09
自分はもしかしたら太刀川のことが好きなのかもしれない。
錯綜する情報を整理した結果、新学期早々とんでもない答えを導き出した美也子は久々の登校にも関わらず学校にいる間ずっと惚けていた。
後ろの席の当真が背中を突いてきても何の反応も見せなかったし、国近に「お客さん、今日はどうします〜?」なんて髪を弄られても生返事しかしなかったし、移動教室なのに動かずボケッと座っていれば今に「早くしなさい」と怒られた。そんなこんなで気付けば放課後である。
「今日ダメな日?」「ダメみたい」「俺は毎日ダメ」などとクラスメイトの三人が自分を囲んで話しているのをぼんやり聞きながら、美也子の頭の中は太刀川のことでいっぱいだった。
好きかもと意識し始めた途端、今何してるんだろう?ボーダーにいるのかな?なんて、これまでの彼女なら一切考えなかったような些細なことが物凄く気になった。プライベートで太刀川を想うことなど初めてである。
こんな日が来るなんて、と自分が成長したような気がして目頭が熱くなった。美也子は混乱している。
彼を好きだとして、正直これがどういった類いのものなのか彼女にはまだ判別がつかなかった。好きにも色々種類があるのだ。
出来れば誰かに相談したかったが、相手を間違えると2秒で知れ渡るのでここは慎重にいかなくてはならない。
ボーダーは恋愛禁止というわけではないが、昔色々大変なことになり隊員の間では恋愛は外でするものという暗黙のルールが出来上がりつつあった。人にもよるが、あまり色恋沙汰は歓迎されない。
美也子はとりあえず自分で解決する努力を始めた。
家に帰るなり、何でも調べられる便利な機械で『苦手な人』『好きになる』など月並みなワードを打ち込むと素人のブログから評論家による雑誌のコラムまで様々な情報が出てきた。
内容はどれも似たり寄ったりで最初は嫌いだったはずの相手の評価が後々変わるというのは世間的にもよくあることみたいだ。第一印象は悪い方が好きになりやすい、などと書いてあり、美也子は忍田の弟子になった頃を思い浮かべる。
太刀川の第一印象は決して悪くなかった。美也子にとっては初めての先輩だったので、この人が自分の兄弟子なのかと胸を弾ませたものだ。そう思うと自分はなんだかんだ初めから彼のことが好きだったのかもしれない。
本当に?と疑念が膨らんだ。好きだからって彼から受けた『可愛がり』が帳消しになるわけではない。
美也子が白いダウンジャケットを羽織っていけば着膨れした姿を見て「大福!」と笑ったことだって絶対に忘れない。年頃の繊細な少女だった美也子は笑われたことで深く傷付き、暫く白いダウンジャケットが着れなくなったものだ。
忍田に注意され、しょぼくれる美也子の頬をつつきながら「ごめんごめん」と軽く謝ってきた時の奴の笑い顔は脳裏に焼き付いて離れない。思い返して美也子はむすっと頬を膨らませた。
それでも以前のように腸が煮え返るのではなく、いじけたような気持ちになるのは意識の違いなのだろうか。何ならずっといじけていただけなのに、苛ついていると勘違いしていたのかもしれない。
太刀川に自分の事が好き、と揶揄われた時だって、図星をつかれたから焦っただけなのかもしれない。理由をつければいくらでも都合良く解釈できる。
美也子は日がな一日そんな事を考えてしまった。考えれば考えるほど太刀川の顔が見たいと思えてきたが、実際会うのはなんだか怖かった。どういう態度で彼と接すればいいのか分からない。
美也子はその日から三日続けてボーダーへ行かなかった。幸いにも入隊式の準備は全て整っており、偶々防衛任務のシフトも入っていなかったので出来たことだが、テスト期間や学校行事以外でこんなに間を空けたのは初めてかもしれない。
今でこそ王子目当てとなっているが彼が入隊する前から美也子は二日と空けずボーダーへ通っては太刀川を含む攻撃手達と腕を競い合ってきた。中学生の頃からずっとボーダーが生活の中心となっていたので妙な気分である。
どうにも落ち着かなくて学校でも暇さえあればトリガーホルダーを触っていた。三日程度のはずが、もう何年も弧月を握っていないような感覚に陥る。
腕が鈍った気がして、とりあえず昼休みに外で落ちていた枝を拾ってブンブン振り回してたら、通りがかった生駒隊の水上敏志に「アカンよ…」と諭すような目で止められた。美也子は自分でも人に当たったら危ないと思っていたので素直に従った。美也子は混乱している。
それでもやっぱり物足りなくて水上がいなくなった後、周囲に人がいないことを確認してから素振りをし始めた。
そんな彼女を時々通りがかる同校の生徒達は不思議そうに見ていたのだが、今の美也子にはそれを感じ取れる余裕はなかった。
素振りの回数が二十を超えた頃、遠くから名前を呼ばれた気がして手を止める。顔を向けると校舎の方から「おーい」と熊谷が手を振りながらやってきた。
「くまちゃん、どうしたの?」
「いや、なんか先輩が素振りしてるのが見えたんで」
学校で枝を振り回す女子高生はやはり目立つらしい。熊谷は「差し入れです」と手に持っていたビニール袋からチョコレートを取り出し、美也子にくれた。昼食をとり忘れていたことを思い出し、ありがたく頂いているとさらに知った顔がこちらに向かってくるのが見えた。
「美也子さん10本勝負します?」と同じく枝を持った米屋が嫌がる三輪を引っ張ってきたかと思えば「先輩が暴れてるって風の噂で」と烏丸と佐鳥まで現れた。ボーダーの情報共有の早さは異常である。
人間が二人以上集まれば争いが生まれるもので、あれやこれやと言う間に突然のトーナメント戦が始まった。狙撃手の佐鳥が「オレ不利では?」と言うものの軽く無視され、戦いの火蓋が切られる。
美也子は米屋を降したものの「王子君も来ないかな…」と不純な動機でチラチラ辺りを窺っていたせいで三輪に負けてしまった。
敗者用の観戦席で烏丸と熊谷の戦いを眺めていれば、人見と彼女と同クラスの加賀美倫が飛んできて「小学生か!」と怒られたので天下一ちゃんばら大会は急遽中止となった。先輩でしょうが!と美也子が一番怒られたので水上の言うことを聞いていればよかったと後悔する。
その翌日、防衛任務のシフトが入っていたこともあり美也子は久々に本部基地へ足を踏み入れた。
任務が終わった頃にはすっかり日が落ちて暗くなっていたが、学生の比率が高いせいか、この時間帯の方が活気がある。いつもならさっさと帰ってドラマでも観るのだが、太刀川の顔が見たくてどうしようもなくなってきた美也子は意を決して廊下を進んで行った。
しかし、こんな時に限って太刀川隊の作戦室には誰も居なかった。まさか彼らも防衛任務かと思ったが、今日のシフトには名前がない。勤務表に間違いがなければ明日のはずだ。
ドキドキしながら基地内を探し回る。一番居る確率が高いランク戦ブースにも太刀川の姿は見えなかった。ラウンジにも食堂にもいない。まさか大学?と思ったが高校と違ってまだ長期休暇中のはずだ。休み中に太刀川が大学へ行くわけがないという謎の信頼でその可能性を排除した。
そうなると少し早いが時間的に諏訪隊の作戦室だろうか。彼らが夜な夜な麻雀に興じていることを良く知っている美也子は緊張しながら足を動かした。
「お疲れ様です」
美也子がそう言って作戦室の扉を開くと中から「おいーす」と気の抜けた返事がくる。
隊長の諏訪洸太郎とオペレーターの小佐野瑠衣、それに東が雀卓を囲んでいた。三人打ちをしているようだ。
ここにも目当ての人物の姿はなく、小さく肩を落とす。諏訪はそんな美也子を見るなり「丁度良かった」と自身の向かいの席を示した。
「人数足んねーからお前入れ。ここに来るってことは暇だろ?」
決めつけがすごい。実際暇ではあるが、美也子には太刀川の顔を見るという使命があったので丁重に断った。
そもそもルールも知らない自分を入れてどうするつもりなのだろうか、と不思議に思う。諏訪は都合の良い時だけ美也子と太刀川を同一視している節があるので、彼女が参加して負けたら太刀川の負けとしてカウントするのかもしれない。後で怒られそうだったので余計に参加できなかった。
「太刀川なら呼び出されてここにはいないぞ。本部会議室に行ってみな」
美也子が何も告げずとも東には全部わかっているようで、会議室の方向を指差しながら言った。
そんなに分かりやすいだろうか、と少しドキッとしたが元々周囲には太刀川の話ばかりする奴だと認識されていたようなので、別に深い意味はないのだろう。
それでも自分の気持ちが筒抜けのようで気恥ずかしくなり、お礼を言って美也子は早々に作戦室を出た。
東が言っていた会議室は普段立ち入らない区域にあり、エレベーターで上まで行くと廊下には全くと言っていいほど人通りがなかった。
別に立ち入り禁止というわけではないが、用がなければ態々来る場所でもないので当然である。時々すれ違う職員達に頭を下げながら美也子は会議室を目指した。
重苦しい印象を与える会議室のドアは、一部がガラスになっている。そこからバレないようにこっそり中の様子を窺うと手前側の席に特殊工作兵の冬島慎次と美也子が常日頃お世話になっている風間蒼也がいた。その奥に太刀川らしき人物と忍田が見える。良く見えないが、もっと奥には開発室長の鬼怒田本吉や本部長補佐の沢村響子辺りがいるのだろう。
なぜこの面子と思ったが、きっと間近に迫った遠征の件で集まっているのだとすぐに察した。恐らく今月末か来月頭には出発するはずだ。あれだけ早く行けと願っていたのに、今はまだ居てほしいと思えてきた。掌を返すとはこのことだ。我ながら酷いな、と呆れる。
ふう、とため息をついた美也子は一先ずこのまま廊下で待つことにした。時間が経つと少し頭が冷えてくる。
深く考えずにここまで来てしまったが、あとどのくらいかかるのだろうか。別に約束しているわけでもないのに待っているのって変じゃないか?などと壁に張り付いて考えていると急に重たいドアが開いた。
やばい!と思って慌てて壁から離れたが、出てきたのは冬島だけでほっと胸を撫で下ろしつつ挨拶をする。
もしかしてもう話は終わったのだろうか、とほんのり期待してもう一度ガラス部分から覗き混む。美也子の位置からだとどう頑張っても太刀川の後頭部しか見えないが、どうも忍田と話し込んでいるみたいだ。まだ暫く出てきそうにない。
なーんだ、とがっかりしている彼女を見ていた冬島が「急用か?」と尋ねてきた。
「太刀川だろ?呼んでやろうか」
「いえ、大したことではないので…………やっぱり今日は帰ります」
「窓から?」
言いながら、ごく自然な動作で近場の窓をガラリと開けて窓枠に手と足をかけた美也子を冬島が不可解な表情で見た。女子高生って怖いな…などと呟くが、世間一般の女子高生は窓から降りようとはしないのでその括り方には問題がある。美也子だって普段なら絶対にこんなことはしないのだが、最近ずっと混乱状態なので落ち込むと少しおかしな行動をとってしまうのだ。
冬島に別れを告げると美也子は躊躇うことなく飛び降りた。トリオン体だったので問題なくそのまま中庭に降り立ち、何事もなかったかのように歩いて帰る。
ちなみに彼女の師である忍田もかつて二階の窓から飛び出て三階の窓から戻ってきた逸話を持つ男である。図らずも美也子は師のやんちゃ小僧エピソードを踏襲した形になっていた。
とぼとぼ歩きながら「上の人に見られていたら叱られるだろうな」と彼女は今更ながら思った。美也子は混乱している。