辻ちゃんとなぞなぞ先輩
「問題です。パンはパンでも食べられないパンはなーんだ」

個人ランク戦に向かう途中、顔を合わせるなり挨拶よりも先に投げかけられたその問いに、辻は出題者の顔ではなく、その斜め下あたりに視線を落としながら「ええと……」と普段よりもずっと小さな声で言った。

「……フライ……パン……?」
「正解。もっと自信持って」
「はい……」

素直にアドバイスを聞き入れて頷く辻に、このなぞなぞの出題者である苗字は微笑むと「じゃあね」と一言告げて踵を返した。この間、約一分半。即席麺が完成するよりも早く立ち去っていく苗字の後姿を眺めながら、強い緊張から解放された辻はほっと息をついた。

一学年上の苗字は、辻と同じくボーダーに籍を置く防衛隊員で、二人が初めて出会ったのは入隊式の日だ。辻はとある理由で同期入隊の隊員の中では苗字のことを真っ先に覚えたが、異性が苦手で目を合わせることすら困難である彼はあまり彼女――というより女子全般――と関わらない様に過ごしていた。幸い戦闘員の男女比は偏っており、正隊員になって部隊を組むまではオペレーターを含めた女性隊員らと関わらずとも問題はなかった。
しかし正隊員に上がるより早く苗字の方から声をかけてくるようになり、辻は何の覚悟もできないまま彼女と交流を持つことになった。初めは使用するトリガーやランク戦のことだったり、防衛隊員らしい何気ない会話(ほぼ成立していない)だったそれが、次第に一日一問なぞなぞを出題される形式へと変化していったわけだが、何故そんなことになったのかは解答者である辻にもわからない。苗字は別になぞなぞやクイズが好きと言うわけではなく、辻に対してだけ小学生向けの簡単ななぞなぞを出してくるのだ。どうしていつも、なぞなぞを……?と聞きたいが勇気を出して聞く前に苗字はいなくなってしまうので未だに理由は判明していない。約一分半はあまりにも短い。
対面するとやはり緊張するが、話しかけてもらえるのはなんだかんだ嬉しい。しかし、どうしていつもなぞなぞなのか。次こそは聞いてみよう――と決意した辻の名を誰かが呼んだ。

「辻ちゃーん」
「えっ……え!!苗字先輩!?」

それはたった今、立ち去って行ったはずの苗字だった。もう次の機会がきてしまった、と焦る気持ちと今日のなぞなぞはもう終わったのに、という疑問が混ざり、辻は「なん……どうして…」としどろもどろになりながら目を逸らした。辻の様子に慣れているのか苗字は特に気にせず側に来ると「言い忘れたことがあって」と持っていた鞄からペンと名刺サイズの小さな紙を取り出した。

「これにさ、私へのメッセージくれる?一言で良いから」
「はい……?」
「私、来週の木曜誕生日なんだよね」

自分宛てのバースデーメッセージを要求する人初めて見た……と思いつつ、辻がペンとメッセージカードを受け取ると苗字は「辻ちゃんからお祝いしてほしくてさ」と照れたように言った。元々、辻は苗字の誕生日を知っていたが、昨年は女性隊員に囲まれていた彼女の元まで辿り着くことができず、祝いの言葉一つ贈れずに終わった。今年もそうなるかもしれない、と思っていたので苗字がこうして機会をくれたことは辻からすれば幸運だった。
祝ってほしかったと言われて悪い気はしない。しかしどう返せばいいか分からず、辻は自身の手元を見つめながら「そうですか……」とだけ呟いた。

「そうそう、名前ちゃんへって書いといてね」
「書………っ!?」
「あ、名前って私の名前なんだけど」
「それは……知ってます……!」

三門市立第一高等学校3年E組の苗字名前。ポジションは万能手で、一ヶ月前に所属部隊が解散した。来週の木曜に誕生日を迎える。辻が知っているのはその程度だ。会話内容が基本なぞなぞ一問だけなのだから当然である。
辻は苗字を嫌っているわけではないし、むしろこんな自分にも好意的に接してくれるのだからできるなら親しくなりたいとさえ思っていた。しかしなぞなぞを一問だけ出してすぐに立ち去る相手とどうすれば仲良くなれるのか。自分から話しかければいいだけなのだが、辻には弧月でマスタークラスになるより難しく感じた。
正直に言って苗字の行動が、思考が全く読めない。見ていてハラハラするし、話すと心臓が今にも飛び出しそうなくらい大きな音を立てる。
手渡されたメッセージカードに“誕生日おめでとうございます”と書いた辻は、どうしていつもなぞなぞを出すんですか?と書こうとしてやめた。スペースが足りなくて書ききれない。
結局本人の言う通り一言だけとなったメッセージカードをペンと一緒に返すと苗字は「ありがとう〜」と明るくお礼を言った。

「ついでにこれお土産。美味しいから食べてね」

そう言って差し出してきたのは小さな温泉饅頭だった。先日、日帰りで温泉に行ってきたらしい。
途中で苗字とこんなにも長い時間二人で話しているのは随分久しぶりだと気が付いた辻は、早く食べて感想を伝えなくては……と包みを開いて口に入れた。今食べないと明日からはまたなぞなぞの答えしか言えなくなる。

「そ、そんな無理して食べなくても……」
「…アフ……う……」
「ごめんね、お茶買ってくるから」

そう言って苗字はすぐそこにある自販機に駆け寄った。饅頭を一口で食べた辻は口の中の水分を全部持っていかれてまあまあ苦しんでいたが、感想を伝えるという強い意志で耐えた。
ゴホッと小さく咳き込むと目にうっすらと涙の膜が張る。零れそうになったそれを指で拭っていると丁度お茶を買って戻ってきた苗字が、え、と小さく声を出した。辻はすぐに視線を逸らしてしまったが、一瞬見た苗字の顔は驚いているようだった。

「ごめんね、本当にもうしないからさ」
「え…………?」

苗字の言葉で反射的に顔を上げると押し付けるような形でお茶を渡された。慌てて受け取ると苗字は「本当にごめんね」と言って引き止める間もなく走って行ってしまった。感想、まだ言ってないのに。一人残された辻は少しだけ落ち込んだ。




「犬飼先輩、最近苗字先輩のこと見ました?」

辻が二宮隊の作戦室で同じ部隊の先輩である犬飼にそう訊ねたのは、苗字の誕生日の前日だった。
実はあの日以来、辻は苗字に会っていなかった。もうかれこれ五日ほどになる。確かに今までも会わない日はあったが、精々一日二日で、ここまで日が空いたことはなかった。
脈絡なく同級生のことを聞かれた犬飼は、苗字ちゃん?と確かめるように一度聞き返してからすぐに頷いた。

「うん、昨日ご飯食べに行ったよ」
「えっ!?」
「苗字ちゃんがどうかした?」
「いえ、もう五日くらい会っていないので……風邪でも引かれたのかと」
「めちゃくちゃ元気だったよ?というか俺は毎日見かけてるけど」
「どこで!?」
「ボーダーで」
「ええ……」

突きつけられた事実に辻は困惑した。てっきり体調不良かと思いきや、いつもと変わらない調子でボーダーにも来ているらしい。じゃあなんでなぞなぞを出しにこないんだ…?と必死に考えるがこれといった理由は思い当たらない。そもそもなぞなぞを出してくる理由も思い当たらないのに分かるはずがない。

「変だねぇ。辻ちゃんになぞなぞを出すのがルーティンのはずなのに」

犬飼の中でも苗字はそういう認識らしい。
辻は、ふと、避けられているのではと思った。同じ戦闘員なのだからボーダーに来ているのなら、姿くらいは見かけてもおかしくない。しかし実際は一度も苗字を見ていなかった。聞いてみれば犬飼が彼女を見かけた場所というのもラウンジやエレベーター前など自分も必ず立ち寄る場所だった。鉢合わせないのは確率的に妙だ。
ということはつまり、意図的に苗字が姿を隠している――自分に会わないよう避けているのではないか。そこまで考えて辻は気持ちが沈んでいくように感じた。

「もしかして他の人に興味が移ったんですかね……」
「そんなことないと思うけどなあ。苗字ちゃんって辻ちゃんのこと好きだろうし」
「でも、そんな風に言われたことないですし、俺の返しがつまらないから構うだけ時間の無駄だと思ったのかも。同じ後輩でも日佐人君とか俺と違って素直で面白くて良い子ですもんね……ハハ……」

自嘲気味に笑う辻を見て、犬飼は「なんか拗らせてるな」と思ったが口にしなかった。

「本人に直接聞いてくればいいじゃん。俺のこと好きじゃないんですかって」
「聞けるわけないじゃないですか!」
「おれが聞いてきてあげようか?」
「……いいんですか?」

若干の期待を込めた目を向ける辻に犬飼は「可愛い辻ちゃんのためだからねえ」と肩を竦めた。

***

犬飼と共に作戦室を出て苗字を探すと案外あっさり見つかった。ラウンジに繋がる通路の一つにある休憩用のベンチに座っている。
偶然を装って声をかけ、隣に腰掛けた犬飼を辻はすぐそこに置いてある観葉植物の影に隠れて見守った。ちらりとこちらに視線を向けてきた犬飼に内部通話で『見えてる見えてる』と注意され、さらに身を縮こまらせる。苗字は気づいていないようだ。
軽く世間話をしてから犬飼は「最近辻ちゃんになぞなぞ出してないよね?」と切り出した。辻は「なぞなぞ出してないよね?」なんて質問をする先輩を見たのは初めてだったし、犬飼もこんなことを聞くのは当然初めてだった。
ただ一人特に違和感を持っていない苗字は「ああ〜、まあね……」と言いづらそうに続けた。

「お饅頭あげたら泣かせちゃったから悪いことしたな〜と思って反省のために暫く自重してたの」
「そうなんだ?」

すぐさま犬飼から『饅頭で泣くってどういう状況?』と内部通話で聞かれ、辻は苗字と会った最後の日を思い出す。
どうやら苗字は、咳き込んで生理的な涙を浮かべていた辻を“饅頭を無理して食べたせいで泣き出した”と勘違いしているようだった。そう推理した辻は『気にしてないって伝えてください』と犬飼に返す。

「でも辻ちゃん全然気にしてなかったよ。むしろ体調崩してるんじゃないかって心配してた」
「辻ちゃんが私の心配なんてするわけないじゃん」

何故。
聞き耳を立てていた辻は思わず声を出しそうになった。当たり前のように言われたが、そんなことはない、心配するに決まっている。
彼の代わりに犬飼が「なんで?」と聞き返す。

「だって辻ちゃんって私にだけ明らかに対応違うし。他の子には、はわわ……(赤面)みたいな感じなのに私には、はわわ……(恐怖)みたいな」
「なぞなぞ出して立ち去る先輩なんてそりゃ怖いでしょ」
「そんなに……?」
「二宮さんが毎日なぞなぞ出して帰っていったらどう思う?」
「強い恐怖を感じる」

それ、と犬飼が指摘すれば「わかりやす〜、流石六頴館」と苗字はわざとらしく手を打った。
 
「そもそも、なんでなぞなぞなの?」
「ほら、なぞなぞなら手短にすむし、答えも決まってるからフリートークより辻ちゃんも話しやすいかと思ってたんだけど」
「その気遣いは良いと思うけど効率的すぎてやっぱり恐怖が打ち勝つかな」

犬飼が困ったように笑う。

「なぞなぞ出すだけって長くても二分くらいでしょ?流石にいなくなるの早くない?ウル○ラマンでも三分はいてくれるんだけど」
「そりゃウ○トラマンは地球を救わなきゃいけないし……大変だよね、三分で敵倒すなんて」
「でもセブンは時間制限ないんだよ」
「へえ、セブン観たことない」

いや、ウルト○マンの話はいい。今はしなくていい。
辻が内部通話を使って『話を戻して下さい!』と指示を飛ばせば、犬飼はすぐに「さっきの続きだけどさ」と脱線しかけた話を元に戻した。

「普通に世間話とかでいいんじゃない。はいかいいえで答えられる内容なら辻ちゃんもそんなにテンパらないと思うよ」
「なるほどね〜、流石六頴館」

苗字が感心したように頷く。あの毎日のなぞなぞは、彼女なりに自分との接し方を考えた上での思いやりだったと分かり、辻はじんわりと胸が温かくなった。正直怖いと思っていたところもあったが、理由は思いの外優しいものだった。

「だからまあ、もう少し色々話してあげてよ。辻ちゃんも喜ぶと思うし。苗字ちゃんって辻ちゃんのこと好きなんでしょ?」
「ううん、別に好きじゃないよ?」

一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
そんなことある……?と辻は目眩がした。さっきまであんなに嬉しかったのに、いきなりこんな強めに崖から突き落とされることある……?と歪む視界の中、頭を抱える。
この答えには犬飼も反応に困ったようだった。言葉に詰まった彼に気が付き、苗字が慌てて口を開く。

「あ、人としては好きだよ。恋愛感情はないってだけ。推しみたいなもんだから」

その言葉で辻はほっと胸を撫で下ろす。嫌われているわけではないようだ。
推しねえ、と呟く犬飼に頷いた苗字は、少し間を空けてから「私と辻ちゃんって同期入隊なんだけどさ」と話し出した。

「入隊式の後に、辻ちゃんが私の落とし物を拾ってくれたことがあって」

そこまで聞いた時、辻はハッとして顔を上げた。

「その頃は女の子が苦手だなんて知らなくて、人と喋るのが苦手な子なのかと思ってたんだけど」

当時を思い出しているのか、苗字は小さく笑みを浮かべる。

「落とし物渡すなんて私にとっては大したことじゃないけれど、辻ちゃんからすれば大変なことなんだよね。きっとすごく迷っただろうに、私が困ると思ったから勇気を出して声かけてくれて、良い子だなって」

辻はその出来事をよく覚えていた。
苗字の言う通り、見知らぬ異性に声をかける、という行動は辻からすれば決死の覚悟を持ってのことだった。その日の夜、辻は苗字との会話を脳内で何度も振り返り、一人で反省会をしていたせいで、他の隊員や攻撃用トリガーの種類よりも先に苗字の顔と名前を覚えた。けれど後日、苗字はまるで初対面かのように話しかけてきたので、きっと彼女にとっては何の印象にも残らない些細な出来事だったのだろうと思っていた。
彼女が覚えていて、尚且あの挙動不審だった自分に対して好感をもってくれていた事実は、辻を少なからず動揺させた。

「私は辻ちゃんの頑張る姿を見守りたい。応援したいの」
「甲子園のCMみたいなこと言うじゃん」

すかさず茶化してきた犬飼の肩を軽く叩いた苗字に向かって、隠れるのをやめた辻は「先輩」と声をかける。

「辻ちゃん?いたの?」

苗字は突然現れた後輩を前に驚いたように目を丸くする。「ずっとスタンバってたよ」と犬飼が教えると「ええ!」と更に目を見開いた。

「あの、ごめんね、なぞなぞ出すのはもうやめるから」
「そんな!なんで……そうなるんですか!」
「だって怖いんでしょ」
「怖……くないって、言ったら嘘になります……けど」

先輩二人に見守られながら、辻は訥々と続けた。

「なぞなぞを解きたいです……」
「えっ、そうなんだ……?」

小首を傾げた苗字が口元に手を当てる。
めっちゃなぞなぞ解きたい人みたいになってないか?と犬飼は思ったがとりあえず続けさせた。

「さっき怖いって……言いましたけど、でも俺、なんだかんだ……すごく、楽しみにしてて」
「そうなんだ……」

そんなになぞなぞ楽しみにしてたんだ……と苗字は思ったし、犬飼は言葉が足りてないなと思ったがとりあえず黙って聞いていた。

「今までは自分でも分かってなかったんですけど…、待ち遠しく思う……気持ちがあって」

なぞなぞを……?と苗字と犬飼は心の中で同時に呟いた。もう完全になぞなぞの話になっている。

「その……これからも、よろしくお願いします、ね……」
「うん。いいよ」

頷いた苗字はその割に全然目合わないな、と思った。
途中から完全に犬飼の方を見て話していたし、犬飼は笑いを堪えるのに必死で自分の足元を眺めていたので最早全員違う方向を向いている。
辻が苗字の目を見て話せるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。

「じゃあ折角だし、一緒に写真撮ってよ。私誕生日だし」

苗字の提案に、辻はヒュッと小さく喉を鳴らした。
犬飼から「誕生日明日じゃん」と突っ込まれた苗字は「明日はボーダー来ないから」と答えて自身のスマホを彼に手渡した。
ということで急遽、辻は苗字と二人で写真を撮ることになった。
どこで撮ろうか、と言いながら苗字が一歩近付くと辻は二歩下がる。距離を詰めようともう一歩近付けば、今度は三歩下がった。これはどういうルールのゲームなんだろう――と困惑する苗字に気が付いた犬飼がからかうように言う。

「何その不自然な空間。もしかしてそこにもう一人いる?」
「いや私にも見えない」
「……っ、すみません……!限界です……っ!」

尋常じゃない量の汗を流しながら辻は悔しそうに言った。どうやってもこれ以上近づくことは不可能だった。無理をすれば精神崩壊する。

「え〜、私、辻ちゃんとハート作りたかったんだけど」
「すっ、すみません……これでどうですか……!?」
「うーわ、全然作れてない」

相変わらず間に一人分以上の空間を維持した状態で片手ずつ出してハート作りに挑戦する二人をスマホ越しに見ながら、撮影係の犬飼は「いや、遠いな〜」と独り言のように呟いた。二人が画面に収まるよう後ろに下がったが、すぐに壁にぶつかったので断念して撮影ボタンを押した。他人事だと思って適当である。

「いっそ一人ずつ撮ってコラ作る方が良いんじゃない?このままだと辻ちゃん肘しか写らないけどどうする?」
「それはそれで匂わせみたいな写真が撮れて私は良いと思う」
「どこに匂わせるの」

犬飼が笑いながら続けて何枚か撮る。
二人の匂わせ写真は後日苗字のSNSのアイコンになったが、心霊写真と各所で話題になった。

[pumps]