をキッチリ通すタイプだし、授業が始まるのに座らず騒いでいると「時間だコラァ!!」と私達を席に着かせるし、礼節に厳しく先輩や先生に舐めた態度を取るような子にはアイアンクローをかますし、一学年下には蔵内くんと神田くんという舎弟がいると聞いたことがある。
『兄貴』『大将』『頭』など二つ名は呼ぶ人の数だけ色々あるが、一年生の時に球技大会でうちのクラスと揉めた三年生の教室に単身乗り込んで話をつけに行って以来、仲の良い子からは『特攻の拓(ぶっこみのたく)』と呼ばれていた(何か元ネタがあるらしい)。
これだけ聞くとちょっと、いや、かなり恐ろしい人物のようだが、厳しいだけでなく他人をよく見ていて何気ない変化にもすぐ気が付くし、それなりに冗談も通じるから皆に好かれていた。
弓場くんのおかげで完璧に統率が取れているうちのクラスは先生方からの評判も良く、他クラスからも『弓場組』と呼ばれて恐れ……一目置かれている。体育祭で弓場くんが白組応援団長を務めた時はあまりの気迫に一部の耐性のない下級生は泣き出し、六頴館高等学校の『指定応援団』と話題になったくらいだ。

私は弓場くんと一年からずっと同じクラスなので学校の中ではそれなりに長い付き合いだが、彼は入学したての頃から変わらずこんな調子だった。彼が所属しているボーダーでの様子は知らないが、噂によるとリーゼントらしい。ちょっと意味が分からないけど、リーゼントらしい。
だから“そういうもの”が好きなのかと思って一度聞いてみたことがある。

「弓場くんって不良漫画好きなの?GTOとか」
「GTOは不良漫画じゃねぇ」

秒で訂正されてしまった。前作の湘南純愛組が不良漫画でGTOは学園漫画なんだって。鬼塚の話に前作があるなんて知らなかった。にわか知識で話しかけたことを恥じ入る私に弓場くんは怒ることなく「初心者は間違いやすいからな」とフォローしてくれた。
弓場くんは声が大きくて話し方がちょっと荒々しいけど、言ってることは正しいし、なんだかんだ弱い者に優しい。去年、私が体育祭ではしゃぎすぎて足の骨を折った時もこれから小指でも切り落とすのかとハラハラするくらいの剣幕で「白組応援団長だった俺の責任だ…ケジメつけさせてくれ…!」と言って松葉杖が必要なくなるまでの間、とても親切にしてくれた。そのせいで私のあだ名が『お嬢』になったのも今となっては良い思い出だ。
だから私は弓場くんのことを怖いと思ったことはなかった。

そんなある日、とんでもない出来事があった。
その日は石田くん(野球部所属のお調子者)の誕生日で、朝からクラスはお祝いムード。弓場くんから飲み物の差し入れもあり、皆「盃だー!」と盛り上がっていた。
事件が起こったのは昼休みだ。コンビニで買ってきた小さなショートケーキに一本だけ蝋燭を立て、火をつけた。教室に残っている面々で定番のバースデーソングを歌った後、石田くんが火を吹き消そうと息を吸い込んだ。

「石田ァ!!」

直後、それまで不在だった弓場くんが勢いよく教室のドアを開けて飛び込んできた。その額には青筋が浮かんでいた。この時、何故弓場くんが怒っていたのかというと石田くんがとっくの昔に提出期限が過ぎた数学の課題を再三注意を受けていたにも関わらず未だ持ってくる気配がなかったため困り果てた先生に代わって取り立て(回収)にきた、という次第らしい。
でも、そんな事は先生には悪いけど正直どうだってよかった。問題は弓場くんによる渾身の叫びによって蝋燭の火が消えたことだ。
弓場くんは石田くんの顔より先に彼の手元で蝋燭の火がフッと消えた瞬間を見たらしく、状況を察して右手で口元を覆った。

「悪ィ……俺が、消しちまった……!」

その一言で教室内は騒然となった。何が起きたのか理解できていない人も多かった。火が消えた瞬間を目撃した人のうち、ある者は箸を落とし、ある者はジャムパンを握りつぶし、またある者は「あわわ……」とその場で腰を抜かした。弓場くんは「すまねえ……!!」とその場に膝から崩れていた。大事な人を守れなかった時ってこんな感じなのかな。蝋燭を消された石田くんが「いや、事故だし」と優しく肩を叩く。
私はと言えば、とんでもない場面に立ち会ってしまったと胸を押さえた。弓場くんって叫んだだけで蝋燭の火を消せるんだ。すごい。すごすぎる。
蝋燭の火を声で消す、という動画を観たことはあるが、実際に目の前でやってのけた人は初めてだ。その夜は眠れなかった。

私にとって弓場くんは頼りがいがあって、優しくて、椅子に全然座らない人だ。弓場くんはその場にいる人数に対して椅子の数が足りない時は絶対に座らなかった。座るように勧められても「女子は座れ」「加藤は部活終わりだから座れ」「百田は委員長だから座れ」などと適当な理由をつけて他の皆を座らせた。どうして座らないんだろう?たまには座ればいいのに。弓場くんが座るとかつて世界を滅ぼそうとした悪魔の封印が解けるとかそんな理由があるのだろうか。そりゃ大変だ。
という冗談は置いておいて、要は、自分より他人を優先する人だってことだ。言葉は荒っぽいけどどんな環境でも他人を気遣い、些細な変化にもすぐに気が付くくらい周りをよく見ている根っからのリーダータイプ。
その弓場くんが、声で蝋燭の火を消した。すごい。すごすぎる。

私はこの出来事を忘れられなかった。多分あの場に居た全員がそうだと思う。あんなすごいものを見せられて忘れる方が難しい。
弓場くんを見ると蝋燭を思い出し、頭の中で火が消えた瞬間の映像が何度も繰り返される。ずーっとそのことを考えていたら一回だけ間違えて「蝋燭くんは…」と本人に声をかけてしまったが、弓場くんは優しいので気を悪くするどころか「疲れてんのか」とこちらの体調を心配してくれた。
そんなこんなで三か月が経った頃、私は18歳の誕生日を迎えた。

「お嬢!おめでとう〜!!」

お昼休みになると、すっかり浸透したあだ名でクラスの皆や他クラスからわざわざ来てくれた友人らが祝ってくれた。コンビニで買ってきてくれたチョコレートケーキに蝋燭が一本立てられ、火をつけると皆がバースデーソングを歌い出す。
歌い終わりに火を吹き消すように言われた私の脳内には相変わらずあの日の光景が浮かんでいた。自分の席にいる弓場くんの方にちらりと視線をやる。そのまま暫く黙って考える。
「お嬢?」「どうした?」と声が上がる中、私は意を決して椅子から立ち上がると蝋燭の火がついたままのケーキを持って弓場くんの前まで行った。

「弓場くん、お願いしてもいいですか」
「あ?」

私の言葉に教室にいた皆は「まさか、アレを…!?」「伝説の!?」「マジかよ…!」とざわついた。あれ以来、何度か誕生日を迎えた子はいたが、皆あの件について触れていいものか分からず蝋燭消してくださいと頼みに行く子はいなかったからだ。
察しの良い弓場くんは私の表情と揺らめく蝋燭の火を前に、全て語らずとも言いたいことを理解したようで怪訝な顔で言った。

「オイ、本気か……?てめェの誕生日だぞ」
「うん。掛け声は石田でいいから」
「なんでだよ」

私の名字より石田と叫んだ方が消しやすいと思ったからだ。突然巻き込まれた石田くんが教室の端で「オレ!?」と困惑するが、今だけ名前を貸して欲しいと目で訴えるとわかってくれたのか黙ってこくりと頷いた。石田くんだけではない。いつの間にか教室中の皆が固唾を呑んでこちらを見守っていた。
もう一度、あの光景が見たくてたまらない――そんな私の想いに気が付いたらしい弓場くんは「覚悟は出来てるみてェだな」と低く呟くと私の名を呼んだ。
「はい!」と元気よく返事をすると少し距離を取るように言われる。確かにあの日もケーキと弓場くんは少し離れていた。言われた通り、その場から数歩下がる。

「今日というめでてェ日に立ち会えたことを光栄に思うぜ」

弓場くんはそう言って眼鏡のブリッジを指で押し上げるとすう、と息を吸った。

「石田ァ!!」

びりっと空気が揺れる。私の鼓膜を震わせたよく響く声は、見事蝋燭の火を消し去った。
水を打ったように静まり返っていた教室内は一拍置いてから、ワッ!!!と盛り上がる。「おめでとう〜!!」とあちこちから声が上がり、割れんばかりの大きな拍手が鳴り響いた。なんて、なんて素敵な誕生日なんだろう。

「弓場くん、本当にありがとう…!私、一生忘れないよ」
「大袈裟なんだよてめェは」

ハッと笑った弓場くんが拳を差し出してきたので近くにあった机にケーキを置いて私も拳を作るとコツン、と突き合わせる。私の後ろで隣のクラスからわざわざに祝いに来てくれていた友人が「なんだこのクラス怖」と引き気味に呟いていた。

[pumps]