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美也子は書いてもらったプロフィールカード――特に好きな人の名前の欄――をじっくり眺めた後、宝物のように大切に保管した。
手元になくとも三十分毎に思い返しては自然と笑みが溢れる。久しぶりに心が満たされていくのを感じた。
嬉しくて幸せで誰かにこの話を伝えたくなったが、要らぬトラブルを招いても困るので必死で堪える。何度も言うがボーダーは狭い組織なので人間関係には一際気を付けないといけない。下手に話が広がり太刀川と気まずくなったら美也子はもちろん周囲の人々も困るのだ。
それを理解していてもふとした瞬間に破顔するのを止められなかった。別に付き合い出したわけでも何でもないが、個人ランク戦で相手になってくれた諏訪隊の笹森日佐人に「ご機嫌ですね」と指摘されてしまうくらい彼女は分かりやすく浮かれていた。

そして幸せな人間というのは何か特別なパワーが出ているのかもしれない。美也子は幸運にも王子と食事をする機会に恵まれた。
と言っても基地の食堂で鉢合わせただけの成り行きで、彼のチームメイトである蔵内も一緒だったのだが、それでも奇跡のような出来事である。思わず「やったー!太刀川さんありがとう!」とまるで今日のラッキーアイテムの如く自然に太刀川への感謝の意を示した。彼女の中で彼は一体どういった立ち位置なのか正直本人にも分からない。
四人掛けのテーブル席で王子と蔵内が対面する形で座ったので美也子はちゃっかり王子の隣に腰掛けた。本当は蔵内の隣に座り、ひたすら王子の端正な顔を眺めながら食事をしようと思ったのだが、横に座る方がより近い距離で顔を見れることに気が付きそちらを選んだのだ。欲にまみれた女、それが美也子である。

ただ同じ空間に居られるだけでも物凄く嬉しいのに、不意に王子から「君の笑顔は魅力的(意訳)」みたいなことを言われて彼女は危うく死にかけた。
どういう流れでその話になったのか、他に何を話したか一瞬で忘れるレベルの破壊力を持った彼の言葉に「やっぱり私のこと好きなの…!?」と太刀川に向いていたはずの気持ちが八割ほど持っていかれたが、美也子はプロフィールカードを思い出すことで何とか耐えた。でももう二割しか残っていない。瀕死である。

しかし二割まで減ったおかげか、少しだけ頭の冷えた美也子はあることに気が付いた。太刀川はあのプロフィールカードを大喜利だと勘違いしている可能性がある、ということだ。
美也子が傍で見ているから、ウケ狙いで回答したのかもしれない。好きな人のところに美也子の名を書いておいて、ちゃっかり本命の彼女がいたりするかもしれない。奴ならあり得る。
そう思うと浮かれた気持ちがすーっと引いて、もやもやしてきた。

いるのか、彼女…?と美也子は普段の彼の様子を思い浮かべる。確か三年程前、ランク戦に参加しすぎて彼女にフラれたという話を人伝に聞いたことがあった。しかし太刀川の恋愛事情について耳にしたのはそのくらいで、現在の彼についてはよく知らない。
美也子もそうだが性格に難が無い限りボーダーに籍を置いているだけで標準よりはモテる。特に太刀川は一般市民にも有名なのでいてもおかしくはないが、彼女がいるにしてはボーダーに入り浸りすぎている気がした。プロフィールカードにも趣味:ランク戦と書いているくらいだ。もし相手がいるなら余程理解ある彼女か、同じ防衛隊員かの二択である。しかし女性隊員の中では自分が一番太刀川に近い位置にいると美也子は自覚していた。

物凄く気になったが、流石に本人に聞きに行くのは好きだと言っているようなものなので抵抗がある。
そこで太刀川の幼馴染で戦術の師匠である月見に話を聞きに行くことにした。月見と言えば東仕込みの戦術を太刀川に教示し、彼の戦闘力を20%ほど引き上げた高嶺の花である。これをきっかけに太刀川との戦力差はどんどん広がり、美也子はすっかり追いつけなくなってしまった。本当は美也子も一緒に月見塾で学ぶはずだったのだが方向音痴克服を優先した結果、彼女は今も道に迷い続けている。
月見はボーダー以外でも太刀川という人間のことをよく知っていて、ちょっと突っ込んだ話をしてもそれを言い触らさないと確信できるほど口が堅い。美人で上品で傍に寄ると良い香りがして美也子が見たこともない美味しいお菓子をくれる彼女を昔から頼りにしていた。

善は急げとばかりに本部内を探し回り、ようやく見つけた月見は研修室で新人オペレーターへの指導を終えたところだった。アポなしでやってきた美也子を快く迎えてくれた彼女を出来る限り人のいない場所まで連れていく。
今からする話は美也子の中ではボーダーで言うところの『流出した場合は記憶封印措置も適用される最高位の機密』にあたるものだからだ。月見の手を引き、用心しながら場所を選ぶ様子を偶々見ていた諏訪が「おいおい、告白か〜?」と茶化してきたが無視した。
最終的に全く人気のないところまで誘導された上に周囲を窺いながら、ほんのり赤い顔でもじもじする美也子を見て、月見自身も一瞬「告白なの…?」とドキドキしていたことを美也子は知らない。

「太刀川くんとはあまりそういう話はしないから正確にはわからないけど…今はいないんじゃないかしら」

月見は幼馴染への質問に暫く悩んだ後、小首を傾げながらそう言った。
大学でも特に女性の影はないようで、何なら月見は美也子と付き合っていると思っていたらしい。以前、似たような話を唯我から聞いた時は激しい憤りを覚えたものだが、今となっては満更でもなかった。
にやけそうになるのを抑えつつ素知らぬ顔で太刀川の好みのタイプを聞けば、察しの良い月見は微笑みながら「美也子ちゃんみたいな明るくて可愛い子よ」と言ってくれた。しかし美也子は太刀川の前では作り笑いか世界崩壊一日前の顔しか見せてこなかったので、自分が彼の好みのタイプとして認識されているとは思えなかった。そして美也子の好みのタイプは王子のような人なので太刀川とは真逆である。
世界はよく出来ているな…と唸った。やっぱり美也子は混乱している。


その日の夜、とんでもないことに気が付いた。
新しく始まった月9が中々面白かったので、それを口実に太刀川に連絡してみようとスマホを取った時、美也子は自分が彼をブロックしていたことを思い出したのだ。
しまった!普通に忘れてた!!と慌てて解除すると見ていたかのような完璧なタイミングで電話が鳴った。相手は太刀川である。
驚きすぎて美也子はスマホを投げてしまった。幸いソファーの上に転がったため無事だったが、彼女の心は死へのカウントダウンを始めていた。
未だ鳴り続けるスマホを前に正座をし、心を落ち着けようと深呼吸する。
そして美也子はそのまま無視を決め込んだ。着信音が止むとソファーに身体を預け、片手で引き寄せたクッションに顔を埋めた。
仮にも好きな人の連絡先をブロックしたままにするなんて自分が許せなかったのだ。とりあえず今の着信は無かったことにしよう、と目を閉じた。

***

「そういや美也子、新しい月9観た?」
「観ました!」
「元気良いな」

翌日、個人ランク戦をしに行けば早速太刀川に会うことが出来て美也子はいつも以上に元気いっぱいだった。
残念ながらポイントは容赦なく取られたが今はもう気にならない。やる気に溢れていたせいか前より動きが更に良くなったと褒められて嬉しかったし、彼との模擬戦を純粋に楽しいと思えるのは随分と久しぶりの感覚だった。

「終わってから電話したんだけど、気付かなかったか?」
「いいえ!昨日は無視しました!」
「無視しちゃったか〜」

とんだ正直者である。適当に言い訳するつもりが興奮してポロっと出てしまったのだ。
怒られるかも、と心配したが当の本人は「傷付いたな」と言いながら笑っていたので許してもらえたようだ。あまりにも元気で潔かったからだろう。
ついにスマホを買い替えたのかと褒められ、美也子は静かに目を逸らすと肯定も否定もせずはぐらかすように笑っておいた。直前までブロックしていたことは墓まで持っていこうと決意する。

「それより今日はもう上がるだろ?飯食いに行くか。何食いたい?」
「えっ、とんかつ…」
「いいな」

咄嗟にそう答えると太刀川は帰る準備を始めた。
自分で言ったのだが何故とんかつにしたんだろう、と不思議に思いながら美也子も後に続く。トリオン体では満腹感を味わえないせいか、太刀川と接するのに全力投球しているせいか美也子はとてもお腹が空いていた。

地下通路を通って警戒区域外に出た二人がやってきたのは、美味しいと有名な老舗のとんかつ屋だった。美也子も訪れたことがあるが、何度か改装を重ねたらしく木造りのドアを開くと最後に家族と来た時とはまた違う落ち着いた雰囲気になっていた。
以前ラーメン屋に行った時と同じく太刀川に勝手に注文されたが、元々食べたいと思っていたものだったので気にしなかった。よくよく思い返してみればラーメンの時も美也子が好きなものを迷わず選んでいたので、彼はちゃんとこちらの好みを把握しているんだなと素直に嬉しくなる。
ドラマの話をしながら待っていればすぐに料理が運ばれてきた。食べている間、美也子の脳内では月見の話やプロフィールカードの答えがぐるぐる回る。
ちら、と太刀川に目をやれば視線に気づいた彼が「ん?」と小さく笑う。何気ないことだったが、胸がときめいた。

美也子は出来ることならこの気持ちを今すぐ伝えたかったし、彼女がいるのかどうかも本人の口から確かめたかった。遠征に行ってからでは遅い。このまま期間が空いてしまえば自分の気持ちは王子に傾いて帰ってこなくなる――というのは流石に冗談だが、時が経てば言いづらくなってしまう予感がしていた。折角二人きりなのだ。やっぱり今しかない。
まず好みのタイプの話をして彼女の有無を確認し、それとなく自分のことをどう思っているのか聞いて、いけそうならプロフィールカードの真偽について尋ねる。
頭の中で順序立てて、聞くぞ、絶対聞くぞ、と意気込んだ美也子は箸を置いて膝に手をやり、一度視線をさ迷わせた後に心臓をバクバクさせながら「あの」と口を開いた。

「太刀川さんって私のこと好きですか?」
「なんだ急に」

まさかの直球だった。それとなく、とはなんだったのか。美也子はいつだって基本に忠実で真っ直ぐなポンコツである。忍田もそこが美也子の良いところだと言っていた。
そんな彼女の唐突な質問に、向かいに座る太刀川は特に動じずとんかつを食べていた。完全に聞く順番を間違えたな、と思ったが言ってしまったものは仕方がない。どうせこれも確認しようと思っていたことである。
混乱し過ぎて最早怖いもの無しの美也子はそのまま突っ走ることにした。

「答えてください。好きですか?」
「ああ、好きだけど。めっちゃ好き」
「そっ…、…うですか。…ありがとうございます」
「お前も俺のこと好きだろ?」
「えっ、はい。好きですね」
「な?つまりそういうことだ」
「なるほど」

どういうことだ…?
味噌汁に口をつける太刀川を見ながら美也子は混乱した。あまりにも堂々と言い放つので半分も理解できなかった。何を言っているんだこいつは。
そういう駆け引きか?心理戦か?と美也子は言葉の意図を探ろうとしていたが実際のところ太刀川に他意はなく正直に質問に答えただけである。戦闘以外ではそういう人間だと冷静に考えればすぐわかることだが美也子は最近ずっと冷静じゃなかったので分からなかった。
太刀川さんは私のことが好きで私も太刀川さんのことが好き…?哲学か…?などと真面目な顔で考え込む。答えはとっくに出ているのだが彼女の思考回路はショート寸前、謎は深まるばかりである。

特に深く考えていない太刀川は「お前のこと好きだからこれやるよ」とお新香をくれた。好きという単語が飛び交うテーブルでひたすら疑問符を浮かべている美也子は大学生ってよくわからないな…、と再び箸を持つとお新香を咀嚼した。

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