勘違いトリップ4
【コナン視点】

江戸川コナンこと工藤新一が隣の客に違和感を持ったのは、自身へ注がれる三度目の視線に気が付いた後だった。
隣の席の客は、ポアロのウエイトレスである梓とそう変わらない年頃の若い女性で、注視する点もない普通の学生といった印象だ。
いつもにこにこしている梓と比べると変わらない表情は不愛想にも見えるが、客として一人で来ている女性が何もないのに常に笑顔の方が怖い。
だからこそ新一は彼女をさして気にしていなかった。しかし何故か彼女は自分を見ていた。一緒にいる名探偵の毛利小五郎ではなく連れの子供をさり気無く、控え目に見やる意味は何なのだろう。

ふと、以前母親が「女が男を見つめるのは、顔に何かついている時か恋をしている時」だと言っていたことを思い出す。後者はあり得ない、となれば自分の顔に何かついているのだろうか?
スマホの画面を鏡代わりにして確認するが、特に変わったところはなかった。気にし過ぎか?と思ったところで隣席から何かが落下する音がした。
音につられて横目で確認するとどうやらスマホを床に落としたらしい。彼女は何故かすぐに拾わず、一度布巾で手を拭った。そして手を伸ばすと同時に動いた左足が当たり、飛ばされたスマホは小五郎の足で止められた。

その時初めて彼女のポーカーフェイスが崩れたのを新一は見逃さなかった。
小五郎の手によって拾われたスマホの画面には彼の画像が表示されていた。眠りの小五郎のファンらしく、正面に座るちょび髭の男の顔は分かりやすく緩んでいる。好きな人物の画像を開いていたスマホを当の本人の下へ蹴飛ばしてしまい表情が変わったのだと思えば、なるほどおかしな話ではない。
けれど、彼女が何度も見ていたのはその名探偵ではなく向かいに座る子供の方である。

「あの…」

言いかけて口を閉じる。彼女は何かを迷っているようだった。小五郎に続きを促されるとサインがほしいと言った。
それが本来続くはずの言葉でなかったと新一はすぐにわかった。彼女は別の何かを言おうとして咄嗟に誤魔化したのだ。

杉下と名乗った彼女は少しして店を出て行った。そこまでなら、多少の引っ掛かりはあるものの気にするほどのことではないと思った。
本格的に妙だと感じたのは、彼女と出入り口でぶつかったポアロの従業員の安室が落とし物の学生証について梓と話しているのを聞いてからだ。

「先程のお客様の落とし物みたいですね」
「気が付いて取りに戻られるかもしれませんから、置いておきます?」

カウンターの向こうで話す二人に近づく。
丁度良いと思い、話に割って入る。

「僕が追いかけて渡してくるよ。さっきお店を出たばっかりだし、ちょっとお喋りしたお姉さんだから」

正確には『小五郎とお喋りしたお姉さん』だったが、今はそんなことどうでもいい。機会があるなら彼女と話して違和感の正体を知りたいと思ったのだ。
二人は渋ったが「お姉さん困っちゃうよ!」と言うと普段の彼への信頼もあり、了承してくれた。
住所が書いてあるようだったので、入れ違いになった場合はポアロの二人に説明してもらえばいい。もし追いつくことが出来なくても家のポストへ入れておくと約束し、学生証を受け取る。

そして驚いた。彼女の苗字は杉下ではなかったのだ。
在学中に苗字が変わった?だとしても学生証を再発行してもらえば済む話だ。通称として旧姓を使っている?では、あの場面でも使い慣れた旧姓を名乗るのでは?…仮に、杉下というのが偽名だったら?
そもそも彼女は本当に毛利小五郎のファンなのか?


弾かれるように店を出た新一が彼女を見つけるまでそう時間はかからなかった。というより思ったよりも近くにいたのだ。
すぐに声をかけず、暫し様子を窺う。彼女はスマホを見ながら、時々立ち止まると辺りを見回した。その度に新一は見つからないよう姿を隠した。
きょろきょろと周囲を確認する姿は、迷子になった子供のようにも何かを警戒しているようにも見える。

出来る限り自分の情報を出さず、尾行を警戒している。それが、現時点での彼女への認識だった。
小五郎と接触することになったのは偶然だと思っていたが、全ては計算だったのかもしれない。もしこれが仕組まれたものだとしたら……自身が子供の姿になった経緯を思い返す。最悪の事態を想像し、額にうっすら脂汗が滲んだ。

――家に戻ってきたのか。

時間的にどこかへ寄るかと思ったが、真っ直ぐ学生証に記載された住所通りの家へ帰ってきた。
ポアロから彼女の自宅までの距離を考えると必要以上に時間を要したが、恐らく遠回りして尾行者を撒こうとしていたのだろう。
彼女が建物内に入ってすぐに走り寄る。オートロックでないことは助かったが意外に思った。外観や内部の造りからして築年数は十五年以上、立地を考えると若い学生が暮らすには相場より家賃が高いだろう。部屋の階数を見てから、階段を駆け上る。

「おーい、お姉さん」

閉まりかかったドアから顔を覗かせた彼女にたった今追いついた体にして声をかける。手を振りながら近づくと部屋の前に着いた途端、容赦なくドアを閉められた。嘘だろ、確実に目合ってたじゃん。

「お姉さん!?お姉さんどうしたの!?」

わざとらしく騒ぐとガチャン!と大きな音がドア越しに響いた。嘘だろ、鍵掛けられた。
その後、予想外の反応に動揺する新一は母親譲りの演技力で強引に中へ入ることに成功したが、彼女が歓迎していないことは一目でわかった。
トイレを借りるフリをして、彼女の人物像を掴む手掛かりがないか観察する。トイレの中は女性らしいインテリアで飾られていたが、洗面台や浴室はごちゃついている。あまり几帳面なタイプではなさそうだ。消耗品の数から見て一人暮らしなのは間違いない。

これだけでは何も分からない。もう少し判断材料がほしかったので、トイレを出てからわざと帰らずにカーペットに座った。
まずはどうでもいい質問をして反応を見よう、と考えたが彼女は無言で目の前へ膝をついた。一つの変化も見逃さないと意識して見つめる新一に、彼女が口にしたのは質問の答えではなかった。

「初対面の人の家に、一人で上がるのは危ないよ」

こちらに向けられた目は鋭い。今までとは全く違う印象を持たせる目は底が知れず、新一は思わず怯んだ。
言われるがままに玄関へ向かわされる。だが、ここで終わらせるわけにはいかない。もし、彼女に裏があった場合、周囲の人間にも危害が及ぶのだ。
玄関でまごつく振りをしながら、さり気無く彼女の靴裏に盗聴器を仕掛ける。何もないなら、また家へ訪ねて回収すればいい。


動きがあったのは夕方を過ぎてからだった。始めは足音と車の走行音くらいしか聞こえなかったが、徐々に人のざわめきが大きくなる。遠くからホームでかかるアナウンスが聞こえたことで駅前にいることが分かった。
暫くして彼女の声も聞こえてくる。誰か女性と話しているようだが、元々精度が良くないため不明瞭な上に周囲の声が大きく上手く聞き取れない。

『コナンと言えば……』

ようやく聞き取れた単語に、心臓が止まるかと思った。彼女に名乗った覚えはない。
いや、自分のことじゃないかもしれない。推理小説の話をしているのかもしれない。けれど、顔を合わせたその日に同じ名前が挙がるのを偶然と片づけたくはなかった。
新一は全身を耳にして必死に会話を聞き取ろうとするが、突然賑やかな音楽が響いた。運悪く近くで路上ライブが始まったらしい。ボーカルのカン高い歌声に新一の怒りは限界近くまで達していた。これほど路上ライブを憎く思ったことはない。
相変わらず雑音が多くて殆ど聞き取れなかったが『眠りの小五郎』と聞こえてきたことで、彼女が口にしたコナンとはまず間違いなく自分を指しているのだと確信した。

『…安室……ポジション…』

不意に聞き取れた発言に又もや心臓が大きな音で鳴る。自分や小五郎のことだけでなく安室の名前まで挙がったことは彼を揺さぶるには十分すぎた。
その後の会話内容は全く分からなかったが、どうやら場所を移動したらしく少しだけ声が聞き取りやすくなった。
いいぞ、と口角を上げたのも束の間、突然空き缶が潰れるような音と何かが倒れるような物凄い衝撃音が響き渡る。何度かのノイズの末、ブツッと音声が途切れた。盗聴器が壊れた…いや、壊されたのだと理解し、新一の背中に冷たいものが伝った。
あの女性は危険だ。

[pumps]