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美也子が師から受け継いだやんちゃガール魂を冬島に見せつけてから数日経ったが、まるで見えない何かに阻まれるように彼女は太刀川に会うことが出来なかった。
日中は相変わらず隙あらば太刀川のことを考え、夜も「明日こそ会えるかも」と緊張で目が冴えてしまい最近はずっと寝不足だ。いよいよ生活に支障をきたし始めると「髭野郎め…」と若干の怒りが湧いてきた。

そうこうしている間に入隊式当日を迎えてしまった。ポジションごとのオリエンテーションが始まり、訓練室へ入った美也子は小さくため息をついた。トリオン体なので生身程の大きな疲労は感じないが、気分はすっかり沈んでいる。
攻撃手と銃手志望の訓練生達に向けられた嵐山の説明を後方で聞いていれば、浮かない表情の彼女に気が付いた木虎藍が「大丈夫ですか」と声をかけてくれた。本当の理由を話せば怒られそうだったので咄嗟に朝食をとり忘れたと嘘をつけば、呆れた顔の木虎に「もう、しっかりしてください」と言われる。怒られちゃった。
すぐに戦闘訓練が始まったので、木虎と二手に分かれて訓練生達が練習用の大型近界民を討伐するのにかかった秒数を記録していく。美也子の時はまだ体制が整っていなかったのでまた違ったが、最近はいきなり実戦形式の戦闘訓練をさせられるなんて大変だ。
戦い慣れた今ならあの程度秒殺できるが、もし入隊したての頃に同じことをしていたら美也子はきっともたついていただろう。やっぱり自分は早めに入隊してラッキーだった、とこっそり思った。

その後、一時期のような強烈な新人が現れることはなく入隊式は滞りなく終わった。
後片付けを終えた美也子が帰宅しようと地下通路に向かった時、前方から来る人物がこちらを見て「おう」と手を上げたのですっ転びそうになる。

「美也子、なんか久しぶりだな」
「…お、疲れ様です」

換装を解いて生身に戻っていた美也子は驚いて持っていた通学用の鞄を落としてしまった。それを拾いながら太刀川は「お前今日学校だったの?」と口にする。
土曜だが、美也子は進路のことで面談があったので入隊式の直前まで学校にいた。という説明を何の心の準備も出来ぬまま遭遇してしまった太刀川に上手くできず「そういう日もあります」と変な答え方をしてしまう。
美也子はなんだか無駄に意識をしてしまって、まともに太刀川の顔が見れなかった。頭上から「ご苦労さん」と聞こえてきたので盗み見た彼は心なしかいつもよりかっこ良く見えてドキドキした。恐らく錯覚だろう。

頬が熱くなるのを感じてまずい、とすぐに顔を伏せるが太刀川には赤くなったところをばっちり見られていた。
下から覗き込まれ、思わず後退る。動揺していれば「風邪か?」と額に手を当てられ、美也子は体温が急上昇したように感じた。恥ずかしさでなにこいつ触んなとつい思ってしまった。
何か言わなきゃ、と焦った彼女の口から出たのは「外が暑くて…」という無理のあるものだった。今までずっと基地内に居た美也子が外気温に左右されるはずがないのでバレバレの嘘だったが太刀川は「まだ暑いもんな」と普通に騙された。やっぱり単位買ってるなコイツ、などと失礼なことを考える。

いざ彼を前にして、美也子は18年近く使ってきた言語を全て忘れたように感じた。普通に話せていた頃が遠い昔のように思える。
異性に対してこんな風になるのは小学生の時に美也子がひっそりと淡い想いを抱いていた加藤君(下の名前は失念)以来だ。隣の席になり、沢山話しかけてくれた彼に対して幼い美也子は恥ずかしさで顔を見ることが出来ずに下を向いてぽつりぽつりと答えていた。懐かしい思い出である。
王子に対する気持ちともまた違う――そう、これは初恋のような気分だ。

自分は彼に恋していたのか、と強い衝撃を受ける。最近衝撃を受けてばかりの美也子はそろそろ死ぬんじゃないかと思った。
この間、ほったらかしにされていた太刀川は「美也子さーん」とフリーズする彼女の目の前でひらひら手を振っていた。かと思えば勝手に美也子の通学用の鞄を漁り、下敷きを取り出す。
何をするのかと思いきや下敷きで仰いで風を送り出した。彼は本気で美也子が暑さでぼーっとしているのだと勘違いしているようだ。
以前までなら蹴り飛ばしたくなっただろうが、今の彼女には素直にその心遣いが嬉しかったし、A級1位の隊長による容赦ない風圧で髪が乱れるのは恥ずかしかった。

***

そうか、これは恋愛感情だったのか…と自宅に帰った美也子はテレビを観ながら悶々としていた。画面に映った有名大学出身のクイズ王が蘊蓄を傾けるのが耳に入ってすぐに抜けていく。
対面してようやく好きの種類がハッキリした彼女が次に気になったのは太刀川は自分をどう思っているのか、ということだった。
嫌われてはいないだろう。具体的には自分はアリなのかナシなのか。
それこそ彼の好みのタイプなど全くわからない。というか今まで太刀川のプライベートなど露ほども興味がなかったので、ボーダー外での彼についてよく知らないのだ。推薦のおかげで大学に入れてご両親を泣かせたのは知っているが、もっと色々な情報が欲しい。
好きだと自覚した途端、たとえ噂話であろうと彼に関する情報は全て手に入れたくなってきた。まさか彼の趣味嗜好について気になる日が来るとは、やはり自分は成長している…と目頭が熱くなった。美也子は混乱している。


翌日、作戦室を訪ねると中にいたのは太刀川だけだった。
彼に用事があった美也子は偶然にも二人だけになれて心の中でガッツポーズをする。きっと日頃の行いが良いからだろう。
軽く世間話をしていると進路について尋ねられ、太刀川と同じ三門市立大学に進むつもりだと伝えると「そうか、楽しみだな」と笑った。美也子の心は喜びで波打つ。次いで「困ったら俺が面倒見てやるよ」と言われたがそれに関しては自分の面倒だけ見てろと思った。万が一留年や中退なんてことになったら親御さんが泣いてしまう。

「そうだ。太刀川さん、これ書いてください」

本来の目的を思い出した美也子がそう言って手渡したのは、A6サイズの黄色い紙だった。名前を始めとした個人情報、一番欲しいもの、果てには謎のランキングなど多種多様な質問が両面にびっしりと記載されたそれは小学生の頃クラスで大流行した――所謂プロフィールカードである。
受け取った太刀川も見覚えがあるらしく「懐かしいな」と口にする。

「お前こんなのまだ持ってたのか」
「いえ、作りました」
「作ったの?」

太刀川のためにわざわざ自作したのだ。ただでさえポンコツの美也子は混乱により妙な方向に舵を切っていたので、彼の情報を集める手段としてこんなものを選んでしまった。

「遠征に行く前の調査表です」
「へえ」

美也子の無茶苦茶な説明に太刀川は納得したようにまじまじとプロフィールカードを見る。
本当に納得しているかというと決してそんなことはないのだが、彼は美也子に全幅の信頼を寄せており彼女の言うことは大抵受け入れるので今回も特に余計な口は挟まないことにしていた。そういう遊びだと思うことにしているのだ。
そんな事情を当然ながら美也子は知らないので突っ込みを入れない太刀川に対して「マジかこいつ単位買ってるな」と思っていた。悲しいすれ違いである。

「これ全部書くのか?将来の夢知られるの恥ずかしいんだが」
「別に空欄でも大丈夫ですよ」
「マジ?埋めないと昔は怒られたぞ」

そう言って小学生の時、適当に書いて渡したらクラスの女子に怒られた話をし始めた。
御託はいいからさっさと書けと思っていた美也子は「私はクラスの女子じゃないので許します」と訳のわからないことを言った。許された太刀川がそこらに転がっていたペンを取ると素直に自分の名前から書き始めた。
ついじっと見つめてしまいそうだったので美也子は誤魔化すように席を立つ。そんな彼女に、太刀川はちらりと視線を上げて言った。

「これ、真面目に?」
「真面目にお願いします」

即答すれば、ふっと笑って「了解」と返ってきた。
美也子は席を立ったは良いものの落ち着かずに太刀川の周りをうろうろした。いつも彼の後ろを付いて回っていた中学生の頃を思い出す。そりゃ皆から懐いていると思われるわ、と自分で突っ込んだ。

「ほら、書けたぞ」

予想よりもずっと早く返され、心拍数が上がったように感じる。本当に書いたのかと訝しむが、ざっと見た限り空欄は少なく真剣に取り組んでくれたようだ。
美也子は「ありがとうございます」と言いながら、さり気無く質問コーナーの『好きな人はいる?』に目を向けた。イエスにチェックマークがついている。
ドキドキしながらその下にある『好きな人の名前は?』という欄を確認すれば、美也子と書いてあった。

ふ、ふ〜ん…この人そういうこと書いちゃうんだ。美也子は緩みそうになる口元を必死で抑えた。

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