episode1

入隊してすぐ忍田の弟子となった美也子は、訓練以外でも基地にいる時は兄弟子の太刀川と行動を共にしていた。
別に同じ人に師事しているからといって――隊員数が安定するまでは部隊も存在しなかったので――常に一緒にいる必要はなかったのだが、気が付けば自然とお互いが横にいた。それはやはり中学生の美也子が先輩という未知の生き物への接し方がわからずにいたからだろう。一世代前に流行った不良漫画から得た知識で、とりあえず先輩には付き従うものだと勘違いした結果、ボーダーでも屈指の仲良しコンビ(誤解)が誕生してしまった。恐ろしい話である。
そんな美也子の胸中を太刀川は知らなかったし、気が付くこともなかったが、自分に対して素直で礼儀正しい彼女に好感を持つのは当然のことだった。
子供らしく幼い顔で太刀川さん、と呼び慕われるのに悪い気はしない。勝ち気な小南や人を寄せ付けない三輪と比べると余計にそう感じた。
言ったことは全部守るし、よく気が利くし、何をするにも一生懸命で、自分の戦い方を真似をする姿は微笑ましい。本人は真剣そのものなのに何をするにも少しズレた方向へ進んで行くのは笑えたし、心配にもなった。
太刀川自身は決して世話焼きではなかったが、つい面倒を見てやりたくなる美也子の振る舞いはきっと自分に兄弟がいたらこんな感じなのだろうと思わせた。幼なじみの月見は妹というにはしっかりしすぎていたので、美也子は太刀川にとって今までいなかった特別な存在になった。
その結果がパシリと無茶振りなのだが、彼は一昔前のドラマの影響で弟妹は必ず上の言う事を聞くものだと思っていたし、美也子本人が文句も言わずに受け入れていたので仕方がなかったのかもしれない。悪気はないし、可愛く思うからこそ揶揄ってやりたくなったのだ。

二人の関係が少し変わったのは、美也子が太刀川と同じ三門市立第一高等学校へ入学してすぐのことだ。
女子というのは不思議な生き物で、ほんの数ヵ月前まで中学生でまだまだ可愛らしい子供だったというのに、高校の制服に袖を通した途端、急に大人びて見える。
迅という好敵手がいなくなりボーダーから足が遠退いていたせいか、校内で見かけた彼女はたった数日振りだというのに別人のようになっていて、太刀川は思わず声をかけるのを躊躇った。

その頃の美也子は王子という心のアイドルとまさしく運命の出会いを果たした時だった。同じクラスになって初めてその存在を知った彼は美也子にとって完全に好みのタイプで、世界が大きく変わったような気がした彼女は少しでも良く見られたくて容姿や言動を気にするようになった。所謂、色気づいてきた時期だ。
当時の太刀川はそんなきっかけを知らなかったので美也子の急激な変化に驚かされたと同時に、彼女が妹でも家族でもなんでもない一人の女子であることに気付かされ、強く意識し出した。
美也子はきっと恋をしているんだと周囲から教えられるとむず痒い気持ちにもなるし、遠く離れていくような寂しさもあるし、知らない相手に夢中になる彼女を想像すると何とも面白くなかった。もうその頃には、ボーダーという非日常の世界で昼夜を問わず多くの時間を共にしてきた美也子は、太刀川にとって家族の次に近い存在だったからだ。

そうやって変わっていったはずの美也子が、昔のまま純粋で素直な態度で側にいてくれると安心したし、ふとした瞬間に今までなかった女性らしい仕草や一途な面を見せられると結構ぐっときた。
認識が変わると態度も変わる。それまでの太刀川は美也子が気を利かせて動いても「よく働くな」という感情しか抱かなかったが、段々と自分が彼女に対して何かしてやりたいと思うようになってきた。それは年長者としての気遣いともまた違って、単純に美也子を喜ばせたいという気持ちの方が大きかった。美也子がチームを離れる少し前には、もうパシリはなくなっていた。

いつからか太刀川は無意識に美也子の行動を目で追うようになっていた。
それこそ彼女の変化は恋のせいだと同級生達に教えられてからは「一体誰が好きなんだ?」と探るように見続けていたが、特定には至らなかった。美也子は学校でもボーダーでも誰が相手であろうと全員平等に接していたのだ。これは彼女が太刀川の相手をしているうちに得た高度なスキル――本音を顔に出さない――を発揮していたからである。つまり自分の行いのせいなのだが、当然ながらそんなことを分かるはずがない。

そしてその隠す気のない視線を美也子が感じ取れるのも当然のことで、二人は一時期よく目が合った。その度に美也子は困惑しつつも近ければ何か用なのかと小走りで寄ってくるし、遠ければ会釈をするか小さく笑う。そんな彼女に最も近いのは誰が見てもやはり太刀川くらいだったので、最終的に「美也子に一番好かれているのは自分しかいない」と彼は確信した。ひょんなことから美也子は物凄い年上趣味という疑惑も浮上したが、それはまた別の話である。

そうして美也子は俺のことが好きという定番の台詞が誕生したのだ。そのせいで弧月で斬り付けられる直前まで溝が深まっていたことを彼は知らない。

***

「うーわ、マジか。雨降ってる」
「今日は夜から雨だって言ってましたよ」
「俺、天気予報信じてないから」

何言ってんだこいつ、と美也子は自分の向かいの席で外を眺める太刀川に対して思った。

白熱の相撲勝負を繰り広げてから数日。いよいよ来週から遠征となり、二人はほぼ毎日一緒に過ごしていた。
元々美也子と太刀川の仲が良いのは隊員の間では有名な話なので、彼らが理由もなく肩を並べて歩く姿を不思議に思う者はいなかったが、美也子はボーダー内で太刀川との関係を明かすつもりはなかったので何かの拍子にバレるのではないかと気が気じゃなかった。それこそ国近にも月見にも教えていない。公にしたところでデメリットしかないからだ。ボーダーは学校とは違う特殊な組織である。
それでも遠征に行ってしまったら長く会えなくなるので、バレた時の地獄のような冷やかしと太刀川との時間を天秤にかけた結果、苦しみながらも後者を選んだのだ。相撲で色々と吹っ切れた美也子は、彼に対して素直に接することが出来るようになっていた。

今日は任務明けに午後から出掛けていたのだが、ふらりと立ち寄ったカフェの窓から外を見ればいつの間にか雨が降り出していた。
何故自分が天気予報を信じないのか語る太刀川を無視して美也子は腕時計を覗いた。思いの外、遅い時間になっていた。この店もそろそろ閉まるだろう。
鞄から取り出したスマホに母から「ご飯どうするの?」というメッセージが届いているのを確認したところで美也子は口を開く。

「私もう帰りますね」
「なんで?」
「え…?帰りたいからですけど」

うん…?二人は同時に首を傾げる。太刀川に「でも明日休みだろ?」と言われて美也子は頷いた。
明日は祝日で非番だったし、太刀川も夜から防衛任務だ。少しで良いから会えると良いな、とは思っていたがそれと自分が帰る話に何の関係があるのだろう、と美也子は検討もつかなかった。
不思議な顔をする彼女に対して、太刀川もまるで意味がわからなかった。今日、彼は初めから外泊のつもりだったし、美也子もそうだろうと思っていたからだ。相撲までして付き合ってほしいと言われたのに帰りたいから帰るとは何事なのだろう。
お前帰るの…?と驚く太刀川を前に、美也子はちら、と母から届いたメッセージの続きに目をやった。「今夜は鍋です」という文と共に写真が送られてきている。

「あの、今日は鍋なので帰りたいです」
「そうか…、鍋は食いたいよな」
「はい、ご理解頂けて何よりです」

鍋は食いたい。それはわかる。お互い深く頷いた。

「でも、さっき飯食ったよな?幻覚か?」
「鍋は別腹なんで」

デザート感覚である。どうしても鍋が食べたいらしい美也子の表情は、模擬戦の時と同じく真剣そのものだった。こいつ意思強いな…と太刀川は気圧された。女子高生ってよくわからない。
結局二人は店を出て、今日はこのまま帰ることになった。店先で太刀川が会う時間を間違えたと思ってることなど知らず「私、傘ありますよ」と美也子が鞄から折り畳み傘を取り出した。

「流石美也子さん。準備が良い」
「太刀川さんはどうするんですか」
「俺は入れてもらえない感じ?」

美也子が悪戯っぽく笑ってから傘を広げると太刀川が代わりに傘を持つ。小さな傘に二人で入ると少し歩き始めてから太刀川は濡れないように美也子の肩に腕を回して引き寄せた。この時、美也子の心には突然の密着による照れと歩き辛さから感じる「シンプルに邪魔」という二つの感情がぐるぐる回っていた。
話しながら、ここからそう離れていない距離にある駅へ向かう。夜遅く天気も悪いのでいつもより歩行者の数は少なかったが、駅周りは十分活気があった。駅構内を照らす明かりは遠くからでもよく目立つ。入り口が見えてくると太刀川が何かに気が付いた。

「あれ二宮じゃないか?」

そう言った彼の視線を辿った先、丁度駅の入り口付近で傘を畳んでいる男性は確かに二宮だった。彼は意外にも運転免許を持っていないので一人で行動する際は移動手段が限られ、時間によってはよく会えるのだ。堂々とした振る舞いで性格が表にも滲み出ている二宮は防衛隊員であることを差し引いても人目を引くので、どこであろうと見つけやすい。
彼の姿を認めた瞬間、美也子の頭を過ったのは『最悪』の二文字だった。別に彼が嫌いなわけではなく、単純に今はボーダーの関係者には会いたくなかっただけだ。人格に優れる嵐山でも柿崎でも等しく最悪だし、面白いことが大好きな諏訪や犬飼なら『超最悪』の三文字だったはずだ。太刀川と二人で、こんな時間に寄り添って歩く姿を見られるのは誰であろうと絶対に嫌だった。
向こうはまだこちらに気が付いていないようだし、申し訳ないがここは知らないふりをしよう――と美也子が提案する前に太刀川が口を開いた。

「おーい!二宮ーー!」

声かけんじゃねえ!!!美也子は心の中で絶叫した。
太刀川は戦闘以外では他人と相談しない。基本的に迷わないからだ。彼は自分の思った通りに生きる男である。
もうだめだこいつと諦めた美也子はすぐに太刀川から離れた。「濡れるぞ」と傘を傾ける彼に、先程までの楽しかった時間はどこへやら美也子は「傘返せお前が濡れろ」と思ったが、むっとした顔を見せるだけに留めておいた。そのまま雨を避けるように頭を手で覆いながら駅まで一人突っ走る彼女を追って太刀川も二宮がいる駅構内へ入る。

名前を呼ばれて目だけ動かした二宮は、そんな二人の姿を見ると何とも言えない表情を浮かべた。
恐らく太刀川一人なら取り留めのない話をして終わっただろうが、今日は美也子がいる。基地の近くなら防衛任務やランク戦の帰りだろうと予想はつくが、基地から随分離れた場所でわざわざ二人でいる。
すぐに二宮と美也子の間にはちょっとした緊張感が走ったが、それを察知できなかった太刀川は傘を畳みながらいつも通りマイペースに話しかけた。

「お前確か非番だろ?何帰り?」
「何でもいいだろ」
「お疲れ様です…」
「ああ」

美也子の挨拶に短く返す二宮は、彼女の目にはいつも通りに映った。多少の違和感を抱いてはいるだろうが、恐らく確信はしていない。
これならまだ誤魔化せると美也子は信じていた。もし、二人で何をしているんだと聞かれたらちょっと足を伸ばして美味しいものを食べに来ただけだと言えば良い。そうすれば絶対に深追いしない。彼は自分達の事情にそこまでの興味はないはずだ。
二宮は美也子を一瞥すると太刀川を見て片眉を上げた。

「お前フラフラしていていいのか。もう遠征だろ」
「いや〜、美也子が遠征行くまで毎日俺と過ごしたいって言うからさ」

このバッ…!!
黙らせるつもりで美也子は後ろから渾身の力で太刀川を殴った。こいつ!こいつよくもそんな恥ずかしいことを!!と事実ではあるものの怒りに震えた。美也子が彼を好きで会いたくて仕方がない、と取れるような発言に我慢できずに蹴りも出る。いや事実ではあるが。
その勢いたるやカップルの痴話喧嘩などという生易しいものではなく最早ただの暴行である。的確にダメージを与えられた太刀川は「お前こんなに強かったの?」と困惑していた。もしかしたらトリオン体じゃない方が良い勝負になるかもしれない。
この過剰な反応が、太刀川の発言の裏付けになっていることにポンコツの美也子は気が付かなかった。
直接話したわけではないが、二宮は美也子が太刀川を苦手としていたことに気が付いている。過去のパシリ事件は彼も知る所なので、太刀川を慕う理由がないと判断しているはずだった。
その二宮がこちらに向けてきた正気を疑うような目を美也子はきっと一生忘れないだろう。多分バレた。

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