勘違いトリップ2
ああ、コナンか。しまった、コナンは全然知らないんだよな。灰原さんが出てきた辺りからもう飛び飛びでしか…いや、そういうことじゃない。なんでコナンがいるんだ?コスプレか?
なるべく見ない様に彼らから顔を背ける。「こんにちは、コナン君!」という店員さんの明るい声が聞こえた。名前も同じとか本格的じゃん。

「梓ちゃん、コーヒーとオレンジジュースとカツカレーとミックスサンドね」

食べるものは決まっていたようで座りながら注文している。待って、近い。めちゃくちゃ近くから話し声と動いてる気配がする。
息をゆっくり吐いてから、静かに左隣へ視線を向けた。うそ、いる。横にいるよ。なんでそこ選ぶ?ハア?意味わかんないんですけど。
もう一度視線を逸らす。どうしよう近いし、生きてる。突然のことに驚きすぎて息の仕方すら分からなくなる。苦しい。
お冷やを一気に飲んで残っていたナポリタンを勢いで平らげる。美味い。
タイミング良く毛利探偵に梓ちゃんと呼ばれた店員さんがやってきて空になったコップに水を注いでくれる。ナポリタンのお皿を片しながら「ケーキ持ってきますね」と微笑んだ。よくよく見たら彼女の顔にも覚えがある。
去っていく彼女の後姿を眺めながら考える。一体何がどうなっているんだ。

謎の場所にワープしちゃったと思ったらそこには江戸川コナンがいて…?思考の流れでもう一度隣の席へ目をやる。
毛利小五郎は画像検索と寸分違わず同じ姿をしていたが、江戸川コナンは私の記憶にある蝶ネクタイに青のブレザーではなく白いパーカーに黒のジーンズ姿だった。令和だもんな。
そりゃ服装くらい変わるわ、と納得していると江戸川コナンは徐にスマホを取り出して操作し始めた。すごい、スマホ使ってる。令和だもんな。
百年振りの世紀末もとっくに過ぎたのだ。そりゃ江戸川コナンだってスマホくらい使うさ。

何となくつられて私も自分のスマホの画面に視線をやる。今ここで江戸川コナンと打ったらどういった内容のページが出てくるのだろうか。気になったが流石に本人の真横で検索する度胸はなかった。
バレないように、さり気無く隣の席を窺う。服装は違うが私はすぐに江戸川コナンだと確信した。そのくらいそっくりなのだ。やっぱり本人で間違いないんだろう。

つまり私が迷い込んでしまったこの世界にはコナンという漫画が存在しない訳だ。そういうパラレルワールドと言われれば納得はできるが、コナンや毛利探偵が実在するパラレルというのはちょっと理解できない。
パラレルワールドって選択肢の数だけ分岐ができるとかそういうのでしょ?どういう分岐をしたら漫画のキャラが実在するようになるんだ?二次元の存在が三次元になるなんてありえない。
ということは、ここはパラレルワールドではない。あまり考えたくないが私は漫画の中に入り込んでしまった…?なら何故友人達は存在しているんだ。私が知らないだけで皆コナンに出てたのか?あれか、映画のゲストキャラか。

「お待たせいたしました」

女性の声でハッとする。ケーキとカフェラテが運ばれてきた。
一旦考えるのはやめよう。友人が来てから皆がゲストキャラだったのかどうか確認すればいい。
持っていたスマホをテーブルの端に置こうとして、毛利探偵の画像が出ているままだったことに気が付く。画面消さなきゃ、と操作しようとして手から滑り落ちた。手汗がびっしり。私は随分緊張しているようだ。
布巾で手の汗を拭ってから、足下に落ちたスマホを拾おうとして蹴り飛ばしてしまった。エースストライカーなので狙ったように左隣の席へ入り、毛利探偵の足に当たってゴールする。ああ、私は!いつもこう!

足への違和感と私の視線に気が付いた毛利探偵がテーブルの下を覗き込む。しまった、画像を開いたままだ!
待って、と私が声を出す前に毛利探偵がスマホを拾う。サーッと血の気が引いた。
毛利探偵は画面を凝視した後、こちらを見て口を開く。

「お嬢さん、もしかして…」

やばい、どうしたら、やばい…!
心臓の鼓動が速くなる。何で私がこんなことになるんだ。
動揺しすぎて卒倒しそうになる私に目の前のチョビ髭探偵はふ、と笑って言った。

「私のファンですね?」
「………………………あ、はい。それです」

だーはっはっは!という笑い声が店内に響いた。なんだその笑い方。
自分の写真をこそこそ見られていたというのに全く気を悪くしていないのは、彼の器が大きいこととそれだけ慣れているということだろう。
そうだよね、眠りの小五郎だもん。下手な有名人より人気があるはずだ。よかった、気持ち悪いとか思われなくて本当に良かった。

「いや〜、参りますな〜!握手と写真とサインくらいならまあ…だっはっはっ!!」

すごくサービスが良い。
後頭部に手を当てながら、スマホを返される。写真とかは大丈夫です。
正面に座る眼鏡の少年が私でもわかるほど呆れた目で彼を見ていた。
お礼を言ってスマホを鞄に入れる。もう絶対出さない。それを見て毛利探偵は「あれ?写真…」となっていた。いや、大丈夫ですから。
ふと、思い立って口を開く。

「あの…」

隣席の彼らへ声をかけてしまってからやっぱりダメだ、とすぐに閉じた。
一瞬、ここまでのことを相談しようと思った。でもダメだ。単なる探偵にどうにかできるわけないし、こんな話をされてもおかしいと笑われるだけ。だから信頼できる友人にしか話せない。
そんな事情を知る由もない毛利探偵が「どうしました?」とこちらを見る。

「あ、いえ、…サイン頂いてもいいですか?」

誤魔化すように言うとキリッとした顔で「喜んで!」と返ってきた。感じの良い人だな。
大学に持っていく鞄をそのまま持ってきていたので授業用のノートを開いてペンと一緒に渡す。

「よかったら名前も入れましょうか」

さらさらと自身のサインを書いた後そう言われる。転売防止かな?
何となく本名を教えるのが憚られて咄嗟に「杉下です」と謎の隣人の苗字を名乗った。マジで杉下誰なの?
杉下さんへ、と文字が入ったサインを受け取り、お礼を言って頭を下げる。友人に見せてあげよう。

その後、彼らの注文した品が運ばれてきたので話は止めて私もケーキを頬張る。
食事のペースを見る限り、まだまだ二人はこの店にいるみたいなので友人に連絡をして待ち合わせの場所を変えてもらうことにした。流石に隣の席でコナンの話なんて出来ない。

もう鞄から出さないという決意をあっさり破り、場所変更のメッセージを送るとOKのスタンプ。結局米花町駅で待ち合わせになった。また道に迷うだろうから、もう行こうと席を立つ。
会計を終え店を出ようと扉を開いた時、丁度入ってこようとした人とぶつかってしまった。

「すみません、大丈夫ですか?」

わあ、かっこいい。
色黒の金髪の男性がこちらを気遣う。私の周りにはいないタイプのイケメンについ見惚れてしまうが、すぐ我に返り「こちらこそすみませんでした」と謝罪をした。
彼が扉を押さえておいてくれたので、ペコペコしながら店を出た。

駅に行くには、一度マンションまで戻った方が良さそうだ。道を調べてみるとここから行くよりも簡単そうだった。
マップとにらめっこをしながら自宅へ引き返す。覚えている道もあったので、今度はそう時間をかけずに戻ってくることができた。
ついでに荷物が重たいので鞄を取り変えることにした。大学に行くつもりで学校用の鞄を持ってきていたので、物が多くて肩がこる。この前買った赤いバッグにしよう。

部屋の前まで進み、両隣をチェック。杉下と亀山。ガチャ、と鍵を回してドアを開いたところで階段を誰かが上ってくる足音が聞こえた。
特に気にせず中へ入る。

「おーい、お姉さん!」

身体の動きがぴたりと止まった。閉めかけていたドアからそっと顔を出すと階段の方から先程ポアロで出会ったばかりの白いパーカーに黒いジーンズを履いた眼鏡の少年が、にこにこと手を振りながらこちらへ向かってきた。

「よかったー、やっと追い付いた!」

そのまま静かにドアを閉めた。
ドアの向こうから「お姉さん!?お姉さんどうしたの!?」という声が聞こえる。こっちの台詞である。なんで江戸川が来てるんだ。
絶対に開けられない様にドアをしっかり施錠する。勢いが良すぎてガチャン!と想像より大きな音がした。
主人公がお家へ遊びに来てくれるなんて素敵な展開だけど何でいきなり住所バレてるんだ?ここは子供110番の家でもないぞ。
彼の口振りから察するに、私に何か用があるのだろう。ということはこのまま放置しても帰ってくれないわけだ。
ドアチェーンをかけて、深呼吸してから小さく開く。

「えっと…、どうしたのかな?」
「あのね、お姉さんが落とし物してたから届けに来たんだ」

そう言ってドアの隙間から差し出されたのは私の学生証だった。ポアロの入り口に落ちていたと教えられる。

「ないと困ると思ったから、住所見て届けにきたんだ」
「そうなんだ、わざわざありがとう」

じゃあ、もう帰って大丈夫なんで…。
とは口に出さずに黙ってドアを閉めようとすると待って!と焦ったように手を伸ばされる。あぶないぞ。

「僕おトイレ行きたくなっちゃって…、お姉さん家の借りてもいいかな?」

ダメだよ。
心の中で即答する。モジモジしているが恐らくこれは演技だろう。彼はこう見えて高校生なのだ。何歳かは忘れたが確か高校生。水分コントロールくらい出来て当たり前の歳である。
だから貸す必要はない、しかし本当にトイレに行きたい可能性もある。彼の心中など私には分からないのだから、勝手な思い込みで演技だと決めつけて高校生男子の尊厳を奪ってしまっていいのだろうか。
悩んだ挙げ句、チェーンを外して彼を招き入れた。トイレだけね、と念を押すと眼鏡の少年は「うん!」と大きく頷いた。

少年がトイレに入ったことを確認してすぐに何か見られてまずいものがないか探す。落ちてるものは片付けたし、まあ、別に大丈夫かな。家を出る前、気分を落ち着けるためにお茶を飲んだカップがそのままだったので軽く洗う。
カップの水滴を拭うと無事にトイレを終えたらしい少年がこちらの部屋へ顔を出し「お姉さん、ありがとう」とお礼を言った。尊厳が守られて何よりだ。
玄関まで見送ろうと思いきや何故か少年はテーブルの前に立ってきょろきょろと部屋を見回すとカーペットに座った。

「ねえねえ、お姉さんって大学で何の勉強してるの?」

江戸川〜!てめぇトイレだけじゃなかったのか〜!?
沸々と湧き上がる怒りを必死に抑える。ダメだ、ここでキレたら子供相手にムキになる怖い大人だ。
座る彼と視線を合わせるように私もカーペットに膝をつく。じっ、とこちらを見つめる彼に、出来る限り柔らかい声で諭すように言う。

「初対面の人の家に、一人で上がるのは危ないよ」

こんな時代なんだから、と続けると彼は一瞬怯んだ。なんだ?と思ったが、私は三白眼なので角度によっては目つきが物凄く悪く見える。きっと怒っていると勘違いしているのだろう。怒ってるけどな。

「ご、ごめんなさい…僕…」
「今回は仕方がないけど、次はお店とか人が多いところのトイレを借りなさいね」
「う、ん…」

じゃあ、もう帰って大丈夫なんで…。
とは言わずに両手を彼の脇の下に入れて立ち上がせる。肩を押して玄関まで連れていく間、彼は抵抗しなかった。そんなに私の目付きは悪かったのか。

玄関先で靴を履くのに多少まごついたものの、特にこちらへ話しかけてくることはなかった。そんな怯えるなよ。
じゃあねと短く別れを言って少年を外へ出し、素早く扉を閉める。全身の力が抜け、そのまま玄関前に座り込んだ。なんだかすごく疲れたな。
予想外過ぎるアクシデントを無事に乗り越え、人間的にも大きくなれた気がする。何言ってるんだか自分でもよくわからないが。
それだけ私はこの状況に混乱しているのだ。江戸川が存在している、というだけでも受け入れ難いのに学生証を落としたら届けにきてくれるとかやばすぎでしょ。…あれ?
一つおかしな点に気が付いた。そういえば私は毛利探偵のサインを戴いた時に杉下と名乗った。しかし学生証には私の本名が載っている。当然杉下ではない。
その点について江戸川は一切触れなかった。証明写真で私のものだと分かったとしてもあんなに図々しい子なんだから何か一言くらい触れるだろう。

というより、そもそも学生証を落として困っているだろうからってわざわざ家まで届ける奴がいるか?喫茶店で隣の席に座っただけの赤の他人の家まで行くか?

確実に親切心ではない。彼はなぜここまで来たんだろう。

[pumps]